第9話 襲来
理不尽が嫌いだった。
不平等が嫌いだった。
嫌なものは嫌だった。
なんで自分がこんな理不尽な思いをしなくちゃいけないのか。
なんで自分がこんな不平等な仕打ちをされなきゃいけないのか。
そう想い、世を呪った。
まぁ、早い話がいじめられたのだ。
小学校から、中学校の途中まで。
今思えば、どうしてあんなことを気にしていたのだろうと思うけど、当時はそれがとても大事で、辛かった。
救われたのは母親の一言だ。
『そんなの、それがどうしたんだ、へんっ! って跳ね返してやればいいのよ!』
正直、何の解決策にもならない部外者からの意見に他ならないが、当時の自分には衝撃的だった。
それで少し勇気を出してみたら、少し世界が変わった。
母にはすごく感謝したものだ。
けど、それは逆に言えば、
跳ね返すための努力をしなくちゃいけないわけで、
嫌なものは嫌なわけど我慢しなくちゃいけないわけで、
理不尽は理不尽なのを受け止めなくちゃいけないわけで。
なんとも煮え切らない思いもあった。
当時の自分が救われたのは確か。
だが、同時にそんなマイナスの感情が、おりのように心の奥底に沈殿していったわけで。
だからか。
たまにどうしようもない怒りというか、反骨精神というか、そういったものが首をもたげるのは。
あんな反政府組織みたいな夢を見てしまうのかも、そのせいかもしれない。
ともあれ今もそうだ。
聞かず、知らず、考えず。
自分だけの世界に拘泥して、周囲を拒絶し傷つける。
そんなイトナの理不尽が許せなかった。
いや、何より。
今のイトナは昔の俺だ。
理不尽と不平等に悩まされ、嫌なものを嫌と言えない状況の俺。
だから助けてやりたい。
母がそうやったように、俺も誰かを救えるようになりたい。
それが理不尽な世界に対する、俺なりの反骨精神というわけで。
だから走る。
走ってどうするかは考えない。
けど走る。
その先に滅びがあったとしても、死が待っていたとしても。
そして――
「リオ……ごめん」
イトナがそうつぶやくと、
「……え?」
崩れ落ちた。
どさっと、質量を地面にぶつけた。
…………え?
地面に倒れるイトナを見て急停止。
怒りがすかされたような、こぶしを下ろす場所を見失ったような、急展開に思考が追い付かない。
いや、そんなこと思ってる場合じゃない。
「お、おい。大丈夫か?」
慌てて駆け寄り、倒れた彼女を引き起こす。
そこは少しうつろな目を宙に投げるイトナがいて、
「体が……重い」
「重いって……なんか病気か!? くそ、どこか医者……って何もない!」
「違う……重い、の」
重い?
どういうことだ?
何も重さなんてないはずなのに。
あんな無重力でピョンピョン飛んでたやつが何を――
「あっ」
そこで気づく。
彼女は宇宙にいた。
夢で見たのも無重力か低重力で、それはつまり無重力の生活に慣れていたということ。
それが今、こうして地上にいる。
今自分がそれほど重力を感じていないということは、ここは1Gと言える。
それが普段から無重力とかに慣れているイトナにはかなりのGということだろう。
だから体が重い。
自重を維持するために、かなりの労力を必要とする。
そういうことか。
とはいえ、だからといってどうしようもない。
休ませるにしても、ここには生活の匂いが全くしないわけで、このままなら動けないイトナどころか、自分自身も飢えと渇きのまま死んでいくしかないのだ。
そうだ、思い出した。
まずはそこをどうにかしないと。
急に色々起こったせいで半ば忘れていた。
道連れが増えたものの、なんの解決もないこの事象に、そろそろ展開を加えないと。
そう思っていると、
「なに、あれ……」
ふいに空を見上げていたイトナが、苦しそうにつぶやく。
「ん?」
つられて視線の先を見る。
空があった。
雲1つない青空。
こんな晴天、どれだけぶりだろう。
それ以前に空を見上げることすら最近なくなっていた。
けどこの晴天のどこにイトナが注意を喚起されるものが――いや、あった。
晴天の中に、目立つ黒いしみ。
いや、しみではない。何か物体だ。
それがどんどんと近づいてくる。
それが分かるのは物体が次第に大きくなってくることで、それがとても奇異な見た目をしていたと気づいたからだ。
「なんだ、あれ……」
イトナと同じ、いやそれ以上に間の抜けた声を放つ。
だがそれに答える声はない。
おそらく陽明がいても解答を導き出せないだろう。
なんていっても、その物体はこれまで俺が、おそらく全世界の人が見たことのないもの。
いや、イメージとしてはあった。
古来よりその姿が、姿形は変えども、綿々と受け継がれてきているのは否定しようがない。
だからこそ、その物体を、その似ているものに
「死神……」
そう呼ぶにふさわしいいで立ちの物体は、黒のぼろを頭からかぶっているため、正確な姿形は分からない。
だが両手に持つ、これまた巨大で鋭利すぎる鎌を見れば、死神と形容する以外のものはない。
どうなってる。
夢の中の人物が出てきたと思ったら、今度は空想の化け物が出てきた。
前者が実在するのだから、後者も実在するというのが論理的だが……そもそもの定義が全然論理的じゃない。
走馬灯とは、ただ思い出が流れるだけじゃない。
死の直前にこれまで経験してきたものの中から回避策を模索するために脳がフル回転しているのだ。
これは陽明から聞いたこと。
あぁ、これが走馬灯なんだなぁ。
なんてどうでもいい現実逃避にふけっている間に、事態は進行していた。
『人類ヲ発見。コレヨリ排除ヲ開始シマス。排除ヲ開始シマス』
「え?」
機械音のような声。
いや、ていうか機械だ。
ぼろからのぞく、鎌を持つ手があからさまに鋼鉄製。
そして足もなく、なんで浮いているのかと思えば、ぼろの下から何かを噴射しているようなものが見える。
てかぼろが風にはためいて、チラ見できた。
バーニアだった。
ロケットとかロボットにつきものの、バーニアがめっちゃついてた。
「……死神じゃなくて、ロボじゃねぇか!」
『排除、排除』
ツッコんでみたものの事態は変わらない。
死神型のロボは、鎌を振り上げてこちらにどんどんと迫ってくる。
機械音が言う通り、排除とはまぁ明らかに友好的なものじゃない。
その鎌で何をするのか。まさか地面を掘って水源を当ててくれるはずもない。
狙いは間違いなく俺たちの命。
くそ、一難去ってまた一難とか、そんな主人公じゃないだろ、俺!
「イトナ、逃げるぞ!」
「え……何?」
ダメだ。
今のイトナは感情のジェットコースターで頭が機能していない。
何より重力に侵されてまともに動けない。
「ええい! しょうがない!」
背に腹は代えられない。
ぐでっと倒れるイトナを無理やり立ち上がらせる。
そのまま背負って逃げようという算段だ。
俺、こんな体育会系じゃないのになぁ!
と、その時地面に落ちていたイトナのブラスターが目についた。
一瞬の迷い。
けど彼女がこれをとても大事にしていたこと、それから何かしら武器があった方が心強いと思ってそれを拾ってズボンのポケットに入れた。
「おい、しっかりつかまってろよ!」
「……うん」
すっかり元気をなくしたイトナは、なんとも従順で大人しい。
てかぎゅっとされた。
背中に何か弾力のあるものが押し付けられた。
考えるな!
今は逃げることに集中!
『排除、排除』
背後から無機質な機械音が聞こえてくる。
くそ、夢の中といい、この機械音ってのはどうも苦手だ!
走る。
全力で。
迫りくる理不尽という名の文字通りの死から逃れるため。
ひたすらに、俺は理不尽に抵抗するのだ。