彩乃先輩の家は何かおかしい! 後編
「この家が他の家よりも大きいのは……まぁ見てわかったでしょう?」
「周りの家とは明らかに大きさが違いますし、屋敷ですからね」
「先に言っておくと、自慢をしたい訳ではないわよ? もう気づいているのかもしれないんだけれど、父は『ナガツキ食品会社』の社長をしているわ」
「どうかしら?」という目線を向けてくる彩乃先輩。
それにしても、どこかで聞いたことあるような。
「ナガツキ食品会社……ナガツキ……ナガツキ!? あのナガツキですか!?」
「あのナガツキがどのナガツキなのか分からないのだけれど、多分翔真くんの想像するナガツキで合っていると思うわ……というか、知らなかったのね」
「ええ……まぁ……」
普段俺はそこまで食品会社を気にしているわけではないから、気づけなかった。
そういえば、体育祭頃に駅前にできたパフェ屋もナガツキ食品会社の店だった気がする。
「由宇には割引券を渡したんだけど、それだけだと多分気づいてないでしょうね」
呆れたように言って、「はぁ」とため息をつく彩乃先輩には、本当に鼻にかけている様子はなかった。
「お父さんがナガツキの社長なら普通にすごいことだと思いますけど、学校では有名……というか、誰も知らないですよね?」
「そうね」
「なんでです? 普通ならすぐに噂で広まっていくものだと思うんですが……」
「第一に、私が誰にもこのことを話してこなかった、というのはあると思うわ。第二は私と父の関係が理由でしょうね」
第一のことについてはもちろん分かる。部長にも言ってなかったのならば、他の人に言っていることはほとんどないだろう。
問題なのは、その後にでてきた先輩とお父さんの関係についてだ。家庭内のプライベートな話を俺なんかが聞いてしまっても良いのだろうか。
そんな葛藤をしている俺にはお構い無しに、先輩は話を続ける。
「まず、昔……そうね、私が小学生の頃は父は優しかったの。何か欲しいものがあれば買ってくれたし、色んなところに遊びに連れていってくれた」
そこまで話したところで、だんだんと彩乃先輩の顔に陰りが見え始めた。
「でも、中学生になって少し経った頃、父は変わった。最初に、私に習い事をさせるようにした。一つだけじゃない。ピアノ、バイオリン、書道、茶道、華道……そのうち、塾にも行かせるようになったわ。数国英の三つ。どれか一つが出来なかっただけで、私はとても怒られた。自分の趣味に使う時間なんかなかったわ、一秒たりともね」
当時のことを思い出したのか、声が微かに震えている。
「『死にたい』なんて思ったことは何回もある……わ……」
震えていた声は、次第にはっきりと聞こえづらくなり、ついに途切れてしまった。
「彩乃先輩。無理して話さなくてもいいですから」
「……ぁ……ぅ……」
何かを言おうと口を開いても、肝心の言葉も声も出てこない。今の彩乃先輩はまさにそんな状況だった。
何度も深呼吸をして、自分を落ち着けては口を開いてまた閉じる繰り返し。微かにではあるが、体も震えているのが見て取れた。
見ている俺まで胸が締め付けられるような様子だった。
「先輩。苦しんでまで言わなくても――――」
「……大丈夫よ、私が決めたから」
俺の言葉を遮って、そう断言した先輩の声は話し始めた時のような決意がこもっていた。
彩乃先輩がここまで覚悟を決めて話すのなら、俺がこれ以上止める必要も権利もないだろう。
「それで、どこまで話したかしら?」
「えっと……お父さんが厳しくなった所までだと思います」
「そういえば、そうだったわね。私の父は厳しくなったのに連れて、私の精神状態も段々とおかしくなっていったわ。いつでもどこでも完璧な人間じゃないとダメなんだ……って」
自由部の中ではアニメオタクな彩乃先輩としているが、湯京高校の生徒としては、スポーツ万能、成績優秀、容姿端麗と非の打ち所がない。
実際、現生徒会長の三日月さんと並べて「人望の三日月と、能力の長月」と呼ばれているとか聞いたことがあるが、まさかそこまでストイックにやってきていたとは。
「そんな私を助けてくれたのがラノベとアニメだったの」
「ラノベが……助ける……ですか?」
「ええ。私が逃げられる唯一の世界を彼らが作ってくれたのよ」
「なるほど。でも、いわゆる普通の文庫本じゃダメなんですか? 夏目漱石とか……」
「うーん。やっぱり楽しい話がいいじゃない。別に私はトンネルを抜けた先が雪国だったり、主人公が虎だったりする話を読みたいわけじゃないのよ。もっとこう、友達と騒いだり、異世界で魔法や剣を使うような話をね」
確かに「雪国」やら「山月記」を心がすさんでいる時に読みたいとはならないな。
「先輩の言ってることはよくわかります」
「彼らの存在意義は私のラノベたちを隠すこと……」
「それは言い過ぎです」
やっぱり先輩とは完全に分かり合うことができなかった。
というのは、さておき。
「やっぱり隠してる理由も先輩のお父さんが原因ですか?」
「勘が鋭いわね、さすが翔真くん。あの人に見つかったら、確実にこの子たちとはサヨナラよ」
と言って、苦笑する先輩はもう俺の知っているいつもの長月彩乃に戻っていた。
そこで、俺は気になっていたもう一つのことを訊いてみた。
「で、俺にわざわざ過去のことを話したのはなぜなんです?」
「あーそのことね……」
瞬間、露骨に俺の視線から逃れるように、顔を窓の外へと向ける彩乃先輩。心なしか、頬が若干赤く色気づいている。
「これは誰にも言わないで欲しいのだけれど……」
「は、はい!」
「まぁ……習い事とかばかりしていたせいで、中学生までの友達って全然いないのよ。ていうか、男友達なんかいなかったし……高校入ってからも翔真くんほど仲良くなった男子なんていなかったから…………要は! 初めてこんだけ仲良くなれた翔真くんは私にとって特別ってことよ!」
「はひ?」
前半は分かるが、後半はさらっとすごいこと言わなかったか? この先輩は。
翔真くんは私にとって特別。翔真くんは私にとって特別。翔真くんは私にとって特別。翔真くんは私にとって特別。私にとって特別。私にとって特別。私にとって特別。私にとって特別。私にとって特別。私にとって特別。翔真くんは私にとって特別。翔真くんは私にとって特別。特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別特別。
彩乃先輩も顔を真っ赤にして、恥ずかしがってるし、俺も興奮やら恥ずかしさやらで頭がおかしくなりそうだ。というか、すでになっている。
部屋が嫌な沈黙に包まれて、とても居づらい。
何を言えばいいのか分からないが、何か言ってこの空気を打破しなければ。
「あ、あの――――」
「違うの!」
俺が何も考えないままに声にした言葉に、彩乃先輩が叫ぶように重ねてきた。
「あ、えと、違うの。特別っていうのは『好き』とかそういうのじゃなくて……あ、違う! この『好き』はそういうんじゃなくて、友達とか部活仲間として好きってだけで……あうぅ」
捲し立てるように喋った彩乃先輩だが、結局言い切る前にダウンしてしまう。
今日は初めて見る彩乃先輩の顔とか声が多いな。特に「あうぅ」は可愛すぎるだろ! こんなの反則だ。
脳内に録音された「あうぅ」を思い出すだけで、自然と恥ずかしさが吹き飛んで、顔がニヤついてきてしまう。
「あ! 笑わないで! もぉぉ……翔真くん嫌い!」
「あーすいませんすいません」
クールビューティーキャラはどこやら、ただただ可愛い人になってしまった彩乃先輩。
「嫌い」という声も可愛く思えて仕方がなかった。
「んんもう! もう凛ちゃん帰ってきてる時間でしょ! ほら! 帰った帰った!」
「あれ? もうそんな時間って……押さないで押さないで! 出ますから!」
彩乃先輩に背中を押されて、追い出されるように廊下に出された俺。
そのまま二人で玄関のほうへと歩いていく。
「…………ごめんなさい」
「ああ、気にしないでください。可愛かったんで」
「ほら! またそうやってからかう!」
わざと付け足した俺の言葉一つにまたもや彩乃先輩がキレて、ポカポカと俺をたたいてくる。
玄関までたどり着くと、俺の腕をたたいていた手を静かに下して、ぽつりと呟いた。
「でも、今日はありがとうね」
「いえいえ、こちらこそ。先輩のことがたくさん知れたので」
「ふふ。私も翔真くんのこともっと知りたいわ」
「あはは。それはまたの機会に」
「楽しみにしてるわ」
そう言って笑う彩乃先輩の声を聴きながら、靴を履き終える。
「それじゃあ、また明日」
「ええ。また部室でね」
「あら、翔真くん帰るの? ちょっと彩乃。私にもちゃんと言いなさいよ」
「お母さんは来なくてもいいでしょ!」
意外と騒がしい長月親子の声を背に俺は家路についた。
しばらく歩いて、俺は重大なことに気が付いてしまった。
いや、重大なものを忘れてしまっていたことを思い出してしまったのだ。
「凛へのアイス……忘れてきちゃったな」
もう一度コンビニに寄って帰らなければ。
彩乃編は一旦終わりです。
次話からはまた翔真たちのふざけた日常編に戻る予定です。
もっとふざけたい! もっとふざけたい!
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