ロストプロパティ
休憩ののち、旅の再開。
リヤカーを押しながら、すでに廃墟と化した商店街を進む。
あるのは飯屋に服屋、ドラッグストア、それに通信機器のショップくらいのものだ。本屋、CD屋、ゲーム屋は存在しない。不思議なのは、玩具屋さえないということ。小さな子供はデータの娯楽だけでは満足しないと思うのだが。
もはやリヤカーを押すフリさえしなくなった毒島が、龍胆のケツを凝視しながらつぶやいた。
「しかし不思議だよな、天女ってのはよ。メシが無尽蔵に出てきやがる。どういう仕組みなんだ?」
俺に分かるわけがない。
しかし龍胆が答えようともしなかったので、代わりに俺が返事をしてやった。
「空気からパンを作った学者もいるくらいですし、そういう器官が内蔵されてるんじゃないですかね」
「おいおい、カルトはやめてくれ。アシスタンスがないからって担ごうとしやがって」
「ホントなのに」
いや実際は比喩表現であって、小麦などを育てるための肥料を、空気中の窒素から作り出したというのが正確なところだが。
クソみたいなつっこみが入る前に、今度は俺から質問することにした。
「毒島さん、この世界をどう思います?」
「この世界? ぶっ壊れてるよな。不便で仕方ねぇ。ほかにコメントすべきことがあるのか?」
「仮想空間だって説もありますけど」
これに毒島はふっと鼻で笑った。
「まあな。現実離れしすぎてるし、疑いたくなる気持ちは分かる。ただ、これだけは言えるぜ。現実だろうが仮想だろうが、見破れねぇなら本気でサバイブするしかねぇってな」
「受け入れろと?」
「いいか? 人間の認識には限界があんのよ。いままさにこれを現実だと感じちまってる以上、ほかにやりようがねぇんだ。いや、もし仮にVRだとして、だ。俺の時代にこんな精緻なのは存在しなかった。少なくともここが未来の世界ってのは間違いないだろ」
「一理あるかも」
ここまでリアルなVRは俺の時代にだって存在しない。映像の問題だけじゃない。空腹や痛覚までリンクしているのだ。いい加減、この世界が現実であることを受け入れるべきだろう。薄々分かっちゃいたが。
都市部はどこを見渡しても灰色だ。
白い空のせいで薄暗いから、というだけではない。あらゆる塗料が、経年劣化で色あせているのだ。はじめは黒かったであろうアスファルトも、いまやどこも白っぽい。転がっている木片も黒くなってるか白くなっているかのどっちかだ。
看板もほぼ錆びている。中央部は文字が読める程度には残っているのだが、外周の錆がひどい。指で押したら欠けそうだ。
俺は世間話がてら、思わずつぶやいた。
「どんなに情報が電子化されて整理されたところで、データがぶっ飛んじまったらなにもないのと同じですね」
「そういう懸念は学者どもからもあったはずなんだが、コストカットやらなにやらで紙は廃止になってな。おかげで木々を切り倒す必要も減って、人類は地球に対する優しさを取り戻したってわけだ」
「地球は人類に感謝してないと思いますけどね」
この皮肉に、毒島も小さく吹き出した。
「そもそも、なんとも思ってないだろ」
「こんなジョーク知ってます? 頑強な記憶媒体は、CDでも紙でもなく、石版だって」
「看板も残ってるぞ」
「せっかくだし、俺らもなんか書いておきましょうか? 未来の人類が『発見』したら喜ぶかも」
「なにを書くんだよ? この世界はクソだって?」
「名案ですね」
心にもない感想しか出てこない。
簡単に「未来の人類」とはいうが、それだって俺たちが子供を作らなければ誕生しない。どこかの誰かが増やしてくれる可能性もなくはないが。
やや進むと、道端に奇妙な落とし物を発見した。
コンクリートジャングルにはなじまない、色鮮やかな物体だ。かなり距離はあったが、もしかすると、という見当はついた。しかし落ちているはずがない。
「待った、ストップ」
俺は踏みとどまってリヤカーを停めた。
予想が確かならば、この先には危険が待っている。
龍胆も走り出そうとしていたところだった。
こういうとき、あせってパニックになるのが一番怖い。
見間違えでなければ、その落とし物には、龍胆の剣と似たような装飾が施されていた。そして見間違えでなければ、山吹や菖蒲が有していたはずの刀や銃剣に見えた。
「玉田さん、あれ……」
龍胆が声を震わせた。
見解は一致しているようだ。
落ちているのはふたりの武器だろう。彼女たちがこの場に捨てたのか、あるいは誰かが置いたのかは不明だが。
俺はリヤカーから防具をとり、装着し始めた。胴だけは普段からつけているのだが、他の部分は重いので外している。
「はっ? どうした? なんかあったのか?」
毒島は不審そうに目を細めている。
「あっちに知り合いのものと思しき武器が落ちてます。罠かもしれない。背後をつかれる可能性があるんで、警戒してください」
「警戒? おいおい、勘弁しろよてめー。こっちは酒入ってるってのに」
「じゃあ死んだフリでもしててください」
「任せろ」
任せたぞ。
なんなら本物の死体になってくれても構わん。
防具を装着し終え、俺はリヤカーから槍をとって落とし物に近づいた。
人目を引きそうなモノを置いておいて、脇から奇襲するという手もある。ここはビル群というほどではないが、建造物がひしめきあっている。しかも壁は崩落し放題だから、どの隙間から飛び出してくるか分かったものではない。
後ろからは、へっぴり腰だが龍胆がついてきている。
これでもひとりでやるよりはマシだ。もみ合いになったとき、俺ひとりだと重すぎて起き上がれない。サポートがいると安心感が違う。
ザリ、と、足音がした。
崩れかけたコンビニからだ。そいつは奇襲するつもりだったらしいが、こちらが過剰に警戒しているのを見て、観念して出てきたようだ。若い男。武器はナシ。
「なんだそのカッコ……ダセェ鎧だな」
そう吐き捨てた男は、長い耳のようなものがついたパーカーにジーンズという、かなり自由な格好をしている。
俺は槍を構えたまま尋ねた。
「あの武器は?」
「いいだろ? 女からぶん取ったんだ」
「どんな女だ?」
「あ? どんなでもいいだろ。テメー、ナメてっとカマすぞ?」
急に不機嫌になった。
情緒不安定らしいな。
後ろからヒュンと空き瓶が飛んできて、ずいぶん遠方でガシャンと砕け散った。拳を握りしめてやってきたのは毒島三郎だ。
「おう、そいつだ。そのツラ、忘れてねーぞ。コソ泥野郎」
毒島はブチギレているが、男は愉快そうに顔をひきつらせた。
「ヒャハ! 誰だよテメー。なんか急にキレてるし。頭にツノ生えてんぞ」
「お前のせいだボケナス」
「知るかよ、おっさん。いちいちザコのツラなんて覚えてねーからな」
「この野郎!」
威勢よく出てきた毒島だが、敵に殴りかかったりはせず、俺の背後にきた。
「おう、タマケン! このクソガキに教育してやれ! 悪いことしたヤツがどうなるのかをな!」
俺がやるのか。
まあ逃げなかったことは評価するが。
俺は気を取り直し、男に告げた。
「なにが目的だ? 用件を言ってくれ」
「あ? いちいち言わせんの? 女集めてんだよ」
「集めてどうするんだ?」
「めんどくせーなテメー。飼うんだよ。腹が減ったら食えるし、ヤりたくなったらヤれるからな。いま十匹くらいいる。こないだ一気に二匹増えたし。羨ましい?」
模範的なサイコパスだな。
すでに山吹と菖蒲が被害に遭っていると見ていい。こんなのを放置しておけば、龍胆だって危ないし、鈴蘭や小梅にまで害が及びかねない。
俺は咳払いをし、こう告げた。
「こちらとしては、なるべく穏便に事を済ませたいと思っている。しかしもし君が危険な……」
「オラァ」
まだ喋っている最中なのに、そいつは足で瓦礫を蹴り上げてきた。おかげで俺はつい顔を背けてしまい、その隙に飛び蹴りを食らってドッと仰向けにぶっ倒れてしまった。
鎧の重量もあいまって、信じられないほどの重力がズシリとのしかかってきた。地面にはりつけにされたようだ。容易に起き上がれそうもない。
かと思うと、男は、龍胆の顔面に容赦なく後ろ回し蹴りを叩き込んだ。小さな悲鳴があがる。
そして静寂。
ものの数秒で趨勢が決してしまった。
「ヒャハ! よっわ! やべぇわ。弱すぎ。つーか俺が強すぎんの? まあどっちでもいいや。これからお仕置きタイムね」
いや待て。まだ毒島がいるぞ。
と思ったのだが、その毒島、こちらに背を向けて全力疾走で逃げているところだった。この野郎、敵前逃亡は死刑だぞ。
男はコンクリート片を拾い、ニヤニヤしながらこちらへ近づいてきた。
「これさ、顔に叩きつけたら痛いと思う? 泣く? ちっと試していい?」
「……」
さいわい、槍はまだ手元にある。寝転んだままじゃどう考えても振り回せないが。しかしギリギリまであきらめるべきじゃない。なにか策があるかもしれない。
すると男は不快そうに顔をしかめた。
「テメー、なにキョロキョロしてんだよ? 俺だろ? いま、お前を追い詰めてんの、この俺だろ? こっち見ろよ」
「……」
いちど見たが、怒っていることしか確認できない。俺はさらに周囲の様子をうかがった。槍はあるが振り回せない。瓦礫がある。つかめる距離にはない。
「おいテメー、シカトこいてんじゃねーぞオラ!」
顔面に向けて投げつけてきたので、俺は左手でかばった。鉄の小手だ。ガッと凄まじい衝撃があったものの、さしたるダメージもなくやり過ごせた。
「テメーこっち見ろっつってんだろ? あ? シカトしたところで助からねーぞ? あんまナメてっとマジ殺すかんな?」
「……」
会話に応じてやってもいいが、この手の連中にはなにを言っても激高するだけだ。まともにやり合うと、こっちまで頭がおかしくなる。
男はふたたびコンクリ片を持ち上げ、こちらへやってきた。両手で抱えるほどのサイズだ。これは小手では防ぎきれまい。
男がよたよたしながら瓦礫を振り上げたそのとき、ヒュンとなにかが飛んだ。かと思うと、男の腕が頭上で切断され、折れ曲がるようにアスファルトに落ちた。
「あっ? あーっ! 痛っ! 痛っ! なんだこれっ! 痛ぇ!」
短くなった腕からピュルピュルと血液を噴きながら、男は目を丸くした。
切り落としたのは龍胆だ。剣閃を光波にして一撃を加えた。
「テメーがやったのか? あ? どういうつもりだ? ぶっ殺すぞ!」
「……」
龍胆も無言。
ただしぷるぷると震えている。足もガクガクで立っているのもやっと。
男は向きを変え、ゆっくりと彼女へ歩を進めた。切断された腕は黒い霧となって消え去り、代わりに本体から腕が生えた。袖は短くなったままだ。
なるほど。不死身ってわけだ。こういう強気な態度に出たくなる気持ちも分からなくはない。
ただし、たぶん、あんまり頭はよくないのだろう。
男が一歩近づくごとに、龍胆は泣き出しそうな顔で後退している。おそらくそこに優越感をおぼえ、楽しくなって、俺の存在など忘れている。
「おい女、さっきの威勢はどこいったよ? あ? 泣くのか? 泣けよ。俺さ、泣いてる女殴るの好きなんだよね。最後は決まって『タスケテー』なんて言っちゃってさ。助けるわけねぇのに。家に帰ったら、ノコギリで腕切り落として目の前で食ってあげるからね」
追い立てるように、つま先でチョコチョコ蹴っている。
こいつがバカでよかった。
俺は気づかれないようそっと起き上がり、そいつの無防備な背に槍を突き立てた。
ズブリと突き抜ける感覚。
「あがっ……あっ……あっ……」
肺を貫通したはずだ。
しかも刺さったままだから、回復しようにも傷口はふさがるまい。
「あーっ! 痛っ! マジ痛ぇ! 抜いて! 抜いてこれぇ!」
「分かった」
俺はさらに奥へねじこみ、苦しむ男の髪を掴んで後ろへ引っ張った。
「あだだっ! 逆! 逆! 逆ぅ!」
「抜くわけないだろ。質問に答えろ。あの武器の所有者はいまどこにいる?」
「言う言う! 言うから! これ抜いてっ!」
抜いたら逃げる気だろう。頭に来たので、俺は槍をぐりぐり上下に動かした。
「痛い痛い痛いぃ! それやめて!」
「やめて欲しかったら質問に答えてくれ。どこにいるんだ?」
「うち! うちにいる! 飼ってるってさっき言ったっしょ!」
「場所は?」
「ちょっと待って、そんなの言うわけ……」
あんまり激しく動くから、バキリと音がして槍が折れてしまった。
男は槍に貫かれたまま、転げるように距離をとった。
「てめー、マジぶっ殺すからな! あとでな! 百倍返しすっから! クソ! クソクソクソ! 死ねクソ!」
わめきながら猛ダッシュで行ってしまった。
とんでもなく足が速い。
こっちは鎧の重さで走れないというのに。追えるわけがない。代わりに龍胆が後を追おうか迷っていたので、俺は「行かなくていい」と手で制した。
とにかく凌いだ。
課題は山盛りだ。
(続く)




