晩ご飯に招待された女子大生Sの話
「すいません、隣いいですか?」
これが彼、坂東輝都との出会いでした。四月の中頃だったと思います。日にちをはっきりと覚えていないのは不意の出来事だったから。私が「はい」とだけ答えると彼は隣に座りました。午前の授業開始のギリギリで到着し、急いでいたのか彼は肩で息をしていました。
「……何度もすいません。何か書くもの余っていますか?焦って来たので色々忘れちゃって」
シャーペンを一本、彼に貸しました。予備に何本か持っていたので。
「ありがとうございます!あ、俺、坂東輝都って言います。一年生です。今日借りてても良いですか?ちゃんと次に会った時返すんで」
「私も一年です。翠多葉留美です。返せるときで良いですよ」
「助かります!」
彼の第一印象は「無害」でしょうか。良い意味で普通。焦っていたと言う割に顔に何か付いていたりしていなかったし、服装もきちんとしていました。身の回りの事にはそれなりに気を使っているのかな、という感じ。ハンカチを取り出して汗を丁寧に拭いていましたし。顔はもの凄く整っている訳では無かったのですが、下品でもなく隣に居ても不快感が無い、と言えば分かって頂けるでしょうか。声はよく響いて良いなと思いました。人を安心させる丁度いい低さで、滑舌もハッキリしていて。
その次の週。同じ授業の前です。
「翠多さん、おはよう。これありがとう。ホント助かったわ」
そう言って彼は私に借りてたシャーペンを返してくれました。それから坂東君とは少しずつ話をする様になりました。とはいっても些細な事ですが。
でも一つ記憶に残る出来事がありました。私が彼のしている腕時計を褒めた時です。初めて会った時から気づいてはいたのですが、最初からがつがつ聞きすぎるのも何だかな、と思ったのでタイミングを見計らっていました。彼が普段持っている物や服装からその時計が明らかに浮いていたので「気になったから褒めてみた」と言う方が、もしかしたら正しいのかもしれません。
「これね、親父が高校生の俺に買ってくれたんだよ。入学祝いって。こんな高いのに、高校生の俺にだよ?やっぱり高価なもの貰うとテンション上がるよね」
と嬉しそうに言っていました。特に腕時計の性能については語らず、自分の為に高価なものを買ってくれた事が自慢のようでした。先ほども話した通り、坂東君はほとんどブランドものを身につけておらず、私にとっては良い意味で身の丈にあった服装を着ているな、と感じていたのです。ただ高いものを着ているからオシャレという訳じゃないと思うんですね。やっぱり体のラインに合っているとか、肌の色がくすまない色味とか考えるのって大事じゃないですか。私は彼がそういうセンスを持ち合わせていると感じたからこそ、あの腕時計が気になっていたのです。でもお父さんのプレゼントだと分かったら合点がいきました。なるほど。
そんなある日、彼は手に怪我をして来ました。利き手の右手。
「いやあ、半野良みたいな猫みつけて、手を出したら引っ掻かれちゃって。血が止まんなくてさ」
「絆創膏使う?」
「いいの?ありがとう。翠多さんの鞄、四次元ポケットみたいだね」
自分でも色々持ってるなと、少しおかしくなってしまったのですが、坂東君につけてあげました。私の母も鞄に飴やら薬やら入れていたので、遺伝かもしれません。
「ほら、この猫」
携帯で撮った写真を見せようとしてくれた所、フォルダの他の写真も目に入りました。
「あ、美味しそう」
「何?猫?」
そんなわけないでしょ。違いますよ。
「いや、料理が」
「あー!ごめんごめん。一人暮らしだからさ、自炊出来る様になりたくて。こうやって写真撮って研究してるの」
女の人も料理の写真を撮るけど、彼のはそれとは違う感じでしたね。出来上がったものをいかに綺麗に、美味しそうに撮るかにはこだわっていなくて、あくまでも記録で撮影している雰囲気の写真。それでも美味しそうでしたけど。
「じゃあ今度食べにくる?アドバイスとか貰えると嬉しいし……あっもしあれだったら友達呼んでも良いよ」
どうしよう。それが正直な感想でした。確かに授業前後で話をしていたものの、二人で何かすると言う程の仲でもないし。ただ、坂東君は悪い人じゃない。そして私は最終的に彼の家に一人でお邪魔する事にしました。理由は……そうですね、あまりはっきり言いたくはないのですが「優越感」でしょうか。以前同性の友達に「あの人と誰?」とか「まあまあかっこ良くない?」とか矢継ぎ早に質問され、少し舞い上がっていた所もあったのだと思います。
「本当に?ありがとう!俺の家、駅から近いから終電逃す事も無いと思うし」
とても嬉しそうに笑っていたのが印象的で、迂闊にも少し可愛いと思ってしまいました。
五月十九日。この日にちは忘れられません。私は坂東君の家で夕ご飯をご馳走してもらう事になりました。彼はモダンな造りのアパートの一階に住んでいました。
「こんばんは、いらっしゃい」
白いシャツに黒いエプロン姿。
「こんばんは。あの、これ良かったら」
いつもと少し違う格好にちょっとドキッとしたものの、平静を装って、持って来たノンアルコールのスパークリングワインを渡しました。
「わざわざありがとう。へえ、最近こんなのがあるんだ。今日ハンバーグにしようと思ってたからきっと合うと思うよ。まあ、あがってあがって」
飲み物はそんなに詳しくなかったのですが、坂東君が喜んでくれてホッとしました。そして彼の部屋に入った瞬間、冷気が吹き抜けました。寒い。思わず両手で肩をさすってしまいました。
「ごめん寒かった?エアコン付けてるからね。丁度いい上着あるかな……探してみる。あ、手を洗いたかったら洗面所はキッチンの向かいにあるよ」
エアコンでも少しおかしいですよね。梅雨の時期で除湿にしてたとかならまだ分かりますけど。ほら、除湿でも寒くなる時ってあるじゃないですか。でもまだ五月なのに、少し変だなと思いました。
疑問を抱きながらも手を洗う為に彼が言った通りに洗面台へ。至って普通のユニットバス。左手前にトイレ、次に洗面台、一番奥にお風呂場。浴室はビニールのカーテンで仕切られてました。それでまあ、手を洗い始めたわけですけど、なんで芳香剤が二つもあるのかな。しかも二つは違う香りのでした。かなりキツい匂いだったので鼻が変になりそうで……。彼がこんな所で毎日体を洗っているとは。
「これ良かったら使う?俺、姉ちゃんが居てたまに来るんだけど、多分忘れちゃったんだ。あと風呂場から変な臭いしなかった?大丈夫?」
ひとまず寒かったので彼から渡されたカーディガンを着ました。お姉さんはこんなピンクの派手なのを着ているのか。
「芳香剤二つも置いてあったよね?」
「そうなんだよ。多分下水の臭いが上って来てるみたいでさ。管理会社に連絡した方が良いんだけど、ひとまず応急処置。だから部屋の温度も下げて臭いが強くならないようにしてたんだよね」
「ああ、そうだったんだ。じゃあお風呂大変じゃん」
「ホントそれ!まさか銭湯使う日が来るなんて思っても見なかったよ。はい、じゃあ大した部屋じゃないけど、楽にして」
坂東君の住んでいる所は普通のワンルームでした。玄関を入ると右手にキッチン、左手に浴室、奥へ進むと居室。キッチンと部屋の境が無いので冷気が室内を満たしていました。居室は左奥にベッドがあって右側に丸いローテーブルと座椅子、壁際にテレビがあり、私はキッチンの近くに座りました。
「じゃあ早速作り始めるのでー」
そう言って坂東君は私の後ろにある白い冷蔵庫を漁り始めました。でもやっぱり変。冷蔵庫の中段、恐らく冷凍室。そこにグレーのガムテープが張ってあったのです。
「冷蔵庫壊れてるの?」
「あーこれ?最近調子悪くてさ、勝手に開いちゃうの。だからこうやって補強してるんだけど……買ってまだ一ヶ月だぜ、もっとちゃんと仕事して欲しいよ」
「ふーん。ちょっと嫌だね。もし手伝える事あったら言ってね」
彼の住んでいる部屋、大丈夫かな。これが私が率直に思った事でした。下水の臭いがして、冷蔵庫も買ってすぐこんな状態。まあ彼が良いのなら別に問題ないのかと、その時は思い直したのですが。
「お手前を拝見しに参りました」
「そうでござんすか」
暇だったので坂東君の様子を見に行きました。どうやらタマネギをみじん切りにしている最中でした。
「結局ジューシーさって水分の量らしくてさ、おれはいっつもタマネギ入れんの」
「へー」
それから彼はまた冷蔵庫へ向かい、挽き肉を取り出しました。一つは恐らく牛肉、もう一つはタッパーに入っていました。
「合い挽き肉?」
「そう」
タッパーに入っている方は挽き肉というより細切れ肉に近い感じ。坂東君はそれらを腕まくりした手で混ぜていきます。
「手、怪我してたけど平気?手伝おうか?」
「平気平気」
「あれから猫ちゃんとは仲良くなれた?」
「ああ、あいつ車に轢かれて死んだよ」
あまりにも普通に言うので、そのまま「ふーん」と返しそうになりました。いや待て待て。
「……えっ」
「しょうがないよ、相手は車だもん。飛び出した方が悪い」
坂東君の平然とした物言いにゾワリと寒気がしました。彼は混ぜ終わった合い挽き肉とタマネギ、卵やパン粉、調味料を入れてさらに混ぜ合わせていきます。坂東君は何とも感じていなかったようですが、私はこの空気に耐えられなかったので、何か別の話題を探しました。
「あ、お姉さん、結構イケイケな格好してるんだね。このカーディガンピンクだし」
「そうでしょ?弟としてはもう少し落ち着いて欲しいんだけどね」
「写真ないの?」
「うーん、撮ってないな。その内会わせてあげるよ。はい、じゃあ今から軽く両面焼いてからソース作って煮込んでいきます」
「はーい、楽しみ」
とりあえずあの妙な空気が変わったので良かったです。人それぞれ少し変わっている所はありますし、個性と言えばまあそうなんでしょう。
そうこうしていたら、ご飯の炊けた音がしました。ハンバーグとみそ汁の香りも漂ってきました。
「良い匂い」
「ありがとう。果たして味はいかがでしょうかー」
そう言いながら彼は低く白いテーブルに、晩ご飯を準備してくれました。何回か手伝おうとしたんですけど「平気平気」と全然相手にしてくれませんでした。男子厨房に入らずの逆かな?意外と自分でコントロールしたいタイプなのかも。
「せっかく飲み物を頂いたので、夕飯のお供に」
「みそ汁とスパークリングワインてちょっとおかしいね。ノンアルコールだけどさ」
「確かに」
それから私達は「いただきます」をしました。
「あ、ハンバーグ美味しいよ。本当にタマネギ入れるとジューシーだし柔らかいね」
「でしょ?そう言ってもらえると嬉しいな。ワインも美味しいよ。ふう、なんか安心したらトイレ行きたくなっちゃった」
そう言うと彼は立ち上がってお手洗いに向かいました。エアコンが冷えた空気を送ってくる音だけが聞こえてきます。
……カリカリ
どこかから爪で引っ掻くような音がしました。エアコンじゃありません。
……カリカリ
後ろの方。振り向きます。その間も絶えず、ここから出してくれと言わんばかりの苦しみに満ちた陰微でほの暗い噪音が。あの冷蔵庫から。丁度ガムテープで開かなくなている冷凍室。
何か居る。
そう直感しました。導かれるように私の腕が冷蔵庫にすうっと伸びていきます。
「どうかした?」
びくっと肩が上がりました。坂東君が戻って来ていたのです。振り返って彼を見ると、口は笑っていたけど目だけはじっと私を見据えていました。疑いをかけるような、見定めるような、そんな目。私の背筋をエアコンの冷気とは別の、身に迫った危機に恐怖した時に感じる悪寒が突き抜けました。
「……坂東君」
「なに?」
「この部屋やっぱり変だよ」
「中見たの?」
「見てないけど、冷蔵庫から変な音したし、下水の臭いとかも……普通じゃない」
「そうかな?」
「……うん……幽霊とか?」
私がそう言った瞬間、彼は狐につままれたような顔をしてから笑い始めました。
「ははっ!翠多さん幽霊とか信じるんだ、意外!別に俺が住んでる所は事故物件でもないし。ネットでも確認済みだよ。もし何かあった部屋だったら家賃安くならないか交渉しようと思ってたけどね」
「そ、そうだよね」
確かにその通りかもしれません。冷蔵庫だって調子が悪いって言っていたし、下水のトラブルだって別に珍しくない。室温が低いせいで少しおかしくなっていただけかも。そう思いました。
「坂東君、ごめんね。せっかくおいしいご飯作ってくれたのに変な事言って」
「いいよいいよ。実際トラブル起きてるのは本当だから。下水はちゃんと管理会社に言うし、冷蔵庫もバイトしてお金貯まったら買い替えるよ」
それからは普通の話をしました。冷蔵庫から変な音も聞こえなかったし、何も変な事は起きませんでした。彼の作ったハンバーグもお味噌汁も、ご飯……は炊けば誰でも作れるけど、美味しかったです。
帰り際、私はお姉さんのカーディガンを返そうとしました。
「別に持ってても良いよ。忘れた姉ちゃんが悪いんだし」
「いやいや、坂東君は良いかも知れないけど、私はそんな事出来ないよ。ちゃんと今返します」
「今って、一週間も翠多さんのシャーペン借りてたの根に持ってんの?」
「違いますー」
二人ともお酒を飲んだ気分になって少しフワフワしていたのかもしれません。今思い返すと恥ずかしい。
「またご飯作るって言ったら来てくれる?」
「はい、喜んで。今度は私が誘うよ」
「ありがとう!」
そう言って別れました。でも、彼と会う事は二度と無いでしょう。
五月二十日、朝のニュースにて
「坂東輝都容疑者を死体損壊・遺棄の疑いで逮捕。殺人罪での再逮捕も視野」
「女性を暴行後、殺害。その後遺体を損壊した疑いが持たれている」
後日、某週刊誌にて
「冷蔵庫に被害者の手足を保管!浴槽内に胴と頭部、凶器が!なんと一部の肉は削がれていた!おぞましい犯行の一部始終を独占スクープ!」
「SNSで知り合った被害女性に金を貢がせ、金品を買っていた」
「彼の住んでいた近所で残虐に殺された動物の死体が複数発見」
「容疑者の父は『私達に出来た唯一の子供ですが、もう勘当したので質問にはお答え出来ません』と証言!」
私が美味しいと言って食べたハンバーグ、何が入っていたのでしょうか。あと、あの冷蔵庫から聞こえて来た音。
……カリカリ、カリカリ
読んで頂きありがとうございます。
坂東輝都は、
輝都坂東→てるとばんどう→テッド・バンディ
となり、割と有名なシリアルキラーから名前を思いつきました。犯行内容や人数はそこまで被っていないと思います。