第15話 再転移
『凛雄ー、そろそろ起きなさーい』
母さんの声だ。
朝、いつもこの声に起こしてもらうのが、俺の日課。
俺にこの名前をつけ、そして俺を言葉で救ってくれた母親。
俺にとって恨むべき相手であり、感謝すべき相手。
いや恨み言なんて言えるわけがない。
俺をこの世に生み出してくれたこと自体に感謝しかないはずだ。
だからこそ、このモーニングコールも感謝すべき存在。
それに対して、俺は言ってやるんだ。
『あと5分……と35万8700秒』
「起きろ」
今日もまた聞こえる。
母さんの呼ぶ声が。
「おい、起きろ」
それでもやっぱり、いつもみたいに言うんだ。
「起きろ」
もうちょっとあと5分と39万……むにゃ。
「起きろっつってんだろ、この唐変木!」
「ふぁい!」
反射的に目が開いた。
だがまだ寝ぼけまなこで、視界が安定しない。
「母さん……?」
目の前にある白いもの。
母さんも色白といえば色白だったけど、こんなに白かったか?
「誰がてめぇの母さんだ。寝ぼけてんじゃねぇ」
え……。
女性っぽい、けど母さんとは全く違う声で返答が来た。
視界がクリアになっていく。
そして見た。
目の前にはウサギが1羽……ウサギ!?
「なんでウサギ?」
「あ? てめぇウサギでわりぃかよ。皮ひんむくぞ!」
ウサギが口をパクパクさせながら怒鳴る。
てかその周囲には、リスやら狐やら森のお仲間が勢ぞろいしていた。
なにこれ。
いや、待て。その前に色々問題があるぞ。
「う、う、ウサギが喋って……」
「うるせぇ! てめぇだって喋ってんだろ。なら俺様も喋ってることに何か問題でもあんのか、あぁん?」
「えっと、いえ……ないです」
そういうもの、なのか?
俺が悪いのか?
なんか納得いかないけど、怖いからやめておこう。
てかこのウサギ、口悪すぎだろ。一人称、俺様だし。
宇宙空間もあれば、死神のいる世界もあるんだから、動物がしゃべる世界もあっていいはずだ。
そう無理やり納得させた。
「って、ここ、どこ?」
左右を見渡して気づく。
ここはいつもの俺の部屋でも、室内でもない。
さらに言えば、今までいたはずの岩山の上ですらない。
緑豊かな草木が萌ゆる森の中。
その草のベッドに俺は横たわっていたようで。
「あーあー、おせぇおせぇ。てめぇ、戦場ならもう死んでるぜ?」
いや、戦場とか知らないけど。
「ちっ、張り合いのねーやつだ。おーい、モイラ様。目ぇ覚めたぜ」
と、ウサギが振り返って誰かを呼ぶ。
また動物のお仲間か。
そう思って俺もそちらを見る。
だがそこにいたのは、こいつらみたいな小動物じゃない。
はるかに大きい、俺よりも大きいこんもりとした毛の塊。
それがのそりと反応して、こちらに顔を見せる。
それはまさに――
「く、くくくく――」
「なんだ、ひきつけでも起こしてんのか?」
「く、クマ!?」
あるーひ。
もりのーなか。
くまさんに。
であった。
「とか言ってる場合じゃねぇ! 逃げろ!」
「おいおいおいおい、ちょっと待てよ。こら」
「く、クマだぞ! 食われるぞ! お前らも!」
「だーかーらー、落ち着けっと」
蹴られた。
ラビットキックだった。
痛くはなかったけど、うろたえまくった俺を地面に倒すには十分だった。
「はっ、そうか。ウサギが喋ってるんだ。ならクマも喋れる!? 説得可能!?」
「ちげーって。クマキチは誰もおそわねーよ。それより、モイラ様。いつまで寝てんですか!」
クマキチ?
そりゃまたフレンドリーな。
と、クマがその名前なら、モイラというのは――
「あーーーーもう。せっかく神が気持ちよく寝てんのに起こすなよ。これでも神だよ?」
と、ウサギ同様の口の悪い女性の声が響く。
その人物は、クマキチとやらの陰から、のそりと這い出すとこちらに向かって歩いてくる。
見た目はすらっとした高身長。モデル体系の色白の美人。
長くウェブのかかった金色の髪に、西欧系っぽい高い鼻に細長い顎が特徴的。
それだけ見れば、教科書で見た女神の絵みたいな、神秘的な美の化身とも思わせる。
そう、確かミロのヴィーナスだ。
だがその神秘を打ち消す2つの要素があった。
1つは服装。
それこそ、白系のドレスを着ればどこかの王女のような気品もあり、淡い色系のワンピースとかなら清楚なお嬢様といった雰囲気を醸し出すというのに、それとはまったく別軸のファッションだった。
パンクだった。
トップスは黒のだぼだぼのシャツで、なぜかチェーンがジャラジャラついている。
肩部分だけがむき出しになっていて、だけれど二の腕から手首にかけてはちゃんと生地が通っている。
肩だけ出すのに意味はあるのか……? ちょっと見とれてしまうのは確かだけど意味が分からなかった。
そしてボトムスはチェック柄のスカートに、長い脚を厚底のブーツで覆っている。
見事にその人物自身の見た目と、ファッションセンスが真逆で果てしない違和感――はない。
マイナスとマイナスが打ち消し合ってプラスになるように、いや、プラスとプラスでプラスか。
なんともまたマッチしてしまっているように見える。
けど、やっぱりヴィーナスからは程遠いファッションだった。
そしてもう1つは、
「ふわぁぁぁぁあ。あーねむ」
小さな口を大きく開けて、初対面の異性の前で大あくびする。
ヴィーナスがこんなことをしたら、そりゃドン引きだわ。
「へぇ、それが例の」
と、その美女が俺に気づいたようで、眠そうな瞳でジッと見入ってきた。
そこまで女性免疫のない俺だ。こんな美女に見つめられればそりゃもう硬直してしまう。
美女は、嘗め回すように俺を見ると、やがて興味なさそうに視線をそらし、
「ふーん、起きたんだ。おめ」
「あ、どうも」
……え、それだけ?
期待してたわけじゃないけど、なんかどこか肩透かし。
「モイラ様が声かけてくれたんだ。もっと平身低頭して敬え、人間」
なぜか脛をウサギに蹴られた。痛かった。
「よしなってぴょん吉。それでも重要な駒だよ」
「はーい」
と、美女の言葉に素直に従うウサギ。
駒?
というかもしかしてこのウサギ、
「ぴょん吉?」
「わりぃか! 愛くるしい俺様にはピッタリだろ!」
愛くるしい、のか?
まぁウサギだし見えなくもないけど。
口悪いし。柄悪いし。俺様だし。
「で? もう1人は?」
「まだそこで寝てますよ。ったく、眠り姫かっての」
そこまで言われて、ようやく気付いた。
「イトナ!」
見渡す。
すぐそこの草むらに寝転がっているイトナを見つけた。
どうやら眠っているようだ。
近づいて様子を見てみると、
「リオ、だめだって、こんなところで……」
……どんな夢見てんだよ。
多分、凛雄のことじゃなく、夢の中のリオなんだろうけど。
なんか俺までドキドキしてきたぞ。
とりあえずそっとしておこう。
「えっと、とりあえずありがとうございました? 助けてくれたんですよね」
どうやら崖から落ちた俺たちを保護してくれたようだ。
だからお礼を言ったわけだが、
「んー? いや、うちらは何もしてないよ。てかするわけないじゃん、んなめんどいこと」
え、いやめんどいって……それならどうしてこんなところに?
「君らが勝手にここに来た。そんで寝転がって勝手に起きた。それだけ。ぴょん吉らは気になって様子見てくれたみたいだけど。だからお礼するならそっち」
「そうだぞ! 死んでないかちゃんと見ててやったんだからな! 礼を言え、人間!」
いや、見てただけじゃん。
とは言えない。
だって怖いもん。
「えっと、ありがとうございました」
「誠意が足りない気がするが、まぁよしとしよう!」
腕を組んで満足そうにうなずくウサギ。
つかなんでこのウサギ、こんな偉そうなの?
「んじゃ、気づいたんならいいよね。わたし寝るから。んじゃ」
「え……ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待って、えっと、ください!」
踵を返して去ろうとする美女を慌てて制止する。
なんだかすんごいマイペースだな、この人。
「なによ。わたしだって忙しいんだから」
「いや、めっちゃ寝てたっていうか……」
「寝るのが仕事なの」
「そんな赤ん坊みたいな!?」
「めんどくさいなぁ、きみ。えっと、名前なんだっけ?」
「凛雄。高杉凛雄です。えっと、そちらは?」
「は? なんでわたしが君に教えなきゃいけないわけ?」
いやいや、そっちが聞いてきたんだから返すのが礼儀でしょうよ!
「はぁ。しょうがない。あとで色々言われるの面倒だし。こういうのは最初にきっぱり終わらせておくのが利口よね」
なんだか人として最低の発言が聞こえた気が……。
ただ、それはある意味しょうがない部分があったようだ。
だって、彼女は人じゃなかったのだから。
「えっと、運命の女神、次女のモイラです。よろしこー」
と、気だるそうに自称女神はそう言った。