第36話 悪役令嬢ハナにゃんの初戦闘! これぞ悪役ムーブ。
婚約者(仮)の声を聞いた悪役令嬢ハナちゃんは「フシャー!」と言った。
人間の言葉に訳すならば『ダメ!』あるいは『コノヤロー!』だろうか。
男達が頷く。
「そうか、倒したいのか」と。
クールなお兄様が猫の頭を撫で、制服をさりげなく強化する。
「……手伝いが必要なら言え。無理はするな」
カナデの指先から魔法が放たれ、巨大コウモリの顔に着弾。牙が抜け、脅威がひとつ減る。
それは手伝いではないのか。尋ねるものはいない。
「猫が戦闘を……? 赤子よりも弱々しい体で……? いや、君の兄が見守るというのに、口出しはすまい。勇敢な猫の初めての戦いを黙って見守ろう」
といいながら、堅物なきぼくろ教師アヤメが振り返る。
流れるように可愛い猫の宝物を黒ずくめの男に預け、スーツの上を脱いで渡し、シャツの袖をまくる。そこから現れる筋肉質な腕。
そして、絶対に人前で崩すことのないネクタイを、左手で緩める。男の右手には、いつのまに握ったのか、妖気を纏う刀があった。
――いかにも物理的に殺る気満々、色気が大変というスタイルだ。
深窓のご令嬢のような扱いを受けている悪役令嬢猫ちゃん。
ヒロインがいれば大騒ぎを始め『そこはアタシのポジションでしょ!!』と襲い掛かりそうな場面である。
ここまでしてやっと、彼らは少しだけ安心した。そして見守る体制へ。
敵を前にしたハナちゃんは、泣くのをこらえる幼稚園児のように、もこもこのお口にぐっと力を入れていた。
やや後ろに倒れた三角のお耳にイケメン達の視線が集中していることにも気付かない。
――お兄様の『ハナシオン』はダンジョンで強くなったのだ。メキメキと。
ならば、この敵を倒せば、自分もメキメキメキにゃーんと強くなるはずである。
兄の友人カナデを重体にしたこの爪があれば、巨大コウモリごとき一瞬で倒せるだろう。
「にゃーん!」
気合を入れ、奴に飛び掛かる。
シュッ――!
素早い動作でひっかこうとするが、高い天井にバタバタバタ! と逃げられた。
「お兄にゃーん!」
ずるをしているヤツがいる! ハナにゃんは悪役令嬢らしく、そして猫ちゃんらしく味方を呼んだ。
「そうか――。卑怯なコウモリにはルールを教えてやろう」
戦闘開始前から身内召喚されていたお兄様が術を放つ。
光の糸が羽ごと胴体に絡みつく。空中で金縛り状態のコウモリ。抵抗できずに墜落する。
――基本ルール――。
彼の幼い妹と戦うときは赤子の相手をするぐらいのつもりで――。
「…………」
カナデが札を放つ。
ひらり。風にのった紙が、コウモリの額に張り付く。牙なし巨大コウモリが徐々に衰弱してゆく。
「なるほど。考えてみれば、初戦闘の相手というには獲物が大きすぎる。同等もしくは半分以下の大きさが好ましい」
妖刀を握る泣きぼくろ教師は足音を感じさせずにハナの横まで歩き、妖気を纏わせた。
ゆらりと、敵に。
イケメン達の胸元ほどの背があった巨大コウモリが、猫よりも小さくなってゆく。
悪役令嬢ハナにゃんの目がきらりと輝く。
バシッ――!
会心の猫パンチが炸裂した。ほぼ死んでいるコウモリに。
全員が悪役の味方。ゆえに卑怯。さすがは悪役令嬢ハナにゃん御一行。
といった美しい流れ。
ハナにゃん大勝利。
幼児が遊びに来ても安心安全なダンジョンで、初の。
猫が魔物を倒した歴史的瞬間である。
ギャー――。かつて巨大だったコウモリからわざとらしい断末魔が響く。
荒ぶる幼児も猫様も満足する『敗北した敵』の演出付きだ。学園生にはすこぶる不評な。
そこで、猫にゃんのふわふわボディがきらきらと輝く。
お耳とおひげがぴん! と立った。
「お兄にゃーん。わたくし強くなった気がしますにゃーん」
「普通は一度の戦闘で強くはならない。確認してみるが、もしも変化がなくても問題はない。お前の目の前に獲物を並べてやろう」
愛らしく勝利の報告をする猫。お兄様はクールに告げた。
懐から何かを取り出す。
「今の光は――、おい、何故お前がハナの学生証を」
カナデが何かを言いかけ、人に渡すべきではない超個人情報が詰まったカードに切れ長の目を向ける。
普通の学園生ならば本人が厳重に管理する、否、すべきものだ。戦闘能力に関するデータまで、それ一枚に表示できてしまうのだから。
発行するのは学園だが、魔力の登録は個人で行う。自宅で行う場合は学園から人が派遣され、立ち会いを――。
冷静沈着なはずの男に動揺が走る。猫のものだと分かったのは学生証に小さな肉球模様がきらめいているからだ。
『何故それを』『お前が』『何故カードに肉球が』『それでは見ただけで持ち主が』
驚愕する要素が増えてゆく。
そんな彼を一顧だにせず、シオンは猫を抱き上げた。
「お兄にゃーん」と愛らしい声で鳴き、猫が彼の胸元にひたいを擦り付ける。
カナデは眉根を寄せた。自分でも気付かぬうちに。
「なんだこれは――」
クールな男が珍しく、戸惑いを含んでいるように聞こえなくもないクールな声をあげる。
気になる――。何事にも無関心な男の心に、人をやめ猫になった超人的悪役令嬢が感情を与えてゆく。
キャットの婚約者(仮)は肉球模様付きの学生証から猫へと視線を移し、静かな声で尋ねた。
「ハナ、俺も見ていいか」




