case.5 クレム・コットン子爵令息4
「まず改めて名乗ろう。
私はウィリアム・マクライネン。公爵家嫡男だ。
ケイナ嬢、そしてエルスワース侯爵令息、
貴殿らの婚約の折には妹が大変な迷惑をかけた。
改めて詫びる、申し訳なかった」
堂々と乱入してきたお兄ちゃんズにも席が用意され、
困惑しきりの一団を落ち着かせるように、
黒髪の男、改めウィリアム・マクライネン公爵子息は静かに語りだした。
「いいえ、今はもう何とも思っていませんわ。
お兄様がいらしたのですね、びっくりしました」
「ああ、ケイナ嬢の兄にあたるカイ・オーブリーとともに、
長年他国で外交の仕事をしていた。
我が国より力の強い国であるがために、自由に身動きが取れなかったのだ」
「俺らも行きたくなかったんだけどさあ、
そこそこ名家の子息が行かないと面子が立たなかったんだよね。
今回は国家の一大事だから無理言って帰らせてもらった」
茶髪の男改めカイ・オーブリー侯爵子息が口を挟む。
「まあそれは結構ですわ」
アミー嬢がバッサリ行く。
「その通りだな。
で、お前らが囮捜査行くって?」
王太子が怪訝な顔をする。
「ああ、俺等は少なくとも数年は国に顔を出していない。
だがこの通り、何となくいいとこの坊っちゃんな雰囲気はあるだろう。
そこらの憲兵に行かせるより食いつきはいいんじゃないか」
「それは否定しないが、
お前ら今後もシャカリキ働いてもらうつもりなんだから、
あんまり危ないことしてほしくないんだけどなあ」
「いや、こいつの目的は別にあるぜ」
カイがまた口を挟む。
「要するに、
愛する女を自分の手で助け出したいのさ」
「愛する女?」
ケイナな素っ頓狂な声を出す。
「ああ、こいつは年季の入った、
ティアンナのストーカーだよ」
「ストーカー言うな!!」
公爵令息がストーカー…
ケイナは思わず怪訝な目でウィリアムを見る。
「こいつは陰湿だぜ、
定期的に、諜報員を使ってティアンナの様子を調べ上げてるしな。
こないだなんか、ティアンナがモデルになった絵画を買い占めててさ」
「!!!」
フリンがガタン、と立ち上がる。
「あああの、僕の絵、
たくさん買ってくださった黒いハットの紳士…!」
「わたくしめでございます」
黒ハットの紳士改め諜報員(侍従)はフリンに丁寧な礼を取る。
「素晴らしい絵画、競り落としがいがありました」
にやりと笑った顔が何となくティアンナの婚活調査員(侍女)に似ている…
「とにかく、ティアンナが危ないかもしれない時に、
家でじっとなんかしてられないのさ」
ウィリアムはそのとおりだ、と深く頷いた。
「悪い、クリストファー、いや王太子殿下。
潜入の役目、俺にくれ」
「そう言われちゃ、否やはないね」
こうして、娼館潜入捜査およびティアンナ救出隊が決まった。
「さて、私にも役目があります」
ケイナはさっと手を挙げた。
「ギルバートさん、私と一緒に患者の情報の整理をしましょう。
特に、娼館への出入りの時期と煙管吸入の有無、
そして発症までの期間。
発症後の経過、初期に発症した者が現在どうなったか」
「僕はそれをまとめ、王宮事務官の立場から、
国民に対する重大な警告として発表できないか掛け合います」
レイフォードはケイナの手を握り、手助けを宣言する。
「わたくしは何ができるかしら」
「アミー、お前は社交だ。
ご婦人方にあの娼館で健康を害する者がいる、と噂を流せ。
被害者を可能な限り減らすぞ」
「承知いたしましたわ」
マクライネン兄妹も結託する。
「よし、では王太子の名のもとに宣言する。
貴殿らは我が命により役目を果たす者らである。
各々油断なく、十分な働きをせよ」
「「御意!」」
ーーーー
また、駄目だったのだ。
その日一日ティアンナは、
誰も訪れぬ部屋で机に向かって過ごした。
リエラへの教育はどんどん高度なものとなり、
彼女はそれをも柔軟に吸収した。
侍女どころか、令嬢そのものとしても遜色ないレベルにまで達している。
クレムはそれを喜び、
素晴らしい、さすがティアンナ様だと、
大層評価してくれた。
『この素晴らしい成果を、
リエラだけに授けるのは勿体ない。
その教育を、書物としてまとめませんか』
今後のコットン子爵家にとって、
侍女教育の教科書となるだろうと。
高位貴族から嫁ぐティアンナからの、
最高の嫁入り道具となるだろうと。
『ええ、やらせていただきますわ』
ティアンナはそれを了承した。
するとクレムはすぐさま、
『執筆に適した環境をプレゼントしましょう』
とティアンナにこの部屋を用意し、
あっという間に最新の文具や美しい用紙を整えてしまった。
両親には嫁入り修行として許諾を得たこと。
心配だろうから、一日に一度は家族宛にカードを書くこと。
もちろん、婚姻前に不埒は行いはしないから、安心してほしいこと。
どこの屋敷かも知れないこの場所にティアンナを連れ、
安心させるようにそれらを告げて、クレムは去ってしまった。
それからティアンナは、この部屋に籠もり、執筆を続けている。
一日に三度の食事と午後のティータイム、湯浴みなどを行う際にも、
人との接触は最低限となった。
クレムは当初、一日に一度部屋を訪れた。
長居するとよくないだろうから、と手ずから書いた手紙をティアンナに渡し、
照れくさいな、とはにかんだ。
今日どんなことがあった。
こんな仕事をしているがティアンナはどう思うか。
街の噂について。
社交場でどんな言葉をかけられたか、ティアンナであればどう答えるか。
世間話と意見伺いが半々のような手紙に対し、
ティアンナは丁寧に返事をしたためた。
最初は良かった。
クレムもティアンナの返答に対し、さらに自分の意見を書いて寄越した。
比較的イケイケなティアンナに対して、人当たり柔らかなクレム。
意見の相違を楽しむ余裕もあった。
それが徐々に、手紙の言葉に棘が見られるようになった。
僕はそうは思わない。
それは偽善だし、詭弁だよね。
そうして、手紙の返答がクレムの意に沿わないとき、
彼は部屋を訪れなくなったのだった。
…先ほど、夕食のトレイの上にクレムからの手紙が届いた。
今日も駄目だったのだ。
ティアンナの握りしめた拳の上に、
ぽとりぽとりと涙の粒が落ちた。
真摯に向き合っているはずだ。
自分の持てる知識はすべて捧げたし、ドレスや装飾品、持ち物だって、
教材として惜しむことなく提供した。
おかげでこの部屋に来てからのティアンナは、
まるで修道女のような鼠色のワンピースばかり着ている。
それでもまだ、駄目なのだ。
クレムに振り向いて、笑って手を引いてもらうには、
ティアンナは不十分なのだ。
コンコン、とドアを叩く音がする。
「ティアンナ様、眠前のお茶をお持ちいたしました」
ティアンナはドアを開けず答えた。
「いいえ結構よ、下がって頂戴」
「しかし、ティアンナ様、
本日は夕食の際のお茶も召し上がっておられません」
「気遣いに感謝するわ、でも今日は結構よ」
「いいえ、いいえ、ティアンナ様。
ティアンナ様のご健康を我ら預かっております。
どうぞ一口だけでも」
「結構よ。それ以上はくどいわ」
ティアンナは泣いた自分の顔を見られたくなかった。
ドアの向こうでは侍女が逡巡する気配が感じられたが、
「では、ドアの前にワゴンを置いてございます。
喉が乾きましたら、そちらをお飲みください」
「わかったわ」
とのやり取りを最後に去っていった。
…完全にひとりとなり、窓の外もすっかり暗くなったことで、
ティアンナの心はするりと無防備となった。
さきほど落ちた涙の粒に引きずり出されるかのように、
ぽつり、またぽつりと次から次から涙が零れる。
何が駄目なのだろう。
一体、何が足りないのだろう。
どうしたらクレムは満足してくれるのだろう。
いらないと。
…この程度の女はいらないと、
そう言われないだろうか。
どうしたら良いのだろう。
誰に教えを請えばいいのだろう。
そんなの…クレムしか、
クレムしかいないではないか。
どうしたら、
あなたはティアンナを見てくださいますか。
ティアンナを認めてくださいますか。
…ティアンナを愛して、くださいますか。
『それを考えられないようでは、
駄目なのではありませんか』
クレムの声が脳内に響いた。
駄目だ、こんなことを言っていては彼に見放されてしまう。
ティアンナはただただ泣いた。
枕をしとどに濡らし、
考えては泣き、泣いてはまた考え、
夜通し涙に暮れた。
ーーーそうして夜が明け、
カーテンの隙間から眩しい朝陽が差した頃。
「…いやいや、おかしくありませんこと?」
ティアンナはようやく、その顔を上げたのだった。
ーーーーーーーー
「よろしいですか」
とある日の夕暮れ。
ケイナ・オーブリーは王宮事務局の大会議室にて、
各部署の長たる面々を前に向き直った。
「国家の緊急事態と、お考えを」
数人の男たちに指示し、会議室の前面の壁に大きくスクリーンばりに張り出された資料を前に、
ケイナは声を張り上げた。
「こちらをご覧いただきます」
資料には医院と協力して調べ上げた、
流行の奇病についての詳細が描かれていた。
幸福感や高揚感と引き換えに、体を蝕み精神を壊し、その命を貪る厄災。
そしてその原因が、とある煙管と考えられること。
祐筆職でもあるケイナ自ら書き上げた、渾身のプレゼン資料である。
「思い当たる方もいらっしゃるのでは?」
プレゼンの流れで意図せず入れた推察であったが、
すぐに手が挙がった。
「お恥ずかしながら、心当たりがございます」
「実はわたくしも」
ちらほらと同様の経験談の声が上がる。
「そちらの皆様方、
それはとあるお店でのことですわね?」
彼らは一様に頷く。
頷いた顔を見ると、なんとなく傾向が読めてきた。
「高位貴族…若い方は優秀と評判の方が多いわ…
平民の方はハンサムな方ばかりね」
いかにも娼婦のお眼鏡にかなう優良物件ばかりである。
「王宮事務局に要請します。
これらの情報を緊急事態宣言として広く国民に通達。
依存症と思しき患者を収容するため、
王宮の大部屋のひとつを開放。
医院より医師が派遣されます。
依存症患者は暴れます、騎士の派遣を。
こちらが要請書です。よろしいですね」
ケイナ・オーブリー侯爵令嬢、そして隣に控えるレイフォード・エルスワース侯爵令息の連名にて、正式に認められた要請書が掲げられる。
王宮事務官たちは大きく拍手した。
是である。
「しかしオーブリー侯爵令嬢、
大元を絶たねば患者は増えるばかりです。
対策は」
待ってましたとばかりにケイナはにやりとした。
「既に手は打ってあります」
逃げられぬよう、ギリギリまで我慢し動かなかったのだ。
「本日これより、王太子殿下の名の元に、
娼館『華の檻』を封鎖いたします」
ーーーーーーー
薄暗く、高い天井を眺める。
中央に豪奢なシャンデリアがぶら下がり、
周囲には薄い色とりどりの紗の布が、乱れ立つ虹のように、その天井を流れるように飾られている。
いっそ煩わしいほどの香が焚かれ、ホール全体が薄く煙がかっている。
明かりがその煙を照らすと、なんとも幻想的な、非現実的な光景となっていた。
ここは『華の檻』のショー・ホール。
初めての利用なんだが、と高位貴族丸出しで叩いた扉の奥で、
ウィリアムとカイ、そして諜報員(従者)を値踏みする視線があった。
あれよあれよと、こちらです、と案内されたのはショー・ホールのボックス席。
VIP席と言ってよかった。
「ウィル、どう思う?
身バレしてると思う?」
通されたソファ席に深く深く身を沈め、カイが身を寄せて囁く。
「どうだろうな。何だお前、それ」
カイは何やら胸ポケットより綿の布を取り出し、
口元に巻いている。
「マスクさ。
煙管の煙も有害かもしれないって、吸わないようにってケイナちゃんにもらった。
お前のもあるけどいる?」
「…もらおう。
しかし怪しすぎやしないか」
「この香の強さだぜ。
強い香りが苦手で持ち歩いてるって言えば通るだろ。
変わり者扱いは免れんがな」
ちなみに、煙は高いところに登るから、なるべく身を低くしろってさ。
それでソファに沈んでいたのか。
ウィリアムはマスクは巻かず口元を押さえるに留めた。
失礼いたします、と席の後ろの仕切りが開き、
ウエイター姿の男が挨拶にやってくる。
「お客様、もうじきショーが始まります。
ウェルカム・ドリンクをどうぞ。
アルコールはお好きで?」
「いや、あまり好きではない」
ウィリアムは答える。
「それではこちらを」
エスプレッソカップほどの小さなカップに、
濃い色の飲み物が供される。
「当館特製の薬膳茶でございます」
「薬膳。どんな効果が?」
「酒を飲まずとも、酔えるのでございますよ」
当館のショーを、よりお楽しみ頂けるかと。
そう言って男は、カイに向き直った。
「そちらの紳士は?」
「僕は酒で」
「かしこまりました」
こちらもショットグラスほどのサイズの小さなグラスに、
薄い黄金色の酒が供された。
「それでは、
ようこそ、『華の檻』へ」
その言葉と同時に、ステージからけたたましい打楽器の音が響いた。
強弱にうねるドラム・ロール。
酒に酔ったように高低する管楽器の誘いに乗り、
聞いたことのない力強い楽団の音が耳に刺さる。
低音が深く増強されるとこんなに腹に響くものか。
身体全部揺さぶられるようなリズムに、
観客たちは早くも酔っていた。
「紳士、淑女…まあ主に紳士の皆様」
ステージ中央に司会らしき男が立つ。
「今宵もようこそ、『華の檻』へ。
当館のトップスター「リリ」より、
皆様にご挨拶申し上げます」
再度ヴォリュームを上げるバンド。
どんどん上がるテンポ。
最高潮に達した瞬間、それらは一斉に停止する。
静寂。
『のぞむならば』
ひとすじの歌声とともに、
黒髪の美女が現れる。
今度は歌声を立てるように、
囁くように再開したバンドの音色に合わせ、
美女は観客をじろりと一瞥した。
『のぞむならばそう、世界を』
そしてリリのショー・タイムが始まる。
「…アレがリリか」
思わず声を上げたウィリアムに、カイも反応する。
「確かにすげえ歌だ。
引き込まれそう」
リリは素晴らしいエンターテイナーだった。
歌声もさながら、一挙手一投足に隙がなく、
どうすれば己が美しく魅力的に映るか熟知している風だった。
その視線に客は湧き、
その指先に客は見惚れた。
万雷の拍手の中ステージを降りたリリのショーの後は、
数々の美しい娼婦がステージに現れ、
群舞やパフォーマンスを次々に披露する。
熱狂。
そんな言葉が相応しい、下品だが生命力に溢れたステージだった。
いまだ騒がしく鳴り響くバンドの音の中、
「お楽しみ頂けているかしら」
ウィリアムとカイの席に、来客が現れた。
「あなたは」
「さっきのステージ、見てくださった?
リリと申します」
つややかにウェーブした黒髪を片側に流した娼婦リリが、
眼の前にいたのであった。
「先程は素晴らしかった」
ウィリアムは紳士らしく挨拶をする。
「ありがとう存じます」
礼を取る姿は淑やかで、
皆が言う通り本当に貴族令嬢のようである。
「当館のショーはいかが?」
「いやあ、綺麗な金魚がひらひら泳いでるみたいだ」
カイが茶化す。
「そうかもしれませんわね、
当館のシステムはご存知?」
「いいや、ここに案内されただけだ」
「このショーをご覧になって、
気になった娘がいれば、指名してくださいな。
この後お部屋でおもてなしさせて頂くわ。
お食事やお酒もお出しできますわよ」
「へえ。君みたいなスターは競争率が高そうだ」
「そこは競りですわ。
この後のお時間に、どれだけ値を付けてくださるか。
それが高かったほうを優先でおもてなしさせて頂くの」
「なるほど」
「お待ちしておりますわ、ジェントルマン」
そう言ってリリは退席した。
意味深にウィリアムに流し目を寄越して。
「ご指名だぜ、ウィル」
「そういうことだろうな」
ウィリアムは覚悟を決めた。
諜報員(侍従)に目配せし、リリを指名するとウエイターに告げる。
「金に糸目はつけん」との一言付きで。
ほどなく支配人と名乗る男がウィリアムを迎えに訪れ、
丁寧な挨拶の後、リリの待つ部屋への案内すると申し出た。
「おや、お口に合いませんでしたか」
残された薬膳茶と酒をちらりと見、支配人は問いかけた。
「いや、ショーに見入っていただけだ。
また部屋で同じものをもらおう」
「承知いたしました。お連れ様はご指名を?」
「いや、俺は少し音と香に酔った。
ひとやすみして帰らせてもらうよ」
「それはそれは。
またのお越しをお待ちしております」
「じゃあ、俺は行ってくる」
あとは頼んだ。
そう口元の動きだけで告げて、ウィリアムはホールを後にした。
バーレスクみたいなイメージかな。