印刷機
さて、地下牢へやってきた。
毒島は「ウソだろ?」という顔をしている。しかし互いの安全のためだ。許容していただきたい。
するとかつて餓鬼がいた檻の中に、見知らぬ少年がくつろいでいた。
「よう、帰ってきたのか」
藁の布団に寝そべり、偉そうな態度で声をかけてくる。
ジョン・マルハシだ。人間に戻ったらしい。まだ子供だ。十二歳ほどだろうか。
「ちょっと見ないうちに印象が変わったな」
「そうか? ま、少し太ったかもな」
頭にツノがある。しかし髪も生え揃っているし、顔つきもそこらの少年と変わりがない。ツノ以外は人間そのものだ。なぜか半裸なのはひとまずおくとして。
俺は隣の檻を開き、毒島を促した。
「新しい入居者だ。仲良くしてやってくれ」
するとジョンはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、かわいがってやる」
いや、なにもするな。問題は起こさなくて結構。
檻を閉めると、今度は毒島から抗議が来た。
「まさか、ずっとここに閉じ込めとくってことはねぇよな?」
「食事は提供します」
「おめー、まさか騙しやがったのか!?」
「事前に説明したでしょう。ツノが取れるまで我慢してください。酒ならすぐ持ってきますから」
「おう」
酒が欲しかっただけらしい。しかしまた酒瓶を運ぶためにリヤカーと地下を行ったり来たり……。無用な重労働だな。
*
居間へ戻ると、鈴蘭が縄で縛り上げられていた。
「あなた! 助けて! お家騒動よ!」
「はっ?」
騒動なのは見れば分かる。
主犯は小梅と龍胆だろう。両名ともすました顔で茶をすすっている。
俺は鈴蘭の近くにしゃがみ込み、これ以上騒がないよう頭をなでた。彼女はその手にじゃれついてくる。なんだか犬をあやしている気分だ。
「小梅、事情を説明してくれ」
俺の言葉に、小梅はかすかに溜め息をついた。
「姉さまが悪いの。また龍胆さんにいじわるするから」
「じゃあ仕方ないな」
予想が的中した。というより、それ以外の可能性が想定できない。
鈴蘭はエビのように激しくびちびち跳ねた。
「ちょっとあなた! 妻である私を差し置いて、あんなちんちくりんの言うことを鵜呑みにするのですか? お願いですから、正気に戻って! あの頃の優しいあなたに!」
「どの頃だよ。まずは君が正気に戻ってくれないか」
「はい、戻りました」
びちびちをやめた。
言えば素直に聞いてくれるんだよな……。数分で忘れるけど。
「すずさん、俺たちは、これから力を合わせて敵と戦わなきゃならないんだ。そんなことじゃ困るよ」
「天命ですか? そんなの無視すればいいだけのこと。どこかへ逃げ出して、ふたりだけの楽園を見つけましょう?」
「わがまま言ってると君も地下牢に放り込むぞ」
「知ってます? それ、ドメスティック・バイオレンスというのですよ」
「すまないが、文明は滅んだんだ。そういう先進的な言葉は忘れてくれ」
「あの、でしたらせめてあなたの部屋に……。あと縛り方も、もう少しいい具合に変えていただけると……」
「……」
俺は返事をあきらめ、彼女を引きずって居間を出た。
部屋に転がすと、彼女は潤んだ瞳でこちらを見つめてきた。
「で、このあとは? 縛ったままお仕置きしてくださるの?」
「えっ?」
衣服がはだけて美しい肩があらわになっているだけでなく、裾もめくれあがって肉付きのいい太腿まで見えていた。というより、足をバタバタさせて自分から露出させたようだ。
やわらかな薄手の羽衣の上から、麻縄がキツめに食い込んでいる。両腕を胴体ごと縛られているから、足さえ抑えれば自由にできる。
いや、抑える必要なんてない。いまの彼女は、みずから仰向けになり、大開脚していた。垂れ下がった布でいちおう隠れてはいるものの……。
鈴蘭は呼吸を荒げた。
「はぁ、あなたがこんなに乱暴な夫だったなんて知りませんでした……。いえ、いいのです。あなたになら、なにをされても……」
「すずさん……」
「ふふ。いいんですよ。また欲しがりでおねだりしちゃう鈴蘭を抱いてくださるの? それとも本当は不服なのに、弱みを握られてやむをえず体を許してしまう鈴蘭? あなたのご要望に応じて、どんな鈴蘭でも演じて差し上げます」
「……」
縛り上げられ、やや苦しそうに目を細めているのが最高にそそる。
綿密な脳内シミュレートの結果、事を終えるまで最速で三分といったところか。ミスがなければ、小梅たちに気づかれる前に終わらせられるかもしれない。
などと思案していると、ドスドス足音を立てて小梅が乗り込んできた。
「ほら、人間! 終わったら居間に戻る! 姉さまはそこで反省!」
「……」
決断が遅れたせいで、計画はご破算になった。一瞬の躊躇が生死を分ける。それが戦場の掟だ。
*
居間へ連行された俺は、囲炉裏のそばに腰をおろした。
小梅は怒ったようにドンと湯呑を置く。もう少し優しくして欲しいところだが、茶を出してくれただけマシかもしれない。
彼女は腰をおろすなり、こう切り出した。
「話はだいたい聞いてるよ。悪いやつを倒しに行くんでしょ? 小梅は武器がないし、行っちゃダメだって言われたから、我慢してお留守番するけど……。もし行くにしても、父さまの帰りを待ってからにしたほうがいいと思う」
「たしかにな……」
万全を期すなら、彼女の言葉に従うべきだろう。
しかし山吹と菖蒲はいまなお苦しめられている。それを思えば、悠長に構えていることなどできない。
龍胆が静かに切り出した。
「けど権兵衛さん、いつ戻ってくるか分からないのでしょう?」
「うん。なんだか大事な集まりに呼ばれたみたい……」
「時間をかけるのは得策ではないと思います。いちど交戦した以上、敵もなんらかの手を打ってくるでしょうし」
彼女の意見にも一理ある。あの強盗は、己の力を過信して素手で挑んできた。しかし槍で串刺しにされて、武器の重要性をイヤというほど理解したはずだ。次回は確実に武装するはず。
俺は熱くて渋い茶をすすり、しばし思案を巡らせた。
素早く準備を整えて電撃戦に出るか、あるいは権兵衛を待つか……。
居場所は特定できている。動物園だ。敵も天女を閉じ込めておきたいだろうから、場所を変えたりはしないはず。
もし時間を与えれば、バリケードを築いたり、罠を仕掛けたりするかもしれない。
のみならず、女が十人近くいるのなら、そのにおいにつられて餓鬼どもが集まっている可能性もある。
過酷な戦闘を想定しておくべきだろう。
いや、わざわざ敵の牙城に攻め込む必要があるのだろうか。
あの強盗、天女を探してあちこち歩き回っている。おびき出して仕留めるという手もあるのでは。ただし出現場所を特定できないため、むやみにうろついてこちらが消耗する可能性もある。そこを襲われたら状況は不利。
人より賢ければ、こんなことで悩まなくていいのかもしれない。
しかし俺の頭では、せいぜいこの程度の想定が限界だった。
*
結論が出なかったため、俺は話を切り上げ、地下牢へ酒瓶を運び始めた。
少し遅くなってしまったから苦情でも言われるかと思ったが、そうでもなかった。
「おい、タマケン。そっちの小僧と話したんだが、もしかしたらイケるかもしんねーぞ」
「えっ? なにがです?」
隙間から酒瓶を差し込むと、続きは隣のやつから聞けとばかりに追い払われてしまった。
ジョンは相変わらず寝そべっていた。
「プリンタだよ。設計図はいくつかチップに入ってるから、材料さえあれば一通りのものは揃えられる」
「えーと、つまり……設計図を印刷したいのか? 書くものが欲しいなら用意するぞ」
「いや、設計図はもうあるんだよ。俺のチップにな」
「じゃあプリンタいらないじゃん」
するとジョンは足をバタつかせてケタケタ笑いだした。
「ああ、そうだったな。俺が悪かったよ。旧時代の人間は、2Dプリンタしか見たことがないのか。俺が言ってるのは3Dプリンタだ」
「バカにするな。それくらい二十一世紀にもある」
「とにかく、そいつで人工知能を印刷して、まずはネットワークを作る。スピーカーも用意できるぞ。音楽が聞きたいんだろ?」
「えっ?」
人工知能を印刷?
さすがになにを言ってるのか分からんな。パソコンを作るってことか。
ジョンは得意顔になった。
「その気になれば、プリンタでプリンタも作れるぞ。調理器も、ロボットも、拳銃もな。ま、自動車みたいなデカブツは工場まで行かないとムリだけど。印刷ショップに行けば、好きなだけ作れる。まずは電力を確保する必要があるが」
「電力……」
導線や永久磁石はそこらに落ちてそうだから、コイルを作って発電すること自体は難しくなさそうだ。しかし安定的な電力を供給するとなると、専門の知識が必要になる。悪いが俺はそこまで詳しくない。
いっそ棒をぐるぐる回して人力で発電するか。
いや、水車や風車という手もあるな。ノウハウは皆無だが。
ジョンが肩をすくめた。
「そう難しく考えるな。エタノールさえ用意できれば、そこらの施設で電気は作れる」
この「エタノール」という語に、毒島がビクリとなった。
あるんだよなぁ、そこに。
分かってるとは思うが、助け「合い」の精神で行くぞ。
ジョンはふたたび笑った。
「地方に行けばバイオエタノールの生成工場があるはずだ。トウモロコシでも放り込めば、好きなだけ生成できるだろ。それか、すでに加工済みのが倉庫にあるかもしれない。飲むわけじゃないし、使用期限が切れてても大丈夫だろ」
クソの役にも立たないおじさんと違い、この少年はじつに見込みがある。問題は、その「地方」とやらがどこにあるのか、だが。
役所辺りで地図を手に入れる必要があるな。いやコンビニでもいいか。もし地図が紙なら俺にも読める。データならお手上げだが。
ともかく、文明再興の手がかりが見えてきた。
銃があれば餓鬼を掃射することもできるし、車があれば腰を痛めて酒瓶を輸送する必要もなくなる。人類の遺産はすべて有効活用させてもらうとしよう。
なにより、調理器も作れるらしいじゃないか。それさえあれば、二度とゲロをすすらずに済む。いまとなってはゲロに抵抗もないけど。
ひとりじゃできなかったことが、仲間の力でどんどんできるようになる。やはり共存こそが発展への道ということか。
いや、まあ、俺にとって彼らは有用だが、彼らにとって俺がどうだかは分からないが。そのうちなにかの役には立つはずだ。たぶん。リヤカーも運べるし。うん。
(続く)




