第32話 悲痛な心
「うふふ。聞いてくださいよリオさん。なんだかとても、すがすがしい気分なんですよ。本当に、すごいんです。まさかこんなにも世界が――どす黒く見えるなんて」
ギリッと歯を噛んだ。
リオの豹変。それがここまで見ていて痛々しいとは。
一体彼女に何が起きたのか。
「ねぇ、リオ。この子?」
イトナが不審げに聞いてくる。
「ああ……ユノだ。けど」
「リオさん、ダメですよぉ」
ユノがイトナとの会話を遮って来た。
「リオさんは今、私とおしゃべりをしているんです。どなたか知りませんが、邪魔しないでもらえますか?」
「いや、けど――」
「私がしゃべってるって言ってんでしょっ!」
ユノがすごい剣幕で怒声を放つ。
ここまで自分を表に出した、彼女の声は聞いたことがない。
それがどこか、今までのユノとは別人のようで戸惑いしかない。
「ユノ、どうしちゃったんだよ。君はあんなに心優しくて、みんなのために頑張る子だったじゃないか!」
「それで、どうなりましたか?」
「え?」
「それで、私はどうなっちゃったんです?」
「それは――」
「そう! そんな気配りをして頑張ったけど、ダメだったじゃないですか! 私を奴隷みたいに使って、気に入らなかったらぶって、腹いせにいじめて。それに……リオさんたちにも迷惑かけて」
それを言った時のユノは、とても悲しそうで。
心の底から俺たちに謝罪をしているようだった。
「その挙句がこれですよ! 監禁!? 拷問!? 果てには私を殺そうとして! ふざけないで! 私は……私は、まだ、死にたくなんかない!」
ああ、そういうことか。
おそらく彼女の中に、こういった反抗の意志はあったのだろう。
けどそれを自分で抑えていた。
人に迷惑をかけちゃいけない。
そんな母親からの言葉に縛られていた。
その抑圧された心が、殺されるかもしれない、という緊急事態に解放されて弾けたのが今というわけか。
簡単に言えば、キレた、というやつだ。
ただ、そのキレ方が問題となっている。
そこらに転がっている村人たち。
まだ息はあるようだが、苦しそうに腕やら足を押さえている。
その様子が何かおかしい。
ある人は腕が何倍にも腫れ、ある人は足が細い棒きれのようになってしまって。
何が起きたのか。
いや、ユノが何をしたのか。
それが分からないと、ひょっとしたらユノの矛先は俺たちに向いた時、俺たちも同じ症状になってしまうかもしれない。
「気になりますか、この人たち」
一転して穏やかな表情に戻ったユノが、転がる村人たちを指し示して言った。
「……何をしたんだ?」
「別に。ただこの人たちの傷を治してあげただけです。私ができることは、それだけですから」
傷を治す?
それがなんでこんなことに?
「リヴァイヴァルの反作用だ」
「ぴょん吉?」
いつの間にか俺の背中を経由して肩に上ったぴょん吉が、物知り顔で語る。
「リヴァイヴァルって魔法は、打撃力に比例して回復量があがるって話だっただろ。けどそもそも怪我を治すってのはどういうことだと思う?」
「それは、傷とかがふさがるんだろ?」
俺の背中の傷がまさにそれだった。
「そうだ。だがその傷がふさがる原理は?」
「そんなこと知るかよ」
「あぁ、つまり体細胞が壊死するってこと?」
イトナが口をはさんできた。
どうやら理解しているらしい。
「ああ、そんなことだろう。つまりだ。傷を塞ぐのには、細胞が増殖して新しい皮膚組織を生成することになるんだ。回復魔法はその動きを活性化させる。だが、その活性化が限度を超えるものだったら?」
えっと、傷を塞ぐには、細胞が増殖して。
それが活性化ってことは、細胞がいっぱい増殖していくってことで……。
「そう、簡単に言えば細胞が増殖し続ける。それで腫れて見えたりするわけだ。しかも細胞自体は生きてるんだ。そこで成長速度が活性化して早くなったとしたら――」
「細胞が、死ぬ? いや、細胞だけじゃない。腕や足、そして人間も」
「そういうこと」
なんかよく分からなかったけど、人が死ぬというのだけは分かった。
ユノがしてくれた回復魔法。
それは人を助ける素晴らしいものだと思ったのに。
「薬も過ぎれば毒ってことか」
「なんだかよく聞こえなかったですけど、ああ、やっぱり死ぬんですね」
ユノが、虫けらでも見るように、倒れた村人たちを見下ろす。
「でも、仕方ないですよね。私を、殺そうとしたんですから」
「ユノ……それは駄目だ。その考えは、ダメだよ」
「なんでです? 人を殺すってことはとても悪いことなんです。その悪いことをするんですから、罰を受けても仕方ないってことじゃないですか?」
「その論理があるならなおさらだよ。ユノ。君が人を殺したら、とても悪いことだから。ユノも罰を受けてもいってことになる」
「なんでですか? 私が殺すのは人じゃないです。ムシケラです。人を殺したら悪いことですけど、ムシケラを殺しても、悪いことにはならないですよね?」
俺は多分、ショックを受けていた。
まさかユノの口から、そんな言葉が出てくるなんて。
「本気で言ってるのか、ユノ?」
「本気じゃなきゃ、こんなこと言えないですよぅ」
そしてケタケタと笑うユノ。
その笑顔は、いつか見たものとはるかに違って、何よりはるかに歪んでいて、とても見ていられるものじゃなかった。
もう、対話でどうにかなるレベルを超えた。
「イトナ。ユノを取り抑える。手伝ってくれ」
このまま放っておいたらユノは人を殺してしまうかもしれない。
それはいけないことだと、彼女自身も言っていた。
今はちょっと我を失っているだけ。
だから、きっと我に返った時に、きっと彼女は後悔する。
死を考えるほどに後悔するはずだ。
そんなところ、見たくない。
いつかみたく、ユノはユノでいてほしいから。
そんな俺の心を知ってか、イトナは小さくうなずく。
「勝算はあるの?」
勝算?
そんなもの、犬にでも食わせておけ。
勝算があるとかないとか、できるかできないとか問題じゃない。
成功するか、失敗するか。
それだけ。
だから、
「為せば成る、さ」