眼球のどこが良いんですか?
ライラ・アトラスは時間が空けば料理の研究やら家事、雑用などをこなしているが、深夜近くになると大抵手が空く。
「ガーナットのお布団はあったかいですね」
そんな時は勉強を進めるか、明日のレシピについて考えるのだが、三日に一度くらいの割合でライラはガーナット・ファイルハルトの部屋を訪れる。彼は恩人であるし、何より隊士達がライラがガーナットの近くにいると理由は不明だが喜ぶのだ。
「勝手に男のベッドに入るんじゃねぇよ。制服に皺がつくぞ」
にこりともしないガーナット。初めて会った時の狂気性は鳴りを潜め、寧ろかなり冷静な様相を呈している。身内に対してはこんな感じなのだろう。同時に私も身内だとカウントしてくれたことは、内心嬉しい。
しかしそんな彼が向かい合っているのは、おびただしい数の眼球である。全てホルマリン漬けにされており、レプリカ何かのようだ。
彼が向き合っている机に隣接するベッド。そこにライラは腰を下ろし、彼の横顔と眼球を眺めている。
「ガーナット」
「……なんだ」
ぎろりと視線だけがこちらに向かう。
「どうして眼球を集めてるんですか? 私からは全部同じに見えます」
「……知ってどうすんだ」
「雑談したいなって。ほら、私、あまりガーナットのこと知らないから」
強姦されそうになったところを助けてもらってから、ガーナットとはあまり話していない。大抵彼がつっけんどんな物言いをし、ライラがそれを受け入れるという方式が成り立ってしまっている。ただアジト滞在時には大抵食堂に来てくれる。
「どうして助けてくれたのかもまだ知らないですし」
銀髪の髪から覗く金色の瞳を覗き込んでいると、ガーナットはため息とともにこちらを向いた。
「眼球は感情がねぇからな」
そりゃそうですよね、という言葉を飲み込み、ライラは続きを促す。心底面倒くさそうにガーナットは眼球が入った容器の一つを取る。
「例えばよくお前と話してるカーターとバッカスを殺すとするだろう?」
「それは絶対やめてくださいね」
「仮定の話だ。俺も戦力になる奴は殺さねぇようにキリカに言われてっからなぁ。で、死んだ人間は何も言わないし何も思わない。含みも嘘も何もねぇ。だから集める」
「ふ~ん」
分かるような、分からないようなふわっとした返答。
「つまりガーナットは誰かに何かを言われたくないということでしょうか?」
「理解は求めねーよ」
ライラが良く理解できていないことを悟ったらしいガーナットがフォローする。
「理解したいとは思ってるんです。ガーナットのこと」
「……お前、そういうこと他の男に言うなよなぁ」
「何で?」
「なんでもだ。というか、ずっと気になっていたんだがよ」
再び眼球の方に視線を移したガーナット。
「お前、俺のこと怖くねぇの? 普通ビビんだろ。何平然にやってんだ?」
ライラはベッドに転がりながら、彼の金色の瞳を見つめる。当然心理学者でもないので彼が何を考えているかはわからない。
「怖がられたいんですか?」
ひょっとして威厳の問題なのだろうか。確かにガーナットは一見すると怖いし、いや、やってることも怖いけど。
「……そうは言ってねーだろ」
「けど趣味は悪いと思いますよ」
幾度もここに訪れているが、ガーナットは眼球を愛でたり、時折ライラの話にも耳を傾けてくれたりしてくれた。そして今の所、彼がライラを傷つけようとしていない。
「初めてだったから。私と対等に話してくれる人って」
だから全く怖くありませんと断言すれば、ガーナットは相変わらず何を考えてるかわからない無表情のまま。
「……お前、すぐ騙されるタイプだろ」
「な、なんでわかるんですか!」
ガーナットは仏頂面のまま再びこちらに向き直り、その大きな掌をライラの頭にのせた。そのままサワサワと頭を撫でられ、ライラはしばし硬直する。
「お前は俺の近くにいりゃいい」
その時確かに、ガーナットの口元が緩んでいて、ライラは柄にもなく口を噤んでしまう。
この人、黙っていたらそこそこイケメンじゃね?
ふと気づいてから、かぁああと顔に熱が集中していくのを感じる。素性に目を瞑れば、イケメンと二人きりで、頭を撫でられるという美味しいシチュエーションなのだ。
「……? 何だ? この部屋暑いか?」
「え! い、いや全く」
上ずってしまう声に、自分は本当に腹芸とかできないんだなぁと悲しくなる。一々顔に出ちゃうのだ。
「ならいい」
ふわりとガーナットが掌をライラの頭から離す。
「顔が赤い。食堂の主を気取るのも良いが健康的な生活はしておけよ」
再び鉄面皮に戻るガーナットに、ライラはあ、この人無自覚だと悟る。成程、戦闘技術に脳みそのリソース割き過ぎて女性に対する扱いに特段意識していないパターンね。
まあ私も彼に対しては優しい以外の感情は持ち合わせていたのだけれど。ただそうやって頭を撫でられるのが初めてだから緊張しただけだし、と誰にむけてか知らない言い訳をしてしまう。
「ガーナットの頭も撫でたげる!」
「あ! お、ちょいお前!」
スプリングをビヨヨンと跳ねさせ、ライラはガーナットの銀色の頭に手を乗せ存分にモフる。彼の長い髪は、やはり女性の私と異なり、刺々しい感触だった。
「お返しですよ、ガーナット!」
「おいやめろ! 男の撫でても面白いもんねーだろうが!」
「いえいえ! その動揺っぷりがとっても!」
「テメェという女は本当になぁ」
「ライラですー!」
ほら、こんな風にからかってもガーナットは普通に受け入れてくれる。
ひとしきり彼をいじってから解放すると、乱れた髪を手櫛で整え始める。
「ごめんなさい。けど楽しかったです」
「……そりゃよかったな」
恨みがましい目で見つめるガーナットに両手を合わせて謝るライラ。
「大体お前という野郎はな――」
あきれ顔の彼が説教を始めようとした時、タイミングが悪く、部屋をノックする者が現れる。
「……入れ」
彼の声色が一オクターブほど下がる。
「はい……あ、す、すみませんガーナット様。お楽しみ中とは知らず――」
お楽しみ中。……クスリとついライラは口に手を当てる。どうやら勘違いされているようだ。まあ確かにこの部屋は椅子が一つしかないから、定位置がガーナットのベッドだし、とライラは自己分析する。
「してねーよ」
苦虫をかみつぶしたような表情に、隊士達の背筋がより引き締まっていた。
「も、申し訳ございません!」
「で、要件は?」
「キリカ様がお呼びです。次の任務地についてのご相談があると」
「ッチ。んな下らねーことで呼び出すんじゃねーよクソアマ」
「ガーナット、キリカちゃんの悪口は駄目です」
「……お前、キリカちゃんって呼んでんの?」
ドン引きする彼に、ライラはそうですよ、と頷いた。実は数日前にライラはキリカと二人で所謂女子会をした。その時に隊士の話や授業の話などで華を咲かせ、互いに「ライラちゃん」「キリカちゃん」と呼ぶ仲になっていたのだ。いや、あいつちゃん付けできるような清廉な女じゃねーだろと愚痴るガーナット。二人の隊士も目を白黒させていたが、やがてガーナットの召集を再び告げ、彼は渋々と言った体で席を立った。
「ライラはさっさと自室に戻れよ。それと眼球には触れんな」
「分かりました。おやすみなさい」
小さく手を振るも、ガーナットはジロリと見返すだけでそのまま部下を連れ立って扉を閉めた。
残されたのはライラは、ガーナットの足音が小さくなっていくのを確認し、再びベッドに転がり込んだ。そのままもふもふの布団を胸までかけて目を瞑る。
戻れとは言われている物の、ガーナットの部屋の方が居心地が良いのだ。机の上に置かれている眼球を見て見ぬふりして、もうちょっとだけここにいたいと願ってしまうのは我儘だろうか。
「――明日は、チョコ饅頭を作ろうかな。表面にはチョコを塗って瞳孔っぽくコーティングして……」
頭の中で朝ご飯のデザートについて考えるライラは、明日ガーナットがどんな表情でそれを食すんだろうとにやけてしまった。
「遅かったな、ガーナット」
「よぉキリカちゃん(笑)」
「……ライラだな」
部下二人を従えたガーナットは、会議場の席に両足を机に放りだした態勢で座る。キリカは正面で分厚い本を読んでいる。表紙に『新約聖書』と書かれているのを見、すぐに興味を失う。生憎無神論者なのだ。
「で、何? 仕事?」
「西方に所属している『赤』と言うテロ部隊とコンタクトを取りたい。著名なお前なら、話を聞いてくれる余地があるからな」
「んなことなら明日話しゃいいだろうがよぉ。なんでこんな夜更けに呼び出すんだよ」
「この時間に君がライラと会っているんじゃないかなと思って」
カチャリと言う音とともに、ガーナットが拳銃を抜く――が、彼女もこちらへ銃口を向けていた。
「妙な勘繰りじゃないさ。……彼女について話そう」
「テメェと話すこと何もねーよ」
「彼女と接して、どう思った?」
キリカの声色が少し真剣なものになる。あーこういうモードのキリカは絶対話を中断できない。ガーナットはそれを経験として知っている。
「……テメェは女子会したんだろ」
「あぁ。それを踏まえたうえでお前と話したい」
キリカが拳銃を収め、ガーナットも無造作にそれを机に投げ出す。ガチャンという重い音とともに拳銃が机に飛ぶ。
「今一度問う。彼女と接して一か月、お前はライラをどう思った」
溜息を一つ吐き、ガーナットは机から両足を下ろした。先ほどぐしゃぐしゃにされた銀髪を掻き上げ、初めて好奇心に満ちたキリカの双眼を見返す。
「……現『ゼロ部隊』の中で最も異常な女、だとは思う。多分本人は意識してねーだろうが」
「お前は殺人中毒者だが、やはり勘が良いな」
ガーナットは多くの人を殺してきたが、それだけ人間の深層心理に聡い自信がある。そんな俺が下した結論。そして目の前にいるクソアマも同じことを直観しているというのならば、それが正しいのだろう。
「クソアマ。お前、ライラの制服姿以外を見たことある――あ―違うな。……ライラの半そで姿を見たことあるか?」
「ガーナットはないんだよな」
「大体普通あり得ねーだろう。一、テロ部隊に異常なほどに良好なコネクションを築ける。ニ、この『眼球狩り』である俺や頭取のクソアマに懐く。三、これは俺たちの活動をよく知らねーからかもだが、俺達に敬愛を示し、そして警察機構や一般的正義に準ずることなくここへ留まり続ける」
平凡に見せかけた異常。そして殺される危険を恐れることなく関りを保とうとする、コミュ強。
司令官座りになるガーナットは、多分自分の自室で寛いでいるであろうライラの姿に思いをはせる。
「彼女の生活について今一度探ってみろ。別に探ったところで排斥する訳じゃねぇが、知らねーと気持ち悪い。代わりに『赤』との交渉はしてやる」
「……まあ同性の私の方が動きやすい、か。良いだろう。交渉は頼むが、殺すなよ」
「心配いらねぇよ。ライラ以上の綺麗な眼球は滅多にねぇからなぁ」
赤の他人ならまずぶち殺していた。
「全く……お前は本当に眼球のことになると――」
「心配すんなよ。あいつは、俺の保護下にいるんだからよ」
「……行け」
「ぎょ~い~」
部下二人を置いて、ガーナットは一人会議場を立ち去り、そのままスマホを取り出す。連絡先はカーターとバッカス、そして運転係のザグロ。
手短に連絡を済ませ、ガーナットはようやく自室に入る。
「……自室に帰れっつったろうがよぉ」
すやすやとベッドを占領して眠りについているライラを見下ろし、ガーナットは布団をはぐ。
制服のワイシャツのボタンをいくつか外し、肌を露出させる。黒いブラジャーにがあるだけで、キャミソールも何もない、色白で、あばらが若干浮き出た細い肢体。
一か月間、彼女は色々なものを作って振舞って、また自らも食べた。
そのうえで、この細さ。
推察でしかないが、一か月前は栄養失調になりかけていたのではないだろうかと思うほどに、彼女は細かった。
「……まぁ、予想はしていたけどなぁ」
あちこちに残る痣や切り傷、凄惨な暴行の痕跡。
すやすやと能天気に眠るライラを見下ろし、ガーナットはライラの頭を撫でた。
「……んん……ガーナット……」
こいつ、寝言まで俺の名前を呼ぶのかよ。
「異常だなぁお前と言う奴はさ、ライラ」
夜はさらに更けていく。