上野戦争 後編
意識がトびかけているというのもあるが、あらゆる感覚器官が麻痺しかけていることもあり、聞こえてくるのが外部の音なのか自分の脈打つ音なのかさえ分からなくなっていた。
誰かの足音が近づいている気がする。
しかしそれは自分の脈動なのかもしれない。
女が地べたを這ってやってきた。
そいつはこちらに絡みつき、鎧をつかんでずるずると這い上がってきた。彼女は耳元で「殺す」と告げているような気がする。
「私を殺すのは……あなただけ……」
鈴蘭の声だ。
唇を重ねてきた。
ここで敵の手にかかるくらいなら、いっそ俺の手で殺して欲しいってことだろうか。そんなセンチメンタルな真似をするタマには見えなかったが。
そうだ、もちろん違う。
彼女はそんな乙女みたいな性格じゃない。
ただキスをしたのではなかった。メシを送り込んできたのだ。それを飲み込んだ途端、ほんのわずかだが疲労が癒えた気がした。
解毒作用でもあるのだろうか。
そのわりには鈴蘭本人は力尽き、その場に崩れ落ちてしまったが。
俺も治ったわけではない。いますぐぶっ倒れそうだったのが、少しマシになった程度だ。しかし体は動きそうにないが、感覚器官は思ったより冴えていた。
さて、どこから来る?
こっちには銃剣がある。
見つけ次第、射殺してやる。
呼吸を繰り返しながら周囲をうかがっていると、目の端に動くものが見えた。いや、そいつは少し前からそこに「いた」らしい。いまも「いる」。なぜ動かないのかも分かった。売店カウンターの奥から、強盗を引きずり出そうとしている。
南天が毒を使った目的は、俺たちを殺すためじゃない。男を助けるためだ。
ぐったりとした強盗の足をつかみ、南天は躍起になって引きずり出そうとしていた。しかし重すぎるのか、あるいは力がないせいか、なかなか成功せずにいた。
無防備にもこちらへ背を向け、何度もぐいぐい引っ張っている。
撃とうと思えば撃てる。
なのだが、俺はまだ銃を構える気になれなかった。
あまりにも必死すぎる。
彼女はいま、我が身を危険にさらし、仲間を助けようとしている。前回もそうだった。こんなクソみたいな男を、どうしてそんなにも守ろうとするのか……。
ヘッドセットがうるさくわめいている。
ジョンと毒島が同時に喋っているせいか、なにを言っているのかほとんど聞き取れない。ただ両者ともに「逃げろ」と「撃て」を主張しているのは分かった。
毒が薄れているせいか、体も動くようになってきた。
銃剣を構え、南天の背に狙いをつける。距離もそう遠くないから、俺の腕でも、おそらく心臓か肺は撃ち抜ける。
トリガーを引けば、戦況は一気に有利になる。
南天はこちらの動きに気づいていた。それでもなお、男を捨てて逃げようとはせず、ひたすら足を引っ張り続けた。もしかするとカウンターに服でも引っかかっているのかもしれない。
トリガーを引くと、踏ん張っていた南天の足から鮮血が散り、その場でカクッと折れるように転倒した。俺は構わずもう一発撃ち込み、立ち上がれないようにした。
銃を置き、兜を外し、胴鎧を捨て、俺はふらふらそいつらに近づいた。
そうでもしないと体が重くて、一歩も進めそうになかった。
「勝負アリだ。降参しろ」
「……」
南天も、強盗も、どちらも答えなかった。
いや、南天は口をパクパクさせている。目をギラつかせ、まるで末期の言葉でも告げようとするように。
なにか主張でもあるのか。
俺は顔を近づけようとした。
次の瞬間、彼女の顔面は、飛来した光の矢に鋭く貫かれた。南天は横倒しになり、ドス黒い液体を口から大量に吐き出した。血液ではない。なにか、腐敗したヘドロのようだった。
鈴蘭は弓を捨てて崩れ落ち、こちらへ告げた。
「それが彼女の武器です……」
「……」
まさか、これが毒の正体か……。
吸い込むべきではなさそうだな。
俺はカウンターの奥から強盗を引きずり出し、リヤカーのところへ転がした。そして積載していたロープで縛り上げ、呼吸が整うのを待った。
*
「体内の食物が過剰に発酵することで、毒を作り出してしまうものもいます。彼女はたぶん、そういった体質だったのかと」
龍胆がそう説明してくれた。
南天はすでに死亡している。
強盗はふっと鼻で笑った。
「あの女、体質のせいで案内人になれなかったんだとよ。それでこの世を恨んでるみてーだったぜ。俺ぁその恨みを晴らす手伝いをしてやろうと思ったのによ。ま、死んじまったらその必要もねーわな」
他人事みたいに言う。
俺は銃剣の先端で小突いた。
「巣に案内しろ」
「痛ぇな。奥だよ」
休憩所に面したレストランの内部には、あまったるいにおいが充満していた。
しかし気分のいい空間ではない。
広がっていたのは、見るも無残な光景だった。どの女も手足を切り落とされ、床に転がされていたのだ。皆、死んだような目をしている。
いちばんキツいのは厨房だ。吊り下げられた十本以上の手足が、切断面からポタポタと血液をしたたらせていた。
まるで悪趣味なスプラッタ映画のワンシーンだ。
しかしどこもかしこも血まみれといった様子ではない。血液はきちんとバケツで受けるようになっているし、壁や床などもキレイに拭き取られていた。清掃はむしろ行き届いており、まさに調理場らしい雰囲気であった。
こうして見ていると、吊られた手足が食材に見えてくる。
巨大な寸胴鍋には、やはり四肢を失った山吹が入れられていた。火はついていない。
菖蒲が、すさんだ表情ながら笑みを浮かべた。
「山吹、英雄のご到着だよ」
しかし山吹は返事をしない。
俺は慌てて駆け寄った。
「まさか、もう……」
「火はあたしのゲロで消したよ。だからたぶん、寒くて死にそうなんだと思う。出してやって」
「分かった」
たしかに山吹は、血の気を失って顔面蒼白になっていた。
鍋から出してやると、肌の冷たさが伝わってきた。俺は水気を切り、ジャケットを脱いで彼女に着せた。
「山吹さん、もう大丈夫だ。すぐ火を用意する」
しかし菖蒲は警戒したままだった。
「けど、ホントに大丈夫なの? あの男は? 殺しても死ぬようなヤツじゃないけど」
「縛り上げて向こうに転がしてある」
「案内人は?」
「南天か? 彼女なら死んだよ」
「そう。じゃあ安全だね」
いや、気を抜くのはまだ早い。なにせここは敵のテリトリーなのだ。
ヘッドセットから通信が来た。
『タマケン、急げ。餓鬼どもが戻ってきてる。感電してたやつらも、次第に回復してるみてーだぞ』
「了解」
全員を連れて脱出するのは難しいかもしれないな。手足を落とされた天女が十名弱。例の強盗も放置はできない。これを俺と鈴蘭と龍胆で運ぶ、というのは非現実的な話だ。
「餓鬼が集まってきてる。俺が追っ払ってるうちに、みんなは脱出の用意をしてくれ」
「……」
返事がない。
鈴蘭がやってきた。
「私が死ぬのは、あなたに殺されるとき。そしてあなたが死ぬのは、私が死んだあと。こんなことろで命を落とすことは許しませんから」
「君は誤解してるな。誰も死なない。全員で生きて帰る」
「その言葉、信じますよ?」
「いままで俺がウソをついたことがあるか?」
「あるような気もしますが、まあ信じましょう」
「うん……」
いまいちシマらんが、まあよしとしよう。
俺は山吹を抱えてリビングに戻り、床で寝ている強盗の腹につま先で蹴り込んだ。
「うがっ」
「出発するぞ。立ち上がってピョンピョンしながらリヤカーに乗れ。時間がない」
「てめェ……」
しかし二度目の蹴りを叩き込むと、強盗はおとなしくピョンピョン跳ねた。
レストランの外には餓鬼どもがいたが、俺は山吹を荷台に寝かせ、代わりに銃剣をとって撃ち殺していった。
強盗が荷台に乗ったところで、そいつの首をロープで縛り、リヤカーの柵にくくりつけた。
「げはッ……ぐるじ……」
「悪いが、我慢してくれ。逃げられたら困る」
「地獄に落ちろクソ野郎……」
これだけ素晴らしいおこないをしたんだ。天国に行くに決まってるだろ。
餓鬼の数は半端じゃなかったが、どうにも士気が低かった。この場を支配していた強盗が縛り上げられているせいか、あるいは初手に圧倒的な戦力差で蹂躙したせいか。
積極的に襲ってこようとはせず、ほとんどが見ているだけだった。だがその観客さえも射殺する。もし射撃をやめれば、勝てると勘違いして勢いづくかもしれない。
一通り載せたところで、リヤカーを龍胆に任せた。
「正面から来たヤツはすずさんが、後ろから来たヤツは俺が対応する。ドローン部隊の両名、サポートよろしく」
それぞれから返事が来て、撤収となった。
*
その後、大規模な戦闘はなかった。
上空からショットガンの支援があったおかげで、行く手の餓鬼はあっけなく道をあけた。後続の連中も、追おうか追うまいか迷ってるようなヤツらばかりで、蹴散らすのは容易であった。
追手を振り切り、上野公園を出たところでドローン部隊と合流した。
「充電もたないかと思って焦ったぜ」
そう強がるジョンの足は震えていた。
時刻はおそらく昼過ぎといったところ。作戦開始から三時間弱だから、あと一時間は飛べるはずだが。まあ焦る気持ちは分かる。
ドローンは荷台に載せられないので、ロープで縛って引きずることにした。
なにせ荷台は満員電車のごとき様相を呈している。この上にドローンを重ねるのは難しい。事前に提案のあった改修を受け入れていれば、もっと快適なドライブになったかもしれないが。
かくして我ら一行は勝利をおさめ、愛すべき我が街へ凱旋するというわけだ。
俺は横で一緒にリヤカーを押してくれる鈴蘭へ告げた。
「いろいろありがとう。助かったよ」
「私はできることをしたまでです。それに、あんなところであなたに死んで欲しくなかったもの」
アノジの命令があったとはいえ、他の女のために命をかけるのは不服であったろう。しかし彼女は協力してくれた。命も救われた。心から恩を感じている。
「それにしても、よく彼女の武器が毒だって分かったね」
「それは分かりますよ。私もむかしはああでしたから」
「えっ?」
「むかしの話です……」
話したがらなかったので、俺もそれ以上は触れないことにした。
しかしもしいま言ったことが事実なら、鈴蘭も南天のようにこの世界を恨んだことがあるのかもしれない。いや、それは過去形じゃないな。彼女はいまなおこの世界を好いてはいない。中毒のように快楽をむさぼる以外、生きている意味がないと考えている。
この世界は不完全で、愛せないところも多い。
どうしたって博愛主義者にはなれない。
そもそも俺は、荷台にいる男を、このあと思いつく限りの方法で痛めつける予定なのだから。
(続く)




