第38話 ヒロインのイベントスケジュール。悪役令嬢ハナにゃんのお散歩コース。
サクラは腕を組み、目を細めた。
「『君の勘』は俺に自慢できるほど優れてるの?」
「い、いえ……胡蝶くんに自慢したいほど凄くはない、かも、しれないですけど……」
ヒロインがピッと姿勢を正す。
お前の勘なんてどうでもいいんだよ――。そう聞こえた気がした。
しかし只者ではないヒロインが、この程度でめげるわけはない。
(どうにかして綺麗なまま泉まで行かないと……!)
このイベントは好感度の高い男が『枯れかけの泉』に複数集まることで発生する。
怪我をしている攻略対象者がいないと、ヒロインの綺麗なスチルが一枚見られるだけ。
(好感度の高い怪我人は目の前にいるし! ゲームと違って爽やかな部分が少ない気がするけど……。しかも『大丈夫ですか?』って言っただけなのに凄く冷たくされたような気がするけど! 格好いいから許してあげる!)
美しい姿で祈りを捧げるヒロインに男達が見とれ、泉が復活。怪我が治ってよかったと涙をこぼすヒロインをイケメン達がなぐさめる。
――と、床に怪しい魔法陣が広がり、一瞬で『祈りを捧げた乙女』が消えてしまう。
(きゃー! 『遺跡の住人』に監禁されちゃう! 生で見れるとか最高すぎない? 『ヒロインを心配する男達』のスチルってリアルじゃ見られないのかしら? そういえば、『アタシを愛する男達』って後ろにいるのよね。早めに合流する? ううん、ゲームの流れは変えちゃダメ。美麗スチルが減っちゃうかも……逆に増える可能性もアリ?)
ヒロインにだけ都合のいい妄想は果てしなく続く。
「あ! あっちに水の気配を感じます……!」
髪の流れまで計算し、くるりと身をひるがえし――かけたところで、サクラの声が低くなる。
「止まれ」
そうして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「――俺が『こっち』って言ったの、聞こえなかった?」
「ご、ごめんなさい……!」
(きゃー! 怖かっこいー! どうしよう絶対あっちは駄目なのに……! 爽やかじゃないサクラくんが新鮮すぎて逆らえない……!)
ゲームと全然違う……! でも本物のほうが格好いいかも……。
脳内が完全に花畑な浮かれヒロインは結局サクラの冷たい視線に逆らえなかった。
――そして予想通り、黒っぽい泥を吐くタコのような不気味な敵に遭遇。先頭を歩くヒロインを泥レーザーが狙う。
「いやー!! 気持ち悪っ……! このク」ソヤロー!! とタコに暴言を吐きかけるも、サクラに視線に気付き「リーチャー!」と付け足す。
絶対に! 絶対に当たりたくない……!
泥を回避しながら竜巻や火の玉を当てまくる。が、形相までは気遣えなかった。
タコへとつのる負の感情。顎から下唇のあたりが徐々になまはげへと近付いてゆく。
「へぇ。まったく戦えないわけでもないのか」
爽やかというよりサディストな男が見ているのは、彼女のねじ曲がった下唇と顎の皺、ではなく戦闘能力だった。
彼にとって鈴蘭の顔などどうでもいいらしい。
だが攻略対象者というのは基本、紳士的である。女生徒にわざと怪我をさせる趣味はない。
「下がって」
「はい……!」
(えぇー! こういう時だけ優しいのずるい! イケメン!)
指示通り、浮かれヒロインが後退する。光の盾は泥にまみれ、前を向いたまま、床に撒かれた泥のなか、ゆっくりと足を動かすしかなかった。
サクラが魔力を集め、業火を放つ。
只者ではないヒロインは、視界を塞ぐ盾をすみやかに解除した。(超美麗スチル!!)と。
巨大な火柱が音を立て、遺跡の小部屋にゴオ――! と上がる。
欲深き彼女はその美しい男を穴があくほど凝視した。
灰色がかった桜色の髪が、暴風で靡く。舞う毛先に炎の色が移り、橙色に染まって見えた。
微かに覗く横顔。感情のない瞳に赤が広がる。
あ、魔族みたい。ヒロインがぽつりと呟く。だが(アタシの男最高!!)という危険な心の叫びが口から漏れることはない。
――ギャー!!
敵があっけなく断末魔を上げる。
戦闘よりもビジュアルに感動したヒロインが「胡蝶くん格好いいー!」と叫び
「俺煩いの嫌いって言ったよな」
塩どころではない対応をされる。
「あ……ごめんなさっ――!!」
そして計算された可愛らしい角度でピョコンとお辞儀をしたヒロインの足元に汚泥。
戦闘の手助けはするが勝手に転ぶ女の手助けはしない男は、黒い泥に右半身を汚された泥フォンデュを見下ろしながら、サディストのように告げた。
「早く立ちなよ」と。
◇
諦めの悪いヒロインが『絶対にこの男を回復の泉へ連れて行ってみせる……』と、身も心もドロドロしながら考えていたころ。
――ギャー!!
「にゃーん、にゃーん、お兄にゃーん」
聖なる力を得た悪役令嬢ハナにゃんは、悪役染みた男達の力を借りず、己の肉球のみで敵を屠っていた。
「これだけ強ければ何が寄ってきても倒せるだろう」
お兄様がクールに頷く。
遺跡の敵だとしても、幼い猫が一匹だけで――。
お兄様は密かに猫の成長を喜んでいた。
お遊戯を嫌がっていた妹が、バーカウンターの裏に隠れて練習していた姿を目撃したときのように。
同時に、『寄って来そうな何か』についても考えていた。
妹と接触する前に『不審者』を始末したいところだが、と。クールに。
千代鶴と桔梗院に喧嘩を吹っ掛けてくる女生徒が単独犯ということはないだろう。『社会的に抹殺されたい』と思わぬ限り。胡蝶の怪我にほぼ無反応だったという報告もある。いったいどのような組織でどのていどの大きさなのか――。
「赤子の成長は凄まじいな。『もう少しゆっくり育ってほしい』と思ってしまう親の感情というのはこういうものか」
イケメンなきぼくろ教師アヤメも感動していた。すくすくと成長する猫の猫パンチに。
猫手のキレが増してきた。このままいけば不審者に大打撃を与えられるようになるだろう。
「……随分光っているな」
カナデの眉間に皺が寄る。
いったいどうなっているんだ。
遺跡の敵を倒した程度でそんなにぽんぽん強くなるわけがないだろう。
まさか猫だからか……? 猫の成長速度は人間の十倍以上――。
「お兄にゃーん。わたくし喉が渇いたのですにゃーん」
「そうか。この先に小さな泉がある。連れて行ってやろう」
お兄様が優しく猫を抱き上げる。
「飲んでどうにかなったという生徒の話を聞いたことはない。飲み水として使ったという話も聞いたことはないが」
堅物教師がかたいことを言い始めた。あれは『回復の泉』といって傷を癒す非常に貴重なものであり市販されている回復薬とは違う役目を――。
「お兄にゃーん!」
「ハナ、万が一怪我をしたときのために聞いておきなさい」
真面目な話をしているからといって倒してはいけない。
黒ずくめの男の一人が、雇い主にスッと近付く。
「カナデ様」
不審者が泉へ向かっています――。




