第58話 ヤンデレを製造した悪役令嬢。そして猫へ。学園と噂。
魔界の闇から産まれ出でたかのような、どこまでも暗い眼差し。
だが現在この部屋にいるのは、ヤンデレ系イケメンの如く思考が歪んでしまったカナデ様と、その原因を作った幼稚園児系悪役令嬢ちゃん、寂しがり屋な幼稚園児のために早めに戻って来たクールな男のみ。
幼い妹の口から『うすぎたないおじさん』から始まる――な話を聞かされた彼に『落ち着け』と声をかけられるクールな人間などひとりもいなかった。
◇
まったく冷静でない男達は瞳孔が開いたままベッドに座っていた。
お兄様に気付いた悪役令嬢ちゃんはすぐに『お兄にゃーん』とシオンの腕に戻ろうとした。
が、ヤンデレ系イケメンというのは婚約者を簡単に手放したりしないものである。
今すぐ婚約者を安全な檻に閉じ込めたい――。
闇が深まってしまった彼は彼女のお兄様である男へハナを渡さず、兄はクールに怒り狂った。
軽くとは言い難いほどに揉めたが、もう一度『お兄にゃーん』と鳴かれてしまえば、一度は手を放すしかない。
斯様にして、へッドボードに重ねたクッションを背凭れに、シオンが優しくハナを抱え、その隣に座ったイケメンが婚約者を取り戻す隙を狙う、という奇妙な構図が完成した。
こんなときだというのに、悪役令嬢ハナちゃんはお兄様の腕のなかでウトウトしはじめていた。
日頃まったくしない運動をたくさんしたこと。猫というのはとにかく良く寝る生き物であるということ。
猫になってからはずっとお兄様と寝ていたおかげで、健やかに眠るための条件がすべて揃っていたこと。理由は複数ある。
そういうわけで、彼女は婚約者と兄に『とんでもない悩み』の『ある意味一番とんでもない部分』をにゃーんにゃーんと聞かせるだけ聞かせたあげく、速やかに入眠した。気付いたら寝ている猫ちゃんのように。詳しく説明することもなく。
そして唐突に、悪役令嬢の頭に、ぴょこんと猫耳が生える。
「…………」
男達は無言のまま、美しい猫耳を見た。
どうやら、腕輪の効果が薄れたか、呪いの力が増すかしたらしい。
心に深すぎる闇を抱えてしまった彼らは考えた。
『犯人を滅するまでは猫の姿のほうが安全ではないか』と。
そう思ってしまうほど、幼児ではない彼女は儚げな美少女すぎたのだ。
ダークサイドに堕ちかけている男達の願いが通じたのか、ハナは間も無く猫の姿に戻った。
「……シオン、ハナに接触した男共の映像はあるか。こちらでも確認する」
「分かった……。学園からも送らせよう」
◇
彼らは『クソ野郎』と『うすぎたないおじさん』の調査のため数日間学園を休んだ。
しかし学園内にそれらしき人物は発見できなかった。
『美しい野郎、美しいおじさんしかいない』という意味ではない。
野郎がどうこう以前に、ハナと接触した人間自体が少ないのである。
だが、『猫に妄言を吐いた人間』について幼い彼女から根掘り葉掘り聞き出す気には到底なれなかった。
学園を休んで兄と過ごせることを喜び『にゃーん、にゃーん』と甘えてくる猫に『お前に――と言った人間はどんな――野郎だ』などと言えるはずもない。
瞳孔の開いた男達は、ひとまずこれでもかというほど学園内にボディーガードを配置した。
その際、やんわりと苦情を述べた学園長と副学園長は金で黙らせた。
彼らが黙ったのは金のせいではなく彼らのただならぬ気配のせいだったが、結果として同じことだろう。
『誰か命でも狙われているのか』と噂が立っていることも、闇を纏いし男達は意に介さなかった。
◇
「わたくしもお兄にゃーんと一緒に授業を受けるのですにゃーん」
本日もお兄様に髪を巻いてもらった悪役令嬢ハナにゃんが、穢れなき瞳で彼を見上げる。
シオンは純真な猫を何度も撫で、身を切られる思いでクールに背を向けた。
「学園長には伝えておく。少しの間待っていなさい」
ドア越しに聞こえる『お兄にゃーん、お兄にゃーん』の声。どうしようもなく胸がかきむしられる。
猫がカリカリと、健気に板を引っかく。踏み出しかけた足を止め、シオンは長いまつ毛を伏せた。
ただ立ち去るという行為が、ひどく苦痛に感じられる。
それは、他者から見れば一瞬の逡巡だった。男は千代鶴と桔梗院のボディーガードをクールに一瞥すると、彼ら、彼女らに後を任せ、眉間に深すぎる皺を寄せたまま、自身の講義室へと歩き出した。
『怪しげな機械』で猫の様子をつぶさに確認しながら。
◇
天井に宗教画が描かれたすり鉢状の講義室。
闇を纏いし男達が、『にゃーん、にゃーん』と鳴く悪役令嬢の健康状態を映像で確かめていたとき。
「ハナの具合は?」
そう言ってシオンの横に座ったのは、胡蝶サクラだった。
「連絡したら『シオン様にお伝えしておきます』って言われるし、心配で会いに行ったら『面会謝絶です』って言われるし」
苦情をぶつけて聞く相手ではない。知っている彼はシオンからの返事を諦め、怪しげな機械を覗き込もうとして、以前と同じように裏拳をくらいかけた。
「はは、相変わらずイカレてる。……そっか、なるほどね」
一瞬見えたのは、堅物教師の用意したクッションでごろごろする愛らしい猫。
察したサクラはそれ以上何も言わなかった。
戻ってしまったのなら皆落ち込んでいるだろうと。
男達が闇を纏っているのはそういった理由ではなかったが、帰宅後の『ハナちゃんの爆誕発言によるカナデ様のヤンデレ化事件』など知らない男は、良識的にシオン達を気遣い、爽やかに話題を変えた。
呪いに関する話は人前ですべきではない。興味はないだろうが、彼らが休んでいた間の学園内の話なら、不自然ではないだろうと。
「そういえば、二人が……二人と猫が休んでる間に、ちょっと様子のおかしい生徒が増えたんだよね。妙にぼーっとしてるっていうか、全員男なんだけど」
悪気なく言った途端に、サクラは二人から異常なほど低い声で凄まれ、睨まれる羽目になった。
「――なんだと――?」
噂話など一切興味のないシオン達だが『様子のおかしい男達』の話題は厳禁であった。




