プロローグ『神だったもの』
お初にお目にかかります。すべてを失った神の異世界奮闘記、少しでも楽しんでいただければ幸いです。忙しくない限りは毎日更新目指して頑張りますので、神たちの物語の行く末を見守っていただけるととても喜びます。
……はっきりと言おう。神は失敗した。いや、とっくに失敗していた、というほうが正しいのかもしれない。始まりのあの日から、今この物語が終わるまでずっとずっと、間違った道を驀進していた。そして今、神はようやく気付く。
――もはや自分に、神としての力など何も残っていないのだと。
切り売りだった。今まで与えてきた力は、全てぽっと生まれてきたものではない。無から生まれたものではない。自分の一部を切り裂き、分け与えていただけだった。切断に痛みを伴わないから、その事実に気づく余地もなかったが。
「……僕は、ずっと思い上がってたのか」
神は……いや、神だった何者かはそう独り言ちる。神でしかなかった自分から神である事実を抜き取った先に、彼の固有名称など存在しなかった。そんな事実に気が付いて、ふと苦笑する。
「……そういえば、みんなしきりに僕の名前を気にしていたっけ」
何度聞かれても名乗らなかった……否、名乗れなかった。神は神である。それ以外の存在価値なんて、必要としていなかった。神以外の形で自分の存在を形容する言葉なんて、要らなかった。
だが、今はなにぶん緊急事態である。最早神を名乗れる状態ではない自分には、新しい形が必要だった。
「……仮の宿り、なんていうんだっけ」
今まで開講してきた人間たちとの対話の記憶から、それっぽい情報を引き出す。仮の宿り。人の命は器に、全ては流れまわりゆく。蒙昧な人間は、しかし恐ろしいことに世界の本質を見抜いていたらしい。
「……まったく、人間ってヤツは恐ろしい種族だ」
嘆息する。対話の記憶をたどれば、自分のような存在を前提として描かれる小説なんてものもあるらしい。もっとも、そこにいる神たちはみな自分の名を得ていたが。
「……名前、ね」
つぶやいて、その三文字を噛みしめる。名前とは、言ってしまえば個体識別番号のようなものだと思っていた。故に絶対なる個である自分には必要ない、そう思っていたが――
「……僕の名前、か」
どうしたもんかね、と首を振りながら、しかしそれでも考え続ける。それは、今の自分には間違いなく必要なものだったから。
――自ら拾い上げて送り出してきた魂にその神威を奪われた、今の自分には。
『異世界転生』と、彼らの世界ではそう呼ぶらしい。興味本位で漂流している魂を拾い上げ、力を与えて世界に送り込んでみる。それは確かに愉快で、世界に変化を与えるいい刺激だった。
……それが甘味のふりをした劇毒でなければ、きっと今でも続けていたんだろうが。
「……そう考えれば、『らいとのべる』とやらの神たちはよくやったもんだよ」
自分と同じように力を魂に与え、新しい器を与えて自分の世界に送り込んだ者たち。しかし、今の自分のような結末に至った神の記憶はない。まったく、不思議なものだった。
「……僕がうかつだった、ただそれだけのことなのかね……」
送り込むペースが速すぎたとか、そもそも自分の神威を切り売りしていることに気づくべきだったとか、今思えば問題点は多い。数えるのにも飽きるほどの時間の中で生まれた刺激に、どうも自分はいつの間にか溺れていたらしい。今思えば愚かとしか思えないミスだが、起こってしまったことはもう取り返しがつかない。……正確には、『時間操作』の権能は早いうちに譲り渡してしまっていた。どこまでも、自分の行動が裏目に出ている。
「……まあ、『それはそれとして』ってやつだ」
異世界--『二ホン』とやらの生まれであるらしい魂たちは、みんな口をそろえてそう言っていた。納得のいかない状況に区切りをつける、魔法の言葉。—-なるほど、確かに便利だ。
これからも使おう、とひそかに決意したところで、神だったものは目をつぶる。目の前の惨状から目を背け、やるべきことを整理する。—-もっとも、大目標はすでに定まっていたが。
「……僕は、もう一度神になる」
失墜した神威を自覚しながら、虚ろな自分の内側を見つめながら、神だったものは目を開く。そして、その惨状ともう一度相対した。
『世界は今ここに変わる!神でない僕らが、君たちの旗印になる!』
万を優に超えるであろう民衆の前で臆せずに叫ぶ、一人の少年。その周りには十人近くの少年少女が手を取り合って立っており、その結束をありありと感じさせた。勇ましく、迷いのない演説に、民衆は熱狂する。新しく生まれた旗印を、見上げる。
……それは、神にとっての『死』そのものだった。今この瞬間、神は完全に殺された。信仰を失い、信仰を得るに足る神威も失い、残ったのは名もなき存在だけだ。
そして、そんな形で『神殺し』を成した、英雄は――
「……大人びたもんだな」
自分が力と器を与えた、少年少女たちだった。
あまりに皮肉なものだ。彼らの言葉でいうのならば、『飼い犬に手を嚙まれる』というものだろうか。今民衆の前に立つ少年少女たちに、神の権能は、信仰は、分割されて格納されている。そんな作り話のような、しかしどうしようもない現実を凝視して、神だったものはもう一度呟く。
「……僕は、全てを取り戻す。もう一度、神に成る」
目には確かな光を宿し、その手は強く握りしめられている。あまりにも途方もない話だが、算段は確かにあった。……だから、それに賭ける。空っぽの自分をチップに、最大の賭けをする。
オールオアナッシング、しかしそれでいい。すべてすべて、取り戻すのだから。
「あ……名前、思いついた」
ふと、声を上げる。それは突然思い浮かんで、しかし妙に自分の中に納得とともにしみ込んできた、一つの名前。何もない自分を戒め、しかし奮い立たせる、名前。
「……カヴォイ」
つぶやいてみる。……妙に、心が奮い立った。識別番号でしかないと思っていたが、どうもそうではないらしい。……この物語の始まりには、ちょうどいい発見だった。
「…………さあ、始めよう」
満足げに目をつぶり、言い放つ。—-それが、始まりだった。
これは、神の逆襲譚。英雄譚のフィナーレから始まる、新たな物語。
ー-カヴォイが再び神に成るまでの、長くて短い物語だ。