第五話、友達
とても長い、長い夢を見ていた。翼が友達の存在を亡き者にしたときの夢。
幼稚園の年長の時の出来事だ。
翼はある女の子のことが好きだった。親しみを込めて「ヒナちゃん」と呼んでいた。笑顔がとっても可愛い子だった。
そんなヒナちゃんがどこか遠くに引っ越すことになった。その時の翼は「恋」というものをよくわかっていなかった。
それでも、自分の気持ちをヒナちゃんに伝えたくて、手紙を書こうと思った。
その時の翼もうかつだったと自分でも思う。手紙の続きを書こうと思い、手紙を机の上に置いて、そのままトイレに行ってしまったのだ。
トイレから帰ってくると、その時仲の良かった友達がその手紙を手に持っていた。翼は「返して」と言った。
そして手紙を返す瞬間、その子が言ったのだ。「だっせー」と。
確かに、手紙の表にハートの折り紙をのりで貼ったのはださかったのかもしれない。
でも気づいたら、翼はその子に殴りかかっていた。
自分の気持ちを馬鹿にされたのが悔しかった。
想いを込めた手紙を否定されるのが悔しかった。
相手の子も何がなんだか分からず、俺に殴り返した。
その喧嘩は幼稚園の先生が「やめなさい!」と怒るまで続いた。もっとも翼は、先生が怒っても最後の瞬間まで殴り続けようとしたけれど。
その後は事情聴取が始まった。相手の子は「急に殴りかかってきた」としか言わず、翼は終始無言だった。先生は訳が分からなかっただろう。
その後は二人の親同士が話し合い、なんとかなった。
不幸中の幸いはその日、ヒナちゃんが幼稚園にきてなかったことだろう。
家に帰ると、親に聞かれた。なぜ殴ったのか、と。俺は「むかむかしたから」と答えた。そして叱られた。当たり前である。
泣きながら自分の部屋に戻ると、姉がいた。また叱られるのかと思った。けれど、姉の反応は翼の予想していたどれとも違った。
最初から姉は翼を肯定してくれた。だから自分の想いを素直に言うことができたのだろう。「大丈夫だよ、翼は悪くないよ」といつまでも抱きしめてくれた。
それ以来、翼は思考がひねくれていった。友達も離れていった。けれど、不良やヤンキーにならずに済んだのは、姉がいつまでも翼の絶対的な味方で在り続けていてくれたからだと、今でも思う。そんなこと絶対に姉には言わないけど。
これが翼がぼっちで居続ける理由だ。信頼して裏切られるより、最初から信用しない方がよっぽど良い。
今思えば、ちょっとした小さいことで殴った俺が馬鹿なのかもしれないが。
目を開けると、俺をのぞき込む朝比奈の顔があった。その顔は安堵の表情で満ち溢れていた。
「よかった~」
彼女はまるで自分のことのように安心してくれている。
「ここは…保健室?」
「そうだよ。なぜか急に青野君が倒れたんだから」
俺は倒れていた?なにがあったんだっけ。数秒ほど考え、思い出した。英語の時間に、あの記憶がフラッシュバックしたことを。朝比奈の笑顔が「ヒナちゃんの笑顔」にそっくりだったことを。
は?いやまさか。そんなことがあるはずがない。仮にそうだとして、今の自分にはもう、その感情は失われているはずだ。
「大丈夫?痛いとことかない?」
「ない。大丈夫だ」
すると朝比奈はなにかを決心した目つきになって、俺に言った。
「私と、友達になりませんか?」
「なぜ、急に?」
「青野君と付きあ、ムグッ!仲良くなりたいから」
俺は考えた。また幻滅するかもしれない。世界を恨むかもしれない。そして気づいた。俺にはまだその覚悟がないことを。だから
「ごめん。」
と答えた。
「そっか~。ハハッ、フラれちゃった」
朝比奈は乾いた声で笑っていた。
でも、それでも、俺は人の温もりが恋しかった。だからこの決断をすることとする。
「それでも」
「それでも?」
「これからも、よろしくお願いします」
すると、朝比奈の目はハッと見開かれ、満面の笑みで
「ありがとう」
と言った。俺はほんの少し、ほんのちょびっとだけ、朝比奈が可愛いと思った。
暫くすると、保健室の先生が帰ってきて、「具合はどう?」と聞かれた。「少し気分が悪いので、早退します」と言い、教室に一度戻り、鞄をとって帰ってきた。教室からでる瞬間、朝比奈が「バイバイ」と言ってくれた。
学校からでると、掲示板に馬鹿でかい文字で「もうすぐ体育祭‼気合いれていこう!」と書かれていた。
もうそんな時期か……