第四話『邂逅』
……坂宮黒乃。カヴォイがその魂を拾い上げ、力を与えたうえでこの世界に転生させた一人。つまりカヴォイが見返すべき一人であり、馴れ合うなどあってはならない存在。利害の一致で共闘することはあれ、言葉を交わす機会は多くないと思っていたが――
「……へえ、このクレーターは君がやったんだ。あの怪物を前にそこまでやれるなんて、いい度胸してるじゃん?」
それがなきゃ俺が間に合わなかったし、と上機嫌に付け加えて、黒乃は満足げに頷く。その後、地面をまじまじと見つめ、違う意味をはらんだ頷きをまた一つ。
「……それに、魔術の腕もいいと見た。やってることは魔力の圧縮と解放だけど、それにしては制御を失った痕跡がない……君、普通に王都の魔術師レベルのことやってるよ?」
「……詳しいんだな」
少し整ってきた呼吸の中で、カヴォイは言葉少なに返す。痛みの鮮度が落ちても、痛いことには変わりないのが辛いところだが。いまだに呼吸は苦行だし、思考には鈍痛のノイズがかかっている。黒乃に助け起こされて、座り込む形になれたのがせめても幸いだった。
「魔術に詳しい知り合いがいるし、曲がりなりにも騎士だからね。……って、君顔色悪いけど大丈夫?」
胸を張った次の瞬間には、こちらへの心配に表情を曇らせている。表情や感情の変化が激しいのは、黒乃生来の気質であるようだった。
「……多分、肋骨を何本かやられてる。……それ以外は、かすり傷だ」
隠し事をする理由もないので、正直に打ち明ける。正直『英雄』に貸しなど作りたくはないが、この場から動けないのでは何も始まらない、それもまた明確な事実だった。
……それに、黒乃なら完璧な治療ができると、知っているから。
「全身のそれも俺からしたら十分重傷だよ……治療、していいよね?」
「……いいのか?返せるものもないが……」
一歩距離を詰めながら、心配そうな瞳でこちらを見下ろす黒乃。特に断る理由もないが、しかし二つ返事するのも気が引ける。そんな複雑な心情が、カヴォイの返答をためらわせた。
「んや、いーよいーよ。君の頑張りのおかげで、不安要素の一つを排除できたんだから、さ」
そんな心境を知ってか知らずか、黒乃はあっけらかんとそう返してにこりと笑う。……その表情に、カヴォイも思わず笑みをこぼした。
「……ありがとう」
「ん、お互い様だよ――『傲慢な時計』」
言って、黒乃はカヴォイの胸に触れる。傷に触れられズクリと痛みが走るが、それも一瞬だ。
「……あるべきものは、あるべきところに。……そうであった、時間に」
詠唱、そして体が不思議な浮遊感を覚える。すべてから切り離されたような、でもすべてと繋げられたような、不可解な感覚に、全身が覆われて――
「……ん、これで大丈夫。……体、ちゃんと動く?」
黒乃の体がすっと離れ、不安そうな問いかけが飛んでくる。……それへの答えは、明白だった。
「……ああ。全身万全だ」
ぐるぐると腕を回し、大きく息を吸って吐く。思考を支配していたノイズは消え去り、苦行のようだった呼吸時の痛みも無い。全身の傷が、きれいさっぱり治療されていた。
「……良かった……これやるとき毎回緊張しちゃうの、悪い癖なんだよね」
ほっと胸をなでおろし、黒乃は頬を緩める。腕をだらんとたらし、本当に緊張は解けているようだった。そのまま地面にへたり込み、ぺたんと座り込んでいる。
……仮に今奇襲したところで、万に一つも勝ち目はないが。
「それだけの腕を持ってても、緊張するもんなんだな」
一瞬脳裏をよぎった考えを却下して、カヴォイはそう返した。
「そりゃ緊張するよ……こういうのは基本ほかの奴らの仕事だし」
専門外のことやるのはやっぱ慣れらんねえよ、と黒乃は大きく息を吐いた。その額にはわずかに冷や汗が浮かんでおり、その緊張をありありと物語っている。
「……強いんだな、あなたは」
「黒乃でいいよ、堅苦しいのは性に合わないからさ。……それに、俺はまだまだだよ。師匠たちの方がよっぽど、俺の何倍も強い」
ふっと笑いかけた後、少し落ち込んだように黒乃の表情が曇る。どこか落ち込んでいるような――あるいは焦っているような、そんな表情。
「いつまでたっても、俺は騎士としての働きを全うすることしかできないからさ。ボスみたいに大勢の人を引っ張るカリスマも、師匠みたいに誰かを導ける才能も足りない。……それに甘えてる自分がいないかといえば、嘘なんだけどな」
「……あんなに強くても、迷うことはあるんだな」
突然の打ち明けごとに、カヴォイは戸惑いながら返す。……黒乃と言葉を交わした記憶は少ししかないが、こんな表情は見たことがなかった。
「迷うことばっかだよ。……こんなに話すのは、珍しいけどね」
慣れないことしたからかなあ、と黒乃は恥ずかしそうに頭をかく。カヴォイの傷を癒したことは、黒乃の中に何かの引っ掛かりを残したようだった。
「……すまない」
「ちょ、謝ることないって!俺が弱いのは全部俺の問題だから、君が気に病むことは何もないよ」
カヴォイの謝罪に、腕をばたつかせながら黒乃は返した。
「……ああ、それなら厚意はありがたく受け取っておく。……黒乃は、十分強いさ」
軽く頭を下げ、カヴォイは黒乃の気遣いを受け取ることにする。付け加えた言葉は、まごうことなきカヴォイの本音だった。
『――異世界⁉チート⁉……はあ、夢みたいだ……』
恍惚とした表情で言葉を交わしていた、初対面の黒乃の姿がふとよぎる。……その浮かれた表情は今はもう欠片もなく、そこにいるのは揺らがぬ信念を携えた騎士だった。――『英雄』、だった。
――正直に打ち明ければ、彼らは神威を返してくれるのだろうか。
ふと、思いもしていなかった選択肢が頭に浮かぶ。それは、英雄たちとの共存。あり得るかもしれない、一つの未来――
「……俺が強い、か。……ありがとう。君も、強いよ」
思いかけない発想に戸惑うカヴォイを、黒乃の晴れやかな笑顔が引き戻す。その笑顔には、確かに無邪気な少年の片鱗があった。
「……そうか。僕も、ちゃんと強いか」
「ああ。あの怪物を前に、君は抗って見せた。命を投げ捨てることなく、最後まであがき切った。……君が生きていられるのは僕のおかげじゃない。……君の、強い意志があったからだ」
胸の前でぎゅっとこぶしを握り、黒乃のくれた言葉を反芻する。意志――意志の力、か。
「なるほどな……意志の力なら、だれにも負けない自信はあるさ」
『そんな未来は認められない』と、カヴォイは歯を食いしばって怪物と相対していた。今思えば、なるほどそれは確かに意志の力だった。……確定した未来に否を突き付ける、傲慢な意志。描いた未来こそが正しいのだという、絶対的な確信。――それならば、カヴォイに敵う者はいない。
――何をしてでも、カヴォイは失ったすべてを取り戻すのだから。
「……君の意志の力は気高く、尊いものだ。……だからこそ、君に提案がある。……君、名前は?」
「……カヴォイだ」
真剣なまなざしにまっすぐとらえられ、カヴォイはたじろぎながらそう名乗る。その黒瞳は、どこまでも深く沈んでいきそうな光をたたえていた。
「……ではカヴォイ。君に提案する。もちろん受けるも拒むも君の自由だけど、俺は君の意志を見た。その意志が、未来を切り開くところを見た。……だから、さ」
そこで、黒乃は一度言葉を切る。空気はピンと張りつめ、息を吸うことすらためらわれた。沈黙が流れてしばらく、黒乃はこちらに手を伸ばし――
「……王都騎士団に入団する気はない?君の力は、民を守るに値する」
――そう、提案したのだった。
第一のターニングポイントを前に、少しずつ読んでくれる方も増えてきていてうれしい限りです。毎日午後五時を目安に投稿できるよう頑張りますので、ぜひカヴォイの物語にお付き合いいただけると幸いです。
――では明日の五時、是非カヴォイの選択を見届けに来てください。
P.S.黒乃が使う『傲慢な時計』には『グリードウォッチ』という読みがあったりします。どっちが好き―とかあればぜひコメントで伝えてくれると作者はとても喜びます。では!