第52話 お花畑ヒロインの誤算。カナデの聴覚を刺激する、あやしい言葉。
『なんでここに』
男達が微かに目を細める。
その言葉を向けた相手がハナだったからだ。
『なぜ、千代鶴ハナにだけ』
『まるで〝ここにいてはいけない〟とでも言いたげな顔だな。貴様に何の権限がある』
『人間のハナのことを知っているのか? まさか猫だけでなくハナのことまで』
彼らの心にいくつかの疑念が浮かんだが、不審者に声をかけることはしなかった。
どのような組織と繋がっているのか分からぬ人間に余計な情報を与えるべきではない。
消えた猫との関係に気付かれる前に、この部屋からでたほうがいい。
◇
ヒロインは本気で大騒ぎしたいところをぐっとこらえていた。
(ありえない! どのルートでも〝ハナ〟が遺跡にくる話なんて絶対になかった。もしかして『大好きなお兄様』のあとを追いかけてきた? 彼とヒロインの愛が深まることに耐えられなくて? それは『長期休暇の別荘イベント』で起こるやつで『遺跡の宝物庫』は関係ないでしょ! ……待って、そもそも入学してすぐに三角関係イベントが起こったことなんてない。最短でもゲーム内で二カ月……)
ほとんど呼吸を止めたまま、せわしなく考える。
こんなに早くヒロインの邪魔をしにきた理由を。
まさか入学初日に遭遇するなんて。こんな風に簡単に出会うキャラじゃないはず。
――子供の悪役令嬢を見た時は思わずはしゃいで話しかけてしまったけれど、お馬鹿なハナはヒロインの言ったことなんてひとつも覚えていないだろう。ゲーム中にも過去に話した描写などなかった。『設定資料集』にたった一行『攻略対象者達と同じ幼稚園に通っていたが、引っ込み思案なヒロインは誰とも話せなかった』と載っていただけ。
『警備が厳し過ぎて誰にも近付けなかった』の間違いでしょ! 公式がテキトーなこと書いてんじゃないわよ!
入学後、ヒロインの前にハナが現れる条件。それは『悪役令嬢ハナの大好きなお兄様』と『挨拶を交わすぐらいの仲』になること。
『楽勝でしょ!』と言ってくるプレイヤーはそもそも『紫苑様』を攻略したことがない初心者だろう。彼は学園生でありながら仕事が忙しく、敷地内にいないこともしばしば。放課後も残る事なんてありえない。会えたとしても、理由もなく会話なんてしてくれない。
――プレイヤーの中には『実は妹の面倒を見るために……』という者もいたが、『幼女な悪役令嬢』が好きというごく一部の人間だけだ。
(とにかく、攻略しなくても『最難関キャラ』から惚れられるぐらい可愛いことが原因よね……。アタシだって毎日三時間以上は鏡を見ちゃうし……。初日から皆をとりこにして、だからイベントが前倒しなってる……)
そこまで考え、ザッと血の気が引く。『ゲームの十倍以上手ごわそうな悪役令嬢ハナ』に対抗する準備がひとつもできていないのだ。
(ううん、まだ間に合う! いますぐ『自身の能力』を三倍にする超レアアイテム『乙女の聖なる腕輪』と『どんなときでも変幻自在! 貴方だけの超セクシーコスチューム!』それからヒロイン専用の――)
欲望のおもむくまま、それらで着飾ったヒロインを思い浮かべる。
『目の肥えた乙女ゲームプレイヤー達を〝これぞヒロイン〟と大満足させた神スチル』を。
(アタシの方が絶対に可愛い! アンタなんて所詮悪役令嬢でしょ!)
宝箱を目指し、いっぽ踏み出す。彼女の頭には、欠片も浮かんでいなかった。
攻略対象者である『ゲームキャラクター達』が、『プレイヤーのために用意された宝箱』を勝手に開け、あまつさえそれを『ヒロインの天敵である悪役令嬢ハナ』へ手ずから、乙女ゲーイベントばりに渡し、着付けてやるなど。
そこでずっと黙っていた『美人度が上がりすぎてもはや別人な悪役令嬢ハナ』が、彼女を見つめながら口を開いた。
「お兄――」
◇
カナデは斜め後方の婚約者へ意識を向けながら、扉の側の不審者を見ていた。
自分の両脇で、身を隠すことすらせず観察しているサクラとアヤメには気付いてもいないらしい。そこまでの能力がないのか。無能なフリか。
不審者が歩き出す。ハナを目指して。
こちらが攻撃するのを待っているかのように、構えることもなく。
捨て駒か? 『殺すと発動する類の呪術』を仕込んでいるならやっかいだ。
しかしアヤメとサクラは何も感知できなかったようだ。合図はない。
ここまで堂々と、執拗に追いかけてくるなら何かを隠し持っている可能性が高い。
ボディーガード達の術には反応していなかった。捕縛して管理者に調べさせるか。
ひとまず攻撃魔法以外の術で――手を持ち上げたカナデの耳に、弱々しい声が届く。
「お兄に――」
『に』に続く言葉はなんだ。
嫌な予感がした彼は急いで振り返り、弱々しい婚約者の口をふさいだ。
驚きで開かれる、青にも薄紫にも見える瞳。
艶やかな巻き髪が、指の間をひやりとくすぐる。
抱き寄せる腕から感じる体温に、眉根を寄せた、そのとき。
「殺す」
クールな男の低すぎる声が、一言で伝えてきた。
カナデの罪がまたひとつ増えたことを。




