手土産
その後、納屋のニンジンを手土産に、俺は地下牢へ向かった。
が、すでに小梅が食事を与えたあとらしく、ジョンはザルいっぱいの野菜をむさぼっていた。
「ココハ天国ダナ。寝テルダケデ勝手ニメシガ出テクル」
「代わりに話を聞かせてくれ」
俺がニンジンを突き出すと、ジョンは無遠慮にひったくった。
「話? 昨日ノデ全部ダヨ。ホカニ言エルコトハナイ」
「そうは言うが、こっちはここ四百年ほどの歴史をまるっきり把握してなくてね。なにか面白そうな話があれば教えて欲しいんだが」
これにジョンは顔をしかめた。
「オイ、コッチハ生マレテスグ戦争ニ巻キ込マレタンダゼ。マトモナ教育受ケテルワケナイダロ」
「えーと、なんだっけ? アシスタンス? そういうので勉強したりしないのか?」
「勉強? ナニヲ? ドウセ管理者ドモガ作ッタウソノ歴史ダロ。愚カナ旧時代ノ悪習ヲ乗リ越エテ、国境ナキ『ユートピア』ヲ実現サセタンダヨ。ソイツモ核デ吹ッ飛ンジマッタガナ」
「道沿いの看板には英語と中国語しかなかった。日本語はどうなったんだ?」
「ハ?」
「日本語だよ、日本語。俺らがいま喋ってる言語だ」
「モシカシテアンタ、日本語ト英語ノ区別モツイテナイノカ? チャント読メヨ。アレガ日本語ダ。ムカシハ『ローマ字』トカ言ワレテタスタイルダナ」
「……」
アルファベットが並んでいたから、よく読みもせず英語表記かと思い込んでいたが。じつはローマ字だったとはな。つまり話し言葉としての日本語は残っているが、文字は廃止されたということだ。かつての「ローマ字会」が聞いたら喜ぶだろうな。
「食事はどうなってる? なにか未来的なものは?」
「オイオイ、アンタラニトッテナニガ未来カナンテ知ルワケナイダロ。マ、新シイトイエバ、培養シタ細胞ヲソノママ食ウノガ流行ッタコトモアッタガ……。意外ト高クテナ。戦争ガ始マッタ途端、ソレドコロジャナクナッチマッタ」
「なんの細胞だ?」
「食用ニ設計サレタ人工ノ細胞ダヨ。人類ニ必要ナ栄養素ガ一通リ入ッテル。ホトンド味ガナイカラ、調理器ノホウデ設定スル必要ガアッタナ」
「へえ」
それはたしかに未来っぽい話だ。
「自動車はどうなってる?」
「AIガ運転スル。ケド、ソレハアンタラノ時代モ同ジカ?」
「いや、ギリギリ実用化してないな」
「タブン、ソノホウガイイ。車ノオーナートAIガ意見ノ違イデ口論シタリシナイダロウカラナ」
所有者が車とケンカするのかよ。それはじつに間抜けだな。
「空は飛ばないのか?」
「技術的ニハ可能ダガ、コストト法整備ノ問題デ、ソウナラナカッタヨウダナ。結局、ライフスタイルハ長イコト変ワッテナイハズダゼ」
「ガソリンで動いてるのか?」
「ガソリン? ナンダソレ? 動力ノコトナラ、ゼンブ電気ダゾ」
さすがに電気か。その電力を、なにで発電しているのかはともかく。
*
ひとしきり世間話を終え、俺は居間へ戻った。
鈴蘭と龍胆はまだケンカを続けていた。
「あなた! 一刻も早くこの女を山に捨ててきてくださいな! とんでもない悪党よ!」
「ふん、どちらが悪党でしょうね」
この無尽蔵のエネルギーはどこから来るのだろうか。いっそ治療に専念しろと言いたい。
俺は溜め息を噛み殺し、囲炉裏の脇に腰をおろした。
「今度はどんなテーマで討論してるんだ?」
「この女狐、あなたの側室になるとか言い出したんです! 不貞です!」
すると龍胆はふっと笑った。
「側室? 勘違いしないでください。正室です。側室になるのはあなたのほうでは?」
「ンマー、この女! よくもそんなことが言えたものですね! 人様の家を乗っ取る気ですか?」
またクソみたいな話題で盛り上がってる。まあここにはほかに娯楽もないからな。仕方のない話ではあるが。
しかし俺が口を挟む隙は生じなかった。
龍胆の反論は早い。
「いいですか? 話の大前提として、そもそもあなたは玉田さんと結婚していないんです。まずはそこを認めてください」
「いいえ、認めません。私と彼は、身も心も結ばれました。近々式も挙げる予定です。ここは玉田家となりますので、あなたは住めなくなりますから」
「ここはお父上の家では?」
「私が継ぐのですから、私の家も同然です。結婚したら夫との共有財産になります。当然の道理です」
「哀れですね、家を差し出してまで結婚を願い出るとは」
「じゃあ聞きますけど、あなた、夜の生活についてはどうお考えなの? 彼の粗末なモノとヘタクソな動きに対して、完璧な演技ができるの? 私はできます。それはもう子犬みたいにキャンキャン鳴いて差し上げます。彼を悦ばせるためなら、なんでもしますので。なんなら命も差し出します。あなたみたいな堅物にはムリでしょうけど」
いや待て。粗末でヘタクソってのは、あくまで例え話だよな……。
真に受けたらしい龍胆も、ゴクリとつばを飲み込んだ。
「子犬みたいに……」
「媚び媚びのおねだりな女から、不服そうに下唇を噛む女まで、それはもうどんな要求にも応じて見せます。あなたは? 死んだフリ以外になにかできるのですか? え? どうなんです?」
いやむしろ誇るべき点ではないような。
龍胆は悔しそうにうつむいている。
「私……私は……そういうのは……」
「ほぉーら、できないのでしょう。まさに笑止千万。あなたのようなマグロ女では、男は満足しませんよ。たとえ微塵も気持ちよくなくたって、さも昇天するような態度でキャンキャンしなければ」
なんとなく分かってはいたが、昨日の態度はすべて演技だったのか……。
仲裁に入ろうとしたところで、つい腹が鳴った。
朝からきゅうりしか食ってない。槍なんか振り回さなければよかった。
「あら、お食事ですか? では私の口からどうぞ」
鈴蘭がここぞとばかりに余裕の笑みを見せた。
龍胆は様子をうかがっている。
やはり冷静なのは龍胆のほうか。目先の利よりも、長期的なプランを優先している。
「いや、いい。いま君からもらうわけにはいかない。体の回復に影響するようだし」
「えっ? ではどうするのです? まさか小梅から……」
「あの子も大変そうだし、納屋から野菜をいただくことにするよ」
「なにを遠慮しているのです? あなたの空腹を癒すためなら、私は手足などいりません」
もっともらしいことを言うものだ。
しかしあくまで目先の問題に終止し、その選択が、長期的にどう作用するのか完全に失念している。
俺は今度こそ溜め息をついた。
「君がそのままだと、小梅の負担が大きくなるんだ。朝の世話から、お風呂の世話から、いろいろ大変そうだぞ」
「いえ、夫婦なのですから、私のお風呂はあなたがしてくれてもいいのですが……」
「断る。さっきも言っただろう。くだらない争いをしてるうちは、君とは仲良くしないって」
「そ、そんな……早くも家庭内別居……」
いや、まだ結婚してないぞ。
それにしても、ケンカすることが分かっているのに、なぜ小梅はこのふたりを一緒に置いておくんだ。まあ、みんなが囲炉裏に集まるのは自然なことだし、そこでケンカが起きたら離席するのも当然のことだけど。もう少し対策を考えて欲しいな。すべてを流れに任せ過ぎている。忙しすぎてそこまで気が回らないのかもしれないが。
ふたりの介護を完全に任せている状況だし、少しは小梅もフォローしてやったほうがいいかもしれない。
*
その夕刻、権兵衛が帰ってきた。
リヤカーに大荷物を満載し、へろへろになりながらの登場だ。
「おかえりなさい」
出迎えたのは小梅。そして白蛇だ。
俺も外へ出た。
すでに薄暗くなっていたが、石灯籠がぼんやりと周囲を照らしていた。
「おう、帰ったぞ」
「荷物がいっぱい」
「長から山ほど持たされてな。土産もあるぞ。小梅にはこれだ」
権兵衛は荷物の山に手をつっこみ、枕ほどのサイズのぬいぐるみを取り出した。
クマとニワトリが合体したような、ブサイクなキメラだ。
小梅も困惑としている。
「父さま、これは……」
「里で売り出そうとしてる人形らしい。クマコッコーだったか。お前にやる」
「あ、ありがとう……」
まったく嬉しくなさそうだ。
これは売れないだろ……。
権兵衛はリヤカーを置くと、井戸から水を飲み、どっと岩へ腰を落ち着けた。だいぶ疲れているようで、これからキャンプファイヤーをする気力さえなさそうだ。
俺は濡らした手ぬぐいを渡した。
「どうぞ」
「お、悪いな。あんたにも土産があるぞ。今度はちゃんとした鎧だ。鍛冶屋が打った業物だから、着てる最中にぶっ壊れることもないだろう」
「ありがとうございます。ところで、じつはちょっと客人が……」
すると権兵衛は、にわかに顔をしかめた。
「客? まさか例の悪霊が?」
「いえ、そうではなく、餓鬼が……」
「なんだと? 被害は?」
「いえ、そいつ一匹でふらふら入ってきて……。しかも人間としての記憶があるらしく、いま地下牢に……」
腰を浮かしかけていた権兵衛は、ほっとしたように腰を落ち着けた。
「なるほど。しかし記憶があるってことは……。じゃあ、餓鬼と人間との関係は、もうバレてるってわけだな」
「話の流れで」
「いや、いいんだ。きちんと説明しておくべきだった。じつはちょっと言い出しにくくてな。俺たちのメシを分けてやれば、餓鬼にならずに済むだけにな……」
なんだ。まさか罪悪感を抱いているのか。
彼は静かにこう続けた。
「納屋にある野菜は、好きに食わせてやってくれ」
「そうさせてもらってます」
「娘たちが嫌でなければ、もとに戻す方法もあるんだが……」
「えっ?」
「その餓鬼には意識があるんだろ? だったらまだ間に合う。娘たちが口から出すメシを与え続ければ、いずれ回復するはずだ」
いまはまだ猶予期間ってことか。
「あとで相談してみます」
「うん。それで悪いんだが、荷物の仕分けを手伝ってもらえるか? すずたちの荷物が思いのほか多くてな」
「案内人の道具ですか?」
「たぶんな。中身までは見てないが……」
荷台の大部分をふたつの木箱が占拠していた。たしか羽衣をもらってくるだけとかいう話だった気がするが。
*
箱をおろし、中身を確認すると、一方には弓が、一方には剣が納められていた。今後は案内人にも武器を持たせるようにする、ということだろうか。
権兵衛も困惑顔だ。
「人の娘に物騒なモン寄越しやがって」
「今後、必要になるってことでしょうか」
「おそらくな。ただ、あいつらなんも説明してくんねぇからよ。なにをどうしろってのかサッパリだ」
親としては、さすがに娘に武器を持たせるのは躊躇するか。
小梅も心配そうに覗き込んできた。
「なにそれ? 武器? 姉さまたちに渡すの?」
「まだ決めてない。渡さなきゃ渡さないで問題になりそうだが。まあきっと、そのうちふたりにはご神託でもあるだろう。渡すのはそのときでいい」
意外と気に入ったのか、小梅はクマコッコーを抱えたままだ。
さて、しかし俺にとっては悪い話じゃない。
仮に戦力が増えれば、餓鬼への対処も楽になってくる。俺だって自分の戦いに集中できる。彼女たちを旅に連れて行く、というのも選択肢に入ってくる。
問題は小梅がどう言うか、だ。
(続く)




