表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蠱毒  作者: 不覚たん
蛇足編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

56/56

小さな食堂

 冬が過ぎ、春が来た。

 世界の気温はほぼ一定に保たれたままだ。少し肌寒い状態がずっと続いている。


 俺たちは褒美としてアノジから家や畑を受け取り、食堂を始めた。

 要するに、人は餓えるから餓鬼になるのだ。餓えなければ餓鬼は増えない。この店は、やってきた旅人に食料を提供する場所だ。


 とはいえ、まともな旅人が客として来たことは一度もないが。

「なあ、タマケン。こんな寂れた店なんてやめて、また一緒に国でもつくろうぜ。どうせ客なんてひとりも来ねぇんだろ?」

 常連客みたいな顔の毒島が、そんなことを言った。

 寂れた店というのは事実だ。しかしこの崇高な理念を理解できぬとは、嘆かわしいとしか言いようがない。


 するとジョンも小馬鹿にしたように肩をすくめた。

「ワトソンも、この店は食品衛生法に違反してるって言ってるぜ」

 なにが食品衛生法だ。そもそも法律なんてないだろう。

 俺はすかさず反論した。

「機械がなにを言おうが知ったことじゃない。いいかい、ジョン。判断を機械に任せるんじゃない。自分の脳味噌で考えるんだ」

「自分の脳味噌で考えてもアウトだよ。嫁のゲロを客に出すなんて」

「ゲロ以外も出してる!」

「焼きトウモロコシとお茶以外になにかメニューがあるの?」

「ない。うちは厳選した料理しか置いてないんだ」

 というよりトウモロコシしか育っていないので仕方がない。しかも日差しが弱いせいで、あまり大きく育たないのだ。権兵衛のようにはうまくいかない。


 店の裏からは、赤ん坊のギャーギャー泣く声が響いている。いま鈴蘭があやしているところだろう。

 子供が欲しいとアノジに言ったら、授けてくれた子だ。なぜか卵で。すぐに孵化してギャーギャー泣き出した。名前は勝手に柘榴ざくろと命名されたが、しかし可愛くないので俺たちは「さき」と呼んでいる。


 もちろん権兵衛宅でも赤ん坊が生まれた。女の子だ。

 なぜ女子しか生まれないのか理由も聞いた。

 天界では体から食事が出る体質を「にえ」と呼ぶらしい。かつて権兵衛は、その贄の女を殺害したことがあるのだとか。その罰として、生まれてくる子供は必ず贄の娘となる呪いがかけられたという。

 以前はかなりの乱暴者だったようだ。

 ほかにも、名のあるヘビを殺した罰として、嫁にヘビを押し付けられたとも。最初は不仲だったらしいが、長いこと一緒にいるうちに仲良くなったらしい。

 やってることが日本神話のスサノオそのものだ。まさか本人ではあるまいけれど。

 天界で起こる事件は、俺にはいまいち理解しがたい。


 別の席で算盤を弾いていた龍胆が、盛大な溜め息とともにご破産にした。

「はぁ、完全に赤字ですよ。いったいなぜこんな場所で商売など始めようと思ったのです? 玉田さん、アノジさまに騙されていませんか?」

「えっ? いや騙されてないよ。自分の意志で始めたんだから」

 鈴蘭が育児に忙しいので、会計として龍胆に手伝ってもらっている。彼女は事務が得意らしいので。

「そうではありません! なぜ井戸の使用に料金がかかるのです? 薪の代金も高すぎます! あきらかにボッタクリですよ! 抗議しに行きましょう!」

「いいよ。借金なんて踏み倒しちまえば」

「そういうわけにはいきません! 最後は店ごと取り上げられて、路頭に迷うことになりますよ! ああ、なんとかしなくては……」

「……」

 そう考えると、やはり天界を滅ぼしておいたほうがよかったような気もする。毒島の意見が正しかったというわけだ。


 その毒島もジョンも、苦い笑みのままなにも言わない。相席している撫子も、ずっと無言のままだ。


 *


 客が帰ると、急に静かになった。赤ん坊は鈴蘭の腕の中でぐっすり眠っている。卵から生まれたわりには、俺と鈴蘭に似ている気もする。


 作業をやめた龍胆が、ふっと笑った。

「卵から赤ん坊が生まれるなんて、まるで昔話みたい」

 すると鈴蘭が笑顔のまま静かに応じた。

「うちではずっとこうよ。私も、小梅も、小桃も、みんな卵から生まれたの」

「あなたの家ってちょっと変よね」

「いろいろあるのよ」

「いろいろねぇ……」

 最近、ふたりはほとんどケンカしない。というより、龍胆に手伝いを頼もうと提案したのは鈴蘭だった。いろいろ言い合ったこともあり、だいぶ打ち解けたのだろう。実際になにを話したのかは怖くて聞けないが。


「失礼しますわ!」

「ちょりーっす!」

 また客が来た。旅人ではない。案内人見習いの山吹と菖蒲だ。まだ誰も担当できていないらしく、周辺をふらふらパトロールしている。

 鈴蘭が顔をしかめた。

「少しお静かに願います。赤ん坊が起きてしまいますから」

「あら失礼。ご亭主、お茶を頂戴できますかしら?」

 山吹はまるで悪びれた様子もなくそんなことを言った。

 向かいの席に腰をおろした菖蒲は、手だけで「ごめん」とジェスチャーしている。


 悪い客ではない。彼女たちは茶を飲んで金を置いていく。数少ない収入源だ。まあ金といっても、天界で流通している小銭だが。薪の代金くらいにはなる。


 俺が茶の準備を始めると、鈴蘭は商売の邪魔にならないよう裏へ回った。

 なんだかいかにも家族経営のメシ屋といった感じだ。しかも馴染みの客しかこない。

 こんなにのんびりできるのも、いまだけなのだろうと思う。

 もし今後、人口が爆発的に増えたら、たくさんの客を捌かなきゃならなくなるし、別の店舗とも争うことになる。

 そしたら店は畳むつもりだ。

 なぜならこれはままごとの延長なのだ。旅人を救いたいというのもウソではないが、他の人間が店をやるなら、そちらに任せてもいい。少し行けば毒島たちの街もある。


 俺は鈴蘭を退屈させたくないだけだ。

 かつて彼女は、天界にも帰れず、ただ地上で白い空を眺めるだけの時を過ごしていた。心の空白を抱えたまま、いつ終わるともしれない日々を生きた。

 寿命について考えれば、まず間違いなく俺が先に死ぬ。しかしこの家は残る。アノジに没収されなければ。あるいは娘も残る。人の死を見送り続けるのはつらいことかもしれないが、せめて少しでも気持ちを紛らわせてやりたいと思うのだ。


 茶を出すと、山吹と菖蒲は静かにすすり始めた。

 じつにのどかな時間だ。

 遠くで鳥たちの鳴くのが聞こえる。

 小さな囲炉裏でパチパチと薪が燃えるのも。


 場所も悪くない。

 権兵衛や小梅もたびたび遊びに来る。先日などは、生まれたばかりの小桃も連れてきてくれた。赤ん坊がひとり泣き出すと、つられてもうひとりも泣き出すという始末だったが、ちっともうるさいとは思わなかった。

 とても幸福な時間だった。

 叔母さまと呼ばれて怒る小梅も、お爺さまと呼ばれて困惑する権兵衛も、それでもどこか嬉しそうだった。

 この時間がずっと続けばいいと、心の底から思った。


(終わり)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] あらすじがシンプルながらも楽しげでよい感じです。 ヒロインがどんどんひどくなるのに、それがどんどん楽しくなってきます。 餓鬼と旅人と案内人の関係についての設定がおもしろかったです。 […
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ