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蠱毒  作者: 不覚たん
表象編
4/56

2084

 都心に近づいていたおかげで、俺たちはどのマンションにでも入り込むことができた。

 上階だと突っ込んでくる可能性が高いから、拝借したのは一階だ。

 部屋には生活の痕跡がある。棚から落ちたテレビ、倒れたスピーカー、焦げたソファ。カーペットには衣類やガラス片が散乱しており、外部から爆風に煽られたことが分かる。死体はない。


 俺は靴をはいているが、ふたりは裸足だったので、下駄箱で見つけたスリッパをはいてもらった。誰が使っていたものだか分からないが、足を切るよりはマシだろう。


 天使どもは、まるでコウモリのようにわっと出てきて、たちまち空を占拠した。

 悲鳴をあげたりはしない。ただ無言で、無表情で、淡々と殺し合いを開始する。光の翼をもった少女たち。あるいは少年たち。

 白と青のチームに分かれ、互いに光の矢を撃ち込みあっている。サバゲーでもしているのかもしれない。撃たれた天使は墜落し、地べたにぶつかって肉片と化す。まるで完熟トマトを叩きつけたように。


「結局のところ、あいつらナニモンなの?」

 俺の問いに、鈴蘭は「さあ」と愛想笑いを浮かべた。

「詳しく知りたいとは思うのですが、なにせお話したこともありませんので。おそらく海外の勢力ではと」

「なんだか浮世離れしすぎてるな。もしかしてこの世界は、俺の知ってる世界じゃないんじゃないか?」

「いいえ。正真正銘、あなたのいた世界ですよ。ただ、時代は違いますが」

「人類が滅んだあとの世界ってことか」

 まあそうだろう。俺はつい最近まで、滅んでいない世界で普通に暮らしていたのだ。もしこんな派手に破壊されるような事件が起きたなら、俺だって巻き込まれて死んでいないとおかしい。

 俺は重ねて尋ねた。

「つまり、時間を移動できるってことだよね?」

「おそらくは。ただし、私にその力はありません。すべては天の思し召しです」

「なんなんだよその天ってのは。頼んでもないことしやがって」

「残念ですが、帰ろうと思っているのなら、その希望は捨てたほうがいいと思います。これまで来た人間たちは、誰ひとりとして帰れませんでしたから」

「この意味不明な状況で死ねってことか。分かったよ。ネットもない退屈な世界で、退屈なまま死んでやるよ」

 まあ俺も人類なのだから、なんらかの発明をしてもいいわけだが。いかんせん才能がな……。


 かつて博物館で、明治時代の生活を見たことがある。

 テレビもない、ラジオもない。電気はかろうじてあるが、普及していない。自動車も、馬車を改造したようなものが走っている程度。

 俺の暮らしていた時代より、たった百五十年ほど前の状況がそれだ。

 そのとき俺は痛感した。

 もし全人類が俺と同レベルだったとして、百五十年という期間で、明治から現代まで文明レベルを引き上げることができただろうか、と。

 まあ考えるまでもなく「ムリ」ってのが結論だったが。

 つまりこの滅んだ世界を復旧させるのに、俺の能力では百五十年は短すぎるのだ。どう考えてもその前に死ぬ。


 俺はつい溜め息をついた。

「そもそも、なんで人間はいなくなったの?」

「はて、存じません。なにせ私たちも、人間が消えてからこちらへ来たのですから」

 彼女の回答は、いまいち要領を得ない。

「来たって、どこから?」

「なんというんでしょう……。仙境というか、隠世かくりよというか、とにかく人の世とは異なる世界です。しかし人の世から人が消え去ったので、人ならざるものである私たちが戻ることになりました」

「それも天の思し召しだと?」

「ええ」

 この会話の最中も、周囲に肉片が降り注いでいる。

 血液と一緒に脳漿が飛び散って、不快なピンク色の水たまりをつくる。崩れた頭蓋骨からは眼球が飛び出したりもする。足の踏み場もないほどではないが、わりと地獄絵図だ。

 ただでさえ減退している食欲が、さらに萎えてくる。


 小梅も不快らしく、直視せずに顔をそむけていた。

「こんなことして、なにが楽しいんだか」

 案内人に分からないのなら、俺が考えても分からないだろう。


 *


 理解不能な殺戮のパレードは、俺たちへの直接的な危機とはならず、すぐに過ぎ去っていった。

 実害らしい実害といえば、とにかく血なまぐさいのと、歩いていると踏んづけそうになるくらいで。


 マンションを出た俺たちは、歩を進めながら世間話をしていた。

「まあこいつらは無害だからいいとしてさ。有害なほうについて、いまのうちに話し合っておいたほうがいい気がするなぁ」

 すると鈴蘭は理解できていないのか、頭にハテナを浮かべた。代わりに応じたのは小梅だ。

「餓鬼のこと? 考えてもムダよ。あんたなんか役に立たないんだから」

「おいおい、どういうことだ? たしかに俺は実戦経験もなけりゃ、デカいケンカもしたことのないボンクラかもしれないけど。役に立たないってのは心外だな」

 すると小梅がすんと無視してしまったので、今度は鈴蘭が応じた。

「お気持ちだけ受け取っておきます。むやみに抵抗すれば、あなたにまで危険が及びますし」

「君たちがさらわれるのを、黙って見てろってこと?」

「そうなります。おとなしくしていれば、餓鬼もあなたを傷つけたりはしないでしょうし。私にしても、さらわれたところで死ぬわけではありません。過去にいちどさらわれたことがありますが、こうして生きているわけですし」

 鈴蘭の気楽な物言いに、小梅がぐっと眉をひそめた。

「簡単に言わないで! 父さま、そのとき助けに入って腕をなくしたんだから」

「申し訳ないとは思っているのよ。けれども、どうしようもないことなの。餓鬼は群れで行動するし、鋭い槍を手にしているから」

「外にいるから危ない目にあうんでしょ? やっぱり家に帰ろうよ!」

「あなたは帰りなさい。姉さまは仕事をします」

「バカ!」

 いつもの流れになった。


 ともあれ、俺に「できることはない」という事実だけが確認された。

 いざというときに備えて武装してもいいが、槍を持った連中が集団で来るんじゃ、どう考えても勝ち目がないしな。こちらとしては、安全な居城をつくるか、銃火器を見つけて強固に武装するか、そのどちらかしかなさそうだ。


 *


 空はずっと白い。

 白いのだが、おそらく日の位置によってであろう、明るくなったり暗くなったりする。いまは明るくなっている途中。そろそろ昼だ。腹が鳴り出した。


「えっ? おいおい、ウソだろ。人間か? ペットを二匹も連れてやがる」

 そんな男の声が聞こえたのは、瓦礫の街を進んでいる最中だった。

 東京はかなり破壊されているらしく、進むたびにビルの崩落がひどくなっているが、その中でもかろうじて直立しているビルがある。

 男がいたのは、半壊してむき出しになった三階のフロア。どこで拾ってきたのかデッキチェアを置き、滅んだ街を眺めながら酒をかっくらっていた。

 歳は俺より少し上か。おそらく三十前後。神経質そうな顔立ちに不敵な笑み。かなり酔っているらしく、崩れかけた壁によりかかり、ダルそうに手を振っている。

「よぉ、ピクニックの途中か? 時間があるなら、あがって来て一緒に飲まねェか? なんせここには飲みきれねーほどの酒があるからな」

 ずいぶんとこの世界を満喫しているようだ。生き残りだろうか。あるいは別の時代から来たか。

 クソ野郎にしか見えなかったが、俺はいちおうの礼儀を払って応じた。

「ありがとうございます。ただ、俺、酒は飲まないんで」

「はっ? 酒を飲まねぇだぁ? そんなヤツいんのかよ? さてはおめー、バカだな?」

「……」

 可及的速やかにデカい石を拾い、顔面に叩きつけてやるべきかもしれない。

 男は瓶からぐびりとウイスキーをやった。

「なんだ? 怒ったのか? けど、そーだろーがよ! 俺みてーな頭のいい男はよ、世界が見えすぎちまうのよ。だから酒飲んでレベルをさげてだな、やっと愚民どもと会話ができるようになるってこった」

 俺は無視し、鈴蘭に告げた。

「行こう」

「あ、おい! ちょっと待てよ! 待てって! 待ってくださぁーい! 謝るから! ちょっと話につきあってよ! お願いだからーっ!」

 なんなんだよ、この絵に描いたようなクソ野郎は。

 そういえば親戚にもこんなのがいたな。盆と正月になると必ず酔態をさらす、いい歳した独身のおじさんが。

 俺は足を止め、男に尋ねた。

「マナーを守った会話ができると?」

「まぁな」

「ふざけてんなら行きますよ」

「あーウソウソ! 待って! ごめんって! ごめんなさい! 久しぶりに人間に会ってちょっとアレしちゃっただけだから! こっち来てよ! 話そうよ!」

 なんだよ「アレ」って。

 言葉が出てきてねーじゃねーか。


 だが、もしここに長いこと住んでいるのなら、都心がどうなっているのかも知っているかもしれない。結末が分かっていれば無駄足も避けられる。

 いやそもそも、都心に行ったところで「なにかあるかも」くらいのプランなのだが。


 男のビルに立ち入った直後、俺は思わずビクリと身をすくませてしまった。

 薄暗いエントランスに人影があった。酔っぱらい男ではない。頭から布をかぶった小柄な女だ。アラブ人ではなさそうだが、顔以外のすべてを隠している。

「どうぞお通りください」

 彼女は硬質な声でそう告げると、すっと道をあけた。

 例の男の「案内人」だろうか。


 電気が来ていないから階段も薄暗い。だが三階まであがると、すぐに白い光に包まれた。壁がないのだ。日光はダイレクトに内部まで差し込んでくる。

「適当に座ってくれ」

「はぁ」

 もとはオフィスだったのだろう。デッキチェアはひとつしかなかったが、オフィスチェアはいくらでもあった。そのほとんどがボロボロに朽ちかけていたが。

 鈴蘭と小梅に椅子を勧めてから、俺も腰をおろした。

「まだ名乗ってなかったな。俺ァ、毒島だ。毒島三郎」

「玉田健太郎です」

「略してタマケンか」

「帰ろうかな」

「待て! 待った! 玉田ちゃんよ。略さねーぜ。な? いいだろ」

「玉田ちゃん……」

 まあ「タマちゃん」じゃないだけよしとするか。「タマケン」もひどいが最悪じゃない。頭のアレなヤツは無遠慮に「タマキン」と呼んでくる。

 俺は世間話の代わりに尋ねた。

「下にいた女性は?」

「俺のペットだ」

「案内人ではなく?」

「似たようなモンだろ。俺の命令ならなんでも聞くんだから。あんたの飼ってるのもそうなんだろ?」

「飼われてるのは俺のほうですよ」

 鈴蘭はにこにこしているが、小梅はむすっとしている。この毒島って男の態度が気に障るのだろう。

 すると毒島はじろじろと俺の格好を眺め、ふっと鼻で笑った。

「旧時代の作業着ってことは、あんたは前世紀の労働者ってところかな」

「産業革命以降とだけ言っておきましょう」

「こっちは2084年の生まれだ」

 ずいぶん未来の生まれだ。もちろん年下。生きた年数でいえば、たぶん俺より年上なんだろうけれど。

 見た目は未来っぽくない。スラックスにアーガイルのセーターという、俺らの時代にでもいそうな格好だ。こいつの言う「旧時代の作業着」と大差ないような気もするが。

「で、いまは何世紀なんです?」

「さあな。少なくとも二十二世紀初頭は、こんなんじゃなかった。だからそれ以降ってことだろう」

「都心は?」

「都心? 東京が行政区ディストリクトだったころの認識か。なにを期待してんのかは知らねぇが、行っても瓦礫しかねぇぜ。あそこは特にひどくやられたようだからな」

 俺と彼との間には、およそ百年のギャップがある。

 言葉は通じるが、東京がどういう変化を遂げたのか、なにが起きたのか、そういう部分では認識に齟齬があるようだ。

 判明したのは、東京へ行っても無駄足ということだ。このピクニックを続ける理由もなくなった。

 毒島はウイスキーを一口やり、力なく笑った。

「ま、そう焦るこたねぇよ。ここは天国だぜ。メシにさえ我慢できりゃあな。ゆっくりしてけよ。『せまい日本そんなに急いでどこへ行く』ってな」

「なんです、それ? 二十二世紀のスローガン?」

「あんたらの時代のリリックだろ?」

「聞いたことないな」

 俺が生まれる前の標語かもしれない。

 すると毒島は、空になった瓶を道路に放り投げた。下からガシャンとガラスの砕け散る音がする。

「勘弁してくれや。うろ覚えでな。近代史には詳しいつもりだったんだが。やっぱアシスタンスがねぇとダメだな」

「アシスタンス?」

「AIだよ。そういうサービスがあったんだ。俺たちの会話を脇でずっと監視してて、必要に応じて情報をくれるっつー。たまにズレたこと言ってくるけどな。専門家に言わせりゃ、性能が上がれば上がるほど『人間らしいミス』をするようになるんだと。だったらテクノロジーってヤツぁ、逆に信用ならねーよな」

 皮肉な話だな。

 だが俺も、こいつにぴったりの返事を思いついた。

「一番信用ならないのは自分自身、ってオチは?」

「言えてんな。実感がこもってて、なかなかリアルだぜ」

 お前のことを言ってるんだよ、この酔っぱらい。

 毒島はデッキチェアから身を乗り出し、新たな酒瓶を取ろうとして何度も手をスカらせた。もはや距離感さえつかめなくなっているようだ。回っているのは口だけだな。

「あー、酒が遠い……。なんで世界はこんなに俺につめてぇんだよ」

 やがてデッキチェアから転げ落ち、そのまま動かなくなった。

 安らかに眠れ。


(続く)

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