自覚
なぜ俺はあんなことを言ったのだろうか。
あいつは嫌いなやつなはずだった。そんなやつをなんで俺は慰めたんだ?大事な友人だからか?
リレーの場所に向かいながら思考する。
分からない。自分の気持ちと行動がちぐはぐで理解できない。放っておくこともできたはずなのに。どうしてそうしなかった?
あのとき慰めた自分が不思議で心の中で首を傾げる。
ただの一時の気の迷いだと思えばそれまでなのだが、そう思い込もうとすると何故か引っかかる。
なにか大事なことがあるような気がして、そう決め込むのを阻ませてくる。
一体なんなのだ。俺は一体どうしてしまったのだ。
……分からない。考えれば考えるほどにぐるぐると同じところで回ってしまう。
なにかに気付きそうな、そんな感覚を味わいながらリレーの待機場所へと着いた。
「それでは男子リレーを開始します」
アナウンスが流れ、多くの人たちがスタート地点に集まってくる。
ざわざわと喧騒とした空気の中、第一走者がスタートラインに立つ。
「位置について、よーい、ドン!」
そしてとうとうレースが始まった。
最初こそ競っていたものの徐々に赤組が白組に引き離され始める。赤組は負けていて白組を追う形になっていた。
なぜか俺はそれを見て焦っていた。
どうして焦る?えりと約束したからか?勝つと宣言してきたからか?
じゃあなぜ彼女との約束を守らなければならない?別に守る義理なんてないはずなのに。
心の中でモヤモヤと渦巻いていた疑問がだんだんとある方向に向かい出しているのを感じた。
「おい、次神崎だぞ。アンカーなんだから頑張れよ」
誰かにそう声をかけられ、急いでバトンを受け取る位置に入る。
やはり赤組は負けていてなんとか食らいついているが5メートルほど遅れているのが目に入った。
5メートル。短いようで長い距離。陸上部でもなんでもない俺がこの距離を詰めるのは容易なことじゃない。
だが勝たなければならない。
なぜ?
そんなの決まっている。彼女の笑顔を守るためだ。
「頼んだ」
そんな声と共にバトンを受け取り走り出す。
遠い。やはり遠い。向こうもアンカーを任されるだけあってとても速くなかなか追いつけそうにない。
だがなんとか足を動かして距離を詰め続ける。
絶対抜かす。抜かして勝つのだ。勝てば彼女は笑ってくれる。優勝すれば彼女が気に病んでいたことなんて誰も気にしないだろう。
だから勝たなければならない。彼女に笑顔を取り戻すために。
彼女の泣いている姿を見たくなかった。彼女には笑っていて欲しかった。
いつでも無邪気に笑って、楽しそうにはしゃいでいて欲しかった。そんな姿が彼女には似合っていた。彼女ほど笑顔が似合う人はいないだろう。
だから俺は彼女の笑顔を守りたかったのだ。彼女を悲しませるものを取り除いてやりたかったのだ。
もう一度見たい。にこにこと笑って朗らかな声で話しかけてきて欲しいのだ。
想いは力になり限界まで振り絞る。走れ。走れ。走れ。
目の前の背中を睨み、必死に足を動かす。
胸が苦しい。息が辛い。
日頃運動していなかった身体が悲鳴を上げている。体の節々が痛い。思わず手を抜きたくなる。
だがそんなわけにはいかない。ここだ。ここなのだ。ここで全力を出さなければ後悔するだろう。
そんな確信にも似た予想があった。
だから逃げるわけにはいかない。別にかっこ悪くてもいい。無様でもいい。今頃必死な形相で走っている俺の顔はさぞかしブサイクだろう。
それがどうした。別に他人にどう思われようと構わない。大事なのは彼女の笑顔なのだ。彼女との約束なのだ。
それを守らずして何が男だ。そんなことで大事なえりを守れるか。
呼吸の辛さ、体の痛みに耐えて走り続ける。
力を振り絞り、足を何度も何度も前へと動かし進み続ける。
あと少し。あと少し。
白組の奴の背中はそこまで来ている。
あとは抜かすだけだ。最後の最後まで振り絞れ。絶対抜かすのだ。
一歩、また一歩と進むたびに目の前の人との差はどんどん縮まる。
届け。あと少しだ。あと少し伸ばせば抜かせる。
よし……よし!
隣に並び、抜かした!そう思った瞬間ゴールしていた。
勝った……。勝ったんだよな……?
乱れる呼吸に思考が定まらないなか、周りを見回す。
「やった、優勝だぞ!赤組の優勝だ!」
「よっしゃぁ!」
わあわあと赤組が集まって盛り上がっているのが目に入った。
ほっと胸の中で安堵する。約束を守れた。無事追い抜き、赤組が男子リレーで勝ち、総合優勝も決まったのだ。
息も絶え絶えで今すぐ倒れ込みたいがまだ倒れるわけにはいかない。
プルプルと震える足を動かして周りを見渡す。
言わなければ。彼女に報告してまた笑ってもらうのだ。
探す。
もう体育祭は終わったと教室に帰る者たち。
また探す。
仲良い人たちで集まって話している者たち。
もう一度探す。
赤組で集まって盛り上がっている者たち。
別な方向を探す。
急いで閉会式の準備に取り掛かっている委員の者たち。
ーーーーいた。
くりくりとした愛らしい瞳に筋の通った綺麗な鼻筋。ぷるんと熟れた果実のような赤い唇。白く透き通るような綺麗な肌。そして見惚れほど艶やかで煌めく美しい黒髪。
俺の大事な人。守りたかった人。何度も助けてくれた人。時々うざいが話すのが楽しい心休まる人。
えりはこちらを向いていた。ぱっちりとした二重の瞳と目が合う。
「えり」
話しかけるとパァっと顔を輝かせてトコトコと駆け寄ってきた。
「先輩!本当に勝つなんて!ずるいです!カッコよすぎですよ!もう、本当に先輩は優しくてずるい人です」
早口でテンション高くいつもよりさらに明るい声で話かけてくる。真っ直ぐにこちらを見つめる彼女の顔には元気いっぱいの笑顔が浮かんでいた。
えりはへにゃりと目を細めて笑っている。それはもう見ているこっちまで笑顔になりそうなほど嬉しそうに。
彼女の顔にさっきまで泣きじゃくった姿はどこにもなかった。
太陽のように眩しく天真爛漫な笑顔にきゅっと胸が痛くなる。魅力的な笑顔で見つめてくる彼女から目を離せなかった。
よかった。笑ってくれた。元気になってくれた。
安堵するとともにその笑顔はとても魅力的で胸が高鳴るを感じる。
何度も感じてきたこの心地いい痛み。彼女と話していると時々なる。
ずっと不思議に思っていた。これはなんなのか。
簡単なことだった。彼女の笑顔を見てすぐに分かった。
ああ、そういうことだったのか。
俺はえりの笑顔が好きなのだ。えりが笑っている姿が好きなのだ。
言葉にして心の中にストンと腑に落ちる。カチリとピースがハマっていく。不鮮明だった自分の気持ちは明確な形をもって心の中に現れた。
ーーーーああ、俺は彼女のことが好きなのだ。




