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蠱毒  作者: 不覚たん
表象編
3/56

げろキャン

 朝を迎えた。

 何時だか分からないが、とにかく薄もやの向こうに太陽はのぼった。この世界の空は白と黒しかない。

 焚き火は消えかかり、体も冷え切っている。かき集めた廃材で即席のベッドは作ったが、その程度では寒さをしのげないようだ。

 動いてると平気だから、たぶん春か秋なんだろうけれど。


 姉妹は、互いに抱き合って暖を取っていた。

 まったくやましい意味ではないが、俺も寒さを逃れるために、ここに参加すべきだと真剣に思う。少なくとも姉は「案内人」だし、俺の生存率をあげるために協力してくれるはずだ。

 問題は妹だな……。


 俺は廃材を探し、焚き火にくべた。

 が、すぐに火力が増すわけではない。じっと待たねば。

 体の芯が冷える。

 たしか、タンポポの根でコーヒーが作れたような気がするのだが、手順がまったく分からない。サバイバル動画は山ほど観たはずなのに。実践していないことは、いざそのときになっても応用できないようだ。

 だいたい、鈴蘭におんぶにだっこで生きている俺が、サバイバルなどおこがましいにも程がある。


 姉妹はまだ眠っている。小梅も無邪気でかわいらしい。いまは髪をほどいているから、姉にそっくりだ。

 ま、ひとたび目を覚ませば、やかましいのがまた始まるんだろうけれど。


 俺は火を見つめながら、朝の冷気をやり過ごした。

 これから冬が来るのだとすれば、なんらかの準備をしなければならない。野宿なんてしたら一日で死ぬ。屋根のある家と、布団と、その他もろもろが必要だ。廃材だって無限に転がっているわけじゃない。

 将来に対する不安というものが、ここにもあるのだ。しかもここでの不安は、かつては解決済みと思われていたものばかりだ。屋根も布団もあって当然だった。蛇口をひねれば水も出たし、火を起こすのも簡単だった。

 思えばライターってのはすごい発明だったんだな。

 燃料を気化させ、そこに火花で着火する。

 モノが燃えるための条件は三点。酸素、可燃物、そして熱エネルギー。そんな理屈だけ分かっていても、俺は火を起こせない。

 新しくくべた廃材が、パチパチと音を立てはじめた。


 やがて鈴蘭が目をこすりながら身を起こし、こちらへやってきた。

「おはようございます」

「おはよう。寝ててよかったのに」

「あなたを待たせてはいけませんから」

 朝食のことを言っているのか?

 俺は手で制した。

「待った。まだいい。そんなに腹は減ってない」

「そうですか。けれど我慢はよくありません。朝食をしっかりとらないと、体によくありませんから」

「ありがとう。そのときになったらお願いするよ」

「ええ、いつでも」

 言ってる内容はもっともらしい。だが彼女は、この行為の異常性を理解しているのだろうか。自分が食い物になることを、まるで苦慮しちゃいない。むしろ肯定的に考えているようですらある。

 ポジティブ、と評すべきなのか。

 小梅が「姉さま、寒い」と苦情を訴えた。

 鈴蘭はやや苦い笑みだ。

「いつまでもあの調子で、困ったものです」

「君が優しすぎるんだろう」

「自覚はしています。しかしうちは……母が、いっさい家事ができないものですから……。私が代わりをしているうちに、このような状況に」

 家事、か。

 俺はあえて状況を忖度せず、こう尋ねた。

「お父上は、家事はやらない家なの?」

「いえ、私が幼いころはしていました。ただ、不器用なもので。なんというか、右腕が……」

「失礼」

「いいのです。右腕だけ六本もあって、うまく使いこなせないようで」

「……」

 とんだクリーチャーじゃねーか。

 なんなんだよ、その親は。

 鈴蘭はかすかに嘆息し、まっしろな空を見つめた。

「母が家事をできないのも、ヘビなので仕方ありませんし」

「ヘビ!?」

「たぶんヘビのようなものかと」

「えっ、ヘビ? あのニョロニョロしたやつ?」

「ええ」

 じゃあなにか。彼女は、タマゴから生まれたとでも? いや、そもそもそういうレベルのアレじゃないのか。状況が整理できない。右腕だけ六本もある父親は、ヘビとヤったってことになる。

 鈴蘭は手近な小枝を拾い、地面をいじり始めた。

「こんなに美人の私が、いつまでも嫁の貰い手もなく、人間ばかり相手にしているのは、そういう理由によるのです」

「そ、そうなんだ……」

 いまサラッとアホみたいなことを言った気がするが。

 彼女は枝を捨て、こちらを見つめてきた。

「あの、冗談を言ったので、つっこんでいただけると嬉しいのですが」

「えっ? 冗談って、どこから?」

「美人のところからです」

「ああ、ごめん。けど実際、美人だからさ」

「では二重の意味でつっこんでいただけると」

「からかうのはやめてくれ。いや、いいんだ。こっちとしても拒否する理由はない。ただ、いまヤったら妹さんに殺される気がするからさ」

「命のほうが大事なのですか?」

 きょとんとした顔で聞いてくる。

 寝起きの、ちょっとマヌケな顔で。

 だがわざと隙を見せている可能性がある。その罠にまんまとハマってもいいが。

「それを天秤にかけることは望まない」

「えっ?」

「価値観の表明を強制されたくないってことだよ」

「あら、そうですか。なんというかあなたは……これまで来た人間の中でも、かなりめんどくさいタイプかもしれませんね」

「ご理解いただけてなにより」

 しかしどんなランキングでも、一位になることは難しい。きっと俺より面倒な男もいたはずだ。俺のポジションは、だいたい下から二番目ってところだ。


 鈴蘭は会話に飽きたのか、手ぐしで髪を整え始めた。

 艶めく長い黒髪を、ほっそりとした指がなでてゆく。淡々と絹を織るような工程だ。

 動くたび、羽衣の隙間から腋やあばらがちらちら見えた。というより、わざと見せているのかもしれないが。

 体力のあり余っている男なら、この時点で我慢しきれず始めているのかもしれない。しかし俺はといえば、体がひえてどうもそういう気になれなかった。妹も横になってはいるが、完全に起きているようだし。

 その小梅が、むくりと身を起こした。

「姉さま、小梅の髪もやって」

「こっちへいらっしゃい」

「うん」


 おとなしくしていれば、じつに美しい姉妹だ。

 すまし顔の妹の髪を、慈愛に満ちた目をした姉が丁寧にすいている。なんというか、見ていて優しい気持ちになる。きっと三十分もすれば、またキーキーうるさいのが始まるんだろうけれど。

 ふと、空腹で腹が鳴った。

 だが俺が「鳴ってない」という顔をしているのを、鈴蘭も受け入れてくれた。

 静かで、穏やかな時間だった。

 焚き火だけがパチパチと鳴っている。


 そして三十分後。

「姉さま! 小梅はお腹がすきました!」

 始まりやがった。

 鈴蘭も閉口。

「姉さま! 姉さま! 無視ですか! 小梅はお腹がすきました! 聞こえてますよね!? こーうーめーはーおーなーかーがー」

「静かになさい。聞こえていますから」

「では朝ごはんを。口から直接」

「結構しんどいのですよ? あなた、かなり吸うから……」

「いじわるするなら、この人間に姉さまの恥ずかしい過去をバラします」

「えっ? 品行方正に生きているこの私に、恥ずかしい過去などあったかしら」

 姉妹ケンカに俺を巻き込むのヤメて欲しいな。

 妹は勝ち誇った表情だ。

「いいの? いいの? アレ言っちゃうから」

「アレとはどれです? あなたの出したものを、食べ物と勘違いして食べてしまったこと? それとも、寝ている間に出してしまったこと? どちらも姉さまは気にしていませんよ」

 気にしろ。

 妹もドン引きだ。

「あ、あの、ごめん。姉さま、小梅の出したものって?」

「大丈夫よ。まだ小さかったころの話だから」

「ち、違うのっ! 小梅が聞きたいのは……小さかったころに、なにを出してしまったのかっていう……」

「人間と同じものを」

「いやあああっ」

 真っ赤なった顔を両手で覆い隠してしまった。

 生きていれば誰でも出すだろうと思うが。彼女たちにとっては異常なことなのだろうか。

 いや待て。つまり、それも同じ穴から出るってことだよな。勘弁してくださいよホント。これからメシの時間だってのに。しかも鈴蘭はそれを口にしたって話だ。

 その鈴蘭は、口元をおさえて上品な笑み。

「あらあら、恥ずかしがっちゃって。可愛いところもあるのね、小梅」

「うぅ……」

 姉は勝ち誇った顔をしているが、俺から見ればどっちもどっちだ。

 鈴蘭はやがてこちらへ向き直った。

「さて、ではそろそろ朝ごはんにしましょうか」

「いや、ちょっと待ってくれ。まだ心の準備が……」

「おげげげげぇっ」

 完全に人の話を聞いていない。

 まあ食事を用意する側にも、それなりの都合というものがあろうし、俺のわがままばかりを聞いていられないのだろうが……。

「さ、おあがりください」

 涙目でにこりとほほえみかけてくる。

 彼女の両手に溜まったでろでろのシチューは、ほかほかと湯気を立ちのぼらせている。正直、腹は減っているのだ。味が悪くないのも分かっている。すすりたい気持ちもある。なのだが、やはり精神的に受け付けない。

 指の隙間から、シチューが糸を引いてこぼれつつある。

 このままではムダにしてしまう。

 すると、じゅるるるるっと音を立て、身を乗り出した小梅がシチューをすすり始めた。まるでハイエナだ。さっきまであんなに恥ずかしがっていたのに。というか、まだ顔が紅潮したままなのに。

「ん、もう、小梅。そんなにがっついて」

「だって、姉さまの朝ごはん、おいしいんだもん」

「そんなに舐めないの」

「んーん?」

 イヌのようにペロペロと手を舐めあげている。鈴蘭はくすぐったそうに耐えている。

 朝っぱらから見せつけやがって。

 本来ならそこは俺のポジションなのだぞ。いや、躊躇したのは事実だが。


 ひとしきり舐め終えると、小梅は得意満面でこちらへ向き直った。

「あら、人間のぶんがなくなってしまったわね。けど、もたもたしているあんたが悪いのよ。せっかく姉さまが用意してくれたのに、嬉しくなさそうな顔しちゃって。正直、小梅はあんたのこと大嫌い。人が用意したごはんに、そんな態度とって。姉さまだって、本心では嫌ってるはずだから」

「おげげげげぇっ」

 演説の途中ではあるが、おかわりが出てきた。

 鈴蘭はやや苦しそうながらも、なんとか笑顔を作って俺に差し出した。

「さ、次はあなたの番です」

「はい……」

 他人がペロペロした手だから不衛生だとかなんとか言ってもいいが、そんなことを言い出したらこの話は最初からおかしい。どう言いつくろったところで、正真正銘のゲロだからな。

 はじめはなんとなく「慣れてくればクセになってきたりして」などと思っていたが、いっこうに慣れる気配がない。見るたびにムカムカする。

「いただきます」

 彼女の用意するシチューは、全体的に品があって、優しさも感じられる。きっと食器におさまっていれば、そして調理過程さえ知らなければ、普通に料理として味わうことができただろう。個人的には塩気が足りない気もするが。

 なのだが、調理過程を知っている身としては、どうしても……。


 心を無にしてなんとか食事を終えた。

 気を抜くとせり上がってきそうだ。

 小梅の叱責が飛んでくる。

「姉さま、こんな人間に食べさせることないよっ! こんな失礼なヤツ……」

「そう言ってはダメよ小梅。私たちが特殊なのだから」

「なんで? もしそうなら、こいつが自分でとってくればいいだけの話じゃん!」

「それはイヤよ。だってヘビを食べるなんて言い出すのよ?」

「ヘビを? ウソでしょ? 最悪! そんな野蛮なヤツなの?」

「ええ、とても野蛮なの。きっと最低限の教育も受けていないのよ。だから優しくしてあげてね」

「やだやだっ! 小梅、そんな人間許せないっ!」

 ひどい言いぐさだ。そのときは母親がヘビだって知らなかったんだよ。知ってたらもっと気をつかったはずだ。知ってたらな。


 ふと、姉妹が同時に黙り込んだ。

 ふたりが見つめているのは遠方の空。俺もそちらを見たが、白いもやしかない。

 まあ、こういうときになにが起きるのかは、すでに経験済みだが。

「また騒がしいのが来るようですね」

 鈴蘭の言葉に、小梅もうんざり顔だ。

「あいつら、うちの近所でも暴れてたのよ? 屋根に穴が空いて、父さまかなり怒ってたわ」

「あらあら、それは難儀ですね……」

 それは白と青の前掛けをした、ほぼ半裸の少女たちだ。いや少年かもしれないが。とにかく移動しながら殺し合いをしていて、周囲に肉片と血液を撒き散らす。

 もちろん俺は拾い食いなんてしない。

 すでに倫理観がアレになりつつあるが、いちおう人の形をした肉を食う気はないからな。


 ともあれ、巻き込まれる前に屋根のあるところへ避難しなければ。


(続く)

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