Case.4 王太子クリストファー2
――時は数日遡る。
「たのもー!」
「たのもー!」
義姉とふたりで乗り込んだ王城、国王陛下の私室。
案内されるとそこには、既にくたびれ切ってだらけ切った国王の姿があった。
「国王陛下にご挨拶申し上げますわ」
ソファの背に完全に預けていた頭を上げ、国王はにっこりした。
「あーいらっしゃいオーブリー義姉妹。
そっち座ってね、今息子呼んでるから」
「失礼致します」
勧めに従い向いのソファに揃って腰かけると、
国王は目を細めて笑った。
「はは、ケイナ嬢もすっかり貴族令嬢だね。
ティアンナ嬢と本当の姉妹のようだよ」
「ティアンナさんがよくしてくれるお陰です」
「妹君は型破りで素敵だよねえ」
「ほんとに…型破りで…」
「お褒めですの?それ」
運ばれた紅茶に手を付け、
ティアンナを見てにんまり笑う国王陛下はなかなかのいたずらっ子だ。
噂をバラ撒いた令嬢軍団に対する大立ち廻りといい先日の流鏑馬といい、そのティアンナの破天荒さが国王に刺さったらしい。
何かと気にかけてくれるのだ。
面白がっているとも言う。
「ところでティアンナ嬢、
面白いことやってるんだね」
「王家の皆様にまでご迷惑をおかけして…
このティアンナ、何に代えても償いますわ」
「いやいやすまない、今のは貴族言葉じゃないよ。
純粋に面白いと思っただけ」
「そうですの?
訳:こっちにまで迷惑かけんじゃねぇ、ではなく?」
「違う違う。
そもそもなんでそこまで婚活頑張るの?
噂のことがあったとしても、君は嫁ぎ先には困らないでしょ」
「ただ婚姻すればいいという訳ではございません。
わたくしが目指すのは相思相愛のベストパートナーとの未来ですわ」
「あぁ、なるほどねぇ…
ティアンナ嬢をメロメロにする男じゃないといかん訳か」
さてここでティアンナはん?としてハッ!とした。
『自分がメロメロにされる』
あんまりその発想が無かったのである。
「あらわたくしとしたことが」
「どうしたの?」
「わたくし殿方をメロメロにする狩人のつもりでおりましたが、わたくしがメロメロにされるかもしれないのですね」
「あれ、そういう話じゃないの?
わたくしを骨抜きにする男性求む!みたいな」
「いえ、この方と定めた殿方をあらゆる方向から攻め落とすという話です」
「攻撃は最大の防御とも言うけど、脇見してると思わぬ攻撃を喰らうかもよ」
わはは、と国王が笑っていたときガチャ、と扉が開き、
「何の話ですか?伏兵の話?」
王太子クリストファーがぬるっと現れた。
「そうそう、攻めに集中しすぎると伏兵からの攻撃に弱くなるよねって話」
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
ぬるっと会話に入ってきた王太子に立ち上がって礼を取る。
うんありがとー、と軽く流して着席を促してくれるクリストファーは国王陛下そっくりの飄々とした人物である。
ケイナもティアンナも数回話したことがあるが、
身分のある男性にしては珍しいくらいフラットで肩の力が抜けた人、という印象だ。
ケイナは接しやすくて割と好きなタイプである。
レイフォードにはぜっったいに言えないが。
「どこの戦の話です」
「ティアンナ嬢の婚活戦の話」
「え、ティアンナ嬢婚活してるんですか?
要らなくない?」
「婚活はわたくしの人生そのものですのに!」
「ティアンナ嬢は狩人のスタンスなんだけど、
自分が狩られる側になるとは思ってなかったみたい」
「お恥ずかしい話ですわ。
安々狩られぬよう気を引き締めないと」
「あー父上、これ余計なこと吹き込んだのでは?」
「そうかも、まぁそれで駄目ならそこまでだろ」
「なんのお話です」
「いやこっちの話、気にしないで」
それより本題、と飄々親子に話題を逸らされ、
オーブリー義姉妹の手元にレティシャ嬢から王家へ届いた書状が渡された。
ずらずらととにかく長く、
時候の挨拶やら王家への賛辞やらに続きオーブリー家の横暴の陳情、異世界人などという異分子を取り込むおぞましさ、次いで王太子を差し出せとの脅し、いかにティアンナが醜悪であるか…
に紛れさせてウィンダム家の歴史の輝かしさと忠義、レティシャの心根の清さ正しさ、王太子への思慕…
を、
たっっっっっぷり盛り込んだ目を通すのも嫌になる代物であった。
「で、あわよくば自分が王太子と見合いしたいと」
「そういうことだろうね」
ウィンダム家の魂胆は割と明白であった。
所詮は伯爵位、自分からは王太子との面会など申し込めないため、ティアンナの横暴にかこつけてあわよくば場を乗っ取ろうという訳である。
次いで書状を回された王太子が明確にゲンナリし、だんだん乾いた笑いを繰り出すが目が死んでいる。
「どうする?ティアンナ嬢」
「どうするも何も、
こちらは売られた喧嘩は買うまでですが。
殿下は障りあるでしょ」
……実は、王太子の婚約者はごく内々にではあるがほぼ決まっているのだ。
相手は異国の姫であるため公表は慎重に時期を見て行われる予定であるが、レティシャ嬢ひいてはウィンダム家にそれを言おうもんなら光の速さで広まるに決まっている。
それはマズイのだ。
「特に理由もなく面会を突っぱねたら、スッポンのごとく食い下がってきますわよ。ティアンナに命を奪われるー、殿下は忠臣ウィンダムを見捨てるのかー、とか何とか言って」
それこそ、地の果てまで。
会ってくれるまで諦めない、ゼッタイ。
ホラーである。
「そうだよねぇ…。
まあ、会うか、一度。
ティアンナ嬢、付き合ってくれる?」
「心の底から遠慮したい気分ですが元はわたくしの責。勿論お供致します。いかようにもお使いくださいな」
ほんと巻き込んでゴメン。
ティアンナは心の土下座を炸裂させた。
――――
というのが今しがた行われている地獄の応酬の発端なのである。
それにしてもウィンダム母娘、まぁ喋る喋る。
ちょっとでも王太子が「イイネ!」みたいなことを口にしようもんなら、解釈をグネグネに捻じ曲げてでも「王太子がレティシャのことを好ましいと仰ったのですわオホホ」と触れて回る気満々である。
一方ゼッタイそんなことにはさせたくない王太子、
絶妙に相槌を打ちながらも自らの意見やお気持ち表明はせず手の内を悟らせない技巧に満ちた切り返し。
幾重にも巡らされた巧妙な罠。
隙を見せれば即座に斬り込む鋭い言葉の刃。
間一髪しかし危なげなく躱す眼力。
攻撃と防御。防御と攻撃。
この上なく高度な、貴族の戦がそこにはあった。
……長く続く膠着状態に両者の疲れが見え始めた頃、
唐突に優劣が動いた。
2対1でも一歩も譲らない防御力MAXの王太子に焦れたレティシャ嬢、ついに失言をやらかした。
「仏桑華の色彩は盛装には映えますがやや目に毒ですものね。お部屋に飾り愛でるならやはり茉莉花」
さらにしばらく喋り続け、
「獅子の子は獅子からしか産まれませぬわ」
とやった。
これが何を意味するか。
仏桑華は他国、王太子がまさに迎えんとするお妃様の住まう国の固有種。
対して茉莉花とは我が国の固有種。
つまりこうである。
訳:他国の姫は対外的な妃にはいいが寵愛するのは自国の者が良かろう?古くからの血を継ぐ私のような。
獅子のくだりはもっとあけすけだ。
訳:異国人の腹から産まれた子は我が国の民とは言えぬわ。
ウィンダム夫人は娘の失言に冷や汗をかいた。
もちろん娘の主張には全面的に大賛成であるが今は!今は言っちゃ駄目なのよソレ!
母の顔色の変化に己のやらかしを悟ったレティシャ嬢、つい取り繕うのも忘れて「ヤバい」という顔をした。
もちろん、それを逃す王太子ではない。
ニヤリ、といやらしく両の口角を上げ、
不自然に押し黙った。
「…………」
誰も、何も発しない。
ティアンナはその緊張感に息をするのも忘れそうだった。
「……殿下、その」
果敢にも己の失態を取り戻そうとレティシャ嬢が切り出す。が、続く言葉が出てこない。
王太子はふ、と軽く息をつき、
「残念なことよ、かつて忠臣を名乗ったウィンダムよ」
と一言だけ告げ、
「ティアンナ嬢、一部始終見届けてくれてありがとう。僕とあなたとの見合いだったはずが、すっかり水をさされたようだ。場所を変えよう、父上も交えて話でも」
「お供いたしますわ」
ティアンナをエスコートし、ウィンダム母娘をひと目も振り返ることなくさっさと退室した。
残された母娘は紙のように白い顔で、身じろぎもできずただその背を見送った。
――――
長い廊下をふたり並んで歩く。
「いやぁ、ウィンダムはもう知ってたか、誰が漏らしたやら」
「見事に墓穴を掘ってくれましたわね」
先ほどの失言からして、ウィンダム家が異国の姫君の輿入れを知っていたのは確定的と言えた。
「よく知った上であの強硬姿勢が取れたな…」
「愛妾…公妾狙いなんだと思いますわよ。
むしろ知っていたから、伯爵令嬢でも狙えるポジションがハッキリしていたというか」
「なるほどね。
妃の座争いには噛める身分じゃないが、公妾争いなら今ならスタートダッシュを決められるというわけか」
「公妾でも、王子を産めば国母ですもの」
ああ煩わしい、と言いながら、ノックもせずに王太子は扉を開けた。
国王の執務室である。
「ああ終わった終わった」
「国王陛下にご挨拶申し上げます」
国王はおっ、来たな、とデスクから離れてソファに着席を促した。
「面倒くさかった〜〜〜」
「失礼いたしますわ」
王太子はドッカリと、ティアンナは伸びやかにソファへと身を沈めた。
「疲れるだろう!そうだろう息子よ!」
「聞きしに勝るウィンダムでした」
理解者が増えて嬉しい様子の国王に顛末を報告する。
既に輿入れの情報が漏れている、という点には苦い顔をしたが、その他概ねよくやった、という講評であった。
「……どうしたの?
ティアンナ嬢、浮かない顔じゃない」
「ええ、まあ…」
「どしたん?話きこか?」
何ともノリが軽い親子である。
「いえ…いえ、いい機会ですからお聞きくださる?」
「どうぞどうぞ」
「殿下は、お妃となられる姫君とお会いになったことが?」
「ないね」
「陛下は?婚姻前に妃殿下と交流は?」
「ほぼなかったね」
「……わたくし、政略結婚が嫌で婚活してるんですの」
そりゃあ、結果として家のためになればベストですわよ?
でも、家のため、ではなく…わたくしはわたくしのために、望んで結婚したいんですの。
でも、お二人は純度100%の政略結婚でしょう?
今日のウィンダム母娘も、家のための結婚にもはや命懸けでしたでしょう?
教えてくださいな。
政略で結婚して、後悔しないんですの?
「……不敬をお詫び申し上げますわ」
「そのつもりじゃないのは分かってるから大丈夫だよ」
国王はうーんと両手を組み、天井を見上げた。
王太子もそっくり同じ格好をしている。
「まず」
国王がゆっくりと口を開いた。
「僕らも人間だからね、人に対する好き嫌いはある」
「そして、時にはうっかり恋に落ちることもある」
あるんだ。
あるさ。そりゃあ。
「でもそれ以上に、嫁いでくれる伴侶へのリスペクトもある」
「リスペクト」
「そう。
正直ね、僕ら男にとって、
結婚ってあんまり大事じゃないんだよ。
特に僕らは王位を継ぐから、
住まいも変わらないしね。
『妻』が出来るだけで、
実際生活はほとんど変わらない」
「なるほど」
「でも妻になる人はどうだい。
名を変え、家を出、僕らの妻は国も出て、
生活のすべてを変えて嫁いでくれるのさ」
「そうですわね」
「そうまでして来てくれた人を無下にできるほど、
僕は冷たくなれないんだよね」
「でも恋をしてしまったら?
其の人と添い遂げたいとは思いませんの?」
「思うさ。でも、一時のことだよ」
「そう、僕らには公妾という制度もあるけど、
それで妻になる人が悲しむかと思うと気は進まな
いもんさ」
王太子も話に乗っかる。
「幸い僕の妃は人として成熟した人だったから、尚更ね。でも」
ふん、と鼻息を立てて国王は言う。
「どうしても人として許容できない女性だったら。……そりゃあ、その時だよね」
リスペクトにはリスペクトを。
拒絶には、拒絶を。
ってね。
――――
「調査員」
「は」
「我が王家の男性陣は健全な思考の持ち主だわねえ」
「さすがは我が君主です」
「やっぱり女性も、人間としての精進が必要なようだわ」
家を離れ住まいを変え、己の未熟さにより伴侶に見放された女性のその後は、想像に難くない。
実家の身分だけで一生涯アドバンテージを持ち続けられるほど、人生甘くはないのだ。
まあろくでもない伴侶ならこちらから捨ててやっていける気概が必要だしね。
「わたくし、今回のことでちょっと不安になったの」
「不安ですか」
「ええ、わたくしの身勝手な婚活のせいで、迷惑を被る人がいる。
ギルバート様もそうだったし、殿下にまで迷惑をかけたわ。
それに政略結婚を潔く受け入れている人もいる。
…わたくしの望む結婚の形って、
やっぱり我儘なのかしらって」
「お嬢様…」
「わたくしに今来ている縁談って、あるのかしら」
「お嬢様、それは」
「会ってみようかしら」
こんな評判の悪いわたくしを望んでくれる人と。
一度向き合ってみようかしら。
窓の外をぼんやり見つめるティアンナを前に、
調査員は口をつぐんだ。
ティアンナさんダウナー回。