閑話5 イトナ(星間世界)
まったく。本当に役立たずなんだから。
モイラから話を聞いて憤然とする。
張り切って出てったと思ったら、もう色々と手詰まりな状況とか。
本当に、何やってんだか。
そう思うと、彼が本当にリオかどうか疑わしくなってくる。
つか、やっぱりあたしがついていけばよかったじゃない。
さっさと迎えに来なさいよ、迎えに!
けど、今すぐここから出発するとなると、若干、ためらいがよぎる。
というのも、物理的なもので――
「ふぅぅぅぅぅ」
一面に張られたお湯に、肩まで浸かって大きくため息をつく。
体中から力が抜けて、ふにゃふにゃに溶けてしまいそうだ。
お風呂というのは知識として知っている。
基本、エアーダスターといって、風と水で全身を除菌殺菌するので事足りていたから入ったことはない。
そして『オンセン』というのは知らない。
なんでも地面から湧き出る医療水で、浸かれば何でも治るとモイラから聞いた。
実際、くじいた足も幾分か痛みが和らぎ、重力に押しつぶされそうだった体も水の中ではそれほど辛くはない。
何よりふわふわと浮かんだ感覚が、あの死と黒に満ちた故郷の世界に似た体感を与えてくれた。
「足はどう?」
モイラが聞いてくる。
この人。
なにかと世話を焼いてくれるので対応に困る。
最初は嫌いと思ったけど、こうもされると少しは警戒心も和らぐというもの。
何より、お湯に浮かぶほどの圧倒的な戦力になんと言ったらいいか……。
リオもこういうのが好きなのかしら。
だから感謝半分、苛立ち半分の感情で答える。
「ええ、まぁ痛みは少し引きました」
「そう」
そっけなくモイラは答える。
そして何かを少し考えたようにすると、
「なら、少し慣らしてみる?」
「慣らす?」
「足もそうだけど、この重力に体を慣らさないといけないでしょ。少しずつ動けるように慣らさないと」
なるほど。確かにそうだ。
そうしなければ、リオについていけない。
別にあいつがどうなろうと知った事じゃないけど、あいつに始末をつける、もしくは最期を看取るのはあたしじゃないとそれは嫌だ。
だからいつ迎えが来てもいいように、慣らすのは歓迎だ。
「じゃあ、よろしく」
「ん。それじゃあ10分後に始めようか。そろそろ出た方がいいし。これ以上はのぼせるし」
のぼせる、という単語の意味が分からないかったけど、これ以上入っているのもよくないということは分かった。
温泉から上がると、少し立ち眩みがした。
それでも前よりはしっかり地面に足がついている感じがする。
……このぶよぶよした土の感触は慣れないけど。
貸してもらった布で体を拭いて、それから着替える。
髪を乾かしたいけど、エアダスターもないのだから仕方ない。
「準備できた?」
気だるそうに聞いてくるモイラも、元の格好に戻っていた。
髪も濡れた気配がない。羨ましい。
「ん……あ、そうか」
と、モイラが何かに気づいたようにこちらにずんずんと近づいてくる。
「ドライヤーとかも作らないとなぁ。ほら、動くなよ」
そのままあたしの前まで来る。
広がった両手に包まれそのまま抱きしめられた。
温泉で火照った体。
それがこうも密着すると熱い。いや、不快ではない。
何よりこの包容力。
最大級の武器の柔らかさもあるけど、包まれて不快な思いは何もない。
これが母親というものなのか。
けど改めて現状を思い返すと、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
「こ、ここ……」
「動くなっての。丸焼けになりたい?」
理屈は分からなかったけど、それはごめんだったので体を硬直させた。
するとモイラはあたしの髪の毛をすっと撫でるようにすいていく。
それが頭皮のマッサージになっているのかとても気持ちいい。
さらに、あたしは動けずにただ母なる抱擁の前に意識が混濁していく。
「はい、これで終わり」
ポンっと頭を叩かれると意識が一気に急浮上する。
「これ……」
触れられた頭を触ってみる。
乾いていた。
一体なぜ、と思うけど、もはやそんなことを不思議に思うのも馬鹿らしい。
頭がまだ混濁しているのもあるのかもしれない。
「ふふ、なかなか抱き心地もよかったな。今夜から一緒に寝る?」
「こ、断ります!」
なんか受けたら人としてダメな気がした。
「残念。じゃあ始めるか。コン太」
「はっ!」
呼ばれ、一匹の黄土色をした動物が来る。
えっと、確かこれは……。
「キツネのコン太だ。ぴょん吉ほどではないけど、アラーギーで人型になれる」
「では、やらせてもらいまする」
コン太が二本足で立ち、両手を胸の前で組んで人差し指だけ立てるポーズをする。
「んじゃ、頑張って」
モイラがコン太の頭をポンと叩く。
すると、コン太の姿がぶれた。
文字通り、星間距離の通信でディスプレイがぶれるのと同じように、ここに存在している動物のコン太がぶれる。
そしてそのぶれが激しくなり、それが縦長に伸びた。
伸びた状態から、ぶれが次第に収まっていく。
そこにあったのは先ほどの黄土色の生物ではない。
髪の毛と瞳こそ黄土色だが、それ以外はあたしたちとそう遜色ない、肌色と白が大半を占める人間がそこにいた。
肩くらいまでの黄土色の髪の毛は少しカールしていて、そのくりんとした瞳と相まってどこか幼さを感じさせる。
身長はあたしより低く、それが幼さを助長させる。
何より見たことのない服装だ。
トップスは白を基調にしたものだがサイズが合っていないのか、袖がぶかぶかだし、お腹のあたりを赤い布でぎゅっと締めている。
ボトムスは赤のロングスカート。歩きにくくないのだろうか。
それだけでも不思議な格好だが、何より異質なのはその頭頂部とお尻。
頭部の左右にふさふさの耳のようなものがあり、さらにはお尻のあたりからこれもまた毛がふさふさと飛び出ている。
それが何かは分からない。
けど、どこか自分たち人間と違う記号があることが、彼女が人型であっても、元はあのキツネとかいう動物だということを雄弁に物語っている。
「姉さまがぴょん吉のバニーガールと、コン太の巫女服は絶対譲れないって言ってたけど、まぁなんとなくわかってきたような気がするなー」
モイラがよく分からないことをつぶやく。
「お褒めいただき光栄です、モイラ様。それではイトナ様。初めても良いでしょうか?」
コン太が礼儀正しくそう聞いてくる。
その雰囲気が、どこか見下しされたようで、実際はそうでないとしても、自分より年下に舐められたような気分がしてちょっとカチンとくる。
だから手首足首をぐりぐりと回してストレッチしながら、ムッとして答える。
「いつでも!」
「ほい、じゃあコン太。殺さないように」
「はっ、ではまいりま――」
コン太の声が中断され、そのくりんとした愛らしい瞳が驚愕に見開かれる。
外した。
飛びかかりながらの右の回し蹴り。
上体をそらせて、何度かバック宙をして距離を取られた。
別にモイラに舐めたこと言われてイラっときたってわけじゃ、全然ない。
ただ戦うなら勝つ。
勝つには全力で、何でもやる。
そうしないと、生きていけない。
それがあたしのいる世界だったから。
「ちっ」
舌打ち。
けど攻撃は終わらない。
振り回した右足。それを変化させて踵を落とす。
リオでも防ぐのに苦労した連続攻撃。
だが外した。
外したのはタイミング。
踵落としに行く前に、左の軸足が地面についていた。
あぁもう!
元の低重力ではこのタイミングだったのだけど、ここでは勝手が違う。
だから先に足がついた。
だから外した。
けどそれ以上に、相手もまた尋常ではなかった。
「いない!?」
着地してからでも、無理やり蹴りを持っていこうと思ったが、そこにコン太の姿はない。
どこに、と探そうとする前に声がきた。
「奇襲による攻撃は見事です。が、いけません。武道は礼に始まり礼に終わるのです。少し、カチンときました」
背後。
振り返るーー前に背中に衝撃が来た。
「あっ」
視界が回った。
いや、回ったのは自分の体。
蹴り飛ばされた。あの小さな体のどこにこんな力が。
理不尽だ。
そう思うと同時、感じる。
手加減された。
コン太があのぴょん吉と同じなら、これだけのはずがない。もっと強い。
元は頭脳派だけど、破壊工作に出向く以上、最低限の格闘術は習っている。
だからそれがわかる。
そのことが腹が立って、同時にこれまでのことーーリオのこと、ファットシさんのこと、リオのこと、モイラのこと、リオのこと、リオのことリオのことリオのことリオのことが吹き出してきて、一気に爆発した。
「いい加減に!」
ーーーーーー
5分後。
「ぷはっ……はぁ……はぁ」
無様に地面に転がる自分がいた。汗だくで息切れしまくり。
気持ち悪いけどもう動けない。
この重力が思った以上に辛いのと、それ以上にコン太に当たらない。
攻撃しようとするとそこにはおらず、何か煙とか幻影を相手にしているような気分だ。
「んー終わった?」
と、モイラが視界に現れた。
「コン太、手加減しろって言ったじゃん」
「いえモイラ様。手加減なんてしてられません。捕まったらそれで終わりでございます」
「ふーん。あの逃げのコン太にそこまで言わせるとは。なかなかだねぇ」
「逃げ?」
「そ。コン太は圧倒的に回避が得意で。攻めのぴょん吉と双璧を成す実力の持ち主だよ。だから攻撃が当たらなくても気にすんな。元々病み上がりみたいなものだし」
「恐悦至極です」
なんだそれ。そういうことは早く言ってよ。
手加減されたとか早合点して格好悪い。
けどーー
「さてもうひとっ風呂入るか。汗、流すだろ?」
ああ……それはいい。
本当に気分は,悪くない。




