なんでもじゃない
リヤカーからおろした荷持は、そのまま蔵へ押し込んだ。よほど疲れているらしい権兵衛は「俺ぁもう寝る」と言い残し、納屋の野菜をわしづかみにして自分の小屋へ向かった。
することがなくなった俺と小梅は母屋へ入り、囲炉裏の脇へ腰をおろした。
さすがに鈴蘭と龍胆はケンカせず、おとなしく座っていた。
「父さま、帰ってきたの?」
「はい」
「そのブサイクな動物は?」
「クマコッコーです」
小梅はその弾力を堪能するように、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
鈴蘭は溜め息だ。
「ともあれ、父が帰ってきたということは、ついにそのときが来た、ということになりますね」
彼女の視線は、龍胆へ向けられていた。
龍胆も不服そうではあるが、力強い目でうなずいた。
「天命です。やむをえませんね」
ご神託とやらは、もう彼女たちには伝わっているらしい。
俺は咳払いをし、火箸で薪を並べ直した。
「できれば、分かりやすく説明してくれると助かる。天の声とやらは俺には聞こえないんだからね」
応じたのは龍胆。
「空を飛び回り、戦闘行為に明け暮れる集団がいるのはご存知でしょうか。彼らは外来種なのです。別エリアの勢力であり、この一帯への侵入を禁止されているはずの存在」
「人間が国境線を廃止したってのに、神さまは頑固に線を引いてるのか?」
「それぞれに管轄というものがあります。重要なのは、ここが彼らの管轄ではない、ということ。それで天は、私たちに外来種の排除をお命じになりました」
「じゃあ君は、そっちの仕事に専念するわけだ」
「いいえ。玉田さんも参加します」
「はっ?」
すると今度は、鈴蘭が苦笑気味に応じた。
「すべての案内人に命がくだされました。案内すべき人間とともに、外来種を排除せよ、と」
「ともに? 俺も? いや、でもあいつら空飛んでるんだぜ? こっちはせいぜい槍しかないってのに……」
「私が弓で撃ち落とします。敵だと認識されれば、彼らも地上へ降りてくるでしょう」
「その前に、あいつらの攻撃で蜂の巣にされると思うぜ」
「あなたには特別な加護が与えられます……と天が言っているので、たぶん大丈夫ではと」
「たぶん、て……」
まったく信用ならないのだが。
いや、待て。ムリに付き合う必要はない。俺は自由だ。ここには法も秩序もない。すなわち俺が法律だ。俺がやりたくないことは、やらずともよい。
なのだが、龍胆はクソ真面目なツラで、特に頼んでもいない解説を始めた。
「外来種が入ってきたことで、彼らの死体が大地に撒き散らされるようになりました。すると、それを求めて餓鬼までもが活動範囲を広げ始め……。しかも外来種の肉を食った餓鬼は、想定外の存在へ変貌する可能性があるらしいのです。新たな脅威が誕生する可能性があるため、天はこれを駆除すべきと判断したのでしょう。私たち案内人も死力を尽くして戦います。玉田さんも、ぜひお力添えを」
「えっ、あ、いや、その……」
やる前提で話が進んでいる……。
だって一円にもならないんだぞ? 無償労働だぞ? 天とかいうヤツは、勝手に人を誘拐しておいて、外来種の駆除までやらせるのか? 人間を将棋の駒みてぇに使いやがって……。
ふと、小梅がお茶を出してくれた。
「熱いから、さましてから飲んでね」
「ありがとう」
はぁ、最初はぷりぷり怒ってた小梅が、いまじゃ唯一の癒やしだよ。どうなってんだまったく。
しかしさすがは俺の嫁候補。というか自分のことしか考えていないからかもしれないが。鈴蘭はすまし顔でこう続けた。
「ま、私はムリに参加する必要はないと思いますね。だってそんなことしたって、疲れるだけですもの」
難色を示したのは龍胆だ。
「あの、鈴蘭さん? 天命ですよ? 天からの命令です。投げ出すつもりですか?」
「私、夫の身を危険にさらすつもりはありませんので。天の命令なんかより、夫の意見のほうが大事ですから。あなたは違うんでしょうけれど」
「またそういうことを……」
歯ぎしりする龍胆。
しかし悪いんだが、俺も鈴蘭の意見に賛成だ。
危ないし、やる意味がない。やったら褒美でもくれるってんなら別だが。なんで誘拐犯のためにボランティア活動せにゃならんのだ。
かといってそれを素直に言えば、俺まで龍胆に怒られかねない。よって俺は、うやむやにする策に出た。
「まあまあ、ふたりとも。結論を急ぐ必要はないんじゃないか? まだ体も治ってないわけだし。さすがの天も、そんな体のまま戦えとは言わないんじゃないの?」
見よ、得意技「先送り」だ。なんでも未来に先送りするぞ。明日できることは明日やる。人類の叡智ってやつだ。
だが、龍胆の表情は厳しかった。
「あの、ご説明が足りなかった点はお詫びします。しかし思い出してください。天が懸念しているのは、餓鬼が変容する可能性です。この状況を捨て置けば、今後信じられないような脅威に直面するかもしれないのです。危険の芽は、いまのうちに摘んでおかなければ」
「そうは言うけどさ。案内人は君ら以外にもいるんでしょ? だったらしばらくその人たちに任せておいてさ、君たちはゆっくり体を回復させなよ」
「ええ、しばらくはやむをえないと思いますが。しかしいずれは、剣を持って戦うことになると思います」
想像以上に頑固だな……。
まあいい。龍胆が回復するまで、一週間はかかるだろう。少なくともそれまでは自由時間ということだ。毒島三郎に会いに行くことだってできる。往復するのに最速で二日。あるいは三日ってところだ。
俺ひとりでも旅はできる。懸念となるメシの問題にしたって、権兵衛の兵糧丸さえもらえればクリアできるのだ。餓鬼だって俺のことは襲わない。ひとりならパッと行ってパッと帰ってこれる。
*
その夜、ひとりで寝ていると、またもや夢に母親が現れた。
「人の子よ、お話が……」
「いやいや、勘弁してくださいよ。分かってますから」
毎晩出てくる気なのか。
姉妹によく似た美人ではあるが、仄暗い和室に青白い顔でいきなり登場されると、さすがにぎょっとする。
「では一刻も早く娘を説得してください。なにを躊躇することがあるのです?」
「そりゃ躊躇しますよ。だってその話すると怒るんですよ?」
「いえ、鈴蘭はあなたの話なら聞きます」
「聞きますかね? いや、聞いたフリくらいはするかもしれないけど……」
「とにかく、あなたが動かぬことには事態が進展しません。そのことをよく考えた上で、なぜ動けぬのかを反省し、いかにすれば鈴蘭を説得できるのかをですね……」
かさねがくどくど説教を始めたと思った矢先、別のやつが部屋へ入ってきた。
「失礼、少々よろしいか」
初めて見る顔だ。
平安貴族のような、だぼだぼの服を着た中年男性。頭には烏帽子をつけている。怜悧そうな顔立ちで、目つきも狐のように鋭い。
かさねは二度見したのち、不快そうに眉をひそめた。
「どなたです? いま家族会議の最中なのですが……」
「我はアノジ。この付近を管轄しておる天の使いだ。人の子と直接話したいので、ご母堂には退席願いたい」
「はて? なんだかよく分かりませんが、ものの順序もわきまえぬおつもりか?」
「重要な用なのだ。ご退席願いたい」
「お断りします」
即答だ。
アノジとかいう男もぎょっとしている。
「断る、とは……? 卑しいヘビごときが、我に逆らうつもりか? 天の使いだぞ? その気になれば、汝の存在ごと吹き飛ばすこともできるのだぞ」
「えっ? あの、では消えますので、いまのはなかったことに……」
恫喝に屈するのが早い。
かさねはいちおうすました顔をしているが、いつもより速いスピードで霧散して消え去った。
そして俺は、謎の男とふたりきり。
「人の子よ、話というのはほかでもない。こたびの天命のことだ。外来種の駆除、汝にも手を貸してもらうぞ」
ずいぶんと一方的な物言いだな。
自分たちがなにをやらかしたのか、自覚していないらしい。
「それ、ちゃんと給料は出るんですか? いや、その前に。俺をこんなところに連れてきたことに対する慰謝料は? 両方払ってもらわないと、話を聞く気にさえなれませんね」
「自分に選択肢があるとでも?」
「もちろん。おっと、脅すつもりか? だったら俺を脅すんじゃなく、外来種とやらを脅したらどうなんだ? 存在ごと吹き飛ばすことができるんだろ? やれよ」
アノジは端正な眉をひそめた。
「生意気な人間め。本来なら汝のような下賤が会うこともできぬ高貴な存在なのだぞ。言葉を慎め」
「いきなり出てきて上司ヅラするなって言ってんだよ。人に命令したいなら、せめてカネを払ってからにしてくれ。ま、カネなんてもらったって使い道もないけどな」
「ふん、言われずとも褒美なら用意している。管轄の問題があるから、我が直接介入できぬだけだ。手も汚れるしな」
汚い仕事だってのは理解してるのか。
俺はさらにつついた。
「事前に、褒美とやらの内容が知りたい。契約内容を確認せずに、なあなあで仕事をすると、だいたい踏み倒されるからな」
「屋敷、財宝、女、酒、田畑、なんでも好きなだけくれてやる」
ん? 聞き間違えか?
「なんでも? なんでもって、なんでも?」
「なんでもだ」
「いやいやいや、さすがに限度ってモンがあるでしょ。あんた、自分の命をよこせって言われて、よこせるのか?」
「不愉快な。限度を超えた望みは聞けぬぞ」
「なんでもじゃねーじゃねーか!」
「人が満足する程度のものはなんでもくれてやるという意味だ。ふん。だが、そうだな。汝のようながめつい人間には『なんでも』などと言うべきではなかった。さっき言った屋敷や女で満足せよ」
まあたしかに、屋敷や女をもらえば、だいたいの人間は満足するだろう。俺もその「だいたいの人間」に含まれる。
俺は深く溜め息をついた。
「オーケー。ひとまず了解した。ただ、褒美の内容は保留にさせてくれ。急に言われても決められない」
「いいだろう。ま、汝の願いなどタカが知れておるがな」
いちいちムカつく野郎だぜ。
気持ちよく仕事できる環境を整えるのも雇用主の役割だろ。まさか天界とやらもブラック企業みたいな感じなのか。天の使いとかいうのがこのレベルじゃ、揃いも揃って時代遅れの連中なんだろ。マナーから教育してやりたいところだ。まずは、人を誘拐してはいけません、って基礎からな。
*
気がつくと、すでに朝を迎えていた。スズメたちの鳴き声が聞こえる。布団から出て戸を開くと、白い光がまっすぐに廊下へ差すのが見えた。
清々しい朝のはずだが、クソみたいな夢のせいで最悪の気分だ。
居間でも首を傾げるような光景が広がっていた。
「ほら、小梅。まだ出せるでしょう。もっと頑張って出しなさい。上の口から出ないのなら、下の口からでも構いませんから」
「もうやだよぅ」
厳しい表情を見せる鈴蘭の前に、半べその小梅がへたり込んでいた。
遠巻きに見つめる龍胆は渋い表情。
説明を受けずとも、なにが起きたかは察することができた。
俺の姿を見つけた鈴蘭は、こちらへ満面の笑みを向けてきた。
「あら、あなた! 待っててくださいね! いますぐ手足を生やして、あなたの旅のお役に立ちますから! あ、でも手足がないほうが好みでしたら、このままでおりますけど」
「……」
全員、閉口。
どこかに頭でもぶつけたとしか思えんな。
龍胆が溜め息をついた。
「玉田さん、旅に出るおつもりなのでしょう? 彼女、その旅に同行するつもりなのです。なんでも、弓さえあればあなたを守ることができるとか言い出して……」
武器をもらって気分が強まったのか。意外と血の気が多いな。
それはそれとして、絞り尽くされてゲッソリした小梅が気の毒でならない。
「すずさん、その辺にしておきなよ。小梅が可哀想だろ」
「なんです? やはり私は回復しないほうがいいと? それともまさか、妻である私を置き去りにして旅に出るつもりでは……」
斜め下から見上げるような、恨みがましい目つきだ。これがヤンデレというやつなのだろうか。いや、ただ病んでるようにしか見えない。
「ひとりで行くよ。一日で行ける距離だしさ。餓鬼につかまると大変だし……」
「餓鬼の心配ならもうありません! なにせ天から弓をたまわったのですよ? いまの私にとって、餓鬼などミジンコ以下! ひとたび矢を射れば、ヤツらの死肉で山を築いて見せましょう」
いくらなんでも話を盛りすぎだろ。
「戦いの経験は?」
「才能でなんとかいたします」
「つまりトーシロってことだ」
「大丈夫です! 手足が治ったら訓練してムキムキになりますから! ほら、小梅! 姉さまにごはんは!?」
しかし小梅は「もうムリだってばぁ」と涙目だ。
本当に自分のことしか考えてないんだから……。
(続く)




