第53話 せき止められた『お兄にゃーん』。ヒロインによる過激な表現。
カナデの腕の中で、悪役令嬢が弱々しくもがき、か細い声を発する。
「――ゃーん」
ある意味この場にふさわしい。子猫の鳴き声のような、切なげな。
その様子は、うっすらと肌が透ける繊細なレースをまとう超美少女が、美麗な黒髪の青年に押さえつけられ、荒々しい口づけを受けているようにしか見えなかった。
白く華奢な手が、指先を丸めるようにして、男の肩にかけられる。
きゅ……、と。爪を刺そうとしているらしい。しかし見方によっては――。
扉の側でその姿を見ていたサクラの眉間に深い皺がよる。
あの、妹をクールに溺愛する男の前で、無理やりハナの唇を奪うなど正気か。
美幼女な外見が年相応な美少女になったからといって、中身まで成長するわけではない。
ハナは男との接触に慣れていないのだ。本人の許可なく押さえつけ――、など許されぬ行いである。サクラの頭に、怖がりながらもそっと治療をしてくれた、今より少しだけ幼いハナの様子が思い浮かぶ。
『お兄にゃーん……』と震える姿も。
爽やかな男は右手に魔力を集めた。こんなことになったのは『お兄にゃーん』が原因であると分かっていながら。彼女の兄が『殺す』と言っているのだから加勢すべきだろうと。
堅物教師アヤメはとんでもない事件を起こしたカナデのせいで眩暈を起こしかけた。
ふらついている場合ではない。ここには自分以外に大人はいないのだ。
捕まえて説教をせねば。『幼い生徒になんてことを……』『君は彼女のご家族にも謝罪をし、責任を取らねばならない』『ただし彼女が望まぬならば今後一切の接触を――』『場合によっては切腹を――』
物騒なことを考え始めたイケメン達の斜め前方から、怨念のような声が聞こえた。
「……ない……の癖に、カナデ様と……ディー……しなが……いやらし……なんて……」
妄想じみた、とも言える卑猥な発言。
彼らの頭を一瞬過ぎる『そこまでしているかどうかは背後からでは判別できない』というある意味冷静で男らしい言葉。紳士的な彼らは直接言ったりはしなかった。『いやらしいのは貴様だ』とは。
そして微かに聞き取れた『邪魔者』という、理解不能なそれ。
『まさか、桔梗院カナデのストーカーなのか?』
『それって自分のこと?』
でははじめから彼を?
だが不審者が遺跡へ足を踏み入れた時、カナデは外にいたはずだ。
サクラは自身が講義室で彼と別れた時、アヤメはシオンのスマートフォンを見た時のことを考えた。
『桔梗院カナデのストーカーが、何故自分に誘いをかけたのか』
『赤子よりも弱い猫を、彼のストーカーが追いかける理由は』
その他にも、目の前の女生徒を『ただのストーカー』で片付けるには不審な点が多すぎる。
ありとあらゆる強者に喧嘩を吹っ掛ける習性がある一般人、という可能性は極めて低いだろう。
カナデの行動は宝物庫にいる全イケメンから殺意を買った。
自身の婚約者の口を紛らわしい方法でふさいだせいである。
わざわざそう見えるようにしたのだから仕方がないともいえるが。
シオンが『殺す』といいつつ殴りかかってこないのは、カナデが妹に『無体なこと』をしていないと分かっているからだろう。妹の婚約者だから、という理由ではなく。
そもそも彼女の兄の真横で口づけする趣味などない。
『お兄にゃーん』と鳴こうとするたび彼女の唇を親指でふに、と押さえる様を見せるのと、どちらがマシだったのか。潤む瞳と熱い吐息、彼女の『熱』が気になり、思考がまとまらない。
それよりも、そろそろ弱々しい婚約者を休ませてやりたい。
腕輪には驚くべき効果があったようだが、完全な解呪には至らなかった。
ショックを受けているのか、それとも発熱しているせいか。か弱い体がふるふると震えている。いや、初めから震えていたのだ。弱々しいと分かっていたのに、気付いてやれぬとは情けない。
俺様なカナデ様が婚約者の弱々しさを憂い『ハナをベッドに運ぶ』と大変誤解を招く発言をしようとしたときだった。
「……目を覚まして……! ヒロ――!」
不審者の悲痛な叫び。謎の言葉が途切れ、建物がぐらぐらと揺れる。
「きゃぁ……!」
高いヒール、ウェディングドレス姿のヒロインが、美しい角度でよろめき、ドサ……と綺麗にすそを広げて転ぶ。
が、微妙な位置にいた彼女を助け起こす紳士はいなかった。
男達は言葉を交わさずとも同じことを考えていた。
今のうちに外に出ようと。
婚約者の口から手を放し、サッと抱きかかえる。
すると予想通り「お兄にゃーん、お兄にゃーん」とハナが鳴きはじめた。
抱っこされるなら兄がいいと。あるいは、ひどいことをされたと告げ口するかのように。
が、シオンは手元に何かが入っていそうなブレザーを抱えていた。
幼い妹を抱いてやることはできない。
「少しだけ我慢しなさい」
クールに答えつつ、カナデに殺気を飛ばす。
「その罪人は、俺があとで始末してやる」
「人聞きの悪いことを言うのはやめろ」
ハナの教育にもよくないだろう。
彼らは建物の揺れなど意に介さず、サクラとアヤメが押さえていた扉からスタスタと廊下へ出た。
「助けて……!」
彼らに手を伸ばすヒロインに「管理者に伝えておこう。この場で待っているといい」と紳士的に答え、その横を颯爽と通り抜けながら。
◇
来た道を駆け、先頭のサクラが扉を開ける。
「――何? 外に妙なのがいるんだけど。……御剣アヤメとおさえておくから、二人は先に行って」
神聖な霧の中にはぼんやりと、巨大な人型の何かが佇んでいた。




