家庭
それにしても大きな家だ。
ひとつひとつの部屋は普通サイズだが、外から見た限り、かなりの部屋数を確認できた。なのに、暮らしているのはたったのふたり。
「ずいぶん広い家だけど、ふたりで住んでて寂しくならない?」
「なるよ。だから人間もここに住みなよ」
「うーん……」
いや、待て。
ふと思い出したのだが、たしか姉妹は同じ部屋で寝起きしているという話だったよな。山ほど部屋があるのに。いったいなぜ……。ただ単にイチャつくためか。
「ね、人間。お茶いれて」
「はっ?」
「外に井戸があるから、そこから汲んで水瓶に入れて。で、かまどで湯を沸かすの。火はこれでつけて。薪は納屋にあるから」
「はい……」
謎の呪具を渡された。どう使うのかも分からないが。
客ではなく、あくまで使用人として扱うつもりか。いや、使用人というか、姉の代わりだな。分かりましたよ。住む場所もメシも与えてもらう立場だ。お茶くらいはいれて当然だろう。
外へ出ると、ちょうど蔵から出てきた権兵衛と鉢合わせした。胴と肩当てをつけ、頭には笠、手には巨大なナタを持っている。
「お、どうした? 便所はそっちだぞ」
「いえ、ちと水汲みに」
すると権兵衛は口をへの字にした。
「また小梅がわがまま言ったのか? 聞くことないぞ。あいつ、いくつになっても自分でしようとしねぇんだから」
「こっちはいろいろ世話になってますから」
「そうか? ま、ほどほどにな。俺ぁしばらく家を空けるが、その間、適当にやっててくれ」
「えっ? もう行くんですか? ひとりで?」
戦力に不足はなさそうだが。
権兵衛はニッと白い歯を見せて笑った。
「なぁに、心配いらねぇよ。すずとふたりで、すぐ帰ってくるからよ」
「待ってください。俺も行きます。連れてってください」
挽回したかった。
我が身可愛さに鈴蘭を売り飛ばした格好だ。このままじっと待っていたら、自分自身が許せなくなる。
権兵衛はきょとんとしていた。
「あんた、なんか武芸の心得でもあんのかい?」
「宝蔵院流を少々」
「ほうぞう……? どんな流派だ?」
「えっ? えーと、なんか槍で……えいえいって……」
「いや、いいんだが……。怪我しても泣かないって約束できるか?」
「はい」
たぶん怪我したら泣くが、当たらなければどうということはあるまい。要するに、権兵衛を主力として突入させておき、俺は脇からサポートすればいいのだ。
すると権兵衛は、ぽんと手を打った。
「そういや、人間用の武具が一式あったな」
ナタを置き、ふたたび蔵へ。
おっとこれは……。伝説の武具が手に入るフラグなのでは? こういう家には、由緒あるブツが眠ってそうじゃないか。
すると家から小梅が飛び出してきた。
「待って! 小梅も行く!」
話を聞かれていたか。
蔵の中で頭をぶつけたのか、ゴンと鈍い音を立ててから、権兵衛が渋面のまま出てきた。笠をかぶっていてよかった。
「お前は留守番してなさい」
「なんで?」
「危ないからだ」
「父さまがいれば大丈夫でしょ!」
「お前、俺の仕事を増やす気か? すずとお前と人間、その三人を俺ひとりで守ることになるんだぞ」
たぶんそうなります。
小梅はそれでもうなずかない。
「やだ。行くもん」
「お前、餓鬼が来てもびゃーびゃー泣かないでいられるか? どうなんだ?」
「泣かないから。さっきも大丈夫だったし」
「かさねが助けに入ったからだろ」
「だったら母さまも連れて行こうよ!」
そうだそうだ。
あのヘビをぶっ込ませたら、一瞬で敵陣を崩壊させることができるぞ。おそらく被害も最小限で済む。
だが、権兵衛はすこぶる厳しい表情だ。
「ダメだ。あいつは置いていく」
「なんで?」
「なんでもだ」
理由さえ言わないつもりか。
小梅がむすっとして黙り込んでしまったので、俺が代わりにつついた。二対一なら父上も少しは交渉に応じてくれるかもしれない。
「失礼ですが、女性は家にいるべき、というお考えなのであれば、やや保守的にすぎると言わざるをえません」
「保守的で結構。文句があるなら、あんたも家で留守番しててくれ。俺ひとりでも十分だからな」
取り付く島もない。
話はおしまいとばかりに、彼は蔵に戻ってしまった。
*
権兵衛がなかなか出てこなかったので、俺は水を汲み、かまどで湯を沸かし始めた。
謎の呪具は、俺にも使えた。文様の描かれたすべすべの小石だ。手に握って念じれば、薪に火がつく。
換気扇などないから、台所はひたすらけむたい。まあ窓もあるし、天井も高めで、煙を外へ誘導する造りにはなっているのだが。
「ねえ人間、お湯湧いた?」
「いま火をつけたばかりだよ」
「小梅、お風呂も入りたいから、そっちもお願い」
「うむ……」
そういや数日前に川で水浴びしたきりだったな。じつに、文明人とは言いがたい生活だ。それでも水があり、火があり、家があり、生きるためのリソースが一通り備わっているのは幸福なことだ。なによりここは安全だし。
風呂場は外にある。
とんでもなくデカい檜風呂だ。もしかしたら権兵衛サイズなのかもしれない。そこへ井戸から汲んだ水を流し込み、いっぱいにせねばならない。もちろん一回じゃ足りないから、何度も繰り返しの重労働だ。しかもこのあと、火をつけて沸かさねばならない。
蛇口をひねれば水が出て、スイッチを入れれば湧くような、便利な社会じゃない。
風呂と井戸を往復していると、まだ湯船に半分も溜まっていないのに、もう腕と腰が痛みだした。長旅の疲れもあるし、ついさっきまで餓鬼と戦っていた。くたくただ。
俺は汲んだばかりの清冽な水で喉をうるおし、縁側に腰を下ろした。
不思議な空間だ。
周囲は柵に囲まれている。あとは蔵と井戸と、デカい岩しか見えない。空もあいかわらず白いだけ。
生きる意外、特になにもすることがない。娯楽もない。ネットもない。近隣に住民もない。ひどく退屈だ。
うら若き鈴蘭が、この閉塞した空間から抜け出したくなる気持ちも、分からなくもなかった。
やがて権兵衛が出てきた。
「すまんが、これしかなかった」
彼が抱えていたのは、茶色く錆びた、いや朽ちかけた、薄い金属板のひしゃげたようなものだった。
歴史の教科書で見たことがあるぞ。たしか埴輪がこんな感じのを装備していた。もっと侍っぽいのを期待していたのだが……。
権兵衛はすると、その場に鎧を置き、どっと岩に腰をおろした。観賞用の岩かと思いきや、じつは彼の椅子だったらしい。
「出発は明日にしよう。小梅を説得せにゃならん。あんたも手伝ってくれると嬉しいんだが」
「残念ですが、俺も小梅ちゃんと同意見ですよ」
「嫁にはこの家を守ってもらわにゃならんのだ。連れて行くことはできない」
「守る? なにから?」
この家を狙う命知らずがいるのか?
例の天使たちは地上に興味はないはずだが。
権兵衛は渋い表情で、深く溜め息をついた。
「怖がるといけねぇから、小梅たちには内緒にしてるんだが……。この家には出るんだよ。青白くて、ぬぼーっとした亡霊みてぇのがよ」
「亡霊……」
俺、今日この家に泊まるんだけど。
権兵衛も深刻そうな顔だ。
「ハッキリとした正体は分からん。おそらく山にいる悪霊のたぐいだと思われるが。かさねが家を空けたある晩、いきなり出てきやがってな。あろうことか、娘たちをよこせと言って来やがった」
「えぇっ」
「ま、帰ってくれって言ったら、すごすご帰っていきやがったが……。その後も、懲りずに何度も来やがって。決まって俺がひとりのときに来やがる。だからこの家には、かさねが必要なんだ。俺は娘たちを失いたくない」
「……」
どうなんだ。
可能性のひとつとして、それがじつの母親なのでは、という気もするが。
いや、亡霊の正体がかさねだと言っているのではない。俺はもうひとり、小梅と鈴蘭を生んだ母親の存在を想定している。それが時を経て、亡霊となって現れたのでは。
もしそうであれば、自分の代わりに居座っているヘビを避ける気持ちも分かる。
「あのぅ、ちなみにですが、かさねさんは夜中に家を出てなにを?」
「あいつか? さあ、かなり気まぐれなところがあるからな。小腹が減ったとか、たぶんそういうことだろうぜ」
娘たちは空腹にもならず、むしろ食料を生み出す側だというのに、母親のヘビは空腹になるというのか。小梅も腹が減ったと主張することはあるが、食わずとも平気らしいし。
やはり血のつながらない親子なのでは。
権兵衛は立ち上がった。
「風呂の水は俺が汲んでおく。あんたは家でゆっくりしててくれ。メシの時間になったら呼ぶ。山に罠を仕掛けておいた。きっとなんかかかってるだろ」
「えっ? あ、ありがとうございます!」
まさか、久々にゲロ以外のモノが食えるのか?
お義父さんと呼ばせてください。
ぜひ一緒に小梅ちゃんを説得しましょうね!
*
さて、そして家族会議の時間がやってきた。
日は落ちるかどうかという頃合い。空は曇りきっているが、それでもかすかに地平線から茜色の光を差し込ませている。
岩の前には火が起こされ、新鮮な鹿肉が丸々焼かれている。その赤々とした炎の脇に、採れたての野菜が串焼きで炙られている状況。見ているだけで腹が鳴る。
お義父さんが上座というか岩に腰をおろし、俺と小梅は向き合う位置で座った。かさねはどこかへ行って不在。
「あー、それじゃあメシの前に、今後の予定を話し合いたいと思う」
権兵衛が白々しく切り出した。
もちろんなんの件かは分かりきっている。小梅の反論も早かった。
「小梅も姉さま助けたい!」
「ダメだ。お前はかさねと一緒に留守番だ」
「なんで? 女だから?」
「弱いからだ」
「でも人間は連れて行くんでしょ? 不公平だよ! 人間だって弱いのに!」
「お前、昼間この人に助けられたばかりだろ」
「そうだけど……」
白熱しているところ悪いんだが、目の前のトウモロコシがかなりいい具合に焼けている。早く食わないと炭になってしまう。早く食わないといけない! 誰かが!
権兵衛も気づいたらしい。
「む? 焦げる前に食うか。食いながら話そう」
「ごまかさないで! 小梅、自分のことは自分で守れるから!」
「じゃあお前のことは助けなくてもいいのか?」
「それはダメ! 小梅が危なくなったら怒るから!」
「ほら、小梅。イモが焦げるぞ」
「火が強すぎるの! なんで父さまいつもこんなに燃やすの!?」
いちゃもんのように聞こえなくもないが、実際、俺も火力が強すぎるのではと思っていた。ちょっとしたキャンプファイヤーだ。家族でバーベキューをする火力じゃない。炎に包まれた鹿もプスプスいっている。
権兵衛は渋い表情だ。
「俺はこれくらいが好きなんだ」
「信じらんない! 小梅、いつも顔熱いの我慢してるんだから!」
「俺だって熱いの我慢してんだよ。お前も耐えろ」
じゃあ火を弱めましょうよ。
誰も得しねーじゃねーかよ……。
もはやただの親子ゲンカになってんじゃないの。
まあ俺はトウモロコシを食うのに忙しくて、参加するどころではないが。
油の焦げる香ばしいかおり、プチプチとした歯ごたえ、噛むたびに弾けるジューシーなあまみ。どれもが極上の体験だ。大自然よ、ありがとう。お義父さん、ありがとう。
結局、メシを食うのに忙しく、ふたりがどんな論戦を繰り広げたのかよく聞いていなかった。気づいたときには、ふたりとも機嫌がよろしくなくなっていた。
上機嫌なのは俺だけだ。
突如、小梅が立ち上がった。
「ごちそうさま! 小梅、お風呂入る! 人間も一緒に来て」
「はっ?」
この声は、俺と権兵衛のふたりから出た。
一緒に行ってなにをするというのだ?
小梅は俺の袖を掴んだ。
「なにぼうっとしてるの! あんた、姉さまの代わりなんだから、あんたが小梅をお風呂に入れるの!」
「おい待て。いや、待て。ちょっと待て。座れ。待て待て。ちょっとアレさせてくれ。いっぺん座れ。座りなさい」
権兵衛がすこぶる怖い顔になった。
怒ったことがないとかいう話はどうなった。かなりブチギレているように見えるのだが。
小梅も不服そうだが、言われた通りに座った。
「なに?」
「すずはいい。あいつはそういう子だし、俺ももう……なんとか受け入れた。大人になったことだしな。ただ、小梅、お前はダメだろ。お前は、この男の前で裸になるつもりなのか? ん? これまでもそういうことをしてきたのか?」
お義父さん、誤解です。俺を火で炙るのだけは勘弁してください。
小梅は頬をふくらませている。
「なに? 悪い? 小梅ももう大人なんだけど?」
「大人? そういうことをしたのか?」
「そういうことぉ? どういうこと言ってんのぉ? 小梅、分かんないんだけどぉ?」
おい、やめてくれ。挑発するんじゃない。
一見、権兵衛はおとなしく座っている。が、制御不能になったらしい六本の右腕がわちゃわちゃと動き出していた。
「玉田さん、あんたの口から聞きたい。小梅と、そういうことをしたのか?」
「してませんっ! まったく、指一本触れてませんからっ! あ、いや、指くらいは触れましたけど、それはメシをもらうときにやむをえず……」
「その言葉、信じるぞ」
たぶん脳内でかなりの葛藤と戦っているはずだ。その気になれば、俺を一撃でミンチにすることだってできように。
小梅もつまらなそうに応じた。
「父さまの心配するようなこと、なにもしてないから。ただ、この人間、たまに姉さまっぽい感じするから……」
「じゃ、大事に扱ってくれたってことだな。だが風呂はダメだ。どうしてもっていうなら俺が代わる」
「父さまとはイヤ! 絶対にイヤ!」
「なにがイヤなんだ?」
「とにかくイヤなの!」
「わがままを言うな。だったらひとりで入りなさい」
「ひとりじゃ死んじゃう!」
「そのときは助けてやるから」
「ダメ! 来ないで! もういいっ! 小梅、ひとりで入るからっ! どうなっても知らないからっ!」
勢いよく立ち上がり、ぷりぷりしながら行ってしまった。
残された俺たちは、同時に溜め息。
「すまんな。俺たちがあまやかしたせいで、わがままに育っちまって。ここへ来るまで、かなり苦労しただろ?」
「まあ、少しは。けど、賑やかで楽しかったですよ」
「あんたは誠実そうでよかった。ま、すずが連れてくる男は、これまでもだいたいそんな感じだったが。中には悪いのもいるからな」
小梅が生まれてからは、鈴蘭も家へ男を連れて来たことがないようだった。おそらく悪い男がいたんだろう。
権兵衛は薪を拾い、焚き火へくべた。食事が終わっているから、さすがに火力は控えめになっている。
「本音を言えば、すずも小梅もくれてやるつもりはない。もし当人同士が望むなら、こっちは見守るしかないがな。それでも、せめてどっちかにしてくれ。ふたりはキツい」
「分かってます」
重々承知している。
なのだが、もし小梅が俺を姉の代わりにするつもりなら、夜は一緒の部屋で寝ることになるだろう。これは危険が危ない。
(続く)