Case6. ウィリアム・マクライネン公爵令息
お待たせしました、ウィリアムさん奮闘回です。
とある日。
エルスワース侯爵家、とある部屋にて。
部屋の主であるレイフォード・エルスワース侯爵令息は、
客人である黒髪の男へ大きな木箱を差し出した。
「恩に着る、エルスワース侯爵令息」
「なんのなんの。
僕がお出しできるものは全てお持ちくだされば。
ですがひとつ言っておきます」
「なんだろうか」
「これで上手くいくとは限りません」
客人ことウィリアム・マクライネンは瞠目した。
「な、なんだと」
「ええ、肝にお命じください」
「あ、相分かった」
言葉少なに、客人は退室する。
「ウィリアム様」
「何か」
「ご武運を」
レイフォードの不意な励ましに、
ウィリアムの顔がじわじわと赤く染まる。
「感謝する」
二人の青年はがっつりと両手で握手を交わし、
別れた。
ーーーーーーーーーーー
私は忠実なる調査員(侍女)。
とある日、
我が主ティアンナお嬢様はかねてよりの約束通り、
ウィリアム殿と外にお出になっている。
個人的に思うところはあれど、
主であるティアンナ様が外出の誘いをお受けになられた以上、
私も職務を全うするまで。
ティアンナ様の後ろに付き従い、
細やかなサポートを提供する所存である。
「素敵な場所ですわね」
「ああ、朝早くから申し訳なかった」
「いいえ、あらかじめ教えてくださったではないですか」
ウィリアム殿から丁寧な先触れがあったのは数日前。
『あなたとの交流をもっと大切に楽しみたいのだが、
生憎時間がない。
あなたの時間を丸一日、頂いても良いだろうか』
「お嬢様を疲れさせる気でしょうか」
まったく気の利かない、と私は嘆いたが、
ティアンナ様は割と好意的に受け取ったようだ。
曰く、
ウィリアムが他国での仕事をしている都合、
この国に滞在できる期間は限られている。
なんせ実兄が一緒に行くもので、
彼がこの滞在中どれほど忙しいかも聞いている。
そんな中、ティアンナのために丸一日も時間を割いてくれたのだ。
これが気遣いでなくてなんだろうか、とのこと。
そして先触れ通り、
ウィリアム殿は早朝にオーブリー侯爵家を訪れた。
朝食を食べずに待っていてくれ、とのことで、
ティアンナ様は言いつけ通り待っていた。
実はウィリアム殿の侍従である父より、私には他にも通達が来ている。
「本日のコーディネートはお任せください」
通達内容によりそう進言する必要があったのだが、
お嬢様に理由を問われなかったのは幸運だった。
ということで、
本日は天候にも恵まれ、早朝よりがたごと馬車に揺られて着いたのはとある郊外の植物園だ。
「どうぞこちらへ」
ウィリアム殿の丁寧なエスコートでやってきたのは、
大きなガラス張りの温室だった。
「こちらは我が家がプロデュースした温室でね。
ドーナツ状に二重構造になっているんだ。
ドーナツの生地の部分に植物を生育し、
穴の部分に人が入れるようになっている。
植物はガラス越しに鑑賞する仕組みだ」
ティアンナ様がその意図を問えば、
棘を持つ植物や刺す虫から人を守るためでもある。
同時に、みだりに人に触られ折られたり、
植物が痛むのを防ぐためでもある。
双方が嫌な気持ちにならないためさ、とのこと。
ドーナツの穴の部分に、ソファとテーブルが用意され、
給仕の者が控えている。
「ここで朝食を、と思ってね」
お嬢様はなるほど、だからか!という目でこちらを見る。
本日のコーディネートは軽く柔らかい綿を使用したデイドレスにアクセサリーなし。
軽装と言って良い格好だったのだが、合点がいったようだ。
くつろぎの朝食に華美は装飾は必要なかろう。
運ばれてきた焼き立てのパンやフレッシュなオレンジジュースは、
王都随一の人気を誇るブランジェリーのものだ。
どれも大変に美味しそうに湯気を立て、
陽の光を浴びて活き活きしてすら見える。
「僕はね、ティアンナ嬢」
ウィリアム殿は少し照れながら言った。
「朝食が好きなんだ。
ほら、ランチやディナーは他人と食べることも多いけれど、
朝食は家族の特権だろう?」
堅苦しいマナーや礼儀のいらない朝食を、
あなたと食べたかった。
…これこれ。
こういう変に純粋で真摯なところ、
悔しいが悪くないのである。
ウィリアム殿の後ろで父がドヤ顔をしているのも腹ただしい。
…しかし奇妙だ。
これまでのウィリアム殿といえば、
ティアンナ様へ懸想するがあまりまともに話すこともできず、
何ならティアンナ様を直視することもできなかったはずだ。
ティアンナ様もそれはご満足なされた様子で、
植物の瑞々しさと陽の光、
そしてウィリアム殿との適度な会話を堪能してらした。
そして驚いたのは、その後の予定である。
食事をしながらウィリアム殿はこう呟いた。
「実は、この後の予定は特に決めていないんだ」
私は憤慨した。
ティアンナ様の宝玉のごとく貴重な時間を丸一日渋々であるがお貸ししているというのに、
無策とは!無策とは何事か!!
「というわけでティアンナ嬢、
一緒にこの後どう楽しむか、考えないか」
「いいですわね」
嬉しそうに言ったウィリアム殿は父に合図し、
紙束を持ってこさせた。
「隣へ行っても?」
「もちろんですわ」
向かい合って座っていたソファからスムーズに隣へ移動し、
紙束をふたりで覗き込み始めた。
「あら、これは?」
「今王都でやっているイベント事のリストさ。
こっちは上演中の演劇リスト。
あと、こっちは歳時記。
旬の食べ物や花を楽しむのもいいかもしれない」
なんと王都のあらゆるお出かけ情報を詰め込んだ自作パンフレットであった。
そうして二人して、あれやこれやと話し合いながら予定を決めていく。
ティアンナ様の楽しげな横顔を見て気づく。
あれ、これ無策…か…?
なかなか良い雰囲気ではあったが、私は少々気になる点があった。
『このブランジェリー、
確か名物はエッグタルトであったはず』
ブランジェリーが提供するブレックファストの看板メニューは、
コースの最後に提供されるサクサクぷるぷるのエッグタルトだ。
出張ブレックファストではあるが、
さすがに看板メニューは外さないはず。
しかし食後の紅茶に至った現在、
その姿はどうやら見られない。
私はこっそり給仕の元へ向かい、
「もし」
と声をかけた。
給仕の女性はこわごわとこちらを振り返る。
後ろめたさアリアリといった風情だ。
「大変失礼ですが、
こちらのブランジェリー、
確かエッグタルトが名物では?」
「お、仰るとおりです。
諸事情により本日はお出しできず」
大変申し訳ありません、
と深々と頭を下げられる。
下がった頭を追って視線を下げると、
女性の靴が奇妙な形に紐で縛られているのが目についた。
片方だけ、まるで抜けた靴底を縛って無理やり履いているようである。
さらに足首には浅黒い痣が見える。
明らかに新しい痣だ。
「もしや、何かありましたか」
問うと、
「貴人のお耳に入れることでは…」
と頭をゆるゆると振られる。
「結構です、言ってみなさい」
となおも問うと、
ようやく給仕の女性は小声で白状した。
「道中、馬車が暴漢に襲われまして。
エッグタルトはこちらの窯をお借りして、
最後の仕上げを行う予定でした。
何とか全員で抵抗し、他の食材は死守したのですが。
エッグタルトのタルト生地が粉々に」
申し訳ありません、となおも頭を下げる女性の肩を支え、
「いいえ、その状況でよくやってくれました。
我が主人は大変にお喜びです」
怪我を大事になさって。
オーブリー侯爵家から後に見舞いを取らせます。
そう言付け、ティアンナの元へ戻った。
父をちらと窺うと、父もまたこちらを見ている。
どうやら知っていたようだ。
ティアンナ様には伝えるまでもない。
アクシデントと怪我をおして職務を全うした彼らの矜持を守るべきだ。
天晴なり。
和やかな朝食のそのままの空気で、
ふたりの主人は植物園を後にする。
次の予定は、
どうやら新しく出来た街の本屋に決まったようだ。
上のフロアに個室があり、
購入した本をゆったりと読めるという。
それならばお召し替えはなしだ。
というか、その店確か…?
「どうぞ、ウィリアム様」
「ありがとう、
あなたの姉上は大したアイデアマンだね」
そう、この店実は、
ティアンナの義姉ケイナが貴族令嬢となって初めてのプロデュース事業なのである。
「ええ、わたくしも最初構想を聞いた時衝撃を受けましたわ」
「しかし素晴らしいじゃないか。
書物というものの価値は、
読む環境によって何倍にもなる」
「仰るとおりですわ」
これについては私も同意である。
買った本をウキウキで読もうとして、
妹に盛大に邪魔された時の恨み。
誰にも邪魔されずに本に没入できる空間を提供し、
入場料さえ払えばついでに飲み物も無料でサーブしてもらえる。
最高の休日が送れること請け合いの店である。
ううむ、さすがはティアンナ様の義姉上。
「さあ、楽しむとしよう。
本を選んでこよう」
「ええ、目移りしますわ」
各々本を選んで購入し、
階段を登り個室へ案内を受ける。
扉には『予約済』の文字。
中にはデスク・チェアセットのほかソファ、カウチ、
何とハンモックまで備えられ、
「どうぞお好きな体制で」と言わんばかりである。
こりゃ凄い。
「ティアンナ嬢、どれを選ぶ?」
「そうですわね、
思い切ってハンモックで。
ずっと乗ってみたかったんですの」
「いいね、実は僕もだ。
ご一緒しても?」
「もちろんですわ」
ということで、ふたつ並んだハンモックに高貴なる人が身を揺らす。
ウィリアム殿は山のように蔵書を購入し、積み上げて猛然と読み始める。
ティアンナ様は数冊購入し、フルーツティーと一緒に緩やかに読んでいる。
なんだこれ。
結婚した後のデートには最高だろうが、
まだ交流の段階でこれは如何なものか。
もっとアピールせんかい。
「チョウさん」
己を呼ぶウィリアム殿の声にはっとする。
「いかがなされました」
「しー、何かブランケットを」
見ると、ティアンナお嬢様がハンモックに揺られながら、
静かな寝息を立てている。
お嬢様の無防備かつ無垢な寝顔を、
見られてしまった…!
け、結婚前なのに…!
私が一人でショックを受け、
あれやこれやと寝顔を隠そうと苦心していると、
「ああ、そうだよね。
ティアンナ嬢はあまり見られたくないよね。
僕はあちらのカウチで続きを読むよ。
だからそんなに睨まないでくれるかな」
いそいそとウィリアムは撤退し、
カウチに寝っ転がってまた本を読み始める。
…悔しいが、
お嬢様がこれほどリラックスしていらっしゃるのも、
ウィリアム殿が適度に肩の力を抜いているからだ。
アピールには程遠くても、
休日の過ごし方としては大変に有意義ではないか。
悔しい…!
こんなにデートが上手くいくなど悔しくないはずがない…!
ギリギリと軋む奥歯を噛み締めたのであった。