秘密
その晩、俺はまたひとりだった。
ベッドに仰向けになり、今後のことを考えているうちに眠りに落ちた。大統領になったのはいい。しかし改めて選挙をしなければ。そしてもちろん、鈴蘭の悩みも放ってはおけない。
夢に来客があった。
アノジではない。艶めく長い金髪を指でもてあそぶ、スラリとした美貌の男だ。女かもしれない。背中にはやたらと大量の翼。ガラス細工のような青い瞳でこちらを見つめている。
「はじめまして、人間の王よ。私はアルファ。天の使いだ」
「ええと……。玉田健太郎です。王ではなく、大統領ですが。それも暫定の」
アノジはクビになったのか。
景色は、白亜の神殿のような場所に変わっていた。少なくとも俺の寝室ではない。俺は玉座に腰をおろしており、彼は杖を手にして立っていた。
アルファは静かに笑った。
「いや、君は王だよ。ほとんどの人間はサル同然の生活をしている。文明を有しているのは、君たちだけだ」
「そりゃどうも。で、ご用は?」
人をおだてておいて、こき使おうとするヤツは五万といる。美辞麗句は聞き流して、とっとと本題に入ったほうがいい。
アルファは笑顔のままこう応じた。
「手を組みたい」
「えっ?」
「聞けば、君たちは天界へ攻め入ろうとしているらしいじゃないか」
「あ、いや、それは一部の連中がそう言ってるだけで……」
一部というか、有権者の三分の二だ。
もうバレてるとは、さすがは天人さまだ。戦争なんかせずに仲良くしようっていうのなら、これが最初で最後のチャンスになるだろう。
アルファはうなずき、こう続けた。
「歓迎する。攻め入りたまえ」
「はっ?」
「普段、君を道具のようにこき使っているアノジという男がいるね。彼のやりかたはよくない。賢明な君のことだから、すでに気づいているとは思うが。私たち天人は、人間たちの存在を必要としている。なのに彼と来たら、古い方法で支配することしか考えていない」
なんだなんだ。
内輪揉めか?
派閥争いの戦力として、俺たち人間を抱き込もうってのか?
この話に乗ったら、それこそいいように使われるのでは。
俺が警戒していると、彼は片眉をつりあげた。
「理由を説明したほうがよさそうだな」
「理由?」
「そもそもの話からしよう。なぜ私たちが、君たち人間の存在を必要としているのか、ということね」
「教えてくれるんですか?」
「もちろん。絶対に必要だ。まず、天とはなにか。あるいは神とはなにか。それはこの世界を包む存在であり、私たち天人に力を与える存在でもある。いわば天界における太陽のようなものだ。その天のエネルギーが、人類が滅んだ直後から、急速に弱まりはじめた」
いったいなんの話だ。
人間が絶滅すると、神まで弱体化するというのか。旧時代の宗教者が聞いたらブチギレそうな話だが。
彼は静かに息を吸い、こう続けた。
「このままでは天が消滅する、などというものまで現れた。そこで私たちは、地上における人間の再生プロジェクトに乗り出したわけだが……。しかしいちど滅んでしまったものを、ゼロから作り出す方法を知らない。ゆえに、やむをえず過去から連れてくることとした。これは邪法であるし、天のエネルギーも大量に消費するので、あまり大規模には実行できなかったのだが……。ともあれ、プロジェクトは開始された。君もその対象のひとりであることは、言うまでもないな」
「……」
まったく返事ができなかった。
アノジの野郎だけでなく、案内人までもが黙っていた理由が、ついに明かされた。人間がいないと天が消滅する。そうすると天人が困る。だから過去から人間を誘拐したという。
アルファはやや複雑そうな表情を見せた。
「自分勝手な都合のために、人間を巻き込んだことは申し訳なく思う。君もいい迷惑だっただろう。しかしこう考えてはどうだろう。君の活躍により、人類はふたたび地上の支配者になるのだと」
「滅んだなら、滅んだままにしておいて欲しかったような……」
「そんな寂しいことを言わないで欲しい。もし世界を救うという大義名分さえ捨てるなら、それこそ君はただの犠牲者になってしまうが」
「ええ、まさしくただの犠牲者です」
俺の率直な感想に、アルファはやや苦い表情を見せた。
「ではこう考えるしかない。君たちは、上位者に飼われた家畜のようなものだと」
「そっちが本音でしょう?」
「もっとも、私たちは人間を食べたりしないがね。ただ生きて欲しいだけだ。脱走を許可しない以上、不自由ではあるがね。それでも、地上の英雄になる程度の自由は保証する」
地上の英雄、か。
俺は思わず笑った。
「その英雄ってのは、天界へ攻め込むものなんですか?」
「地上と天界の争いなど珍しいものではないだろう。なにも鏖殺する必要はない。アノジとその一派さえ片付けてくれればね。必要なら兵隊も貸す。君たちが外来種と呼ぶ私の作品――ホムンクルスでよければ」
あれを持ち込んだ犯人はこいつか。
この男、やはりアノジのシマを狙いに来た外部の勢力みたいだな。俺たちとアノジの仲が良好でないのをいいことに、そこにつけ込もうというわけだ。まあ実際、アノジなんかよりマシという気はするが。
彼は「ふむ」とうなった。
「悩ませるつもりはなかった。答えはいますぐでなくとも構わない。急に現れて信用しろというのも難しかろう。知りたいことがあったらなんでも言ってくれ。可能な範囲で答える」
「なぜそこまで?」
「綺麗事を言うつもりはない。これは派閥争いだ。私はアノジを排除するつもりでいる。しかし約定により、直接交戦することができないから、回りくどい方法を取る必要があった。ホムンクルスを放ったのもそう。あれは地上へ豊穣をもたらす装置でね。降り注いだ肉を食べれば、人間は不死者になれる。よければ君も食べるといい。天界での戦闘に役立つはずだ」
おかげで例の強盗みたいなバケモノが誕生したわけだが。
しかし、そうか。あの肉を食えば、俺たちでも不死者になれるのか。最大の問題は、まったく口にする気になれない点だが。
彼はこう続けた。
「私の計画では、地上の人間がすべて不死者になれば、天人の指示など受けずとも、勝手に繁殖するはずだったのだ。人間には、もともとそういう能力があるのだから」
「副作用で戦闘狂になるのでは?」
「あの強盗のことを言っているのか? 彼は以前からああだった。君は君のままだ。心配することはない。形が気に食わないのなら、調理したものを届けさせる」
「いえ結構です。とにかく、考える時間をいただきたい。結論はまた後日にでも」
「もちろん。十分に考えてくれ。意見を押し付けるつもりはない」
じつに寛大な態度だ。
アノジにも爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
しかしここまで好印象だと、逆に怪しい気がしないでもない。他人を駒にしようというヤツは、だいたい下手に出るものだ。
*
目を覚ますと、やはり鈴蘭と目が合った。どういうつもりか、こちらをじっと見つめている。
「またうなされてましたね」
「ちょっとね」
夢の内容は伏せておこう。彼女たちの故郷に攻め入るかもしれないのだ。もしバレればとんでもないことになる。権兵衛に撲殺されないとも限らない。
鈴蘭はどういうつもりか、ベッドに座り込んだまま、ずっと俺の頭をなでている。
「君は寝ないのか?」
「なんだか眠れなくて」
「悩み事があるなら教えて欲しいんだけど」
「ありませんよ、悩み事なんて」
きっとウソだ。一瞬、手が止まった。
俺はその細い手をつかみ、そっと引き寄せた。
「俺たち、家族になったんじゃないのか? 秘密はナシにして欲しいな」
「秘密だなんて……」
「互いに信用できないようなら、こんなに親しくすべきじゃない」
寝起きということもあり、つい配慮を欠いてしまった。
おかげで鈴蘭はしょぼくれてしまい、哀しげな表情を見せた。
「私を捨てるのですか?」
「いや、そういうことを言ってるわけじゃないけど。ただ、黙ってひとりで悩んでいられても困るっていうか……」
すると彼女は俺の上に覆いかぶさり、脅迫するように上から押さえつけてきた。
「本当に? 本当に知りたいのですか? 私が隠したいと思っている、汚い部分を……」
長い髪がカーテンのようにおりているせいで、顔だけがやたら暗く見えた。声が震えている。
俺はなるべく穏やかに応じた。
「やっぱり隠し事じゃないか」
「ええ、そうです。隠し事です。私は嘘つきの自己中ゴミカスクソ女です。薄っぺらで、中身のない、ただ男の気を引く見た目だけが取り柄の……」
「そこまで言ってない」
「言うに決まってます」
「前に自己中って言ったのは謝るよ」
まだ根に持っていたとは思わなかった。いくら事実とはいえ、言い過ぎたかもしれない。
彼女はじっとこちらを見つめている。
「謝らないでください。私の話を聞けば、きっとその言葉を撤回する気もなくなりますから」
「教えてくれるの?」
「はい。ただし、あなたが私を嫌わないと約束してくれるのであれば」
「……」
好奇心に任せて気安く返事をすることはできる。しかし俺は、話を聞く前からそんな約束をしたくはない。
こちらが黙っていると、鈴蘭はこう続けた。
「本当に面倒くさい人……。そこで約束できないのであれば、私を問い詰めるべきではなかったのに」
「君の言う通りだ。俺が悪かった。約束するから教えてくれ」
「その言葉、デマカセではありませんか?」
「違う。良心にかけて誓う。君を嫌いにならない。もしウソだったら……えーと……なんらかの罰を受けてもいい。あんまり痛くないヤツなら……」
すると彼女はぐっと顔を近づけ、耳元でこう囁いた。
「もしウソだったら、私と一緒に死んでもらいますから」
泣き出しそうな声をしている。
こちらも軽い気持ちで聞くべきではない。覚悟を決めるのだ。
「分かったよ。受け入れる。いまのがウソだったら死んでもいい」
「ではお話しします……」
*
内容はこうだ。
人間界へ来る前の鈴蘭は、南天のような体質で、メシの代わりに毒を出すような女だったそうだ。おかげで当時は周囲から酷い扱いを受けていたらしい。ヘビから生まれたせいだとか、一族にかかった呪いだとか言われたそうだ。
しかし、とあるまじない師に見てもらったところ、原因は悪い虫のせいだと分かった。簡単に取り出すことはできないが、身代わりの娘になすりつければ自分は助かるのだと。
そしてある日、鈴蘭は身代わりの娘を見つけた。
体からメシを出す素質をもった、自分と同類の幼い娘だった。鈴蘭は、ひとりでふらふらしている少女に近づき、ウソをついて虫をなすりつけた。
おかげで鈴蘭は治った。
娘はその後、どこへ行ったか知れないのだという。
鈴蘭は当時の副作用で、いまでも毒を出せるようだ。解毒剤も生成できる。あのとき俺に飲ませたのもそれだ。おかげで助かった。
*
話を終えた鈴蘭は、とても冷たい目をしていた。
「私のような自己中ゴミカスクソ女に比べれば、彼女はとても高潔でした。身代わりになりそうな女をあれだけ集めておきながら、誰にも虫をなすりつけなかったのですから……」
きっと南天のことを言っている。
たしかに、しようと思えばできたはずだ。そして体質がもとに戻れば、案内人にだってなれたかもしれない。なのに、そうはしなかった。虫による不幸を、あくまで自分の不幸のまま終わらせた。
少し呼吸が荒くなっていたので、俺はそっと鈴蘭を抱きしめた。
「教えてくれてありがとう。いい話とは言えないけれど、嫌ったりはしないよ。俺が責めるような筋の話でもないし……」
「私が死ぬべきでした」
「そんなこと言うべきじゃない」
「自分さえよければ、他人のことなんてどうでもいい。そう思って生きてるんです。だから周りのみんなともケンカばかりして……」
いちおうの自覚はあるようだ。
そして自覚があるだけに、悔いてもいる。
「本当になんとも思ってないんだったら、きっと自分のことを責めたりもしないだろう。これから少しずつ直していけばいいよ」
俺だってこんな上からモノを言えるような人間ではないが……。
彼女はそのまま顔もあげず、返事もしなかった。きっとこのまま眠ってしまいたい気持ちなんだろう。
「今日はこの辺にして、もう寝よう。明日からまた忙しくなる」
「……」
子供みたいに頑固な態度だったが、かすかにうなずいてくれたのは分かった。
しかし受け止めるには、いささか重たい話だった。
絶命した南天は、永遠に案内人になることはない。悪人に徹し、世を呪い続け、そのまま死んだ。ただひとりの理解者を救おうとしたために。
(続く)




