受容と変化
過去を語り終えた俺を、雨宮はずっと黙って抱きしめ続けていた。
下手な慰めの言葉を口に出さず、ただずっと抱きしめてもらっているのが、本当に俺の心に染みて嬉しかった。
普段、この忌々しい記憶を思い出すと気分が悪くなる。
だが雨宮の温もりから生まれる癒しに、俺の心に刻まれた傷は優しく包まれ、思い出す痛みが和らぎ、語っている間も痛みが走ることはなかった。
本当にこいつは変な奴だ。
つくづく俺はそう思う。
どんなに拒んでもついてくるし、直接嫌いと言ってもめげずに側にいようとする。
こんな奴は初めてだ。
だがこいつのおかげで、俺は少しだけ人というのを信用してもいいのかなと思い始めている。
雨宮は真っ直ぐな奴だ。どこまでも俺のことを考えて俺のために色々してくれる。
きっと彼女に打算はないのだろう。純粋に俺のことを心配して想ってくれている。
それはこれまで関わってきて、もう十分に伝わっている。
そんな奴だから俺も、告白されたとき雨宮が離れなくてもいいと引き留めたのだろう。
あれだけ俺のことを想ってくれているのは純粋に嬉しかった。
今ならそう思える。
こいつのおかげで俺は過去のトラウマに一区切りさせることが出来た。
「ありがとな、話を聞いてくれて」
俺は自然とそう口にしていた。
こいつには感謝しかない。今まで尽くしてきてくれた行動、言葉がとても優しく俺は助けられていた。
雨宮は嫌いな奴ではない。いい奴だ。
それだけは俺は認めようと思った。
「…はい。少しは楽になれましたか?」
雨宮はゆっくりと顔を上げ、俺と目を合わせる。
俺の表情が穏やかなことに気付いたのか、目尻を下げ、安心したように微笑んだ。
「ああ、おかげでな」
「ふふふ、少しは元気になったみたいで良かったです。もっと感謝してくれてもいいんですよ?」
雨宮は見慣れたからかう表情を見せてくる。いつもの雰囲気に包まれ、俺の心が緩み始める。
相変わらずにやにやする雨宮の顔はうざいが、こういうやり取りは悪くない。
「そうだな、本当に感謝しているよ」
これまでのことを思い出し、やはり感謝は伝えたかった。
今回に限った話ではなく、普段から俺の周りで優しくしてくれていたことがどれほどありがたかった自覚した今こそ、伝えたくなった。
「…え?え!?す、素直に感謝してもらえると少し恥ずかしいですね…」
素直に感謝されると思っていなかったのか、顔を赤らめてはにかみながら、小さく俯いてそう零した。
普段の俺なら絶対こんなこと言わなかったが、今回に関しては特別だ。今ならこれまで感じていたことを言えると思ったのだ。
「いつも側にいてくれてありがとうな。雨宮のおかげでこれまで色々救われた」
「は、はい…」
雨宮は素直に感謝されることに慣れていないのか、耳まで真っ赤に染めて俯いたままだ。
「雨宮が俺のことを想ってくれていて、優しくしてくれていたのは薄々は分かっていたが、今日こうやって正面から助けられて改めて実感した。ほんとうにありがとうな」
「…つ、伝わっていたなら良かったです…。いつも私は強引に先輩に近づいていたので迷惑ではなかったですか…?」
ちらりと眉をへにゃりと下げて、俯き加減に上目遣いでこっちを見てくる。
頰は桜色に染まり、くりくりとした愛らしい瞳は不安げに揺れているのが分かる。
いつも元気な雨宮の弱いところ見せられ、一瞬ドキリとした。
「…初めこそ戸惑っていたが、迷惑じゃなかったぞ。そうやって強引に踏み込んでくるからこそ、俺も関わる気になったしな」
言葉に詰まりながらも俺は本音を言い続ける。
「それなら良かったです」
ホッと安心したように口元を緩め、眩しいほどの満面の笑みを俺に見せてきた。
その姿は俺の脳裏に強烈に焼き付き、いつまでも残り続ける。
雨宮らしさが現れたその笑みはとても魅力的で、自然と俺は雨宮の頭に手を伸ばした。
「…っ!?」
俺の手が雨宮の頭に触れると、ビクッと一瞬身体を硬直させる。
だがゆっくりと、雨宮のさらさらとした指通りのいい髪を撫でると、すぐに緊張は緩み、甘い蕩けるような微笑みを浮かべた。
「何度も言うが本当にありがとうな」
自分がなぜ雨宮に手を伸ばしたのかは分からない。
自分で自分の行動が理解できない。最近よくあることだ。
だがそんならしくない自分が嫌ではなかった。
「どういたしまして。先輩の助けになれていたことを知れて私は嬉しかったです」
撫でられながら雨宮は、目尻を下げて微笑んだまま優しい声でそう返してきた。
「…前に、雨宮は俺のことを好きだって言ったよな?」
好きだと言われ、それに対して何も答えを出していなかった俺は、まだ完全に答えることは出来なくても、今の自分の気持ちを伝えておきたかった。
今のこのタイミングでしか、言えないような気がして。
「…は、はい」
俺の言葉に緊張で声を上擦らせながら返事をする雨宮。
「俺はまだ、好きとかは分からない。だが雨宮、お前は俺にとってもう嫌いな奴じゃない。いい奴だと思う。友達だと思う。それだけは伝えたかった」
雨宮はもう嫌いな奴なんて思えない。これだけ助けられ、救われてきてそんな風に思えるはずがない。
雨宮はいい奴だ。友達だ。
友達だとするなら意地悪をやめるべきなのか?
ふとそんな疑問が浮かぶ。
だが雨宮が赤くなっているあの顔が見れなくなると思うと、なぜか止める気になれなかった。
なぜ止める気にならないのか分からず戸惑う。
だが雨宮から返事が返ってきてその思考は中断させられた。
「ふふふ、やっと私のことをいい人って言ってくれましたね。でも私、友達なんかで満足しませんよ?これからもっと積極的にいきますから、覚悟していて下さい!」
「…っ!?そ、そうかよ」
雨宮の柔らかい笑みから目を離すことができない。
腰を折り、上目遣いにこっちを挑戦的に見てくる小悪魔な雨宮のせいで、容易に俺の思考は奪われ、ドキリと心の奥底で甘い痛みが走った。
ただただ蠱惑的に笑う雨宮の魅力に取り憑かれ、俺は胸が高鳴るのを抑えられない。
友達で満足しない、その意味に顔が熱くなるのを、俺は呆然と感じていた。




