目が覚めたら天国?
落ちた、筈だった。
私が落ちるところを見ていた彼女たちの表情の全てを覚えているし、殴られたり小突かれたり、髪の毛を引っ張られる痛みも忘れていない。それなのに、あれが記憶違いとか、夢とかというのは信じられない。
けれど、あれが現実なら私は死んだことになる。あんな終わり方ってないわー。そう思うけれど、今更どうにもできない。それよりも、今の自分の現状を知りたい。
空はよく晴れた晴天で、小鳥の軽やかなさえずりが聞こえてくる。
吹き渡る風は排気ガスなんか微塵も感じない、実にさわやかな心地よい空気で、微かに甘い花の香りまでしてきた。
白い子ヤギと戯れるほっぺの赤い女の子が住んでそうな草原は、どこまで見渡しても電線一本見えてこない。
これって、日本じゃない?やっぱり天国?
遭難した時はその場から動かないことが鉄則らしいけど、それは遭難したことを誰かが知ってればの話。
私の場合ここにいることを誰かが知ってるなんていうのは希望的観測だし、自分から町なり村なり、人が住んでるであろう場所を探さないと、このまま野宿する羽目になっちゃう。
空を見上げればまだ太陽は中天にあるし、夜までにはなんとか森を抜けられるといいな。
そう思って開けたこの場所から移動しようとしたその時、後ろの茂みからガサガサと木々を掻き分ける音が聞こえてきた。
「………」
心臓がドキドキと早鐘のように鳴り出して、ぶわりと毛穴が開く感覚がした。
恐怖に蒼褪めながら、ギギギギっと音がしそうなくらいぎこちない動きで首を回してみれば、確かに茂みがガサゴソと動いているのが見えた。
ヤバイ、逃げないと。
茂みから出てくるのが小さなうさぎとかなら可愛いで済むけど、蛇とかクマとかだったらどうしよう。
自慢じゃないけど、蛇は見ただけで絶叫する。某珍獣ハンターさん並みに嫌いなのである。
ジリジリと後退りして距離を取ろうとしたのがいけなかったのか、後ろ向きで逃げようとしたのが悪かったのか、なにかに蹴躓いて後ろ向きのまま盛大に尻餅をついてしまった。
「ぎゃっ……っ」
乙女にあるまじき悲鳴を上げてしまってから、慌てて両手で口を押さえた。
もし茂みの向こうにいるのが猛獣なら、声を上げれば人がいることがわかってしまう。そうしたら、こっそり逃げ出すことができなくなるからだ。
けれど、声を抑えるのがやっぱり遅すぎたみたい。
木の陰から出てきた前足は、どうみても毛むくじゃらの熊のようなものだったのだから。
「っ……」
それでもまだ逃げられるかもしれないと、一縷の望みを抱いてこぼれ落ちそうになる悲鳴を必死で飲み下す。
ズンっと地面が揺れるような衝撃と共に、見たこともないくらい大きな魔物が目の前に現れた。なんで魔物だと思ったか?だって、額にツノがあったし、目が真っ赤に染まってたし、でもなによりなんだか禍々しい感じがした。
なんの証拠もないけれど、これは良くないものだと感じだんだ。
「グルルルルルルルッ」
獰猛な呻き声を上げながら魔物が迫ってくる。逃げようと思うのに足に力が入らなくて、立つことすらできない。
血走ったような赤い目が私を見て、まるで舌舐めずりをするように赤い舌を覗かせると、大きな口をニタリと歪めた。
見上げるほど大きな巨躯が、獲物を弄ぶように殊更ゆっくりと迫ってくる。
ガタガタと震えながらも、必死で力の入らない足で足掻いた。一ミリでも距離を開けたくて必死なのに、魔物の顎はあっさりと私の頭の上に伸びてきた。
「ひっ!…」
ギラリと光る牙がずらりと並ぶ大きな口が開かれて、生臭い息が顔にかかる。
もうダメ、食べられる。
さっき屋上から落ちたと思ったら、今度は魔物に食べられるとか、自分はどれだけ不幸な星の元に生まれてきたんだろう。と、己の不運に泣きたくなる。
せめて痛くなく死にたい。そう思ってギュッと目を閉じた。
読んでくれてありがとうございます。