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九話

 †


「この子の事は、私が引き取るよ」


 それはまだ、ルシア・クロフィスが『大魔法師』と呼ばれ、多くの人間から慕われていた頃。

 むんずと、十歳程度の白髪の少年の首根っこを掴みながら、気持ちの良いくらいの笑顔でルシアはそう言った。


 白昼堂々、街のチンピラが暴力騒ぎを起こしていたと聞き、やって来てみれば、十歳程度の少年が、大人三人を相手に殴り合っていた。


 ルシアが来た事で騒ぎを起こしていた大人は素早く退散をしていたが、中心にいた少年は次はお前が相手かと言わんばかりに、途中からやって来たルシアを睨み付けていた。

 しかし、所詮は子供。


 『大魔法師』と呼ばれていたルシアに敵うわけもなく、あっという間に抵抗虚しく捕まっていた。


「ちょうど、助手が欲しかったところでね」


 白髪の少年は、たびたび騒ぎを起こす問題児として周囲の人間に知れ渡っていた。

 加えて、掃き溜め(スラム街)の人間であるとも。それもあって、ルシアは彼を引き取るなどと口にしていた。


「ふ、ふざけるなッ!! 誰があんたみたいな奴の手伝いをしなきゃいけねえんだよ!!!」

「じゃあ、騎士団に引き渡される方が良い?」


 今回の騒ぎは、少し大きくなり過ぎていた。

 いち早く駆け付けたのがルシアというだけで、事の収束に動いていた人間はそれなりにいる。


 足音を響かせながら、漸く到着した数名の騎士達の姿がその証左。


 ここで私に引き取られなければ、騎士団に引き渡されて面倒な事になるぞ。

 そう示唆すると、少年もそれが面倒であると分かっているのか。悔しげに下唇を噛んだ。


 要するに、従うという意のあらわれであった。


「よし、なら決まり」


 明らかに、不承不承どころか嫌がってはいたが、騎士団に引き渡される事と比べればまだまし。という考えを汲み取り、私は首根っこを掴んだまま歩き出す。


 それから、駆け付けてきてくれた騎士達にルシアがやや強引に言い訳を済まし、向かった先は無駄にだだっ広い古ぼけた屋敷。

 ちょうど、王都と郊外の中間地点に位置した場所であった。



 †


「クソッ、い゛ってぇ」

「殴られるよりずっとマシでしょうに。このくらい黙って耐えろ、男の子」


 屋敷に帰るや否や、救急キットを持ち出して傷だらけだった少年の手当てをルシアは始めていた。

 傷口に塗りたくる消毒液が染みるのか。

 表情を盛大に歪める少年であったが、ルシアはそんなものはお構いなしにピンセットを片手に、処置を施してゆく。

 


「————はい。終わり。あとはそこにいるメルに包帯巻いてもらったら治療はおしまいだから」


 屋敷にて、主人の帰りを待っていたメイドの一人————メルと呼ばれた少女が、無表情ながらもルシアの言葉に逆らうつもりはないのか。

 流れるような所作で手にしていた包帯を言われるがままに巻いてゆく。


 しかし、その最中。


「……あんた、運が良かったわね」

「……あ?」


 能面を思わせる無表情のまま、傷だらけの少年を前に、メルが口を開いた。しかし、その発言に少年はこれ以上なく苛立ちをあらわにする。

 心なしか、こめかみに青筋まで浮かんでいた。


「ルシア様は基本、お人好しだから。騎士団に連れて行かれるより、ずっとマシな筈よ」


 基本的に、街中での乱闘は禁じられている。

 その中で騎士団に見つかったともなれば、色々と面倒事が待ち受けているのだが、その点、ルシアに匿われたのであれば、そういった面倒事に見舞われることもないので運が良い。

 メルは淡々とした口調でそう述べた。


 だが、何気ないメルのその言葉は、どうしようもないまでに少年の神経を逆撫でた。


「……くだらねえ。ガキ一人を押し付けの偽善で助けて、それで善人気取りか。流石は貴族様。俺らとは根本からちげぇな」


 唾棄する。

 少なくとも、少年がルシアに良い感情を抱いていない事はこの時点で明白であった。


「……貴、様ッ」


 ルシアが馬鹿にされたからか。

 ぎゅぅ、とメルが手にしていた包帯を握り締める力が感情に呼応して一瞬ばかし強くなるも、


「そうだよ。偽善だ。私はこれはきっと偽善でしかないけれど、それでも私は恩返しがしたいと思ってる。他でもないその偽善によって、私は助けられ、こうして今を生きられているから」


 それを遮るように、少年の言葉にルシアが返事を返す。


「だから、こうして地道に恩を押し付けで返し回ってる最中なんだ。特に、君みたいな子供を見ると無性に世話を焼きたくなる。私も、そのくらいの歳の頃は、色々と荒んでたからさ」


 だから、今回はこの押し付けを受け取っておいてよとルシアが口にすると、少年は眉根を寄せた。


 それは、予想外の出来事に見舞われた人間がよく見せる反応であった。

 恩を仇で返すのかと激昂するとでも思っていたのだろう。


「それと、私は貴族であって貴族じゃないよ。一応、一代限りの名誉貴族扱いは受けてるけど、元は平民だ。それと、私は貴族があんまり好きじゃないから、私を貴族呼ばわりする事は厳禁」

「……貴族が嫌いなのに、てめえは貴族になったのか。だとしたら、とんだ大馬鹿だな」


 侮蔑の色が見てとれた。

 でも、子供の言葉一つで取り乱す私ではなく、何より、そう思われるような行為をしている自覚はルシアにも人一倍ある。


「そりゃあね。貴族になっておけば、色々と都合がいいんだよ。融通は利くし、お金だってそれなりに貰える。偽善を貫きたい私にとっては嫌いだろうが、貴族になった方がメリットが大きかった」


 実際、そのお陰で君の事を庇う事だって出来たんだよ? ほら、捨てたもんじゃない。


 そう言って笑うと、あからさまに呆れられた。


「……あんた、名前は?」


 そして、名前を尋ねられる。


「ルシア。ルシア・クロフィス。一応、この国では『大魔法師』なんて大層な名前で呼ばれてる魔法使いなんだ」

「『大魔法師』、ねえ」

「君の質問に私は答えた。だから、今度は私の番」


 ルシアが口にした言葉を繰り返し反芻する少年を待つ事なく、今度は己の番と言って彼女は言葉を続ける。


「どうしてあんな場所で魔法を使ったの?」


 その一言に、動揺を隠せなかったのか。

 少年の身体があからさまにびくっ、と硬直した。


「私が来てなかったら、君、相当やばい事になってたよ?」


 この世界では、選ばれた血統である貴族のみが魔法を使えるという常識が存在している。

 きまりではなく、常識である理由は、時折貴族ではない平民と呼ばれる者達の中でも、魔法を扱える人間が生まれる事があるから。


 しかし、選民意識の高い貴族(彼ら)はその事実を決して認めようとはしない。

 それこそ、特別と言える例外的な何かが無い限り。


 だから基本的に、平民でありながら魔法を使える者は理不尽だが、使った時点で処罰の対象となる。一生牢の中ならば、まだマシ。


 最悪、賎民ごときが貴族の真似事を。

 などと言って殺されたケースだって過去には幾つもある。


 だから、ルシアは聞かずにはいられなかった。


「ねえ、なんで魔法を使ったの」


 あの程度の乱闘騒ぎで、命を危険に晒す(魔法を使う)必要があったのかと。

 どうして、使ったのかと。


「…………」


 しかし、答えたくないのか。

 少年は口籠もり、黙考。


 視線もあからさまに逸らしていた。

 それが続く事、数秒。


 観念したのか。

 やや嫌そうながらも、少年は小声で言葉を紡ぐ。


「……、から」

「うん?」


 掠れた小声は、ルシアの耳に届かなくて。

 首を傾げて聞き直す。


「家族を、馬鹿にされた。それが、許せなかったから」


 だから、魔法を使ってまで抗った。

 ああして、乱闘騒ぎまで起こす事になったのだと。


 絞り出すように告げられたその一言は、どこまでも年相応でいて。


「……そっか。そっか、そっか」


 ルシアの手は、少年の頭へと伸び、くしゃりと頭を撫でるように髪をかき混ぜた。


「それは、仕方ないね(、、、、、)。それは君が正しい。良くやった。なにせ魔法は、大事なものを守る為にあるようなもんだ。まぁ、褒められた事ではないけれど、私は間違ってなかったと思うよ」


 瑕疵は何一つとしてないと言われたからか。

 先程まで敵意丸出しだったにもかかわらず、少年の顔はほんの少しだけ綻んでいた。


「でも、その家族愛は素敵だけれど、そのせいで君がいなくなったら親御さん達が悲しむ事になる」


 ————だから、もう二度と魔法は使わない事。


 そんな言葉が続くとでも思ったのか。

 少年は僅かに身構えるものの、


「だから、悪い事には使わないって約束をするなら、特別に他の人にバレにくい魔法の使い方を、私が君に教えてあげよう」


 告げられた言葉は、百八十度違うものであった。


「……ルシア様」

「まぁまぁ、いいじゃん、メル」


 咎めるような視線をメルと呼んでいた少女から向けられ、バツが悪そうに苦笑いするルシアであったが、考えは変わらないのか。

 発言を撤回する様子はない。


「それにメルだって、一度面倒を見た子が不幸な目にあって欲しくはないでしょ?」

「……包帯を巻いただけですし、ルシア様に助けられておきながら、敬意をもって接することの出来ないクソガキはどうなろうと私の知った事じゃありません」

「メルは厳しいなあ」

「ルシア様が甘すぎるだけです」


 参った、参ったとルシアは後ろ頭を掻く。


「でも、『大魔法師』はみんなの味方。貴族であろうと平民であろうと、貴賎はない。私はただ、昔の己がそうされたように、今度は私もと、手を差し伸べるだけ」


 だから、メルにどれだけ反対されてもこの意見だけは変わらないからねと告げつつ、


「ただ、教えてあげるにあたって、二つほど条件があるんだけど、聞いてくれないかな」



 そこで、イグナーツ(、、、、、)の意識がゆっくりと現実へと引き戻されてゆく。

 鮮明に感じられていた記憶が薄れ、遠のいてゆく。


 辛うじて声が、聞こえるくらいか。


「ひとつ、無闇矢鱈に魔法を使わない事」


 それは、己が『大魔法師』と呼ばれていた恩人と出会った日に交わした約束。


 そして、『大魔法師』が『魔女』に仕立て上げられる事となった原因を作った約束。

 それが、彼女と交わした二つ目の約束。


 だから、無情なまでに過ぎて行く記憶に『だめだ!』『その約束に頷くな!!』『何がなんでも今ここで止めろ!!』そう、訴え掛けるも、彼の記憶が変わってくれる事はなくて。


「ふたつ、これはまだ先の話にはなるんだけれど、出来れば君の手を借りたいことがあるんだ。ただ、借りる事もなく終わっちゃうかもしれないんだけども」

「……俺の手を?」

「そう。君の手を。端的に言うと、誰もが苦しまないで済む世界を作りたいんだ。だから、魔法使いの常識や、スラムの事だって、何もかもを変えたい。不条理を、それこそ全て」


 勿論、幾ら嫌いといえど貴族を疎かにする気はない。

 ただ、最低限の人倫のある世界を私は作りたいんだ。


 ま、ただの夢物語なんだけども。


 そう言葉を締めくくったルシアの朧げな表情を最後に、イグナーツの意識は覚醒した。


 積み上げに積み上げた膨大な己の実績と引き換えに、貴族達と幾度となく妥協点の交渉を続け。

 果てに、危険すぎるからとこれまでの貢献は捨て置いて『魔女』に仕立て上げられ、居場所を追われた『大魔法師』。


 助けようとしていた人々にまで手のひらを返され、にもかかわらず、最後まで一人で全部抱え込んで恨み言ひとつ溢さなかった恩人の顔がイグナーツの中で思い返されていた。


 ……あの時、どうして己は手を差し伸べてやれなかったのだ。そんな、もう何回したか分からない後悔をしながら、



「えっ、と、悩みがあるなら私で良ければ聞きますけど……」



 強がりを決め込んでいた彼女に、己もそんな言葉をかけられていたならば、また結果は変わっていたのかもしれない。

 ……そう思った直後、イグナーツは違和感に気付く。


 はっ、と彼が顔を上げると、そこには見知った顔があった。

 ちょうど、今日知り合ったばかりの少し変わった考え方をする少女————ルシア・アルヴァルトの顔が。

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また、誤字脱字のご報告もありがとうございます。
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