~序章~
二人目を出産し、もっと幸せになるはずだった。
20XX年2月。
長男「晴男」の1歳の誕生日を目前に、私は悶々としていた。
4月1日から保育園に預けて職場復帰しなければならないのだ。
妊娠中「早く職場復帰したい」と思っていたこの私が。
保育園激戦区のため、断ったら最後、入る保証はない。
私は考えた。
どうすれば晴男とずっと一緒にいられる?
保育園に預けないで、自分で育てたい。
親バカで結構。晴男は本当に可愛い子で、私達夫婦のそれぞれ良い所ばかり遺伝していた。
私から、人見知りしない所、色白な所、クリクリな目。旦那から、長い足、小さい顔、高い鼻、ガチャガチャうるさくない所。
夫婦揃って顔は松竹梅の梅なので、奇跡の子なのかもしれない。顔立ちが整っていて愛嬌も良く、近所の皆さんに可愛がって頂いた。
晴男を授かる前に、一度、妊娠したことがあった。
6週で流産してしまい、悲しみに明け暮れた。
それから2ヶ月後。再びお腹に宿ってくれたのが、晴男。
しょっちゅう出血し、お腹が張って、心配な妊婦生活を経て産まれてきてくれた晴男。
毎日の成長が楽しみで、一瞬一瞬が大切。
晴男と離れたくない!
短絡的で発作的な行動力のある私は、仕事を終えて帰宅した旦那にこう告げた。
「二人目作ろっか?」
旦那の返事は決まっている。
「いいよ。」
二人目作って、このまま退職しよう作戦!
余談ではあるが、妊娠あるあるで、夫婦の営みが減る又は無くなるご家庭は少なくない。我が家もそうだった訳で、妊娠に気付いてからそのときまで一切の営みは無くなっていた。
営業再開(笑)に関して旦那が拒否する訳がなく、全ては私の思惑通りだった。
が、しかし。作戦失敗。
妊娠していなかったのだ。
3月中旬。人事部からの連絡で、4月1日からの勤務地が決定。
慣らし保育のため有給休暇を使い、4月の3週目から出勤となる。
申し遅れましたが、私は大手金融機関勤務。全国に支店はあるけれど、ノンキャリ女性については引っ越しを伴う異動がない。都内在住であり、電車通勤の範囲内での勤務は、ありがたいシステムである。
そして、旦那は自営業。建築関係で、私は年商も業務内容も一切興味なし。
住宅ローンや保険などの引き落とし分と、家計にかかる分を毎月現金で頂くスタイル。
旦那がいくら稼いでいるか知らないイコール、いくらお小遣いに使っているか知らないし、逆に私のお給料は、私のお小遣いになる訳で、そういう夫婦の形をとっていた。
育児休暇中は、定期的に職安から手当てが支給されていたので、何も困らなかったが、二人目妊娠を期に退職しようなどと、よく考えついたものだ。
私の収入が無くなったとして、生活は出来るのか?私のお小遣いはどうなる?旦那の収入を確認してから行動するべきである。
短絡的すぎて、自分が情けない。
なにより、二人目は時期尚早だったのだ。
4月。
保育園に入園した晴男は、歩き始めるまで0才児クラスで過ごすことになった。
職場復帰したものの、私自身の体調が良くなかったので、使う予定ではなかった時短勤務を申請した。9時から16時半までの勤務で、満員電車を避けて通勤できる。しつこいようだが、本当にありがたいシステムの職場である。
体調不良。
これが私の運命を左右する全ての始まりであった。
妊娠していたのだ。
忙しさに追われ、気付いたときはすでに8週。
あわただしく母子手帳をもらってきた。
晴男の妊娠が分かったときは、それはもう、嬉しくて嬉しくて、心拍の確認とエコーでの様子を見ては、安心する生活だったのだが。
二人目は強い。出血もしないし、ほとんど張らない。
妊婦健診を忘れてしまうほど(実際忘れて医者に叱られた)何もなく、ただただ晴男の可愛い盛りの成長が楽しみで仕方なかった。
このときは、仕事復帰したことを後悔などせず、仕事と育児と家事をこなしている自分に、さらには妊婦で頑張っている自分に、心底陶酔していたのだ。
10月には再び産休に入ることも、会社は受け入れてくれた。
時は過ぎ、12月。
予定日を5日も過ぎて誕生した「晴子」は、陣痛から4時間のスピード安産で、母体に全くダメージを残さずに産まれてきてくれた。
助産師さんは、私に晴子の顔を見せたかと思うと、足早に奥に連れて行った。
晴子は普通ではなかったのだ。
産まれた瞬間こそ産声を上げたものの、その後は一切泣かず、目を見開いたまま私を見つめ、赤ちゃんらしい手足のバタつきもなく、ずいぶん静かな赤ちゃんだと思ったのを、今さら思い出している。
次は、 ~第一章~ 晴子誕生から3才まで




