いつの間にか馴染んでて
アジトには幹部、部下を合わせて四十六人いる。しかし誰も彼もが戦闘民族、脳筋の集団でしかなく家事はまっぴらできない。無論食料は各自どっかの店で購入し、常に食堂は閑古鳥が鳴いている始末だった。
ライラがここ『ゼロ部隊』に滞在するまでは。
「ライラちゃんお代わり!」
「おいテメェずりーぞ!」
「ライラちゃんシチューどれくらい余ってる?」
「じゃあ俺はカレー! カレーが食いてぇ!」
「おい押すな! 俺が先に並んでただろうが!」
十数人が食堂のカウンターを押し掛ける中、ぐつぐつと幾つもの大鍋を管理する女性が一人。
「カレーは余ってます。けど福神漬けは在庫切れなのでご容赦を! では整理番号十二番の方、注文をどうぞ」
三角巾を身に着け、せっせと夜ご飯を提供するライラ・アトラスだった。汗をかきながら大鍋をかき混ぜ、順当に隊士にお代わりをよそって行く。
「大盛況ですね、キリカ殿」
正面にいる副官パク・ミンジュンはカレーを食べ、ゼロ部隊頭取であるキリカ・ウォッチオは「そうだな」と答えつつシチューを口に運んだ。
「ガーナットも良い拾い物をしたものだな。……と言うか美味しい」
「手作りなんていつぶりでしょう。『ゼロ部隊』結成後以来では?」
そんなことはないと言おうとし、それが否定できないことに気づく。
ライラが『ゼロ部隊』と学校を行き来しだしてからはや三週間。
最初こそ未成年かつ非力な女性を匿うのはどうかという意見が多数であったが、いつの間にか普通に溶け込んでいる。
ライラは言葉通り雑用などは勿論、毎日の朝ご飯と夜ご飯、日曜日の昼ご飯を作り――平日の昼は学校に通っているため不在――、それが思わぬ大盛況ぶりを発揮している。
アジトの衛生も格段に良くなった。
最初は埃や血の跡が残っているような荒んだ風景だったが、今は清潔に保たれている。埃でせき込む者も、シミを見る機会もなくなっていた。
「頭取」
その時、一人の中堅隊士が書類を持ちながら報告しに来た。
「やぁ、ザグロ」
ザグロ・エリライ。ライラを学校とアジトまでを繋ぐ運転手に抜擢されたやり手だ。
「今のところライラが警察やそれに準ずる組織に通じてる様子はありませんでした」
武骨な顔立ちに反し、彼は頭脳ワークが得意なタイプの隊士である。浅黒い肌には、インテリめいた切れ長の瞳が映っていた。
「そうか」
予想通り、ライラは『ゼロ部隊』を探る意思はなさそうだ。寧ろ。
「シチューのお代わりこれ以上できません!」
楽しそうに怖い顔面をした大柄の男達と交流するライラ。
「まあ、驚くべきことじゃないな。あんな溌溂に働いてるのだしな」
「キリカ殿もほだされてませんか?」
「ぶっちゃけると妹が欲しかった」
「これは中々ぶっちゃけましたね」
最初は反対していたのにとパクに茶化され、キリカはそれはそれ、これはこれと返す。キリカは殺人中毒者まみれの隊士のことはほとんど無関心である。幹部連中も互いに互いを異常者だと嫌悪しており、お世辞にも連携や統率がとれているとは言えない。
だからだろうか、この組織にそぐわないようなライラの存在に癒されるのだ。
パァンと言う音とともに、食堂の扉が開かれる。静まり返る食堂の隊士達。
ガーナット・ハイルファルト。通称『眼球狩り』。部隊の中で最も凶悪で残虐な殺人中毒者。
静まり返った食堂を、ガーナットはずんずんと進んでいく。
その姿は警察はおろか、同部隊に所属する隊士にすら恐れられている。
そんな中、ライラが異変を感じ取り鍋から食堂の方を見やり――。
「ガーナットさん! 今日はカレーが残ってますよ」
隊士数名が驚いたように互いを見やる。
それはそうだろう、あのガーナットに気軽に接する者は幹部を含めていない。キリカも会話はするが大抵険悪になったりすることが多い。
なのに、ライラはまるで一般人と会話するような軽快さでガーナットと接するのだ。
ガーナットは無言のまま、睨みつけるような眼差しでライラを見やる。
「何してんだぁ? 女」
「給仕の真似事です。皆さんのお役に立ちたいので。それと女じゃなくてライラと呼んでくださいよ」
屈託のない笑みに、実はここにいる隊士の中で最も豪胆なのはライラではないかとキリカは直観する。ガーナットが列を作っている隊士達を押しのけ前に出てくると、ライラが「あ、ガーナットさん」と人差し指を上げた。
「列はちゃんと並んでくださいね!」
食堂のどこかで誰かが噴き出した。キリカもニヤリと笑ってしまう。ガーナットに表立って意見する者など、『ゼロ部隊』結成から一人もいなかったし。
ガーナットがぐるりと首だけ後ろへ向ければ、再び静まり返る。
「俺に指図するのか?」
「指図ではないですよ。お願いです!」
整理券を差し出し、ウインクして見せるライラとガーナットはしばし見つめ合っていたが、やがて動いたのはガーナットだった。
舌打ち一つし、乱暴に整理券を奪い取り、素直に列の最後尾に並んだのだ。
二度目のザワザワ。パクが「マジか……」と驚きを通し越して絶句していた。気に食わなければ殺して眼球をくりぬくような男が。どうやら、本当にガーナットはライラが気に入っているらしい。理由は不明だが。
やはり彼女は『ゼロ部隊』に必要だな、とキリカはガーナットを素直に従わせるライラを見て深く思った。
その後隊士達を愛想よく捌いた後、けろりとガーナットに「カレーでよろしいですか?」と尋ねていた。ガーナットは頷くだけだった。
「どうぞ! ガーナットさんは遠征に伺ったと聞いたので、私比率で十パーセントほど多めにしました」
「……でいい」
「?」
「ガーナットでいい。呼び捨てにしろ、女」
「じゃあ私のことも女ではなくライラって呼んでください」
ガーナットは仏頂面になるが、やがてクソデカ溜息とともにカレーの入った皿を受け取った。
「……ライラ」
「ガーナット♪」
ガーナットは舌打ちし、銀髪を掻きあげながらトレイをもって食堂を出ていった。
バタンと扉が閉じ、ガーナットの足音が小さくなっていくのを見計らい、そこにいた隊士達がぶわっとため息をつく。
「た、助かったよライラちゃん!」
「けど驚いたな。あのガーナット様が……」
「キリカ様以外の忠言を聞き入れるなんて」
他の隊士がざわめくのを知ってか知らずか、ライラは飯を掻っ込む隊士達を見、にこりと華が綻ぶような笑顔を浮かべた。その慈愛に満ちた笑顔に見惚れる隊士がちらほらと現れる。
「……成程」
「え?」
「なんでもない。パク、先に上がる。それと後ほど私の部屋に今月の予算案を提出しておいて」
「お任せを」
空のトレイを手に取り、キリカはカウンターの傍に設置された、使用済みの皿を投入する大きなバケツにに皿を入れる。最初はカビが発生していたが、いつの間にかライラが清掃してあったのだ。
「美味しかったわ、ライラ」
「それはよかったです! また来てくださいね」
「ええ」
キリカは未だに隊士達に注目の的になっているライラから離れ、食堂を出た。
やはりというべきか、ライラは瞬く間に人気者になった。
学校がない日は清掃や隊士の食事を作り、そしてがらんどうの食堂ではたびたび彼女が勉強している姿を目にする。上昇志向があり、同時に人当たりも良い、部隊の人間を恐れることなく普通の人として接する人柄。何よりガーナットのように会話が破綻する心配がないのは大きいだろう。
「やあ、ライラちゃん」
日曜日。キリカが書類を持ち通りがかった通路の窓の外には、二人の隊士と雑談するライラの姿があった。どうやら洗濯物を干している最中らしかった。
「あ、バッカスさんとカーターさん! お仕事ですか?」
男物の軍服をハンガーにかけ、物干し竿にかけていくライラが手を止め、二人に向き直っていた。
「そうだよー。ライラちゃんも元気そうで何よりだよー」
「頑張ってくださいね。アジトでお待ちしてます」
「おう。ホンマにええ子だねー。ガーナット様にいじめられたらすぐに僕に言うんだよー」
カーターが朗らかに軽口をたたくと、ライラはそんなことないですよと返す。
「ガーナットさ――ガーナットは優しい人ですよ。私を助けてくれました」
「助けてくれたイコール優しい訳じゃないぜよ」
苦言を呈したのはカーターよりも巨漢であるバッカスだった。
「まあ確かに横暴な面はありますよね。けど、私は私の価値観をもって、人を判断していきたいと思ってます」
意外だな、とキリカは聞き耳を立てる。ただ流されるだけではなく、自分の価値観を柔らかくも主張できる人間だということに。
と言うか、そもそも一般人にも近いライラがこんな場所で仮にもテロリスト達に意見できるという事実が驚愕だ。下手したら殺されてもおかしくないのに。
豪胆。
ガーナットに許可されたとはいえ呼び捨てにできる点からも裏付けられている。無知である点もあるだろうが、少なくともガーナットは彼女を助ける過程で男子生徒二人を殺し、眼球を抉っている。
バッカスは暫くライラを見下ろしていたが、やがてニカッとかみつくような笑顔を浮かべた。
「その意気は良しぜよ! 知っていると思うが、俺はバッカス・ディラグリアス。よろしくぜよ!」
ごついハゲ筋肉だるまが握手を求め。
「カーター・ゾディアック。僕とバッカス、後運転手のザグロと他数名は比較的まともな隊士だから、何かあったら頼ってくれていいからねー」
キューティクルのある黒髪の好青年はお辞儀していた。
「ま、けど幹部連中は一番ヤバいぜよ。逆鱗に触れたらすぐ俺達のもとに来いよ!」
「パクはギリギリマシと言う感じかな。あと頭取のキリカ。ガーナットと並ぶマジキチだから気を付けて――」
「誰がマジキチだって?」
にゅっと窓の外から顔を出して見せれば、分かりやすくバッカスの表情が硬直する。キリカは隊士達のことは基本無関心であるが、巨体の彼に対して小心な面は中々人間臭くて好ましいと思っている。
「と、頭取! こ、これは違くて――」
「嫌だなー盗み聞きなんてー」
「頭取さんだ! あ、この後三時にスコーンをお持ちいたしますので楽しみにしていてください!」
三者三様の反応。ライラはどこから聞きつけたのか自分がスコーンを好むことを知っているようだし。
「あぁ、楽しみにしているよ、ライラ。……カーター達は早く出ろ」
「ぎょ、御意」
「了解ー」
慌ただしくその場を後にする二人。残されたのはキリカとライラだけだった。
「どうだ? 不自由とかはしていないか?」
ガーナットの宣言通り、彼は彼女の個室を指定したり、身の回りを整えたりしていた。しかし戦闘時以外は極めて寡黙、傲岸不遜である男だ、唯一の同性であるキリカが彼女を助ける案件があるかもしれない。
と言うのは建前。
本音は一度、腰を据えて話をしてみたかった。
疎まれるのが当然であったテロリスト集団『ゼロ部隊』を、忌避を示さないでいるライラの精神構造を知りたい。
あと単純に他の幹部と違い会話が通じる相手であるから。
「特にないです。いつも懇意にしてくださって嬉しいです。無理やりここにいさせてもらってる身分なのに」
「そんなことないさ。こちらこそいつもおいしいご飯をありがとう。昨日のカレーもおいしかった」
「それはよかったです! そっか、じゃあ明日もカレーを作ろっかな~」
まるで自分のことのように喜ぶライラ。本当に暖かい人。
世の中がこういう人ばかりだったら、きっと私たちはテロ部隊などやっていなかったに違いない。
「……ねぇ、今日は難しいけど、今度色々二人きりでお話ししない?」
「え! いいんですか! やった、私、女子会初めてなんですよ!」
気づけばそう提案しており、さすがに距離が近かったかなとすぐさま反省するも、ライラは目をキラキラさせて食いついてきてくれた。……成程、好かれる理由がわかる。
「ええ。じゃ、スコーン楽しみにしてるわ」
「はい!」
本当に素直な子ね、とキリカは微笑ましく思いながら、書類を持ち直し再び廊下を歩き始めた。