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蠱毒  作者: 不覚たん
表象編
9/56

ディスコミュニケーション

 小梅は浴衣姿で戻ってきた。

 ろくに拭いてさえいないのか、髪も体もびしゃびしゃだ。

「終わったから入っていいよ」

 満足げな表情だが、水が滴りまくっている。いつもは姉に体を拭かせているということか。というより、まともに体を洗ったかどうかも疑わしい。

 権兵衛も渋い表情だ。

「お前、ちゃんと拭いたのか? 風邪ひくぞ」

「はぁーい」

 そして家の中へ。

 親の話を聞いていない。反抗期になりかけの娘といった感じか。部外者の俺は、愛想笑いで見守るしかない。


 権兵衛は、キマリの悪そうな顔でこちらを見た。

「次はあんたが入ってくれ」

「いや、悪いですよ。俺は最後に入ります」

「遠慮するな。俺が入ると、ほとんど湯が残らんぞ。うちでは小さのから入ることになってるんだ」

「では遠慮なく」

 たしかに俺は、彼より大きいとは言えない。


 *


 薪を足してから風呂に入った。

 円筒状の檜の湯船に、ストーブのようなものが組み込まれた鉄砲風呂だ。熱くなりすぎれば瓶から水を足す。

 ともあれ温度調節に難儀し、けっきょくクソ熱いまま入浴を終えた。


 庭ではまだ権兵衛が火をいじくっていた。

 ヘビは行方不明のまま。

 ここでは各人が好きなように暮らしているようだ。法もない、カレンダーもない、時計もない、行事もない、他者もない、そういう場所だ。可能な範囲で思うまま生きたいのだろう。

 俺は彼に挨拶をし、家へ入った。


 居間では、小梅が膝を抱え、囲炉裏の火を見つめていた。

 両手でつかめそうなほどの、ほのかな火だ。くべられた細枝も、遠慮がちにパキりと鳴った。

 電気なんてものはないから、ゆらめく炎だけが照明だった。

「お茶飲む? 小梅がいれたげる」

「ありがとう」

 てっきり「いれろ」とでも命じてくるのかと思ったが、予想外にしおらしい対応だった。

 湯は湧いているらしく、小梅は釣られた鉄瓶をとって、いったん置いた。

「少しさますね」

「うん……」

 髪をまっすぐのまま放っている。薄闇の中、ただじっと黙っていると、本当に鈴蘭そっくりだ。

 などと、なにかにつけて鈴蘭の面影を追ってしまう自分が恥ずかしいが。


 茶葉を入れてから湯を注ぐのではなく、先に茶葉を入れておいて煮出すタイプのようだ。暗すぎて色は分からないが、においはお茶そのものだった。

 熱さを警戒しながらすすったが、それでも凄まじく熱かったので、俺はそのまま湯呑みを置いた。

「ねえ、人間。小梅、行かないほうがいいのかな」

「お父上はそう言ってるぜ」

「あんたの意見を聞いてるの」

 俺の意見、か。

 正直、なにも考えてなかった。なにせあの父親さえいれば、単騎でも餓鬼を倒せるのだ。母親もセットだとなお嬉しいが、もはやオーバーキルであろう。

 もし小梅がついて来れば、権兵衛の言う通り、彼の仕事が増える。のみならず、俺も姉の代わりにこき使われることだろう。仮にそこで間違いを起こせば、俺も餓鬼と一緒に死体になる。

 留守番していてくれたほうが、俺の生存率もあがるというわけだ。

 だが、姉を心配する気持ちは本物だろう。留守番を強制することはできない。

「俺は特に意見はない」

 すると小梅は、急にむっとした顔になった。

「はっ? それ本気で言ってんの?」

「本気っていうか、まあ……はい……」

「なにそれ! 人間、小梅のこと好きだよね? 一緒に来て欲しいよね? なんで素直にそう言わないの?」

「仮にそうだとして、好きな子を危険に合わせたくないって考えるかもしれないだろ」

「ごはんはどうするの? お腹すいたら、誰からもらうの?」

「それは……」

 たぶん権兵衛が動物でも捕まえてくれるんだろう。あるいはここのありあまる野菜を持っていくとか。ゲロ以外のメシを食えるチャンスだ。

 そう考えると、彼女には断固として留守番してもらったほうがいい。

 俺は結論を先送りにした。

「ここで俺たちが議論してもしょうがない。決定権はお父上にあるんだから」

「じゃあどうするの? このまま寝るの? 小梅、ひとりで寝れないから、人間と一緒に寝たいんだけど」

「それはムリだ。お父上に殺される」

「はっ? 父さまがそんなことするわけないでしょ?」

「しないと思うが、俺はあの人を怒らせたくない」

「変なことするわけじゃないし、いいじゃん! あ、それとも変なことする気だった? 小梅、べつにいいけど。相手が姉さまだと思えば問題ないし」

 身を乗り出して、嘲笑するような表情を見せた。

 できることなら、この生意気な口をふさいでやりたい。だがそうするのはあきらかに得策ではない。

 彼女はニヤニヤしながら、浴衣の胸元をパタパタさせた。

「あー、なんだか体が熱くなっちゃった。なんでだろ?」

 だが残念ながら、彼女のそれはあまり豊かではない。

 なのだが、俺は諸般の事情により、立ち上がることのできない状態になりつつあった。体が疲れ切っているから早く寝たいのに。

「小梅ね、誰かに抱きついてないと眠れないんだぁ。あーあ、誰か小梅のことぎゅってしてくれないかなぁ?」

「……」

 あまったれた声を出しやがって。

 俺は湯呑みをつかみ、少しだけ茶をすすった。たしかに、体が熱くなってくる。これから就寝だというのに、ちょっと濃すぎるように思う。ぜんぶ飲んだらきっと眠れなくなるだろう。

 湯呑みにフタをし、思い切って立ち上がった。

「俺はもう寝るよ」

 権兵衛からは、どの部屋を使ってもいいと許可をもらっている。

「えっ? なに勝手なこと言ってんの? 人間のバカ! バカ人間!」

 罵声を浴びながら、俺は居間をあとにした。


 *


 廊下には行灯が置かれており、足元をぼんやり照らしていた。誰かが火をつけたのか、あるいは魔法のたぐいかは分からない。

 俺は適当な部屋を選び、おそるおそる中を覗き込んだ。

 掃除のよく行き届いた、箱のような無人の和室。しんとしていて、やや不気味だ。木造家屋は細かな音を吸収するから、マンションのような硬質な音がしない。

 押し入れにある布団を敷き、俺はその上に寝転がった。

 いい心地だ。

 これまでは、あまりまともな環境で眠ることができなかった。基本は野宿。あるいは無人のマンションなどに入り込み、勝手に寝たりもした。しかしベッドは硬いし、布団もボロボロ。

 こんなに上等な布団ではなかった。

 呼吸を繰り返していると、全身の力が徐々に抜けていくのが分かった。そうしてぼんやりしているうちに、意識も次第に遠のいていった。


 *


 ふと、女の座しているのに気づいた。

 青白い顔の、ぬぼーっとした女だ。年齢不詳。羽衣をつけ、ふわふわ浮いている。見知らぬ女だったが、なぜか恐怖はなかった。

 というより、おそらくこれは夢の中の出来事なのであろう。俺自信の姿がない。

「人の子よ、お話があります」

「あなたは?」

「かさね。この家の主です」

「……」

 これが例の亡霊か。かさねと名乗った。やはり真の母親か。

 青白いとはいえ、白い肌に月の光を浴びたような妖艶さだ。鈴蘭と小梅によく似た顔をしている。表情は暗いし、どこかかげりのある顔立ちだが、底知れぬものを秘めた超越的な存在にも見えた。

 髪も絹糸のように輝いている。

「話とは?」

「夫を説得して欲しいのです」

「説得?」

「あなたも見た通り、私は普段、ヘビの姿で暮らしています。ただしあの状態では言葉を発することもできず、他者の言葉も聞き取り困難なため、私が私であると証明することができません。なによりヘビとしての本能が勝ってしまうため、誰の目にもただのヘビとしか映らないことでしょう」

「……」

 本人だったのかよ。

 いや、彼女はウソをついている可能性がある。悪い亡霊ならば、姿を姉妹に似せることもできるだろう。

 亡霊はこう続けた。

「あなたの口から、私がかさねであることを伝えて欲しいのです」

「もし事実ならばそうしたいところですが、その話を信じる根拠は?」

「残念ながらありません」

「ならムリですよ。ただでさえ娘さんのことで手一杯なのに、いまそんな話を切り出せるわけがない」

 すると彼女は寂しそうな表情を見せた。

「もちろんうまくいくとは思っていません。ただ、こちらとしては、こうして旅人が来るたびお願いするしかない状況でして」

「きちんと事情を説明すれば、権兵衛さんも分かってくれるのでは?」

「説明はしています。ただ、夫はどういうわけか、かたくなに信じようとはせず……」

「目の前で変身して見せればいいのでは?」

「難しいですね。新月の晩に、山中で儀式をせねばならず……。自由に変身したり戻ったりできないのです。それに、もしその姿を見せたところで、あやかしの妖術だと思われるだけでしょう」

 一理ある。なにを見せられたところで、妖術だと思えば信用にあたいしなくなる。

 彼女はかすかに嘆息した。

「せっかく人の姿で家へ帰っても、千年近く連れ添った伴侶に追い返されるのはつらすぎます」

「千年も!?」

「たしかに初めて会ったのはヘビの姿でしたし、ほとんどの時間をヘビのまま過ごしましたから、夫にとってはヘビが伴侶の姿なのでしょう。私としても、ヘビと人間、どちらか一方のみが真の姿というわけではありませんし……。しかしこのまま娘の世話さえできないのは……」

「証拠さえあれば協力しますよ」

「おそらく鈴蘭は理解しています。ですので、まずはあの子を救い出し、説得して協力を取り付けてください。あなたの言うことであれば聞くはずですから」

 なるほど。

 素直に応じてもいい。いいが、この話はどこか引っかかる。

「すずさんは気づいていると? もしそうなら、彼女に頼めば済む話では?」

「私もそう思うのですが、なぜかかたくなに協力を拒むのです」

「証拠がないせいでは?」

「そうかもしれません。しかしこの件について、夫に相談さえしていないようなので……」

 ずいぶん冷たい対応だな。あまり親子仲がよろしくないのか。あるいはこれが母親でもなんでもなく、悪い亡霊だから相手にしていないだけか。

「ともあれ、俺にできることにも限界がありますよ。信用にあたいする証拠さえないんだから」

「鈴蘭にこの話を告げるだけで構いません。頼みましたよ、人の子よ……」

 意識が、ふたたび遠のいていった。


 *


「人間! 起きて、人間! 朝よ! あーさーっ!」

 体を揺すられ、俺は目をさました。

 小梅だ。顔が近い。

「起きた? おはよ。起きたら小梅の髪して? 可愛くしてくれないと怒るから」

「ちょっと待って」

 朝からわがまま全開だ。

 戸が開ききっているせいで、朝日が差し込んできて眩しい。


 その後、小梅の部屋に連れ込まれ、鏡の前で髪を直してやった。使い込まれた鼈甲の櫛がある。ちょっとした化粧箱やらがあるほかは、俺が寝泊まりした部屋と大差なかった。

「なあ、小梅。お母上のことなんだけど」

「なに?」

「人間の姿になることってあるのか?」

 すると小梅は、小馬鹿にしたような顔を見せた。

「はぁ? なに言ってんの? そんなことあるわけないでしょ! 母さまは最初からヘビのままよ!」

「じゃあ君はどうやって生まれたんだ? まさかタマゴってわけじゃないだろ?」

「知らないわよ! 自分がどう生まれたかなんて! そういうあんたは覚えてるわけ?」

「いや、覚えてないけど……」

 少なくとも俺の母親は人間だしな。タマゴじゃないはずだ。しかし証明しようがない。

「じつは昨日、お母上の夢を見てさ。人間の姿にもなるって言い張るんだよ。だから実際はただのヘビじゃない可能性もあると思ってさ」

「なんなの? 小梅の母さまがヘビってことを否定したいの? けっこう失礼なこと言ってると思う!」

「あ、ごめん。そういうつもりじゃないんだけど」

 まったくもって小梅の指摘通りだ。

 ちょっと夢を見たからって、人の母親がどういう存在かを一方的に決めつけるのは失礼である。仮に人間の母を持つ相手に対し、「君の母親がヘビって夢を見たんだけど」などと切り出せばどうなろう。いい印象を与えないはずだ。

 権兵衛に対しても同じだ。家に来たばかりの人間が「俺のほうがあんたの奥さんのこと知ってるぜ」と主張したところで、争いの火種にしかなるまい。

 この話は忘れよう。

 もしするにしても、鈴蘭を救出してからだ。夢の話が事実なのだとすれば、彼女にはこの話が通じるようだからな。

 権兵衛がヘビの姿を愛しているというのなら、現状維持でもいい気はするが。娘の世話をしたいというかさねの気持ちも分からないではない。


(続く)

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