Monkey Business
夕飯は鍋にメシをもらい、あとは寝るだけとなった。
毛布は人数分あるから取り合いになることはないし、誰かと同衾する必要もない。なにも問題は起きないはずだった。
なのだが、寝る場所を探していると、鈴蘭が近づいてきた。
「お休み前にすみません。お手洗いへ行きたいのですが、付き添っていただけませんか?」
「いいよ」
ここは太陽光発電だから、フロアの発光もほとんどなくなっていた。モノの輪郭が見えるかどうかといった程度。
店内の地形を把握したロボットに道案内を頼むこともできるが、それを勧めるのも野暮というものだろう。彼女は心細いから俺を呼びに来たのだ。
ふたりで通路を歩きながら、しかし俺は違和感をおぼえていた。
記憶を探る限り、これまで鈴蘭はトイレに行ったことがなかった。なにせ体からはメシしか出てこないのだ。なにをどう頑張ってもメシ以外のモノは出てくるまい。まさか俺に夜食を提供するつもりなのか……。
あるいは化粧直しにトイレを使うこともあろう。しかし鈴蘭は化粧をしていなかった。
危険を感じ、俺は足を止めた。
「待った。すずさん、止まってくれ。俺を連れ出してどうするつもりだ?」
まさか毒島との密談がバレたのか?
ロボットは俺たちの会話を聞いている。そして俺たちは所詮ゲストユーザーだから、特別なプロテクトを受けているわけでもない。もし鈴蘭か龍胆が頭を働かせて、ロボットから情報を得ていたとしたら……。
敵とみなされた場合、こうしてひとりずつ消される可能性もある。
ほぼ暗闇であるが、鈴蘭が妖しくほほえんだのは分かった。
「どう、とは?」
「君はトイレなんか行かないだろう。なにが目的だ?」
「あら、怯えているのですか? ふふ。それも斬新ですね。けれども誤解です。ただ、出しに行くだけですから」
「なにを出すって?」
「あなたが、私に、いつものように……」
すっと寄り添ってきた。
こんな状況だというのに、快楽に溺れていないと気が済まないのか。
奥まった場所へ連れ込み、ご希望通り鈴蘭を壁際に追い込んだ。
「君は状況を理解してないのか」
「あら、ではやめます?」
「……」
やわらかな羽衣に包まれた彼女の肌は熱を帯び、あまいにおいを発していた。
頭では不審に思っていても、離れることができない。触れれば確実にやわらかいことが分かっているのだ。拒むことはできなかった。
鈴蘭はさらに身を寄せ、耳元でつぶやいた。
「私の体、好きにしてください。そしていつかきっと殺してくださいね」
「絶対にしない」
「けれども、男たちは私の誘惑には勝てない」
強がってはいるが、彼女の言葉にはウソがある。
「もし誘惑に勝てないんだったら、なぜいまも君は生きてるんだ? 過去の男たちは、君を殺さなかった。だから生きてるんだろ」
「いじわる……」
強硬に押してきたかと思えば、すぐに引く。
波のように掴みどころがない。
男に殺されたいという欲求以外には、本当になにもない女なのかもしれない。
*
結局、体力を消耗したまま翌日を迎えてしまった。
彼女といると、そのうち過労で死ぬかもしれない。すべてを吸い尽くされてしまいそうだ。
しかし明るい話題もあった。
徹夜で働かせていたロボットが、近隣の店からマテリアルを発見したのだ。現在、ソーラーパネルと蓄電装置をプリント中らしい。これで夜間でも安定的に電力を使える。
朝から酒をかっくらう毒島もご満悦の様子。
「いやー、こいつは予想以上だな。どうやら周辺のマッピングも完了したらしいぞ。必要な資材があれば確保できるそうだ。見ろ、酒まで見つけて来やがった」
床には未開封のウイスキーが転がっていた。消費期限がどうなっているのかは不明だが、どうせ俺が飲むわけじゃない。
ロボットの一機がこちらへ近づいてきた。
「おはようございます、玉田健太郎さま。現在の時刻は推定午前七時。誤差三十分。天気は曇り。降水確率は不明」
あの空を曇りと判断したのか。しかし厳密には雲ではなかろう。もっと別のなにかだ。雨もめったに降らない。
俺も返事をしてやった。
「おはよう、ワトソン。なにかニュースはあるかな?」
「ネットワークがオフラインのため、パブリックなニュースを取得できませんでした。続いてパーソナルなニュースを参照しますか?」
「教えてくれ」
「周辺を探索した結果、たくさんの落とし物を発見しました。落とし物のほとんどは、所有者の存在しない無主物のようです。リストを参照しますか?」
「なにがある?」
「多岐に渡るため、カテゴリに分けて報告します。放置されたリヤカー、骨董品、食器、事務用品、衣服、バッグ、アクセサリー。ほか、動作保証の切れた家電、電子機器、消費期限の切れた食品、医療品、コンクリートブロック、破棄された木材、動物の死骸、違法アルコール類など」
後半の情報はいらなかったな。
しかし骨董品ってのは俺の鎧のことだろうか。リヤカーにしたって、放置しているわけではなく、あえて停車しているのだが。まあ彼らにとっては判断もつかないだろう。
*
作業の継続を命じ、俺たちは橋を渡って荒川を越えた。
ここからは、いつ強盗に遭遇してもおかしくない。俺は鎧を身に着け、完全武装でリヤカーを引いた。本当だったら毒島に引かせたいところだが……。リヤカーは軽車両だし、そのまま引かせたら飲酒運転になる。もし俺の知っている法が機能していれば、だが。
歩を進めながら、俺は作戦を再確認した。
「あくまで予想ですが、動物園には餓鬼が大量に集まってるはず。けどそいつらを相手にしてたらキリがないんで、今回はなるべく戦闘を避けて、最短距離で強盗を奇襲したいと思います。そのためには、まず高いところへ移動して、地形や配置を確認し、侵入ルートを選定する必要があります」
望遠鏡はすでに入手してある。たぶん子供用の、デカいレンズがくっついてるだけのシンプルなヤツだ。こういうときはやはりシンプルな道具を使うに限る。故障もしにくい。
新たに高機能の望遠鏡をプリントしてもよかったが、マテリアルを余計に消費したくなかったし、プリンタもフル稼働中だった。よっていまや「無主物」と化した望遠鏡を、かつて店だった廃墟から拝借したというわけだ。
毒島が酒を飲みながら、うるさそうに「それで?」と促した。
もっと真剣に参加して欲しいところだが、聞く気があるだけよしとしよう。
「あいつを見つけてみんなで袋叩きにします。けど死なないんで、毒島さんは隙を見てロープで捕獲してください」
「おう」
ロープといってもただの紐ではない。いわゆるボーラという、紐の両端に錘のついたブツだ。投げつけて、うまく命中すれば遠心力で絡まる。もちろん毒島が手で投げるわけではない。専用のランチャーがある。ホームセンター跡地で防犯グッズとして売られていたものを発見した。
一発しか撃てないから、もし毒島が外したら、ボーラを拾って手で投げることになるだろう。
龍胆が、緊張した様子で口を開いた。
「もし失敗したらどうします?」
「みんなは逃げてくれ。見ての通り、俺は鎧のせいで走れない。だから俺が盾になって時間を稼ぐ」
これに鈴蘭が片眉をつりあげた。
「まさか、私より先に死ぬつもりだと?」
「いや、そんなつもりはない。この戦いは勝てるよ。失敗したときのことは考えなくていい」
もちろんウソだ。
勝算はそこそこある。そこそこだ。が、もし俺がしくじれば、みんなは死ぬことになる。
龍胆は持久戦をこなすメンタルを有していない。鈴蘭の弓は閉所での混戦に対応できない。毒島はそもそも士気が低い。最前線で俺が盾になっていないと機能しない編成だ。もし俺が死ねば、潰走するのは目に見えている。
撤退したところで、園内には餓鬼がうじゃうじゃいる。逃走ルートをよほどうまく設定しない限り、逃げ切るのは難しいだろう。
さて、上野公園に到着だ。
しかし見晴らしのよさそうな高所を発見できなかった。というより、どのビルも崩落しており、高さを確保できなかったのだ。のみならず、動物園の樹木は異様に育ちきっており、ヘリでもなければ内部を覗けそうになかった。
「あの仏像に登ったらどうだ?」
毒島の指さす先には、いったいどういう経緯で建立されたのかは不明だが、仁王像と狛犬の銅像がデデンと設置されていた。高さは十メートル前後だろうか。足場がないから、ちょっと登れそうにない。
「なんなんです、これ?」
「俺が知るかよ」
毒島も知らないということは、作られたのは二十二世紀以降ということか。
近づいてみると、プレートには「TAKAMORI SAIGO WITH HIS DOG」とあった。
これが西郷隆盛だってのかよ。
そいつは一方の手に手綱を握り、もう一方の手に巨大剣を握り、歌舞伎役者のように構えていた。見た目が到底まともな人間と犬ではないのだが。
観光客向けに過剰な演出を施したのか、日本人自身が過去の日本をこう見ているのかは分からない。
もはやここは俺の知る日本ではない。まあ国家は解体されたようだしな。日本の日本らしさってのも、資料の中にしか存在しないんだろう。
いや、あまり人のことは言えない。俺の時代にだって、戦国武将がビームを出して戦うゲームはあった。それから四百年も経っているのだ。こうもなろう。
俺は深く呼吸をし、こう告げた。
「地形が分からないんで、普通に入場口から入りましょう」
「……」
誰も返事をしてくれなかった。
仕方あるまい。見たところ動物園は敷地を高い塀に囲まれており、堅固な要塞のようになっていた。
思えば、ここはそもそも動物が脱走しないような対策がなされているのだ。人間の運動能力で飛び越えられるわけがない。やはり入場口が唯一にしてベスト。同時にワーストでもあるが。
ゲートは普通にオープンになっていた。
あの強盗が出入りしているくらいだから、どこかのゲートは空いているだろうと予想していたものの。いや、罠かもしれない。警戒しながら進もう。
園はそう遠くない時代に建て直されたらしく、ずいぶんスッキリした未来的デザインになっていた。オシャレなテーマパークみたいだ。都心の富裕層が森林浴するための散歩道になっている。
俺の時代の動物園といえば、とにかく獣臭くて、動物たちがひしめきあっているイメージだったのに。狭い通路を子供が無軌道に走り回り、あるいは学生たちが課題のためにメモを取り、老人たちがうなずきながら見て回る。そんな場所だった。
いまや動物は主役ではなく、客の添え物というわけだ。
もちろん檻はたくさん並んでいる。しかし動物はいない。
遺骨さえないということは、戦争前にどこかへ移送されたのかもしれない。
人間たちのやる戦争は、動物にとっては迷惑でしかないからな。悲惨な目に遭っていなければいいが。
入口付近に餓鬼の姿はなかった。
すなわち、天女もいないということだ。
奥にいるんだろう。
いや、奥といったって、とんでもなく広くて、見当さえつかないが。
「おい待て。ちっと休まねーか?」
侵入して間もないのに、毒島がそんなことを言った。
あきらかに酒のせいで息切れしている。リヤカーを引いているならともかく、手ぶらで歩いているだけなのに。
まあよかろう。許可する。ちょっとひらめいた。
「分かりました。ここで小休止にしましょう。いや、完全に休止してもいい」
みんなきょとんとしている。
動物園というのは、見学ルートを作り、客同士がぶつからないよう自然と誘導する設計になっている。
だから、ある地点からある地点まで移動するためのルートは、だいたい同じになる。つまり俺たちの侵入経路と、強盗の通る道は、ほぼ一致するはずなのだ。絶対ではないが。
そして園内マップによれば、出入口は三つだか四つしかない。
敵の行動は予測しやすい。
つまり見学ルート上に罠を仕掛けておき、異様な騒ぎを起こせば、きっと敵はみずから罠にかかることになる。
俺たちが奥へ行くんじゃない。奥からあいつを引きずり出すのだ。
彼もまさか自分の庭で罠にかかるとは思ってないだろう。
(続く)




