松本上陸は何かがおかしい!(合宿一日目)
「んー。もう松本についてたのかぁ。なんかいい夢見たし、この合宿はいいことが起こりそうな予感!」
「いい夢……いい夢か…………はは、いいことには犠牲が必要だもんな。そうだよな……」
「わっ! 部長の手、めっちゃ歯形がついてるじゃないですか! どうしたんですかその手!?」
「まぁ、なんていうか。そうだな……あたしじゃ抑えきれない狂犬に嚙まれたんだよ」
「ひゃー! 絆創膏いります?」
絆創膏を使ったところで噛み痕が無くなるわけじゃないと思うのだが。
それ以上に、知らないことの恐ろしさを教えられた気がする。
「ふふ。翔真くんも私と同じことを考えているようね」
俺が狂犬二匹から距離を取るよう少しだけ後ろへと下がると、それまで静かに二人のやり取りを聞いてたらしい彩乃先輩に話しかけられた。
ただ、その顔があまりにも得意顔であったので、俺はわけもわからないままに頷く。
「はい。おそらくは」
「まさに、『有知無知三十里』よね」
ドヤ顔で俺にそう告げてくる彩乃先輩。
おそらく知識マウントを取ろうとしてきたのだろうが、俺は知っている。
「それ、微妙に意味違くないですか?」
「は、はい?」
「それって『知恵のある人とない人の差は大きい』という意味の言葉ですよね?」
「え? えぇ、そうね!」
「初めて知った」と言わんばかりの表情で、まるで知ってたかのように肯定してくる先輩。
その肯定が苦し紛れのものであることを承知の上で、俺は追撃を続ける。
「……ということは、今回はわざと?」
「そうよ! わざと間違えたの!」
「嘘ですね?」
「はい、嘘です」
少し押すと簡単に白状してしまう彩乃先輩。
まぁ、いじめるのはここまででいいだろう。
俺は離れたところで未だに終点のない会話を続けている二人の元に寄っていった。
「部長」
「わかった! わかったから、もうこの歯形のことを思い出させないでくれぇ!」
「部長! 歯形のことはもう忘れて、俺の話を聞いてください!」
「あ、あ、ああ。どうしたんだ、翔真?」
「いつまでもここで駄弁っているよりも、先に宿に荷物を置いた方がいいかと」
「いや、うん。あたしもちょうどそれを思っていたところだから、早く行くぞ!」
それまで珍しく、疲れ切った表情を見せていた部長は俺の提案を聞くなり、まるで何者かから逃げ出すのように、早足で歩き出した。
今回、俺たちが泊まる予定の宿は、駅から山の方へと歩いて行ったところにある。
外観は老舗の旅館らしい貫禄があるものの、決して汚いというわけではなく、しっかりと手入れが行き届いているという印象を受けた。
――――なんていう批評を頭の中で好き勝手しているうちに、部長は荷物を預け終えたようで、大きな枷から解き放たれた俺たちは松本の街へ飛び出した。
「まずはどこに行くのかしら?」
「松本で行くところって言ったら、もう決まってるようなもんだろ」
「やっぱり馬刺しとか?」
「いきなり食べるのか、お前は?」
遥の的はずれな答えに、呆れたような声で反応する部長。
その後も同じようなやり取りを繰り返していると、だんだん自分の欲しい答えが出てこないことに苛立ちを感じ始めたらしい。
が、答えを言ってしまうのは謎のプライドが邪魔するようで、教えてはくれない。
「お前ら! 松本って言ったらやっぱり歴史あるアソコに決まってるだろ!?」
「四柱神社とか?」
「いや、確かに合ってるかもしれないけど、それが最初に出てくるのは普通にすげぇよ」
特大なヒントを得て、答えた彩乃先輩の答えはまたもや違ったらしく、むしろ部長は感心し始めてしまっている始末。
もうそろそろいいだろう。
「松本じょ――――」
「イエス! イエス!」
「w杯の時の解説みたいになってますよ」
「絶妙に古いわね。68点」
「馬刺し食べたい」
「あーもう! お前らは口々に好き勝手言いやがって! せっかく翔真が答えを出してくれたんだから、早く行くぞ!」
バスに乗ること十数分。
太鼓門と呼ばれる門のすぐ近くにあるバス停で俺たちは下車した。
「やっと着いたか!」
「さすがにここからじゃ天守閣は見えないですね」
「まぁな」
「んー! あそこの狭間から由宇たちを撃ちたいわね」
「それは是非やめてほしいかな」
「松本城は食べれますか?」
「食べ物的にも性的にも食べれないぞ……というか、バスに乗る前におにぎり買ってなかったか?」
「一つしか買ってないので」
「食ってることに変わりはないけどな」
松本に着いてからずっと腹を空かせている遥を最後になだめた部長は、「よっし!」と一声気合を入れて、門に続く道を歩き出した。
「あ、待ってください!」
そして、俺たちも後を追うように松本城に入城する。
いくつかの門をくぐり、仮想の彩乃先輩に撃たれ、一瞬正気を失った遥に食われかけながらも、俺たちは天守閣へとたどり着いた。
「なんというか……」
「黒色ってすごい威圧感がありますよね」
「せっかくだから、みんなで写真を撮りましょう」
「そうだな! みんなで写真を……ところで遥は?」
俺は部長に言われて初めて遥が居ないことに気づいた。
遥が姿を消したのに気づかなかったのは彩乃先輩もらしく、辺りを見回している。
確か今日はシャツに黒っぽいジョガーパンツという動きやすい服装だった気がする。
「あ! あれじゃないですか?」
見つけたのは俺。
知らぬ間にどこかへ行っていた遥は、団子らしきものを咥えながら悠々と戻ってきた。
「どこに行ってたんだよ。あたしもこいつらも心配したんだぞ」
「いやーすいませんすいません。ちゃんとみんなの分も買ってきたから許してくれません?」
「んーんー」
腕を組んで少し悩む部長。
「分かった! 許す! 許すから、早く写真を撮って中も見に行くぞ!」
持ってきていたらしい部長の折りたたみ式のスマホ三脚を用意して直ぐに、カウントダウンが始まる。
「ほら! 早くカメラに映るようにしろ!」
「はーい」
「おい! 押すな押すな」
「ちょっと翔真くん? それじゃあ映らないわよ?」
「お前ら、もっと真ん中に!」
残像だらけでブレブレな俺たちがカメラに無事収められたのは言うまでもないだろう。
読んで頂きありがとうございます!
松本城は個人的に好きな城です。
それはさておき、自由部の旅行は始まったばかりなので、是非次回も読んでください!