Case1, 『ギルバート・イルアニア伯爵令息』
「調査員」
「は」
「調査結果を述べよ」
「申し上げます。
ギルバート・イルアニア伯爵令息、御年19歳。
現在は王立医学研究所で研究生として勤務中。
次男ですので近い将来は医師として独立なさるご予定」
「次」
「ご両親はイルアニア伯爵夫妻、控えめですが堅実な人柄で王家からの信頼篤いお二人。
ご長男エドワード氏夫人レベッカ嬢とは関係良好な様子」
「次」
「ご令息ご本人の評判も至って良好。
目立つこともありませんが上官からの評価も高く、
幅広い爵位の令息と群れずつるまずの良い距離感での友人関係を展開」
「次」
「そしてこちらが」
デスクに額装がどん、と置かれる。
「ギルバート・イルアニア伯爵令息の姿絵となります」
ティアンナは検分する。
栗色のくせのある髪。
穏やかな印象の平行に走る眉。
ハシバミ色の少し眠たそうな瞳に、理知的にかかる眼鏡。
身長のほどは分からないけれど、頭身のバランス良し。
「調査員」
「は」
「…マル(合格)ッ!
将来性優位のなかなかの物件ね。
迅速な調査ご苦労、褒めてつかわす」
「光栄です」
ふむ、キーラ嬢ったらなかなかやるではないか。
このような隠れ優良物件がティアンナの目の届かないところに眠っていたとは。
「さて、『傾向と対策』だけれど。
調査員」
「は」
「かの令息の女性遍歴は?」
「それにつきましてお嬢様、
お耳に入れたいことが」
「述べよ」
「は。
かの令息はこれまで親密になった女性はおりません。
全くなしのつぶてです。
お好みの女性の要素なども全く掴めませんでした」
「なるほど」
「しかしご両親の希望は掴めました。
『息子の仕事を支えてやれる、精神的および経済的に余裕のある女性』とのことです」
「医師の仕事は過酷だし、
収入そっちのけで働くこともあると聞くものね。
その点わたくしはどう?調査員」
「愚問にございます。
お嬢様は由緒正しい侯爵家のご令嬢。
その経済状況は盤石で、
余裕という点ではこれ以上ないご縁かと」
「歓迎される縁談かしら?」
「当然」
「いけるかしら?」
「当然」
「ほんとに?」
「当然」
「よろしい」
背もたれに体を預け腕を組み、ティアンナは唸った。
「うーん…」
次男。医師見習い。初心。
少ない情報から導き出される最適解…。
「よし、見えた」
「ご命令を」
「今回のコンセプトは『優しい大人お姉さん』!」
「失礼ながらお嬢様は御年18、
かの令息より年下であらせられますが」
「あくまでコンセプトよ!
まずは演出!ドレスとメイクアップの準備を!
あとそうね、
医学書のいっちばん読みやすいものを数冊準備。
話が盛り上がらなきゃ始まらないわ」
「御意でございます」
キーラ嬢の手紙によると、ケイナお義姉さまを招待したお茶会にギルバートも呼んであるという。
よろしければその場で一度お目通りを、
と綴ってある。
期日は2週間後。
ティアンナは林のように静かに、火のように胸を熱くしていた。
これこれ、こうでなきゃ。
忙しい日々が始まるわと、ティアンナは額装の中のまだ見ぬ令息に微笑みかけた。
――――
そして現在、
「いやーやり切ったわ」
柔らかいクリーム色のデイドレスを身にまとったティアンナは、ごとごと揺れる馬車の中で大きく伸びをした。
キーラ嬢主催のお茶会に向かう車中である。
「まだお茶会はこれからなのに…」
「ティアンナ嬢は準備に余念がないね」
向かいの席にはケイナとレイフォードのふたりが座っている。
晴れて正式な婚約者となったふたりは、
こちらが見ていて胸やけするくらいに仲良しだ。
「しかしお義姉さま、今回は助かりましたわ。
あなたにまさか医学の心得まであるなんて」
「いや、心得というほどでは」
「普通の令嬢は内臓の位置関係を正確に図示なんてできませんわ。
ましてや心臓の仕組みや神経の走り方なんて、男性でも知りませんわよ」
「うーん…中学校で習うし…」
「あなたの常識、こちらの非常識、ってね。
でも解説のおかげで書物を理解できましたわ」
「お役に立てたなら何より」
「おかげでわたくし、今なら筋肉を美しく模したヌードデッサンが描けますわ」
「それは婚活に必要な技能なのかな?ティアンナ嬢」
ふふん、とティアンナは大変気分が良かった。
この2週間でティアンナは初級の医学書を数冊読み切り、ケイナを相手に会話のシミュレーションを行った。
医学につながる話題は新聞の常連である。
どこそこでどんな疾患が流行している、誰それがどんな病気で亡くなった。
時事ネタと絡めて相手のフィールドへのパスを出すスマートな会話術を、ティアンナは徹底して練習したのである。
思いのほかケイナが医学に詳しく、異世界での疾患予防の健康法や感染症対策などの話を聞いていると、ティアンナの胸にはひたひたと、ギルバートと夫婦並んで民の健康を守る将来のヴィジョンと気概が湧いてきたものである。
恋愛脳もすっかりスタンバイオーケー、もはやティアンナは崇高な医の奉仕者、何だったら看護助手の資格も取ってギルバートと医学書片手にどこまでも行く所存。
さてついにまみえるギルバート・イルアニア伯爵令息、
いざ尋常に、勝負!
――――
到着した伯爵邸では、
門扉の前に既に伯爵一家が雁首揃えて待ち構えていた。
馬車を降りた三人に向かい、一斉に頭を下げる。
「本日はオーブリー侯爵家のご令嬢方、
エルスワース侯爵令息、
当家の申し出をお受けいただき誠にありがとうございます」
ちなみに初出ではあるが、オーブリー侯爵家とはケイナとティアンナの家名である。
「この度は…
娘が貴家の御名に泥を塗るようなことをしでかしまして…
誠に、誠に申し訳ございませんでした…!」
謝る父親に続き、婦人・令嬢が一斉に呼応する。
「申し訳!ございませんでした!!!」
そうだ、キーラ嬢の家門ゴーシュ家はもともと武人の出。
何とも気持ちの良い謝罪ではないか。
ティアンナは顎をしゃくり、ケイナに発言を促す。
「顔を上げてください、皆さま。
此度のご招待、大変嬉しく存じます。
私は所詮平民の出、今後も皆さま方のお力添えを頂けるととても嬉しいのです」
「それにつきましては勿論。
今後我がゴーシュ家はケイナ・オーブリー嬢の忠実な僕となることをお約束いたします」
「いやそこまでは…」
こほん、と咳払いで、ティアンナはケイナを窘める。
「頂けるお気持ちは受け取っておきましょう、お義姉さま」
「ティアンナさん」
「お友達は、多ければ多いほど…ね?」
「ティアンナさん…」
なぜだろう。義姉が獅子を見る目でわたくしを見ている。
失礼な、取って食うわけじゃなくってよ。
―会場はシンプルかつ上質な調度品で整えられた、大きな屋根付きのテラスであった。
本日の招待客はティアンナ一行除き10名ほど。
メンバーも伯爵邸のご近所さんと言った風情の、子爵位から伯爵位のご夫婦やそのご子息といった癖のなさそうな面々である。
出迎えの中、ティアンナはすぐさまその令息を見出した。
ああ、あれがギルバート・イルアニア伯爵令息!
姿絵より少々細身に見受けられるもののその分背が高く、
柳のようなしなやかな立ち姿である。
いいじゃないの!
とってもいいじゃないの!
伯爵の案内で着いたテーブルには、3人の他、追ってキーラ嬢とギルバートが着席した。
高位貴族の習いとして、義姉夫妻(未満)とともにはじめに紅茶・茶菓子に手を付ける。
『優しい大人お姉さん』の顔で、ティアンナは周囲の招待客にも茶会の開始を促した。
「ティアンナ様…重ねまして、先の大変な非礼をお詫び申し上げます」
キーラ嬢は長い黒髪をきりりとまとめた、長身のスレンダーな令嬢である。
「ええ、こちらも相応のお約束を頂戴しましたし、
もうここらで手打ちに致しましょう」
ティアンナは優しく言ったが、キーラ嬢のまつ毛は痛々しく震えた。
キーラ嬢はちらり、とギルバートに目配せし、
「ティアンナ様、こちらがギルバート・イルアニア伯爵令息です」
と紹介した。
ギルバートはキーラと並んで頭を下げ、
「キーラが大変な愚行に及んだと聞きました。
僕からも謝罪を」
…ん?なんて?
「いくらキーラも立場があったとは言え、
他家のご令嬢を根拠なく貶めるべきではなかった。
僕も、キーラと共に償いを」
んん?
「キーラ嬢…イルアニア伯爵令息とはどんなご関係…?」
「幼馴染ですわ」
きっぱりと言い切るキーラ嬢の目尻が瞬きと共に震えている。
そしてそれを見るギルバートのハシバミの瞳も、同じように震えたように見えた。
…アレー?
わたくし嫌な予感がするぞー?
その時、遠くから
「お待ちください!本日はお招きしていないはず!」
という伯爵の切なる声が聞こえてきた。
招待客が注目した先には、ワッサワッサとドレスを揺らしたご令嬢。
「出たわね…」
ティアンナは思わず舌打ちしそうになる。
おっとあぶない。
「皆さまごきげんよう、『異世界人と会おう!』会場はこちらでよろしかったかしら?」
「マクライネン公爵令嬢!どうかご遠慮ください!」
伯爵夫人が叫ぶが、令嬢はぜんっぜん気にしない。
ツカツカとこちらのテーブルに近づき、
「…あら。満席ですこと」
一言つぶやくと、
キーラ嬢が光の速さで席を立った。
「ご無沙汰しておりますね、
アミー・マクライネン公爵令嬢」
レイフォードがにこやかに臨戦態勢を取る。
「ええご無沙汰しております。
ご両親はお元気?」
「おかげ様で」
アミー・マクライネン公爵令嬢。
王弟を父に持つ高貴な令嬢であり、
元レイフォード親衛隊隊長として徹底的にケイナを遠ざけようとし、ついでにティアンナにも飛び蹴り(比喩)を喰らわせてきた人物である。
「あら、ティアンナ嬢ではありませんか。
…あらそう、そういうこと。
キーラあなた、初恋の君を捧げてよろしいの?」
キーラ嬢がぐっと目を瞑る。
その時、パッパパー、と喇叭の音が響き渡った。
「マクライネン公爵令嬢!!お迎えです!!」
「ええ?!」
ドカドカと騎士服のマッチョが数人入ってきたと思ったら、
あっという間にアミー嬢を抱えて去っていった。
「待って…!わたくしまだ…!
待って、待ってったらあ!!
お兄さまー!!」
木霊を残し、アミー嬢は退場していった。
「悪霊退散…」
思わずティアンナは呟いた。
――――
その晩、
バスルームにて。
「やっってらんないわよねェ……」
調査員(侍女)の手によりヘッドマッサージを施されながら、ティアンナは湯船に身を沈めていた。
「お嬢様」
「なあに」
「調査に不備がありましたことをお詫び申し上げます」
「不備じゃないわよ、情報なんか常に不確かなものだし」
まぁ、正確に言うと、ギルバートについて、
『親密な関係になった女性は皆無』
というのは間違いではなかったのだ。
ただ、かの令息がキーラ嬢を想っているのは誰がどう見ても明白。
そしてキーラ嬢も彼を憎からず想っているのも間違いなさそう。
アミー嬢も「初恋の君」とか言ってたし。
そのアミー嬢が退場したあと、
まぁひとまず皆まぼろしを見たのだろうとお茶会は再開したのであった。
流れとしては非常に理想的で、
同じテーブルで歓談した後、連れ立ってゴーシュ伯爵邸の庭を鑑賞。
その際キーラ嬢のアシストでギルバートはティアンナのエスコート役となり、散策のひと時はふたりっきりのトークタイムとなった。
会話もよく弾み、ティアンナの下準備された豊富な知識と彼の領域の話題へのナイスパスに、彼も驚きながらもとても嬉しそうにしてくれたのだ。
………ただ、まぁ〜〜〜〜視線を感じた。
間違いなくキーラ嬢だと思う。
ギルバートも時折遠い目をしてると思ったらその先にはキーラ嬢がいるし、
これが参考文献(ロマンス小説 / 歌劇 / メイドの恋バナ)上に散見される、
『両片思い』ってやつか……!
と、ちょっと尊く思ってしまった。
「キーラ嬢は根が武人だから、
愚直に長年の想い人を献上してくれちゃった訳ね〜〜〜……」
長い髪に香油を馴染ませ梳る心地よさに身を任せ、ティアンナは思考の波に揺られたのだった。
…どうしたもんかなこれ。