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貴方が心配なんです

 ばしゃぁ、という音とともにライラの制服が濡れた。

 「……あ」

 女子トイレに入っただけでこれだ。バタバタと慌ただしい足音とともに、低俗な哄笑が響き渡る。

 「ちょっと~マジでそれはヤバいって~」

 「いいでしょ。どうせ誰にも言わないだろーしさ」

 「マジ酷くね~?」

 醜いなぁ。

 ずぶ濡れになったブレザーを腰に巻き、比較的無事なワイシャツ姿になる。正直慣れすぎていてダメージなどある訳がない。

 フィクションの中では、いじめっ子と言うのは醜く書かれているのがお約束だ。果たして彼らはそれらのような醜い役回りを好んでやろうとするのだろうか。何度考えても彼ら、彼女らが愚かで馬鹿だからという結論にしか至らない。

 馬鹿に構う暇はない。

 私は、私の大事な人たちのためだけに生きよう。

 スカートをめくり、痣だらけの太ももを露出させる。

 「ガーナットにバレたくないなぁ……」

 理由はないがなんとなく嫌だった。こんな傷だらけの体が露見したらそれだけで死ねる。ゼロ部隊の皆には、ただ綺麗な私だけを見ていてほしい。

 彼らを欺いているということなのかな……?

 そう考えると若干罪悪感が頭をもたげるが、よく考えればガーナット達にも秘密の一つくらいはあるよねと自己正当化しておいた。だんだん自分の性格が悪くなっている気がする。

 ま、いっか。

 トイレのレバーを引き、濡れた髪をかき上げたライラの頭には、今日の夜ご飯は何にしようかな、というプチ議題が持ち上がっていた。


 ユースティア学園前に出ると、ゼロ部隊の運転手――ザグロが出迎えてくれた。不審に思われないためにスーツまで着こなしている彼は、一見するとビジネスマンのような風格が漂っていた。

 「おかえりなさいませ、ライラ様」

 「様付けは必要ないですよ、ザグロさん!」

 大慌てで両手を振るが、ザグロは「そういうわけにはまいりませんから」と眼鏡を押し上げた。

 一礼し、助手席に座らせてもらい、シートベルトを着用する。

 車は交差点を通過し、みるみるうちに大通りからわき道に逸れていく。

 ザクロは基本運転がゆったりしていて乗り心地が良い。バッカス曰く「俺たちを乗せてる時は荒いのに」と愚痴っていたため、ライラ限定なのだろう。それもちょっと嬉しかったりする。

 「今日も変わりありませんでしたか?」

 「楽しかったですよ。ザグロさんはどうでした?」

 「貴女がいないとガーナット様のお守りがいないので一苦労です」

 「あー確かに気性は荒そうですもんね」

 「荒そう、ではなく、実際荒いんですよ。貴女が来る前は些細なことでよくブチギレてましたし。隊内の雰囲気良くなりましたよ、ライラ様が来てから」

 「そうおっしゃってくださると嬉しいです」

 ガーナットがキレたところを実は一度もライラは目視していない。通常むすっとしているか、凶暴そうな顔に見合わず気だるげな無表情をしていることがほとんど。ただザグロの言う通り、他の隊士からは恐れられているので、相応のキレ方をするのだろう。

 「……学校では、何かされたりしておりませんか?」

 基本的にハキハキとした物言いのザグロの口調が、ややこわばっていた。

 学校。

 先ほど、水道水か何かを上からぶっかけられたことが頭をよぎる。なんでそういうことを聞くんだろうと疑問を持つが、よく考えたらガーナットと出会った際、自分はクラスメイト――もう死んでるから元、がつくが――に強姦されそうになっていたし、当然気にかけてくれているのだろうと察する。

 別に深い意味があって聞いたわけではないのだろうと踏み、不自然にならない程度に会話を繋げる。

 「いたって平穏そのものですよ」

 「ならばよろしいのですが。虚偽の内容を報告したら、私がガーナット様に殺されてしまいますので」

 さすがに殺さないだろう……とは言い切れない。まるで蟻を踏み潰すように三人も躊躇なく殺している男なのだから。

 「そんなことにはなりませんよ、ザグロさん」

 ちらりとザグロの顔色を盗み見るが、無表情のせいか、ライラの言葉をうのみにしているかどうか判断がつかない。眉一つ動かしてくれると嬉しいのだけれど。

 車両は細道を通過し、山道に入りかけていた。ガタゴトと振動が尻に伝わり、車両が上下に揺れ動いていく。ゼロ部隊の本拠地まで、後十五分ほどだ。

 「あ、それと」

 思い出したように、ザグロが忠告した。

 「今日はガーナット様にお会いすることはできませんので、自室にて勉学に励むようお願いいたします」

 「どうしてなんですか?」

 「傷のほうがひどいとおっしゃっていましたので。とにかく、入ってはならないと」」

 怪我。

 ガーナットも殺人鬼である前に人である。しかもテログループに所属しているのだとしたら、当然負傷は免れないであろう。

 「……他の隊士達は?」

 「前線に出たのはガーナット様だけでしたので」

 「そう」

 何をやったか、とは聞かない。それはガーナット達の領域なのだ。それに、負傷者一人のみで済んだレベルならば、ニュースになるほどのものではないだろう。

 「危なっかしいですね、ガーナットは。普通部下を伴うのでは? 幹部なのでしょう」

 「彼はあまり人を傍に置きたがりませんからね。貴女の存在が稀有なだけです」

 「……」

 協調性がなさそうなのはわかっていたけれど。

 「もう少しで到着しますよ」

 「はい。ありがとうございます、ザグロさん」

 山岳の麓に、古ぼけた部隊のアジトが望める。

 ガーナットは、今苦しんでいるのだろうか?


 夜のとばりが支配した空色になり、夕食を振舞う時間になっても、ガーナットは訪れなかった。ちらちらと食堂の入り口の様子を伺いすぎて、バッカスから「まるで恋する乙女見たいぜよ!」と野次られるほどだ。

 「ガーナット様のことが気になるのかい?」

 ありがたいことに給仕の手伝いをしてくれるカーター(最近は隊士の有志が日替わりでライラの給仕を補助してくれるのだ。買い物はもっぱら彼らの誰かが行ってくれることが多くて助かっている)が優し気に尋ねてきた。

 「怪我したと聞いたので……」

 「君は彼の部屋に入っちゃいけないよー」

 「それ、ザグロさんにも言われました。ガーナットのお世話って誰がしているんですか?」

 「誰もしないよー」

 それは、いささか冷酷ではないかと思ったが、彼はそれを察したらしい。

 「部屋に入ると殺されかけるからねー。暴走と言うのかわからないけどー」

 暴走。

 お代わりを請求した隊士の皿にハンバーグを乗せながら、もくもくと不安が頭に立ち上っていったのを感じる。

 そんなひどい状態の彼を、果たして本当に放っておいても良いのだろうか。

 食事を終え、何十枚の皿を片し終えたあたりで、カーターは「今日もお疲れ様。また明日ねー」と手をひらひら振って帰っていった。

 「……ご飯だけは、持って行った方がいいよね?」

 負傷している状態で、夕飯を抜くのはさすがに治りに響くのではないかと思うのだ。

 余った米を使い、簡素であるが雑炊を作ることにしよう。ザグロやカーターに忠告はされているが、さすがに看過できない。

 先ほどと異なり水を打ったように静まりかえっており、ライラはトレーに雑炊を乗せて食堂を出た。

 コツ、コツ、人気のない廊下を歩く。一番の難関であった隊士達のたまり場でも、誰にも声を掛けられることなく通過できた。幹部達の会議室も閉まっていたため楽々バレずに済む。

 角を曲がった先に、ガーナットの自室があるのだが、ライラはそこで足が止まってしまう。

 扉の前の床に、赤い斑点ができていた。出血痕跡だろう、変色していないため、かなり新鮮な血液らしい。

 少しだけぎょっとするが、さすがに負傷しているから当たり前だ、怖がるなんて逆に失礼だと自分に言い聞かせる。

 ……というか、ガーナットって起きているのかな、と今になって思いいたってしまう。

 これほどの重傷なら睡眠をとっている可能性だってあるのだ。

 扉の前に立ち、どうするべきか思案するが、どの道ここで立ち続けてしまえば雑炊だって冷めてしまうし、何より時間の無駄である。

 ノックしてみよう。

 帰ってこなかったらさっさと帰って自分で消費すれば――。

 『誰だ?』

 びくっと肩が揺れ、雑炊が危うくトレイから飛び出しそうになった。冷え切った声色。……けど、どこかしんどそうな声色。

 「が、ガーナット」

 いつものけだるげで、それでいてハリのあるガーナットじゃない。本能的に弱っているのだろう。やはり来て正解なのではないか、とライラは自分の選択肢に確信を持った。

 『……ライラか』

 何しに来たんだ、と疎んじるような話し方に、ライラの内臓が冷える。今まで彼からそのような口調で物事を告げられた経験がなかったからだ。無意識に彼に甘えていた事実に、いまさらながら気づかされる。

 「……えっと、ご飯、食べないかな~と思って」

 『食べねぇ』

 即答。

 「……じゃ、じゃあ、怪我の具合とかは? 医療の知識ないけど、できるだけ頑張るよ?」

 『いらねぇ』

 有無を言わせぬ口調。……わかっている、頑張る、だけでは人は守れないし、回復などしやしない。理性ではわかっているけれど。

 それでも私は、ガーナットの役に立たなければいけないのだ。

 『さっさとどっか行け。今日は話せる精神状態じゃねぇんだよ』

 「……わかった。また明日ね! ゆっくり休んで! あ、あと何か所望する物があれば呼んでね! なんでもするよ私!」

 嫌われたくない。

 疎まれたくない。

 捨てられたくない。

 もし、貴方までいなくなってしまったら――。

 嫌な汗が頬を伝い、両手で支えているトレイが揺れる。

 『……テメェと言う奴は』

 「ご、ごめん」

 『怒った訳じゃねーよ。ただ、安易に何でもするとかいうんじゃねぇよ』

 ライラの声色の怯みを察したらしい、口調がほんの少しだけ――本当に少しだけど優しくなった。

 「わ、分かった。じゃ、また明日行くから!」

 『数日間は入ってくんな』

 「そんなに傷が痛むの?」

 ガーナットは意外なことに押し黙った。まるでなんて答えるかどうか逡巡しているようで、直観的な彼らしくもない。

 『精神的に参ってんだよ。放っておいてくれ』

 「……わかった。おやすみなさい、ガーナット」

 返答はない。トレイを持ち、ライラは元来た道を引き返す。

 こういう時に限り、頭によぎるのは学校で受けた低レベルないじめの数々。

 ライラは自らに割り当てられた自室に引き上げる。

 嫌な動悸が止まらない。

 「どうしよう……」

 自室の扉を閉め、ライラは暫く立ち尽くす。

 嫌われる。

 嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。嫌われる。

 どうしたらいい。

 どうしたら、ガーナットに嫌われずに済む?

 どうしたら――。

 「……」

 ライラは机に置かれた鏡台を見る。

 鏡の向こうから見返す自分の瞳は、ひどく濁り切っていた。

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