この特訓はどこかおかしい! Take2.5
――――由宇がグラウンドから立ち去った後
「一体どういう……もしかして」
「ねぇ、翔真君」
声のした方に振り向くと、ついさっきまで寝ていたはずの彩乃先輩が立っていた。その顔には不気味なほどの笑みをたたえていた。
「えっと……どうしたんすか?」
「由宇はどこに行ったのかしら?」
しかし、俺の耳に入ってきた声には優しさや安心感ではなく、妙な圧があった。
陽はすでに沈みかけていて、気温は日中よりもかなり下がっているはずなのに、なぜか俺の背中を汗が伝う。
「……部長は『トイレに行ってくる』って言ってましたけど」
「本当に? 嘘ついてないよね?」
う、嘘はついていないはずだ。確かに俺は部長から「今からトイレに行ってくる」と言われた。
彩乃先輩は無言で俺の顔を覗き込んでいたが、俺が嘘をついていないと判断したのか、「ふーん」と言って一歩離れた。
「私もトイレに行ってくるわ。翔真君は全然ランニングしてないんだから、グラウンド五周はしなさい?」
「は、はい……頑張ります」
俺の返事を最後まで聞かずに、体育棟へと姿を消した。
それにしても……
「二人ともオブラートに包むことを知ってくれよ……」
仮にも年頃の男子高校生の前だから、もう少し恥じらいという物を持ってほしい。
ランニングを始めるべくグラウンドの端までゆっくりと歩いて行ったが、いつもは一心不乱に走り続けている睦月さんの姿が見当たらない。
しかし、今日も相変わらず天性の体力を見せつけて練習開始か走り続けている遥は俺を視界に入れるとすぐに小走りで駆け寄ってきた。
「翔真も走るの? てか、彩乃さんは? それに部長もいなくなってるし」
さっきまで走っていたとは思えないほど質問攻めにしてくる。呼吸は全く乱れておらず、いつも通り。
汗は全くかいてないわけではないが、少し服が湿っている程度。
「……流石化け物」
「ん? なんて?」
「いや、何でもない!」
本人には聞こえないように呟いたつもりだったんだが、危なかった。
当の遥はあまり気にしていないようだが、早く話をつなげた方がいいだろう。
「ああ、彩乃先輩に注意されたからな。部長が執拗に絡んでくるから……。あと、部長と彩乃先輩はトイレに行ったらしい」
「なるほどねー」
「それにしても、睦月さんはどこに行ったんだ?」
「睦月先輩は『風紀委員の仕事があるから』って先に練習をあがってたよ」
最近は体育祭の練習のせいもあって自由部のメンバーと一緒にいることが多く、風紀委員であることを完全に忘れていた。
そんなことを考えていた俺を見て何を思ったのか、遥は一度手を叩くと俺の手を引っ張って走り始めた。
「うわっ」
「さ、翔真も走ろ? ちゃんと私についてきてね」
「ちょ、速い! 足がもげるって! ああああああああああああ!」
今度は俺が地獄へと誘われる番だった。
一方、由宇は――――
あたしはグラウンド用シューズから上靴に履き替えて、二年C組に向かって走り始めた。
誰にもすれ違うことなく二年C組に到着して、真っ先に扉を閉める。そして、人生で最もスピーディーに着替えを済ませた。あとは鞄を背負ってパフェ屋へ向かうのみ……だった。
しかし、現実はそんなに甘くない。部屋の扉が開き、そちらに視線をやると、そこには彩乃が立っていた。
「なっ……なんでお前がここにいるんだよ」
確かにあたしはグラウンドから去るときに、彩乃がこちらを見ていないか確認してから去ったはず。
「少し私を舐めすぎじゃないかしら? 由宇が翔真君と話して、そのまま体育棟へ入っていったの。私でなきゃ見逃しちゃうわよ」
おそらく、一瞬目を離した時に見られたのであろう。しかし、私はきちんと翔真に念を押してから行ったはず。翔真が彩乃に言ったとは考えにくい。
「にしても、何であたしがここにいるってわかった?」
「由宇の持ってたポ○リよ。それなりに残ってるポ○リをトイレにわざわざ持ってくなんて考えられないでしょう」
「そういうことか……。翔真には訊いたのか?」
「もちろん訊いたわよ。でも、『トイレに行った』としか答えなかったわ」
翔真らしさに思わず笑みがこぼれる。
「で、どうして由宇は帰ろうとしてるの?」
彩乃から投げかけられた単純で当たり前な疑問に、私はどう返そうか悩んだ。しかし、親友である彩乃に嘘をつくことは自分が許さなかった。
「……駅前に新しくできたパフェ屋に行きたいんだよ」
「それって……。いえ、何でそこまでして行きたいの?」
「『祝開店記念プレミアムパフェ』だよ。それを食べたいんだ。明日までなんだよ。店が閉まるのも六時だから、早く行かないと……って、こんな時間!?」
教室に設置されている時計をふと見ると、時計の針は五時を既に回っていた。
「ヤバい! 早く行かないと。じゃあな、彩乃!」
あたしは自分のバックをすぐさま背負うと、彩乃が入ってきたドアとは逆のドアから飛び出して全力で廊下を走り抜ける。
「あっ!」
背後から彩乃の驚きの声が聞こえてくるが、私は振り向くことなく私は走り続ける。
彩乃はいきなり走りだしたあたしに度胆を抜かれて、走り出しが遅れた。これでかなりの差が生まれたはず。
階段を下りて、昇降口まで駆ける。
私は勝利を確信した。が、昇降口に人影が見える。その人は……
「彩乃!? あたしは彩乃に抜かれてないし、そもそもスタートがかなり遅れていたはずだ!」
あたしは彩乃の前で足を止めて、そう問いかける。
落ち着いた様子の彩乃はこちらを向くと、「ふっ」と小さく微笑んだ。
「癖になってるのよ、音殺して走るの」
「いや、最短距離で来たはずのあたしの視界にすら映ってないんだが」
「まぁ、細かいことはいいじゃない」
「今の状況は良くないけどな。あたしは早く行きたいんだ。そこを通してくれないか?」
断られたら、たとえ相手が彩乃でも強行突破するのみ。
「いいわよ」
「へ?」
あたし予想とは裏腹に彩乃はあっさりと道を開けてくれる。
「ただし」
条件を出されることはわかっていた。ただで通してもらえるとは思っていない。
少し身構えるあたしに、彩乃が条件を提示してくる。
「明日からちゃんと練習に参加することね」
彩乃や遥、睦月が今回のリレーにやる気を出しているのは知っている。それに、リレー参加を決めたのもあたしだ。なら、この条件は飲まざる負えないだろう。
「わかったよ。明日からはあたしも本気を出そう」
「あと……」
彩乃から差し出された手には一枚の紙が握られていた。
「なんだこれ?」
「これを持っていきなさい。割引券よ」
「なんで持ってるんだよ……」
「そんなこと気にせず、早く行きなさい。店、閉まっちゃうわよ?」
「言われなくても行くけどな」
そう言って割引券を押し付けて、背中を押してくる彩乃に内心感謝しながら私はパフェ屋へ向かった。
閉店間際に店へ駆け込んだあたしは何とかパフェを食べることに成功したとさ。
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