第60話 ハナにゃんの猫的パトロール。ある意味同時攻略。圧倒的な力。
ハナちゃんと堅物教師アヤメがふたりだけの教室から一歩、廊下へ出た時には、すでにお兄様と婚約者が待ち構えていた。
――爽やかなサディストは講義室で彼らと別れ、『学園内の噂』について調査中だ。
「お兄にゃーん」
クールなヤンデレがアヤメからヤンデレ製造機を受け取る。
ヤンデレ婚約者は暗い瞳で、愛らしく弱々しい悪役令嬢ちゃんをじっと見つめ、彼女の兄から猫を奪う隙をうかがっていた。
――ちなみに、現在〝うすぎたないおじさん〟に狙われている(と、頭にボッと火がついた男達は思い込んでいる)彼女を保護するための要塞は、猫がたのしく快適に過ごせるよう改築中である。
堅物教師の頭に『何故ここに』『君たちは授業中のはずだが』から始まる十を超える質問が浮かぶ。
が、先程の『犯罪者』の話を思い出し、口出しを控えた。
廊下にずらりと並ぶボディーガード達にも言いたいことがないわけではなかった。
しかしこれに関しても、学園内に犯罪者が入り込んでいるとなれば話は別である。
いっそ足りないぐらいだろう。
御剣の侍衛も増員するべきか。
教師には制約があるが、大事な生徒を護るためだ。学園長も容認するに違いない。
それにしても、とアヤメは考えていた。
さすがは赤子のような猫を妹に持つ千代鶴シオンである。
学園関係者すら知らぬ事案についてもいち早く情報をつかんでいるとは。
先日の不審な女生徒の件もまだ解決していないというのに……。
――幼い生徒が犯罪に巻き込まれぬよう、彼を見習う必要があるな。
赤子のように弱々しいうえに呪われて猫になってしまった、という『特殊』の一言では到底片付けられぬ超美少女を教え子を持ってしまったアヤメもまた、少々目が曇っていた。
◇
「にゃーん。お兄にゃーん。前が見えないのですにゃーん」
「ハナ、廊下に声が響いている。あまり鳴くと悪しき者が寄ってくるかもしれない」
学園内の散歩中、悪役令嬢ちゃんはお兄様のブレザーの中でにゃーんと声を上げていた。
鼻先を出そうとすると、横にいるヤンデレがスッとブレザーでピンク色のお鼻を隠してしまうのだ。「危険だ――」と言って。隙間から穢れなき猫手を出そうとしても同じように阻止される。
ヤンデレのヤンに刺さる『犯罪者』のせいで警戒レベルが上がってしまったらしい。
しかし、ハナにゃんは前が見えなくてもさほど困らなかった。
ふんわりと被せられたお兄様のブレザーの中は非常に快適である。
「お兄にゃーん」と兄を呼べば、すぐに察して撫でてくれる。
だが、そんな素敵なお散歩中のハナちゃんを、突如、防ぎようのない攻撃が襲う。
「お兄にゃーん! 香水ですにゃーん! お鼻が痛いのですにゃーん……!」
敵の香水である。
「俺にはまだ感じられないが、お前がいうならそうなのだろう」
クールな男は敏感な鼻を持つ猫を苦しみから救うべく、ボディーガードに指示を出した。
――香水をつけている人間をまとめて学園長室に放り込んで来い。
こんなことになったのは、幼い猫が通う学園で香水の使用を許可する者、つまり諸悪の根源、学園長のせいである。
猫の嗅覚は人間の数十倍、数万~数十万倍と言われている。
数字に関しては文献によってばらつきがあったため、確かではない。
被毛の色が濃い猫のほうが嗅覚が優れているという記述も見かけた。
嗅細胞、嗅覚受容体に関する論文にもざっと目を通してみたが、古いものと新しいものでは数値や情報にわずかな差異があった。そもそもぬいぐるみと猫の中間のような姿である猫の鼻は一般的な猫と全く同じつくりかという疑問に対する答えも持っていない。専門家に調べさせるわけにもいかず、自身の目で一晩観察してみたものの、鼻紋まで美しいということしか分からなかった。
鼻だけで猫を見分けられるようになったことが、せめてもの救いだろうか。
――猫の鼻にまつわる書物よりも呪いにまつわる書物を読むべきであるとクールな彼にクールに進言できる者はいなかった。
「――シオン、この先に不審者のサロンがあるらしい」
ボディーガードからの報告を受けたカナデが、婚約者の兄に伝える。
「誰だ、不審者にそんなものを許可したのは」
当然学園長である。
見た目はクールなまま沸々と怒りをたぎらせる男の頭に、冷静とは言い難い考えが浮かぶ。
数日振りに学園に来ただけで、幼い猫を害する者がこうも次々と現れるとは――。
「まさか学園関係者が――」〝うすぎたないおじさん〟か。
学園生よりも年齢が高い男達へ手当たり次第に濡れ衣を着せてゆくシオン。
怒りでイカレたヤンデレには実際に〝うすぎたない〟かどうかなど、もはや関係がなかった。
◇
鼻も弱々しい悪役令嬢のクールなお兄様が容疑者リストの中に『学園長』『副学園長』ついでに『学園長秘書』をぶち込んでいたころ。
ひとりで『様子のおかしい男子生徒』について調べていたサクラは、ひとつの扉の前にたどり着いていた。
――Lily Of The Valley――。
――鈴蘭――。
入り口には犯人の名前がデカデカと飾られていたが、吐き気をこらえるように口元に手を当てているサクラにそれを見る余裕はなかった。
「うわ、凄い香水……」
自身のボディーガードを呼び寄せ、指示をだす。
「消臭剤持ってきて」




