第1話 高杉凛雄という男
子供のころ、正義のヒーローになるのが夢だった。
いつも強くて格好よく、勇気があり、悪を憎み、強きをくじき弱気を助けるみんなのヒーロー。
世界を揺るがす悪に立ち向かい、苦難の末に巨悪をうち倒し、そして最後は相思相愛のヒロインと末永く暮らすんだ。
けど早々に諦めた。
中学2年生になって病気を発症する前に諦めた。
理由は簡単。
俺はそんなに強くも格好よくも、勇気も悪を憎む心もないから――ではない。
世界を揺るがすような悪事や、巨悪といったものがいないから――でもない。
悪を倒すような圧倒的な力や技術といったものが俺にないから――でもない。
危機を乗り越え最後には結ばれる美しいヒロインがいないから――――
はい、それ正解!
まぁ、なんつーのか。
簡単に言えば、女の子がいなかった。モテなかった。
空から女の子なんて降ってこないし、食パンをくわえた女の子と曲がり角でぶつかることもないし、「今日は転校生を紹介します」からの「あーお前は!」なんて展開もない。
いつも一緒にいた幼馴染の女の子もいないし、甲子園に連れてく女の子もいなければ、いじめられてるのを助けられて感謝する女の子もいない。
だから諦めた。
いや、詳しく言えば目指すべき方向性が変わったというべきか。
そう、つまり相思相愛のヒロインと末永く暮らす。
てかモテたい。
そこに行きついた。
いや、だって俺も男の子だし?
過程や方法はどうでもいいって、すごい人が言ってた。
だからモテたい。
その思いで、高校に入って1年。
頑張ってきたんだけど……。
「あっはっはっは! 相変わらずおもしれーな、高杉凛雄の妄想冒険活劇童貞浪漫譚は!」」
駒札高校の学食に響き渡る大声で、古賀内陽明が机をバンバンと叩く。
そのたびにテーブルにあるビフテキサラダセット980円にデザートのプリン120円とペットボトルのコーラが揺れて騒がしい。
ちなみに俺はかけそばミニカレーセット480円に水0円。
資本主義の格差を見た思いだった。
てか誰が童貞だ、誰が。いや……間違っちゃいないけどさ。
ただ機会がなかっただけだし。
「妄想じゃねぇよ。夢だよ、ヨーメー」
「同じだろ、レオ」
お互いにあだ名で呼び合い、陽明はさらっと受け流し、俺はぶすっとした。
凛雄、リオ、リオン、ライオン、レオ。
はぁ、本当に苦手だ。この名前。
「夢は自分の中の想いが具現化した姿だ。つまり夢とはその人物の持つ妄想の一種だって偉い人が言ってたぞ」
「誰だよ、その偉い人って」
「俺だよ。ありがたく受け止めろ」
「お前は過去の偉人に謝れ」
「だはー! さっすが親友、言う事が辛辣! 帰っていい?」
「無に還れ」
このやり取りもそこまで大きな声で行われてはいないが、それでも広くない食堂の視線を集めているのを感じる。
その理由はもちろん俺じゃない。
目の前にいる、古賀内陽明によるものだ。
金髪に学校指定のジャージにサンダルという、ぱっと見が完全にヤンキーで、はっきり言って全校生徒の誰よりも目立つ。
かといって陽明が問題児かと言えばそうではない。
市議会議員の父と弁護士の母の長男として生まれ、試験は常に上位、素行も良く学年問わず頼りにされることも多く、校内でトップクラスの美女を許嫁に持ち、剣道部のエースでもある男気溢れる完璧超人でもある。
『俺が自力で得たものなんて1つもないさ』
とは彼の言葉だが、それが謙遜に聞こえないのがまた小憎らしいと思う。
人見知りの俺が、それなりに楽しい学園生活を送れるのは、ひとえにこいつと友達になれたのが大きいだろう。
ただ、俺なんかがなんでこいつの友達なのか。
その始まりを思い出せない俺にとっては、長くない人生で一番の謎だ。
若干、引け目に感じるところもあるけど、まぁ問題にはなってないからいいだろうと割り切った。
「まぁつまりだな。夢ってのはお前の願望の現れなんだよ。ああなりたい、こうなりたい、こうでありたいっていう願い、願望、欲望といったものさ」
「それがなんだってんだよ」
「だからお前の願いだよ。悪い政府を倒す正義のヒーロー、自分を犠牲にヒロインを守る英雄ってやつなりたいんだろうよ。お前好きだろ、前時代の男らしさみたいなやつ」
「前時代ってなぁ……」
「男女平等の時代に、化石だろ。その考え方」
「うぅ……まぁ、嫌いじゃあ、ないような、そんな気分もするような感じの……」
確かにあの夢に出てきた俺は、格好良くて憧れないと言えばウソになる。
けどもう気づくだろ。
生まれて15年。
そんな存在になれない。ありえないということに。
「認めちまえよ。いいんじゃねーの、そういうの。貴重だろ。ラノベの主人公みてーで嫌いじゃないぜ」
「その設定、そのままお前に返すよ」
「馬鹿言うな。ラノベの主人公は投影型が多いんだよ。俺みたいなのは友人Aか、かませ犬のライバルだよ」
そう言って陽明は、やや自嘲気味に吐き出す。
それでもすぐに顔に笑みを浮かべ、
「いやいや、しかしこれで6回目か? 相変わらず大冒険だな、男らしいな、夢の中の凛雄くんは。こないだは、伝説の武道家だろ。あと軍隊の総帥として美人副官をはべらせてたし、ロンドンの名探偵になって可愛い助手と難事件を解決しまくりだったろ。カッコイイなぁ、モテモテだなぁ、高杉凛雄くん」
「うるせ。ここにいるのは虚弱なただの学生だよ。てかお前が言うと嫌みにしか聞こえないんだよ」
夢の中で自分を慰めるしかない俺と、現実世界でスーパーマンの陽明。
比べるのも馬鹿らしいと思う。
「そうそう、女みたいな体してんだから。ほれ、肉食え、肉」
言いながら陽明は、あろうことか自分のビフテキを、俺のそばつゆにぶち込んだ。
「あー、てめ! そばに肉入れるな!」
「なんだよ、肉そばくらいあんだろ」
「和と洋じゃ全然違うだろーが! デミグラスそばつゆとか何の拷問だよ! くっそー、最後に一気飲みするのが楽しみだったのに……」
「おいおい、これくらいで怒るなよ。男気がないぞ」
その言葉に体が反応した。
体、というか心、くさく言えば魂というべきか。
正直に言うと『リオ』という名前があまり好きじゃなかった。
親は『ライオンのように凛々しく雄々しく』という理由でつけたらしいが、どうも女性っぽく聞こえるからだ。
だからそう言われると、理不尽さと相まって後に引けなくなる。
「舐めるなよ。俺くらいの人間ならこれくらい行けるさ」
「ですよねー。さ、男らしい凛雄くん。デミグラスそばつゆ、一気飲みいこうか」
陽明はにやにやしながら、油が浮いてドロドロになったお椀を指さす。
くそ、確信犯だろ、こいつ。
誰かこいつに文句言ってくれ。ほら、そこの上級生! こいつを叱ってくださいお願いします500円あげるから!
しかし当然のごとく世間は冷たい。
俺の必死のアイコンタクトも意味をなさなかった。
はぁ、せちがらいな。
そんな世間の風に虚しさを覚えていると、別方向から援護が来た。