氷河期
そしてじつに――じつに情けないことに、俺が鈴蘭を相手に引きこもっている間に、選挙は終わってしまった。
大統領に選出されたのは、九票を獲得した俺。椿が六票だから、かなりの接戦であった。鈴蘭にも一票入った。計十六票。結果から推測する限り、ジョンはワトソンではなく俺に入れたようだ。
その後は特に不満が出るということもなく、ちょっとした祭りが終わったような雰囲気であった。まあ地上に住むしかない人間と違い、天女たちには帰るところがある。どんな結果になろうと、さほど深刻に受け止める必要がないのだ。
*
さて、問題はむしろこれから。
いま例の電気屋で打ち合わせをしている。参加者は、大統領の俺、外務大臣の毒島、防衛大臣のジョン、そして内務大臣のワトソンだ。あまり詳しくはないが、いわゆる諮問会議とかいうヤツに相当するのであろう。
俺は安っぽいオフィスチェアを前へ進め、デスクに身を乗り出した。
「では、えー、これよりもろもろの会議を始める。まず、防衛大臣。選挙期間中であるにも関わらず、マテリアルを使い込んで兵器を増産していた件について報告せよ」
スーツなのは毒島だけで、俺もジョンもラフな格好をしている。じつにシマらない。
ジョンはうるさそうに顔をしかめた。
「なにが『報告せよ』だ。ちょっと大統領になったからって偉そうにするなよな」
「なんだその態度は。こっちは市民の代表だぞ。いいからなにか釈明しなさい」
「釈明ってなにを? これから戦争するんだろ? 兵器が必要になるじゃないか」
もう完全にヤるつもりでいるな。
これに毒島も加勢した。
「おい、タマケン。ここは俺たち人間の世界だ。いつまでも天界に指図される道理はねぇだろ。なにも全員血祭りにあげてやろうってんじゃねぇんだ。ちっと脅かしてやりゃあゴメンナサイするだろ?」
気持ちは分かる。分かるが、あまりに短絡的だ。
俺は思わず溜め息をついた。
「それでも、まずは外交から始めるのが筋でしょう」
「のんきなもんだなぁ、エー、タマケンさんよォ。その外交とやらをシクったら、即おっぱじまるんだぞ? 準備しとかねーとダメだろ」
すると追撃するようにジョンも続いた。
「そうそう。準備は大事だぜ。ギリギリになってからじゃ間に合わないんだ。いまから始めとかないと」
こいつ、例のズッキーニ・ブラスターで懲りてねーのかよ。クソの役にも立たねぇ武器作りやがって。
俺はさらに身を乗り出した。
「ダメだ。マテリアルは街の補修にも使う。新しいのが見つかってないのに、そんなに兵器ばっか作ってたら生活が壊れるだろ」
「そんなに簡単に壊れないって。あんたのいた江戸時代じゃないんだから」
「江戸時代じゃねーよ!」
「でもその辺でしょ?」
「その辺じゃない。現代だ」
「現代? 現代は二十五世紀だけど?」
「それよりは四百年ほど前だが、いまとそんなに違わないだろ。バカにするな」
言いながら思ったが、四百年ってかなり昔だよな……。
ジョンもさすがにジョークだと思ったのか、ニヤニヤしながら肩をすくめた。
すると今度は、椅子にふんぞり返っていた毒島が口を開いた。
「おい、タマケン。まさかおめー、誰のおかげで大統領になれたか忘れたのかよ? 答えは『俺』。そう、この毒島三郎さまだ。傀儡は傀儡らしく、黙って承認しろや」
「却下します。なにせこっちは市民の代表なんですから。全市民の意志を背負ってるんです」
「なにが市民だ。あいつらそのうちどっかいなくなるぞ」
「そうだとしても、いまは市民でしょう」
クソ、一方的に押しまくられている。
毒島はふんと鼻を鳴らした。
「おいおい、いいのか? こっちがなんの後ろ盾もなく強気に出てると思ったら大間違いだぞ」
「なんです? まさかクーデターでも起こすってんですか?」
「それもいいな。だが、もっといい手がある。この画像を見ろ」
すると壁のディスプレイに男女の写真が表示された。街の監視カメラで撮られたものだろうか。俺と椿がゲームセンターから出てくるところであった。
毒島はニヤケ顔だ。
「いけねぇよなぁ、若い男女が昼間っからよ」
「ただの打ち合わせですよ」
「打ち合わせ? こんなコソコソと? ふたりきりで?」
「ふたりじゃない。その後ろにもうひとりいますから。写ってないだけで」
「おめーの女はその言葉を信じるかな?」
「ぐっ……」
とんだ監視社会だ。
いや、これなんかはまだいいほうだろう。現代のテクノロジーを駆使すれば、ありもしない画像を加工することだって可能なはず。実際の写真を使ってるだけまだ良心的だ。
俺は隙をつかれぬよう、つとめて冷静に応じた。
「いや、そんなのアレなんで。べつに大丈夫なんで。俺と彼女の仲をナメてもらっちゃ困りますよ。完全にノーダメージですから」
「じゃあ見せてもいいんだな?」
「待った。見せる必要ないでしょ。だって見せる意味ないし。見せても無意味だし。だいたい、ちょっと話してただけですよ? それを大袈裟に言い立てて、あんたのほうがおかしいですよ」
「釈明は俺たちじゃなく、女にしろ」
「待った! ホントに! 待ってください! いま彼女、かなり情緒不安定だから……」
「ほう」
余計なことを口走ったばかりに、敵に餌を与えてしまった。
思わず立ち上がっていた俺は、静かに腰をおろした。
「とにかく、その画像はいったん置いといてですね。まずはマテリアルの使用に関するルールを策定していきましょうよ。そのための会議でしょう?」
「おう、前向きな話は好きだぜ。なあ、防衛大臣」
これにジョンも呼応した。
「もちろん。効率的にデス・ファージを散布するランチャーを設計したんだ。プロトタイプを試したいから、試験場を作ってもいいかな?」
「……」
こいつはきっと戦争がしたいんじゃない。いかに効率よく敵を殺せるかに興味がシフトしている。よくない傾向だ。
この「効率」というやつを追求し始めると、命がただの数字にしか見えなくなることがある。そこには悪意も善意もない。だからこそ厄介なのだ。
俺が渋っていると、毒島が悪い笑みを浮かべた。
「やらせてやれよ、大統領。若者の向学心を援助するのも政府のつとめだろ? 危なかったら使わせなきゃいいんだしよ。どっちにしろ拒否権はおめーにあるんだ」
「はぁ」
いや、拒否権がないから困っているのだ。なにせ弱みを握られてしまっている。こっちはなにも悪さしていないというのに。まるでFBI長官にへつらうアメリカ大統領の気分だ。
*
会議ではあらゆる分野で押しまくられ、へとへとになって帰宅した。
ソファには四肢を投げ出して死体のような鈴蘭。
「おかえりなさい……」
いきなり恨みがましい目を向けてきた。
帰りが遅いとでも言いたいのだろう。
「ただいま。元気にしてた?」
「ええ……」
「……」
おかしい。
美人と一緒になって、楽しすぎる毎日が始まるはずだった。
それがこんな扱いとは。
メシも食わずにまっすぐ帰ってきたのに。
空いたスペースに腰をおろすと、彼女はギロリと眼球を動かし、こちらを見た。
「ずいぶん楽しそうですね、大統領」
「いやぁ、大変だよ。あの人ら好き勝手言うからさ」
「じゃあ辞めればいいのに」
「そういうわけにも……」
見るからにふてくされている。
彼女は身を丸め、こちらに背を向けた。
「私がいらなくなったのなら、いつでもそう言ってください。受け入れる努力をしますから」
「いらなくないよ。ところで腹が減ったなぁ。なにか食べ物が欲しいんだけど」
「お鍋……」
「えっ?」
「お鍋に出します」
「うん……」
俺が立ち上がろうとすると、タコが鍋を持ってきた。
もはや手からもらうことさえ許されないとは……。
かくして俺は、鍋に吐き出されたぬるいシチューを食すハメになった。しかもなんだか味が薄い。ねとねとした湯をすすっている気分だ。
食事を終えると、鈴蘭はふっとつまらなそうな顔で笑った。
「もし毒が混じっていたらごめんなさいね」
「大丈夫。信頼してる」
「ええ、その信頼にはこたえます」
力ない笑みではあったが、表情が少しやわらかくなった。
俺は腰をあげ、水道から水を飲んで口をスッキリさせた。当てつけじゃない。なんとなくそうしないと落ち着かなかった。
彼女もなにも言わなかった。ずっと目で行動を追ってはいたが。
しかし古来より、夫婦が仲直りをするときは、同じ布団で寝るのが有効と聞いた。だいぶ前時代的ではあるし、ヘタをすると犯罪者呼ばわりされかねないが。
経験の浅い俺がそういう方法しか思いつかないのも、多少はやむをえないことであろう。問題は、彼女が応じるかどうかだが……。
「なんだか今日は疲れちゃったなぁ。そろそろ寝ようかな」
俺はそう言いつつ、チラチラと鈴蘭を見た。が、彼女の態度はそっけなかった。
「そうですか。ではお先にどうぞ」
「君は寝ないの?」
「ええ。ずっと昼寝していましたから。ほかにすることもありませんし」
「う、うん。じゃあ寝るね。おやすみ」
「おやすみなさい」
氷河期の到来です。
まあいい。ひとりで寝ろっていうならそうするよ。きっと神とやらもそうしろとお考えなのだろう。そうでなきゃこんなことにはなってない。
*
そして眠りに落ちるや、まるで空気を読む気もなく夢にアルファが登場した。
「人間の王よ、話がある」
景色は天空に浮かぶ白亜の神殿。
俺とアルファしかいない。周囲はまばゆいほどに煌めく空。なんだか天国のようだ。
「できれば別の日がよかったんですが……」
「まあそう言うな。男女の問題は私にも手伝えない。君たち自身で解決したまえ」
美麗な翼を有した神々しい姿でそんな生々しいことを言う。
俺は遠慮なく盛大な溜め息をついた。立派な玉座に座らされているのが、なんだか滑稽に思えてくる。カッコばかり王のフリをしていても、実態はまるで違うのだから。
彼は柔和なスマイルでこう告げた。
「戦いへの備えは順調に進んでいるようだ」
「彼らになにか吹き込んだでしょう?」
「ああ、そうさせてもらった。話はとてもスムーズに進んだよ。彼らは、君ほど慎重じゃないからね」
「おかげで人類はまた滅ぶかも」
俺の皮肉に、彼はしかし表情を崩さなかった。
「私がその結末を望んでいないことは理解しているはずだ」
「望むかどうかは分かりませんが、事実としてそうなりますよ」
「安心したまえ。そうはならない。なぜなら君たちは勝利するからだ」
「デス・ファージを使えばね。けど、あんなもの使ったら大変なことになる。それに、もし俺たちが勝てたとして、その後を担うあなたたちも、あんな兵器の存在を許容できないのでは?」
これが話の核心だ。
アノジを倒せるような武器を人類が有している。それはつまりアルファを倒せる武器でもある。このパワーバランスを、彼らは受け入れることができるのか。
アルファはそれでも笑みを絶やさない。
「ご心配ありがとう。しかし大きな問題だとは思っていない。いままさに、そのための信頼関係を築いている最中だからね」
「だといいんですが」
少なくとも、俺の指摘で初めて気づいたワケじゃないようだな。人類の有するテクノロジーについて、事前に策を練っている。「信頼」だけで乗り切るつもりなんてないはずだ。俺でさえあのふたりを信頼し切れてないってのに。
「それで、本日のご用は?」
「なに、確認だよ。私と手を組むかどうか、まだ明確な返事をもらっていなかった。もっとも、状況を見れば、手を組まない理由もなさそうに思えるが」
周辺から切り崩してきやがったからな。「将を射んと欲すればまず馬を射よ」と古人も言っている。毒島とジョンはすでに乗り気だ。つまり人類の三分の二が協力してしまっている。数だけ見ればすでに結果は決まったようなものだ。
が、これは数じゃない。
俺は率直に応じた。
「判断は保留にしておきます」
「あきれた。ずいぶんと頑固だな」
「この先、戦争を回避する可能性もありますから」
「やれやれ。そんな悠長なことを言っていていいのか? 君たちが戦いの備えをしていることは、アノジもとうに感づいているぞ。彼らが先手を打ってきたらどうする?」
「……」
この手口で来たか。
敵が攻めてきたらどうする?
そう聞かれれば、誰だって怖くなる。
だったら先に攻めてしまおうという気にもなるかもしれない。実際、俺たちはそれが可能な技術を有している。黙って殺されるという選択肢はない。
が、この挑発には絶対に乗るべきじゃない。
俺はべつに平和主義をアピールしたいわけじゃない。今回の件は、人間がやる国同士の戦争とは明らかに違う。
アルファは俺たちを滅ぼしたくないという。そしてその気持ちは、アノジたちも一緒だ。いずれ尽きるであろう天のエネルギーを使ってまで、過去から人類を連れてきたのだ。殺してしまっては元も子もない。
だからアノジは、俺たちを滅ぼさない。
まあ、威嚇くらいはするかもしれないが。
アルファは目を細めて微笑した。
「慎重、というよりは、目前に危機が迫るまで理解しないタイプか」
「なんと言っていただいても結構。もし俺の存在が不要なら、いずれ歴史が淘汰してくれるでしょう」
「気を悪くしないでくれ。愚弄するつもりはなかった。争いを回避しようという君の気持ちは立派だ。尊重にあたいする。しかし問題は君たちではなく、彼らなのだ。アノジは君たちを都合のいい道具としか見ていない。それは『案内人』というシステムを見ても明らかだ」
「案内人が? どういう意味です?」
たしかに意味不明なシステムではある。過去から人間を連れてきて、メシや夜の世話をする女をつける。露骨な接待だ。
アルファは端正な眉をかすかにひそめた。
「彼女たちもまた、旅人の欲求をコントロールするために用意された犠牲者なのだ」
「犠牲者? 本人が志願してるんでしょ?」
「そう、志願している。志願せざるをえない環境だからな。彼女たちの能力は、天界においても珍しいものでな。地域によっては豊穣のシンボルとして祝福されることもあるのだが……。しかしアノジの支配下では、ある種のケガレとして扱われているのだ。彼女たちの地位はとても低い。それで、やむをえず地上に降りて人間の相手をすることになる。そこにしか活躍の場がないのだからな」
これが事実ならアノジの印象は非常によくない。
アルファは目をつむり、静かにこう続けた。
「そして案内人と旅人の間には子供が生まれない。勝手に増えてしまわぬよう、コントロールされているからだ。人間には存在して欲しいが、管理可能な一定数を超えてもらっては困る。彼らはそういう考えなのだ」
なるほどペットのような扱いだ。
エサはやる。走り回る庭もやる。欲求不満も解消してやる。しかし繁殖は制限する。
俺は本日何度目かの溜め息をついた。
「話は分かりました。あなたの思惑通り、手を組みたいという気持ちも高まってます。けど、まだ返事は待ってください。ギリギリまで調整したい」
「いいだろう。強制はしない。信頼を損ねることになるからな。だがまた来る。次はなるべく機嫌のいいときに」
「ええ、ぜひそうしてください」
すると彼は、ふっと笑って姿を消した。
とはいえ「機嫌のいいとき」などあるのだろうか。
鈴蘭が機嫌を直してくれれば、こっちだってすぐにでも機嫌がよくなる。しかしいったいどうすればいいのか分からない。
大統領だ王だと偉そうにしたところで、好きな女性を笑顔にできないようでは意味がないというのに。
(続く)




