第61話 悪臭の正体。にゃーんと鳴く悪役令嬢。クールにキレるお兄様。
それはボディーガードの仕事ではない。とサディストな雇い主に反論する者はいなかった。
速やかな連携で同僚たちへ術を送り、とにかく急いで消臭剤をとメーカーすら指定せずに手配する。
爽やかでサディストなサクラ様は、届いたものが胡蝶グループと無関係の製品であってもいささかも気にしない大らかさを持っているが、製造元に拘って無駄な時間を使う要領の悪い部下はお好きではないのだ。
一番早く届いたのは学園内の商業施設で買われた多種多様な消臭剤。次いで用務員から購入した新品と使いかけ。
その他にも続々と、各種製造メーカーの消臭系アイテム、業務用の消臭、脱臭装置が、『もはや悪臭に感じられるほど香水臭いスズランサロン』から二十メートルほど離れた廊下、不機嫌な表情のサクラがいる場所に集まってくる。
サクラは山のなかから無造作に一つを選び、つまらなそうな表情で説明書きに目を通すと、おもむろに自身の横で指示を待っているボディーガードにポイ、と渡した。
試してこいと。
自身の周りには厳しい訓練を受けた者達しかいない。たとえあれが毒でも対処はできる。
サクラが斜め後ろに立つボディーガードに尋ねる。
「毒だと思うか?」
「可能性は十分にあるかと」
その答えに、彼はふーん、と微妙な相槌を打った。
サクラも毒には耐性がある。だが、軽い結界を張ったあとにもくらりとするぐらいには、あの香水は強烈だった。そもそも結界で遮断できていたのか。それすらも怪しい。
『香水くさい扉前』にいる黒服達が、術を使っていいかと確認してくる。
好きにやれと指示を出すと、さっそく扉の破壊を試み始めた。
金属製のプレートが、回転しながら廊下にカラーン!! と吹き飛んだ。
――Lily Of The Valley――。
――鈴蘭――。
犯人の名前が打ち捨てられたが、離れているサクラからは見えなかった。
どうやらピッキング程度では開かないと判断したようだ。
いったい強烈な香水を使って男子生徒をどうしようとしていたのか。
傀儡というには、とくに何かをしていた様子もなかった。
言動や人格に異常があれば、さすがにまわりが気付くだろう。
聖なる力を持つ猫が『犯罪者』と呼ぶ犯人。同じ敷地内にいるだけで猫ひげを震わせる強烈な悪事とは何か。
聖属性の持ち主がなにより忌避するおぞましい術といえば
――死霊術。
(被害者達はぼーっとしてるだけで目が死んでるってほどじゃなかったはずだけど……いや、しっかり確認したわけじゃない。嗅いだ者をアンデットへ変える揮発性の毒……しつこいくらいに行われる被害者への毒の散布……でも香水の噂は耳にしていない……何かと打ち消し合っているとしたら? まさか、アンデットの死臭を強烈な匂いで誤魔化すつもりだったのか?)
猫と犯人の能力を高く見積もりすぎである。
いまのところぼーっとしている以外に問題を起こしていない男子生徒をアンデット呼ばわりするサディストに苦言を呈する者はいなかった。
◇
シオンは「にゃーん、にゃーん、お兄にゃーん」と鳴く幼い猫の鼻を悪質な香水から護るため、ブレザーの上から結界を張ってやった。
「にゃーん……」
さきほどよりは幾分マシになったようだが、まだ鳴き声が弱々しい。
「そこの教室はどうだ」
弱々しい婚約者を心配するヤンデレが、右斜め前方のドアを示す。
中に入って窓を開ければ気分もよくなるはずだ。
――ヒュ……
――パァン――!
ドアを開けた瞬間、軍服を着たイケメン生徒と鞭で躾けられる生徒がいたため、色々忙しい彼らは速やかに教室をあとにした。
◇
音速を超える鞭の先が空気を叩く怪しい音が聞こえない教室の中。
外の空気を吸い、もう一度結界を張ってもらったハナにゃんは、大分元気を取り戻していた。
「お兄にゃーん。悪い匂いなのですにゃーん。体に悪いのですにゃーん」
ごしごしと猫手で鼻をこすりつつ、婚約者にブレザーを敷いてもらった机の上で香水への不満を述べる。
猫の鼻が痛くなるほど香水を振りかけるというとんでもない悪事。
香水瓶をひっくり返しその上で転倒したとしか思えぬ。
聖なる力ではない力で悪を探知した悪役令嬢は、あの大悪党が香水をつけるのをやめるまで絶対に許さないとピンク色の鼻に誓った。
しかし、これでは大悪党にお仕置きができない。
近付けばまたお鼻が痛くなってしまう。
お口をあけたまま虚空を見つめる弱々しい猫を、ヤンデレ達がじっと見つめる。
『うすぎたないおじさん』を始末する前に、香水瓶とその持ち主を始末するべきか。
彼らがそう考えていた時、シオンの仕事用スマートフォンHana Nyanブランド秋冬モデル、ゼニスブルー〈天頂の空の色〉にメールが届く。
――件名 アロマ香水
様子のおかしい男達の集会所。
サロン内で怪しい加湿器発見。
呪具の可能性あり。
興味あるなら誰か寄越して。
Sakura
「…………」
シオンのこめかみにクールな青筋が浮く。
個人でつけるだけならまだしも、悪質な加湿器で幼い猫を害する匂いを広範囲にばらまくとは。
そのうえ、呪具だと?
今現在呪いに苦しんでいる猫をこれ以上どうするつもりだ。
カナデはヤンデレらしくHana Nyanブランドの色違いに目を付け、シオンの手元からすっと抜き取った。
「――呪具?」
低い声が静かに響く。
不穏な言葉に眉根を寄せたアヤメがHana Nyanブランド秋冬モデルゼニスブルーへ手を伸ばす。
「…………」
まさか学園内で斯様に恐ろしい事件が起こっているとは。
アヤメはスーツの胸元へ手を差し込むと、面白みのない真っ黒なスマートフォンをすっと取り出した。
個人的なサロンはわざわざ申請しなければ使えない。
いったい学園長はどういうつもりなのか。




