聞いていないんですけど
ガルバド王国。第四次世界大戦後に急速な発達と繁栄を遂げた大国。
その廃棄区画の一角の建物。
少女――ライラ・アトラスはぽつんと一人狭い部屋に押しやられていた。
先ほど、最初こそライラはけなげにも大男にお礼を述べたのだが、途端に狂人を見るような眼差しで見返されてしまい、そのまま『来い』と一言告げられ手を引かれた。男の腕は冷たく、まるで厨房の肉のような温度であった。というか、どちらかと言えば狂人は貴方でしょ、と言う突っ込みすらある。
徒歩で三十分。駐車されていた車の助手席に座らされ、移動すること一時間。会話は一切なかった。
到着したと思えば大男はさっさと手を引きながら先へ進み、ライラはやや駆け足にならなければならなかった。『ここってどこなんですか?』と能天気に聞くも大男は無視し、この部屋に強引にライラを押し込めた。
男は胡乱気にライラを見下ろすと、「ここで待ってろ。逃げたら殺す」とドスの利いた声色で吐き捨て出ていった。それから三十分ほど経つが、男は依然として戻ってこない。
部屋を見渡す。生活感のある、書類やら本などがとっ散らかった個室部屋。ベッドの上の布団は誰かが使った跡が残っている。手持無沙汰であるため、ベッドの上でスプリングの力を使いバウンドする。
……きっと、ここはあの男の自室なのだろう。
「逃げる訳ないのにな……」
ちらりと棚を見れば、ホルマリンらしき液体に漬けられた無数の眼球がぷかぷかと浮いている。そういえば先ほど男子生徒から目玉を抉り取っていたが、やはりあの男、目玉の収集家らしい。さっぱり何に魅力を感じているのかわからない。全部同じに見える。
「まだかなー」
もう夜だ。両親が心配する時間帯。
……ああ、いや、私の両親だ、そんなこと気にするはずないか。
この世のどこにも、私を人間として扱ってくれる者はいなかった。
早く戻ってこないかなーとごろりとベッドに横になる。
あったかい。
ふかふかのベッドなど一年ぶりくらいだろうか。他人のベッドだと知りつつもコロコロと転がっていると、ガチャリと扉が開かれた。
「あ!」
「……何やってんだ、お前」
大男だった。珍妙な動物でも目撃したかのような目に、ライラはすぐにベッドから立つ。
「すみません……」
「構わねぇけど。来い」
ライラの華奢な手首をつかむ大男。桁違いの握力に思わず顔を歪めるが、ライラは必死に彼の後を追った。
道中、数名の兵士の装備を身に着けた連中とすれ違う。誰も彼もが驚愕の色を浮かべ、大男とライラを凝視していた。
「あ、あのガーナット様が」
「殺さずに捕虜にするなど……」
ボソボソとした小声に、大男は意にも返さずライラを引っ張っていく。
……ガーナットと言うのか、この男。
それにしても、どこかで聞き覚えのある名前な気がする。果たしてどこで聞いたのだっけ。
ライラが思考する間もなく、大男――ガーナットはひときわ大きな厳めしい扉の前に立ち、ドアノブを推した。
ギィィイ、と言う鈍い音とともに開かれた先には、三人の男女がロングテーブルに座している。
中央に座る、左目に眼帯をし、無表情を貫く若い女官。
右に座る、特筆するべき点が見当たらない平凡な中年の男。
左に座る、坊主刈りにした実直そうなガタイの良い男。
なんか、強そうな人たちだなとマジマジと視察するライラを脇目に、ガーナットは億劫そうに口を開く。
「連れてきたぜ」
「ご苦労だった」
中央の女官が仏頂面のまま言い放ち――やがて目を丸くする。
「学生じゃないか」
ライラは制服を身に着けていた。
「あ? 言ってなかったっけ」
「言っていませんよ、ガーナット殿」
右の中年の男が苦笑する。女官は額に手を当てため息をつく。
「つか話しただろ。こいつは俺の付き人にするってよ。耳遠くなったんじゃねぇのババア」
「女を囲うとしか言っていなかっただろう……あとババアじゃない、まだ二十八だ」
いや。いやいやいや。
「ちょ、ちょっと待ってください」
話についていけない。どうやら私はいつまでも手首を握り続けるガーナットの庇護下に入るらしい。
「んだよ、女。口出すんじゃねぇよ」
ギロリと頭の上から睨まれ、背筋が凍る。
「ガーナットお前黙れ。お前よりそこの女子生徒の方が話が通じるだろうからな」
全く、先ほどの喚問の時と話したことが違いすぎる……と愚痴った彼女は、やがて先ほどの無表情から考えられないような柔和な笑みをライラに向けた。
「初めまして。あたしはキリカ・ウォッチオ。君の名前は?」
「……ライラ・アトラスです」
ライラは彼女の様子から、目上にいるガーナットより話し合いが通用し、かつ攻撃的な姿勢がなさそうだと判断する。
「ライラね。その服装からして学生だよね。聖セイレーン学園だったかな?」
先ほどガーナットをとがめた時と全く異なる丁寧な問答。
「はい。一年二組です。所属は文芸部です」
「ふむ。……失礼だが学生証のようなものは?」
「ど、どうぞ」
財布から片手で器用に生徒手帳を出せば、女官――キリカは席を立ちすぐ目の前まで歩いてくる。彼女は生徒手帳を受け取り、記載文に目を走らせる。
「と言うかガーナット。いい加減手を離してやれ」
「……」
彼が手を離す。やはり手首の後が青あざになっている。それを見たキリカの表情が歪むが、やがて話を進めることを優先したらしい。
「ところで、どうしてワイシャツに血がついているんだ? ……まさか、ガーナット?」
「あ、あの、違うんです!」
温和な表情が一転、針のような殺意を放つキリカに、ライラは慌ててガーナットが自分を助けてくれた経緯を簡潔に話す。
「――ということで、ガーナットさんは悪くないんです」
「驚きましたね。まさか殺人狂のガーナット殿を擁護する人がこの世に存在するとは」
「ぶち殺すぞ、パク」
右側の中年の男――パクが茶化せば、ガーナットの殺意もむき出しになる。
「ちょ、ちょっと待ってください! 落ち着きましょう! ね? どういう集会かわからないですけど、仲良くしましょう! ね! ね!」
先ほどから思っていたが、ここにいる人たちって互いに仲が悪いのではないか?
「こりゃぁおめぇさん、とんだ拾いもんをしたようだねぇ」
左の坊主の男が口角を上げる。
「目の前で人を殺した人間を制止する。なかなかできねぇもんなんじゃがなぁ」
「と言うか、キリカ殿。……ひょっとして彼女、私たちがどのような組織か知らないのでは?」
パクと呼ばれた男の問いに、キリカがはっとする。
「これって、何かの組織なんですか? 先ほども武器を持った人たちとすれ違いましたが」
「……」
キリカが目を瞑り額に手を当てる。
「『ゼロ部隊』」
「え?」
パクがつらつらと説明する。
「ガルバド王国に巣くうテロリスト部隊。構成員は幹部四人と配下四十二名。特に『眼球狩り』のガーナット・ハイルファルトは有名ですよ。ライラ殿も名前だけは知っていらっしゃるのでは?」
……。
…………。
………………。
思い出した。
ガーナットという名前はどこかで聞いたことがあった。けど、まさか。
ちらりと上を見上げれば、ジト目でガーナットがライラを見下ろしていた。
「じゃあここってそのアジトなんですか?」
「……至急アジトを別の場所に移す。ガーナット、お前はライラを元居た場所に帰してこい」
「あ? 言ったろうが。こいつは俺が保護する」
「ガーナットさんって私を保護するつもりなんですか?」
「おいガーナット。百歩譲って私たちに説明する必要はないかもしれんが、保護するんならライラにだけは話しておけよ。と言うか本気で『ゼロ部隊』に学生を置けると思っているのか? 学校とここを往復させるのか?」
「車で送りゃいいだろ」
「そういう問題じゃ――」
「あ、あの!」
ライラの一言で、若干ヒートアップした空気が和らぐ。
「……なんだ?」
「ガーナットさんは、どうして私を助けてくれたんですか?」
ガーナットは沈黙を貫いたまま、視線だけを明後日の方へ向けた。しかしどうやら気になったのはライラだけじゃないらしい。
「確かにそれは疑問だね。ガーナットは特に女の眼球を好んでたはずだ。女の眼球を抉りだし瀕死の状態のまま放置することはあっても、殺さずにここまで連れてくるのは初めてだ」
キリカも首を捻り、パクも同意する。
「理由は?」
彼女の問いにも、ガーナットは「テメェらに教える義務はねぇ」と守秘を貫く。
「……ガーナット。言っておくがな、ライラには両親もいるだろうしクラスには友達もいる。お前のエゴで彼女を攫うのは間違ってると思うぞ」
まあテロリスト集団が言うのはどうかと思うが、とキリカは続ける。
「ライラ。今日のことは忘れろ。お前が思っているほど、あたしたちは優しい人間じゃない」
「……私のことを、殺さないんですか?」
その問いに、キリカやガーナット達が一瞬硬直した。
彼らは自分たちをテロ部隊と称した。ならば現状アジトの位置を知っている私を殺すのではないか、と。
「殺さねぇよ」
一番最初に返事したのはガーナット。
「殺るならとっくに殺ってる。女。お前は黙って俺の近くにいりゃいいんだよ」
「だからライラにも生活があるだろう。何も彼女を大事に思う者がお前だけとは――」
「私には、私のことを大事に思ってくれる人はいません」
ライラの一言に、反論するキリカの追及が止まった。
ライラは小学生のころから、高校生の今になっても友人の一人もいなかった。不思議なことに、誰も彼もが寄ってたかってライラを疎み、蔑んでいた。
無論、助けてくれた人も、誰もいなかった。
「ガーナットさんが私を助けてくれた時、嬉しかったです」
初めてだった。いたぶられるのが普通であった私が、誰かに救われるなんて。
確かにここは凶悪な殺人中毒者が跋扈する場所なのかもしれないし、一般的に言えばキリカの言う通りなかったことにして帰宅したほうが良いだろう。
けど、家に帰ったところでご飯も寝る所もない。学校に行けばまたいつものようにいじめを受ける。
なら。
私を助けてくれた人がいる、ここなら。
助けてくれた人に更なる負担を強いるだろうし、そもそもなぜ助けてくれたのかはわからない。
これは私のエゴだ。
「私は未熟だし強くないし、組織にとっては足手纏いかもしれません。けど、雑務とか雑用とかなんだってやります。アジトの居場所なんて吐きません。だ、だから」
私をここに置いてくださいませんか?
ライラが頭を下げる姿に、反論する者は誰一人としていなかった。