第八話『墳墓』
――そこは、暗闇というにも生ぬるい重苦しさをはらんでいた。
「……ここが、大墳墓」
『我に仕えた力ある者たちを収めた墳墓でな。……そして、我の夢の跡地でもある』
階段を下りたその先で、カヴォイは思わず流れた冷や汗をぬぐう。空気は外よりも明らかに冷たく、まるでまとわりつくかのようにカヴォイの体を重くしている。……この場所以上に、『一寸先は闇』を体現している場所もなかった。
『……この奥地に、我らに必要なものがある。使いのようで悪いが、これが無ければいずれ計画は潰えるだろうよ』
「……必要なもの、か」
それならいかないわけにはいかない、とカヴォイは気を一段と引き締める。そうしなければ、すぐにでも心がしおれてしまいそうだった。この場所に満ちているのは、そういう負の魔力だ。
意を決して、闇の中へと一歩目を踏み出す。コツン、と冷たい響きが反響して、何度も何度も跳ね返りながら石の壁に吸い込まれていく。
――瞬間、カヴォイの全身を濃密な殺意が刺した。
「ッ‼」
とっさに飛びのき、気配がした方向を向き直る。そこにいたのは、青白い何者かだった。かろうじて人型の形をとってはいるが、その輪郭は朧気で表情も見えない。……もっと言うならば、あるべき顔のパーツすら見出すことはできなかった。
「……これは」
『怨念と、そう言うのが正しいのであろうな。命に焦がれながら命を落としたものが、今もなお、その命を求めているのであろう。……救えぬな』
つまりは霊魂と、そういうことなのか。こちらの声を聴いたのかは分からないが、その影は腕と思われる部分を振り上げている。……明らかに、こちらに友好的ではなさそうだった。
「……風よ」
呟き、カヴォイは風をその身にまとう。――死んでいるものをもう一度殺すのは気が引けるが、こちらとしても押し通る以外の道はなかった。
「……せめて、一撃で仕留める!」
地面を蹴り飛ばし、影との距離を最短最速で詰める。瞬く間に懐に飛び込み、風の斬撃を浴びせようとして――
「―――――!!」
――その直後、カヴォイの体は宙に舞っていた。天地は逆転し、眼前には硬い石の床が迫る。その原理を理解するよりも、先に反応したのは本能だった。地面に風を叩き付け、反動で浮き上がって衝突を回避、すぐさま身をよじって体勢を立て直す。……しかし、それだけでは足りなかった。
「―――――!」
「つ、ああっ!」
影の一撃が首元に迫り、それをどうにかのけぞるような形で回避する。それは明らかに致命の一撃で、カヴォイの背筋に怖気が走った。
油断していた。最早実体を失った影に過ぎないと、その力量を侮っていた。カヴォイは何度、相手の力を過小評価すれば気が済むのか。……今の己は最早全能でも何でもないと、なぜ忘れる。
――カヴォイの戦いは、一つ一つが命がけでなくてはおかしいのだ。
「……風よ、風よ、風よ」
詠唱を重ね、自分を覆う風をさらに厚くする。自分のできる限界まで、魔力を引き出す。そうでなければ、カヴォイは何にも届かないのだから。
「……『風の狩衣』」
羽衣よりもより厚く、より攻撃的に。一段階ギアを上げ、カヴォイは腰を落とす。その変化をとらえてか、影も少し身構えた。
「せ……りゃあああっ!」
地を蹴ると同時、足元に集中していた風を一気に炸裂させることでカヴォイは人の限界を超える。常人には残像すらつかませぬその加速は、そのまま影をも追い抜いて――
「……嵐よッ‼」
――同時、風が爆ぜた。それはあの怪物にも見せた、渾身の一手。あの時よりもさらに風を集めて解き放つそれは、影を飲み込むにあまりにも十分すぎる。地面や壁をえぐりながら迫る嵐に、影の姿は瞬く間に見えなくなる。……だが、カヴォイはまだ手を緩めなかった。
「……刻まれろ」
言い放ち、嵐の中に無数の刃を出現させる。見えざる風の刃に、ガレキは粉々に刻まれてすぐにその原型を失った。……そしてその中にいた影も、例外ではない。
『……終わったようだな』
「ああ。……危なかった」
まとわりつくような重苦しい気配も消えたのを感じて、カヴォイは安堵の息をついた。
――今の戦いの中にも、死の危機は多分にあった。着地をしくじってしまうことでだって、人間の体は簡単に死につながるのだから。
「それを、忘れちゃいけなかったな」
カヴォイの戦いに、温存という言葉は許されない。油断も、慢心も許されない。一つ一つの戦いに全力を尽くし、それでも足りないのならば頭を回し、それでも足りないなら命を削るしかない。それは、カヴォイがこの先心に刻むべき至上命題だった。
『しかし、手洗い歓迎だな。まさかここまで命に飢えているとは思わなんだ』
「……まあ、魂の本質だろうな」
言うなれば、彼らは死にぞこないのようなものだ。魂になったまま、消えて終わることも新たな器を得てやり直すこともできない。カヴォイが救おうにも、彼らはもはや理性を持ち合わせていなかった。
「……むしろ、魂になって残留しても理性を保ったあなたの方が珍しいんだけどな」
『すぐに消えるには、この世界で思い残すことが多すぎたのでな』
カヴォイのつぶやきに、魔王は噛み締めるように返す。それは後悔からなのか、栄光からなのか。それを問うことは今のカヴォイにはできなかった。
「……そうか。はやく、目的地にたどり着こう」
やり残したことを取り返すにも、手を取って進まなければ始まらない。すっかり軽くなった空気を吸い込んで、しかし魔術は解除しないままにカヴォイはさらに奥へと足を踏み入れていく。
道中何度か同じような霊魂に遭遇したものの、どれも最初の影ほどの力は持ち得ていなかった。一つ一つ撃破しながらカヴォイはその足をさらに速めていき、ついにその突き当りへとたどり着いた。
「……ここが、最奥か?」
そこにあったのは、一枚の大扉だった。豪奢に装飾されたそれは、無機質な墳墓の中にはあまりに不釣り合いで、異質な混ざりものだ。見たところカギはなく、押して開ければ開きそうだった。
『そうだ。我が特別に作らせた一室でな』
特別に作らせた一室。その響きに、背筋が引き締まる。魔王がこの墳墓に何を求めたか、それが想像できないわけではない。判断材料はあった。文献にも、そしてここに至るまでの道のりにも、魔王の発言にも。……しかしその可能性を頭の隅に置き、カヴォイは大扉に手をかけて――
『……ガロアアアアアッ‼」
それを阻むかのように、カヴォイの足元が爆ぜた。とっさに回避した直後、大岩がカヴォイのいたところに容赦なく降り注いだ。……明らかに、今までの現象とスケールが違う。あと少し反応が遅れれば、間違いなく全身が潰れていた。
「いったい何が……」
その現象の凄惨さに、思わずカヴォイの口から呻きのようにそうこぼれる。――その惨状の下手人は、すぐに判明した。
『グラ……ラララァーーーーッ‼』
……この墳墓で何度も目にしてきた青い影。……しかし、それはあまりにも異常だった。頭部も、腕も、その数があまりにも多すぎる。――脚部が消滅したその造形は、人型だった生命の慣れの果てとは思えないほどの趣味の悪いデザインだった。
「さしずめ守護者ってとこか……‼」
『……魔力の質からして今までの者らとは違う。……ここまでくると、その執着にむしろ感心させられるというものよ』
カヴォイが歯噛みすると、魔王が冷たくそう付け加える。なんにせよ、これを撃破しなければ話は進まないのは確かなようだった。
「なら……命を懸けても突破する!」
吠えると同時、カヴォイのまとっていた風が勢いを増す。それに呼応するように、影が大鎌のようになった腕を掲げた。
――大墳墓、最後の戦いが幕を開ける。
この物語の下準備もついに佳境を迎えました。まだまだこれからが本番ですので、その始まりをぜひ次回見届けていただきたいと思います。
――では、また明日の午後五時に!