歓待
呼吸を繰り返していると、次第に体が震えてきた。
むやみに力んでいたせいかもしれない。顔面にコンクリ片を叩きつけられそうになったのだ。体がこわばるのもやむをえない。この異変が、交戦中に来なかっただけよしとしよう。
かつて槍だった棒きれを捨て、俺は山吹たちの武器を回収した。
間違いなく彼女たちの所持品だ。シンプルなシルエットながら、磨き上げられたなめらかな表面。血痕が付着しているものの、傷はひとつもついていなかった。材質は不明。あまり重くない。
せっかくなので、銃剣を槍の代わりに使わせてもらうとしよう。刀でもいいんだが、重たくて動きづらい鎧との相性がよくない。ためしに構えてみたら、弾丸が飛んで商店の壁に小さな穴を開けてしまった。
「……」
いや、驚くべきことでもないのかもしれない。彼女たちの持ってる石で、俺も火を起こせたのだ。この銃も似たようなものなんだろう。
リヤカーを整理していると、毒島も渋い表情で戻ってきた。
「いやー、危なかったな。まさか追っ払えるとは思えなかったぜ」
このクソ野郎……。
俺は出かかった苦情を片っ端から飲み込み、ようやくこう応じた。
「あんたが協力してくれたら、もっとスムーズに事が運んだと思うんですがね」
「そう言うな。みんなの邪魔にならないよう、泣く泣く身を引いてやったんだろうが」
「物は言いようですね」
「だろ?」
これをドヤ顔で言いやがる。
まあいい。蹴り倒されたのは俺がマヌケだったせいだ。その代わり、龍胆が敢闘賞モノの大活躍を見せてくれた。最終的に助かったのだ。いまはそれだけで結構。
その龍胆は道端にしゃがみ込んでいた。
「あの、ごめんなさい。足が震えちゃって……」
「感謝してるよ。君は命の恩人だ。リヤカーに乗ってくれ」
「えっ? でもそれじゃあ……」
「言ったはずだぜ、助け合いだって。その代わり、またピンチになったら助けてくれると嬉しいな」
「はい……」
もちろん俺ひとりでリヤカーを引くのは容易ではないから、今度という今度こそ毒島にも後ろを押してもらった。
いつまでも現場にとどまるわけにはいかない。
できる限り早く帰宅せねば。
戦力を整え、強盗の居場所を特定し、仲間たちを救出するのだ。正義感だとか、善意だとか、そういうんじゃない。ムカついたからだ。あいつはぶちのめしてやらないと気がすまない。
各人、思うところがあるのは間違いなく、しばし無言のまま進むこととなった。
荒川を越えたところで、俺はリヤカーを民家のガレージへ運び込んだ。
自動車もあるにはあるのだが、錆びついているし、窓ガラスは割れているし、タイヤは外れているし、到底使い物になりそうもなかった。そもそもキーもないし、燃料だって空に違いない。
武器を手に内部の安全を確認したのち、二階に部屋をとった。
餓鬼に囲まれるのはいい。対処できる。
怖いのは、例の強盗に追跡されることだ。
あいつは天女をさらうのを目的としているから、家に火を放ったりはしないだろう。となると、もし来るにしても、ノコノコ乗り込んでくるはずだ。
兵糧丸を齧りながら、俺は壁に背をあずけ、一日の疲れを癒やしていた。
鉄の小手で受けたとはいえ、真上からコンクリ片を投げつけられたせいで、さすがに左肩が痛い。とはいえ、のたうつほどではないが。たぶん寝れば治る。
龍胆は毛布に包まって、ベッドの上で小さくなっている。押し寄せる恐怖と戦っているのかもしれない。
毒島は寝そべってウイスキーをちびちびやっている。緊張感というものがまるで感じられない。たぶん命と酒以外に失うものがないせいだろう。
ともあれ、英気を養うことができるなら、いまは手段などどうでもよかった。
*
俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
なぜそれが自覚できたかというと、例のアノジが久しぶりに現れたせいだ。
「人の子よ、話がある」
「なんです?」
平安貴族のような格好の、あいかわらず愛想のない冷淡な態度だ。
できればツラも見たくない。
俺の返事がぞんざいになるのもご容赦願いたい。
アノジはしかし表情を変えない。
「昼間、汝らが遭遇した男、我らが懸念しておった存在であることが分かった」
「懸念? なんの話でしたっけ?」
「外来種の死肉を喰らった餓鬼の成れの果てよ。よもや人の姿をとっておるとは思わなんだ」
「……」
アレがそうなのか。
どうりで異様な能力を持っていると思った。女の肉を食うなんて品のないことも言っていたしな。やってることが餓鬼そのものだ。さいわいなのは、知能のほうも餓鬼レベルのままということか。
アノジは事務的な態度でこう続けた。
「汝にアレの駆除を命じる」
「ジョークを言うなら笑えるヤツにして欲しいな。駆除だって? 死なねーヤツをどうやって駆除するんだ?」
「なにか思案せよ。どうあっても死なぬのであれば、動けぬようにして穴に埋めるのでも構わぬ。とにかく対処せよ」
こいつ、自分がやるわけじゃないからって無茶なことを言ってるぞ。
「なんか道具貸してくださいよ」
「あまえるな。手前で用意せよ」
「なんだよそれ。報酬は上乗せしてくれるんでしょうね?」
「言葉を慎め。言われずとも検討しておる。汝はくだらぬことに頭を使わず、ただ命に従えばよい」
「はいはい」
まあどっちにしろあいつはぶっちめる予定だったから、報酬がプラスになるだけ儲けモノではあるんだが。
しかしアノジの物言いも納得いかない。
「ただ、あいつの居場所が分からないんで、なんかヒントくれるとありがたいんですがね」
「その点については助力できる。おおよそではあるが、場所の特定は可能だ。その知識を汝に授けよう」
「おおよそ?」
「ではくれぐれも頼んだぞ」
「えっ?」
一方的にそれだけ告げると、アノジはすっと消え去ってしまった。
*
朝、目覚めると同時に溜め息が出た。
知識とやらを授けてくださったおかげか、ぼんやりとした位置情報が頭の中にあった。某動物公園のあたりだ。飼ってるとは聞いていたが、まさかホントに檻の中にぶち込んでるとはな。
こっちはロクに眠れなかったというのに、毒島は酒瓶を抱えて爆睡中。
さすがのアノジも、こいつの夢の中には出なかったらしい。酔っぱらいだから話が通じないと判断したのか、餓鬼のなりかけだから忌避したのかは分からない。
代わりに、龍胆が毛布を抱きしめたまま近づいてきた。
「おはようございます。昨夜、上から命令がありました」
「俺んとこにも出たよ」
「どうしましょう……」
どう、とは。
クソ真面目にいまから直行するつもりなのだろうか。
いや、それは認められない。
「まずは家に帰るよ。戦うのは、準備を整えてからだ」
「分かりました。従います」
俺のはべつに命令というわけではないのだが。まあ素直に聞いてくれるのなら、こちらもそれ以上はなにも言うまい。
彼女はまだもじもじしている。
「あの、朝のごはんはいかがですか?」
「体は大丈夫なの?」
「はい。どちらかというと、人と触れ合っているほうが心が落ち着くので……」
「分かった。じゃあもらおうかな」
正直、俺も食いたいと思っていたところだった。彼女の出す食事は品があっていい。ちっとも嫌なところがない。
小さくうめいて、彼女は口の中にそれを溜めた。唇を重ねて、そっと吸い出す。
やわらかくてぷにっとした唇の間から、ぬるっと甘露が流れ込んでくる。髪をなでると、ぴたりと身を寄せてくる。そしてふたくち目のごはん。ほのかなあまみが、口の中に広がり、すっと消える。
何度か吸い出してから、彼女は恥ずかしそうに唇を離した。
「元気になりました……ね……」
「うん……」
元気になるのもやむをえない。
いやむしろ、エネルギーのやり場に困るくらいだ。
いつの間にか目を覚ましていた毒島が舌打ちし、ウイスキーをかっくらった。
「ったく、朝っぱらからあまったるいにおい出しやがって。俺にもよこせよ。餓鬼になって欲しくねーだろ?」
毒島には悪いが、逆の立場じゃなくてよかったと心の底から思ってしまった。
龍胆は半目になり、鍋に向かってゲーッと吐いて毒島へ出した。あまりに雑だ。
毒島もしかし文句を言わない。味はいいのだ。食えるだけありがたいだろう。
*
いざ出発、と思ったのだが、ドアの外には餓鬼が溜まっていた。
もちろん予想はしていた。
俺は手近な一匹に銃剣を突き立て、そのまま弾丸をぶっ放した。即座に遺体となったそいつは、血痕を撒き散らし、どっと廊下の壁に叩きつけられた。
残りは四体。
俺は銃口を向け、唖然としたツラの餓鬼に一発ずつ弾丸を叩き込んでいった。残り二体というところで、餓鬼どもは不器用に階段をおりて逃走を始めた。俺はその背に弾丸を放ち、二体とも死体に変えた。
「毒島さん。槍、拾っておいてください。たぶん使えるんで」
「お、おう……」
戦いに参加しろとは言わない。自衛のために役立つだろうと思っただけだ。実際、俺はかなりこの槍に助けられた。
*
帰路は順調だった。
強盗に追跡されている気配もない。きっとあいつも、あまり家から離れたくないんだろう。なにせ安定的にメシを確保でき、しかも劣情を解消できる場なのだ。本人にとっては天国のような場所に違いない。
家には昼過ぎについた。
最初に出迎えてくれたのは白蛇だ。これには毒島がひっくり返った。続いてダッシュしてきた小梅が「おかえりっ」と抱きついて来て、やや遅れて鈴蘭も身を寄せてきた。
「お帰りなさい、あなた」
「ただいま。もう回復したんだ?」
「はい、おかげさまで」
鈴蘭はにこりと柔和な笑みを浮かべている。
四肢が完全に再生している。
ここ数日は小梅のメシを独占できたはずだから、治りが早まったのかもしれない。
毒島は目を丸くしている。
「なんだおめー、三人も囲ってたのか……」
「いろいろあって助け合ってるんですよ」
すると鈴蘭は笑顔をキープしつつも、どこか冷淡な態度で俺を見た。
「こちらのかた、頭にツノが見えるようですが」
「話せば長くなる」
「いえ、アノジさまからうかがっております」
「……」
わざとか。まあ前回、面白くない思いをしたはずだから、毒島には悪い印象しかないのだろう。
その毒島は空気を読まない。
「これから世話になるぜ、天女のねーちゃんよ」
「ええ。地下に部屋が用意してございます。ご案内しますね」
「おう」
地下牢に住ませる気か。
まあお似合いっちゃお似合いだが。
俺は周囲を見回し、あらためて鈴蘭に尋ねた。
「権兵衛さんは? また畑に?」
「いえ、急な呼び出しがあって、里帰りに……」
「里帰り!?」
無敵の主戦力が不在とは。
かさねはこの家から離れないだろうし。
こうなると、鈴蘭に同行を頼むしかなさそうか。
ふと、鈴蘭が、今度は龍胆へ近づいた。
「旅の途中、間違いは起こしてないでしょうね」
空気がピンと張り詰めた。
龍胆は即座に半目。
「間違い、とは?」
「夫には触れていないでしょうね?」
「触れるくらいはしましたが、なにかいけませんでしたか?」
「どう触れたのです?」
「それは共同生活ですから、最低限の接触は避けられないでしょうね。毛布の数も足りませんでしたし」
「まさか同衾したのですか!? この泥棒猫! 恥を知りなさい!」
「ちょちょちょ、なにやって……」
鈴蘭はいきなり掴みかかったかと思うと、龍胆の羽衣をひんむかんばかりに引っ張り始めた。おかげでするりと肩が出てしまったが、龍胆の抵抗でそれ以上は露出せずに済んだ。
俺はとっさに割って入った。
「待った! ちょっと待った! すずさん、離して! いろいろ危ないから!」
小梅も「姉さまやめて!」と金切り声だ。
「あら、失礼。ついカッとなって」
鈴蘭は素直に手を離したものの、へたり込んだ龍胆をとんでもない目つきで見下ろしている。まるで狂犬だ。再会して数秒で修羅場とは……。
これには毒島もドン引きしているし、義母も関わりたくないとばかりにどこかへ行ってしまった。こういうときだけヘビになりきりやがって。
俺は不憫な龍胆に代わって、鈴蘭に抗議した。
「すずさん、頼むよ。これから一緒に旅するんだからさ」
「ええ。ですので、アレがアレする前にやめました。なにか問題でも?」
「問題だね。もしまた同じことを繰り返すようなら、君のことは連れていけないぞ」
すると彼女は不服そうに片眉をつりあげた。
「愛する嫁であるこの私を捨てると? ヤリ捨てにすると?」
「そうだよ。ヤリ捨てにするよ」
「……」
彼女はしばし無言であったかと思うと、反論もせず、くるりときびすを返して母屋へと引き返してしまった。
ヘタをすると強盗との交戦より緊張したのだが……。
心がぶっ壊れ過ぎている。一緒に連れて行って大丈夫なんだろうか。
(続く)




