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蠱毒  作者: 不覚たん
表象編
7/56

チョイス

 髪を直してくれとうるさかったので手伝ってやった。

 艶のあるストレートの黒髪だ。寝癖で少し曲がってはいたが。それを指ですいて、低めの位置で縛ってやる。誰の趣味かは分からないが、ツインテールともおさげとも言いがたいヘアスタイルだ。

 どうせ頭からタオルをかぶるのだから髪型などどうでもよさそうなものだが、小梅にとっては大事なことのようだ。


 その後、また口からメシをもらって出発。

 俺の命を自分が握っていることを実感し始めたのか、彼女は終始ニヤニヤしていた。

 ただ、さすがに疲労しているらしく、彼女がくれた食事はさらに薄味になっていた。限界まで飲まされたのに、あまり力が湧いてこない。


「ね、人間。小梅に感謝してるよね? 小梅がいなかったら死んじゃうんだもんね?」

「うむ……」

「ふふふ。じゃあ人間は、小梅がどんなにありがたい存在か分かってるよね? 小梅の命令ならなんでも聞くよね?」

「なんでもは聞けない」

「でもでも、できる限りは聞くよね?」

「可能な範囲でね」

 無邪気にマウンティングしてくる。

 餓鬼に襲われる可能性があるというのに。危機感をなくしたのだろうか? あるいは緊張しすぎて、いっそ開き直ったか。一睡もしていないようだし、あまり頭が働いていないのかもしれない。

 顔もあきらかにやつれている。


 だからこそ、俺は冷静さを保たねばならない。

 今回、俺が重視したのは進行ルートの選定だ。

 あえてコソコソ隠れたりせず、見晴らしのいいエリアを進んだ。常に長距離で周囲を確認したかった。

 物陰に潜んでいる餓鬼とバッティングするのが一番怖い。大事なのは、近寄らないこと。閉所に追い込まれたら打つ手がなくなる。

 あとは背後からの接近にも警戒し、なおかつあまり遅くなりすぎないよう進む。


 さいわい、民家のほとんどは倒壊していた。視界を遮るのは、ぽつぽつあるコンクリの建造物のみ。

 廃材や瓦礫に混じってクジラの骨もあったから、海のない埼玉にまで津波が来たものと思われる。


 もし人類が生存していれば、きっと歴史的な災害として記録されていたに違いない。

 人などいなくとも、自然は猛威を振るうのだ。

 思えば俺のいた時代も、ニュースにならないような地震は頻発していた。人の住む地域の地震は報じられるが、そうでない場所で発生した地震は取り上げられない。研究目的で計測しているのでなければ、発生したことさえ誰も気づかないのだ。地震は常にどこかで起きているらしい。


 などと、ぼんやり考えごとをしていたせいではないと思うが。

 またしても餓鬼と遭遇してしまった。

 郵便局の脇を通過したところで、ばったりと。

 建物がコンクリ製だったせいで倒れずに残っており、視界を確保できなかったのだ。ちゃんとカーブミラーもあったのに。失態だ。

 数は六体。前回より多い。

 餓鬼たちも困惑顔なのを見ると、俺たちの存在を把握していたわけではないらしい。偶発的な事故というわけだ。

 となると、連中は小梅のにおいを追ってきたわけではないと推察される。

 ごまかしきれるかもしれない。

「失礼。すぐ行くよ」

 俺は小梅をかばうようにして、そのまま通り過ぎようとした。

 が、餓鬼の一体が反応した。

「待テ……コイツラ怪シイゾ……」

「餌ノニオイガスル」

 さすがに近すぎたか。

 小梅もひっと息を飲んだ。


 ここでチョイスだ。

 もし小梅を差し出せば、俺だけは助かる。代わりに、家の場所が分からないから救助は諦めざるをえなくなるし、今後は自力でメシを調達することになる。

 あるいは、カッコつけて小梅をかばうという選択肢もある。その場合、俺は六本の槍でめった刺しにされる。

 どちらを選ぶかは言うまでもない。


 俺は餓鬼どもに告げた。

「止まれ。それ以上近づくな」

「ウルサイ。餌ヲヨコセ。サカラエバ殺ス」

 餓鬼はいっそう目を血走らせ、呼吸を荒げた。

 だいぶ気が短い。こんなシンプルな交渉さえできんとは、俺以下の知能だな。

 やむをえん。

 俺は小梅に告げた。

「君は逃げろ。俺が時間を稼ぐ」

「えっ?」

「思い出すだけで、どうしようもない気持ちになるんだよ。すずさんが連れ去られるのを、棒立ちで眺めててさ。俺ってなんなんだ? 生きてる意味は? ないよ。あんだけメシもらってたのによ。いいから行ってくれ。あんな思いは二度としたくない」

「けど……」

「早くしろ。そんなに長くもたんぞ、たぶんな」

「あんたは?」

「行け。喋ってる時間はない」

 俺は小梅の背を押し、地面から野球ボールほどの石を拾い上げた。


「餌ガ逃ゲルゾ」

「待て」

 逃げる小梅を追いかけようとした餓鬼に、俺は力いっぱい石を投げつけた。

「ガヒッ」

 そんなに距離がなかったからか、見事に顔面へ命中。しかも体が小さいせいか、勢いよくすっこけてくれた。折れた歯が数個、血液の糸を引いてアスファルトへ転げた。

「お前たちの相手は俺だ」

 どうせ死ぬんだから、精一杯カッコつけさせてもらうとしよう。

 死んだら天国に送ってくれよ。

「玉田健太郎だ。趣味はネットサーフィン。特技はない。お前たちも自己紹介しろ」

「……」

 なに言ってんだこいつ、という顔をしている。

 こんなのでうろたえるようじゃ、まだまだだな。あるいは、意外とおしゃべり好きな連中なのかもしれない。

 俺はそのアホ面に、遠慮なく石を叩き込んだ。

「ヒャギ」

 クリーンヒットだ。メジャーリーグからスカウトが来るかもしれんな。

「おっと待て。お前たちが悪いんだぞ。その槍、銃刀法違反だろ」

「殺セ! 殺セ!」

 ようやく臨戦態勢になった餓鬼が、槍を構えてどたどた走ってきた。

 不格好なランニングフォームだ。まっすぐに全力疾走してきたので、俺は真横へ回避した。四体の餓鬼は急転換できず、そのまま同じ方向に駆け抜けてから、慌ててこちらへ向き直った。

 想像以上に不器用みたいだ。


 かといって、ダッシュで逃げ切れるかどうかは分からない。短距離ならやり過ごせそうだが、長距離ともなると脚力よりスタミナがものをいう。いまの俺は、スタミナが充実しているとは言いがたかった。

 落ちている槍を拾い、なんとか呼吸を整えた。

「おい止まれ。お前ら、俺が誰だか知らねーのか?」

「……」

「宝蔵院流だ。槍の達人だぞ。もしそれ以上近づけば、お前たちの心臓を一突きにしてぶっ殺してやる。それとも、生きたまま串刺しにされたいか? できるぜ、俺ならな」

 もちろんウソです!

 生まれてこのかた槍なんて握ったこともない。

 しかもこの槍、餓鬼の手汗でかなりベタついている。いや、滑り止めの粘着物か。なんか汚い。


 ま、とにかく、さすがは俺だと自分を褒めてやりたい。

 餓鬼どもはこのウソをまんまと信じたらしく。目を見開いてガタガタ震え始めた。

「ウワァァァ、逃ゲロォ」

 絵に描いたような逃げっぷりだ。槍を投げ捨て、バンザイしながらのみっともない敗走。

 いやいや、どんだけ純粋なんだよ。なんの根拠もないウソを信じやがって。まあ俺のトークが冴えていたのは否定できないが。

 ともあれ完全勝利だ。もちろんこうなることは分かっていた。なにせ俺と餓鬼とじゃ格が違いすぎるからな。

 問題は、背後でなにかシャーシャーという音が聞こえることだ。

「へっ?」

 振り返ると、いつの間にやら退路をふさがれていた。

 俺のすぐ近くに、餓鬼が逃げ出した真の原因がいたのだ。


 混乱していたのもあるが、はじめ、白いミサイルかと思った。

 だが目がついており、口もある。

 ドラゴンか、あるいは龍か……いや、これはどう見てもヘビだ。つるりとした表面の、ガラス細工のようにキラキラとした美しい白蛇。


 さて、しかし。

 いろいろ思うところはあるが、ひとつだけハッキリしている事実がある。あまりのショックに、足が動かないということだ。

 待て、待て。

 これが例の母親という可能性もある。まだ家にも到着していないのに、母親だけが一匹でフラついているとすれば、だが。


 ヘビの頭部は、人間と同じくらいのサイズ。

 それを少しだけもたげて、俺の腹ほどの高さでじっとしている。

 体長がどれだけあるのかは分からない。とにかくずっと向こうまで長い。

 縦に細長い「蛇の目」で俺を凝視し、口を閉じて舌だけチロチロ出している。


 少しでも動いたら腹を食いちぎられそうな気がして、俺は槍を構えることさえできなかった。これはどうあがいても勝てない。

「母さま! 待って! 食べちゃダメ! それが人間!」

 小梅がダッシュで戻ってきた。

 やはり母親か。

 都合よく俺たちを発見してくれて助かった。

 安全だと分かったので、俺はその場にへたり込みたかったが、体が緊張しすぎてまだ動けそうもなかった。

 小梅はぜえぜえと息を切らせながら到着。

「よかった! 生きてたんだ!」

「ああ、助かったよ、たぶん」

「うわぁぁぁん」

 感情を爆発させて、小梅が抱きついてきた。

 そんなに心配してくれていたとは。こっちはお姉さんを見捨てたクソ野郎だってのに。

 俺も槍を捨て、小梅の体を強く抱きしめた。ちっともやましい気持ちにならず、ただ「嬉しい」という感情しか湧いてこなかった。自分も助かったし、小梅も助けることができた。これ以上の成果はない。


 が、そんな心温まる抱擁は、長くは続かなかった。

 ヘビが、地べたに伏している餓鬼をじわじわ丸呑みし始めたからだ。

 泣きじゃくる娘の脇で、いきなり餓鬼の踊り食いとは。まったく「母は強し」だな。物理的に。

 いや、しかし、だ。ホントにこれが母親なのか? 何度見比べても、ちっとも似てないぞ。


 俺は小梅と離れ、ヘビに向き直った。

「あの、助けていただいてありがとうございます。玉田健太郎と申します。娘さんの件では、その……」

 人が喋ってるのに、二匹目を呑み始めた。

 ちっとも聞いてねぇ……。

 小梅も苦笑いだ。

「ダメだよ。母さま、あんまり人の話聞かないから」

「じゃあ、どうやって意思の疎通を……」

「それはまあ、なんとなくで」

「俺、食われないかな?」

「大丈夫だと思う。ダメって言ったらそれは分かるし」

 信用していいのだろうか。

 これまで家族が食われてないんだとしたら、俺も大丈夫かもしれないが。

「それにしても、よくここが分かったね」

「うん。熱に反応するから。母さま、人探しは得意なんだ。小梅のこと心配して来てくれたみたい。勝手に家出ちゃったから」

 やっぱりただのヘビだよな。

 救われたのは間違いないが。

「あのー、どう考えても、お母さんだけで餓鬼の巣つぶせそうなんだけど」

「うん、たぶん。でも父さま、母さまのこと行かせないと思う」

「なんで?」

「戦うのは男の仕事なんだって」

「……」

 いや、どう考えてもそこらの男より強いぞ。

 妙なプライドは捨ててくれ。とんでもない戦力なのに。

「いっかい帰ろ? 家までもうちょっとだから」

「分かった……」

 ヘビは餓鬼を二匹も飲み込んだせいで、重たそうにのたのた向きを変えた。


 *


 到着した家もたいがいだった。

 いや、家そのものはいい。品のある古民家だ。無事に建っているところを見るに、災害のあとに建てられたものだろう。

 他の家がないのをいいことに、周囲をほとんど畑にしている。しかしこんなに作物を育てて、いったい誰が食うというのだろうか。父上か。


 さて、問題はその父上である。

 クソデカい。三メートルはある。左腕は普通なのだが、右腕は小さなものが六本もはえている。

 顔つきは精悍だが、表情はいたって柔和。肩まである髪を後ろで束ねた、口ひげの中年男性だ。なんというか、愛嬌がある。

「ただいま帰りました……」

「おう! 無事だったか小梅! おかえり! 心配したぞ!」

 娘をひょいと持ち上げ、満面の笑み。

 が、小梅は手足をバタバタさせて猛反発だ。

「ちょっと、おろしてよ! 小梅、もう子供じゃない!」

「そうか? 子供じゃないのなら、行き先も言わずに家を飛び出したりはせんぞ?」

「急いでたの!」

「そうかそうか」

 男は小梅をおろし、今度は俺へ向き直った。

「よう、よく来たな。あんたが今回の旅人だろ? 俺は権兵衛。これは娘の小梅。で、そっちが嫁のかさねだ」

「玉田健太郎です。お初にお目にかかります」

「ガハハ! 堅苦しいのはよしてくれ! 気楽にな!」

「いえ、そうもいかなくて……。じつは鈴蘭さんが、餓鬼にさらわれてしまって」

 そう告げると、さすがに権兵衛も困惑した顔になった。

「すずが? なんてことだ……。分かった。すぐ支度する」

 話が早くて助かる。

 前回も助け出せたらしいし、これでひとまずは安心か。


 家の前には蔵が建っている。権兵衛はその扉を狭そうにくぐりぬけ、なにやら準備を始めた。

 かさねは、もう自分の仕事は終わったとばかりに休憩タイム。丸まったまま動かなくなった。本当にこの家に居着いているようだ。

「人間、中に入ろ?」

「ん? ああ」

 小梅に袖を引かれ、家の中へ。


 土間や囲炉裏のある、まさに古民家だった。

 しかしあまりにスッキリし過ぎていて、まるで生活感がなかった。博物館などに展示されているセットのよう。普段は使用されていないのだろうか。

「どうしたの? 座って?」

「うん」

 畳のない板の間だ。囲炉裏のまわりに座布団が敷かれている。

 俺はその座布団を見つめ、突っ立ったまま尋ねた。

「どこが誰の席とか決まってるの?」

「ぜんぜん。誰がどこに座ってもいいよ」

「そう」

 念の為、下座と思われる場所に腰をおろした。

 小梅はその正面に来た。

「父さま、大きすぎるから家に入れないんだ」

「えっ?」

「だからいつもは別の小屋で寝てるの。ここで暮らしてるのは小梅と姉さまだけ」

「お母さんは?」

「夜は家に戻ってくるけど、昼間は外にいることが多いかな」

「そ、そうなんだ……」

 まあそうだよ。どう考えてもそうなるよ。


 とにかくすべてが規格外だ。

 ま、たぶん、あとは座ってるだけですべてが片付くんだろう。あの父親なら、餓鬼だって簡単に蹴散らせそうだしな。


(続く)

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