表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蠱毒  作者: 不覚たん
表象編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/56

嗅覚

 普段俺は、自分が眠っているという自覚を抱くことはない。だいたいなにも認識していないか、あるいは夢を夢と気づかずやり過ごす。

 なのだが、今回は明確に夢だと分かった。

 なぜなら和室に義母が現れたからだ。


 銀糸のような輝く髪をなびかせ、艶めかしい体に羽衣をまとわせてふわふわ浮いている。

 見る限り、鈴蘭よりやや年上という印象。実際の年齢は不明。

「人の子よ、お話があります」

「はぁ」

 なんの件かは分かりきっている。鈴蘭を説得しろとかいう話だろう。

 問題はタイミングだ。ついさっき娘とヤった男の夢に出るとは。空気が読めないというよりは、読んだ上でわざとやっているとしか思えない。

「私がかさねであるということを、鈴蘭とともに夫に説得して欲しいのです」

「いや、待ってくださいよ。その話すると、すずさん機嫌悪くするんで……」

「あなたたちは夫婦めおとになったのでしょう? でしたら、あなたは私にとって義理の子ということになります。あなたも私に協力する義務があるのでは?」

「まだ結婚してませんよ」

 すると彼女は不快そうに眉をひそめた。もともと目つきが暗いから、呪いでもかけられそうな気分になる。

「結婚する気もないのに、娘に手を出したのですか?」

「いや、そういうわけではなく……」

「ともかく、いまやあなたは私の息子も同然です。私の頼みを断るのは、人倫にもとる行為であると言わざるをえません」

 ヘビに人の道を説かれるとは……。

 しかし人倫どうこうを置くとして、少なくとも、このタイミングで鈴蘭に相談することはできない。夢に母が出るだけで許せないと言っていた。この話題はとにかく彼女の機嫌を損ねる。

「すずさんじゃなく、小梅ちゃんに頼むのはどうなんです? あの子、素直だから協力してくれるのでは?」

 俺のこの提案に、かさねはいっそう表情を暗くした。

「ええ。小梅は素直な子です。私の言うことも信じてくれます」

「じゃあいいじゃないですか」

「なにがいいのです? あの子、返事だけはいいのに、起きたらぜんぶ忘れているのですよ? 快眠するにもほどがあります」

「……」

 元気でなによりだな。

 夢なんてものは忘れるのが正解だ。おぼえてるってことは、中途半端な状態で目を覚ましたってことなんだから。

「龍胆さんは?」

「協力を断られました。もう私には、あなたしかいないのです。協力してくれるのなら、私もできる限りのお返しをしますから」

「お返しったって……」

 いやらしい想像をしなかったと言えばウソになる。しかし彼女の正体はヘビだ。ヘビの「お返し」といっても、まったくいいものが期待できない。

 彼女は疲れたように溜め息をついた。

「ともかく、頼みましたよ。まずは鈴蘭を説得してくださいね……」

「……」

 正直「はい」とも「いいえ」とも言えなかった。

 彼女は一方的に話を終えると、そのまますぅっと消え去ってしまった。


 *


 目を覚ましたのは、まだ日も昇らぬ早朝であった。いや深夜というべきか。

 空気がひえて、しんと静まり返っている。となりに転がっているのは手足のない鈴蘭。呼吸をしているから、死体でないことは間違いない。薄暗い部屋でも、顔立ちの美しさはハッキリと確認できる。

 これまで彼女に案内された男たちも、その美貌にのめり込んでいったのは間違いなかろう。世が世なら傾城の美女といったところか。親がヘビというのも、なんだかそれっぽいような気がする。


 俺は長い廊下を渡って居間へ出た。

 火はない。

 柄杓で瓶の水をとり、喉を潤した。誰かが汲んでおいてくれたらしく、水はたっぷりと溜められていた。それも夜の空気にさらされて、じつに清冽であった。気持ちも冴える。


 ここで火を起こして茶の用意などをしてもいいのだが、居間にいても木目で迷路をして時間を潰すハメになる。もっと有意義なことに時間を使わねば。

 もし毒島三郎に会いに行くならば、槍の稽古をしておいたほうがいい。なにせ俺はアスリートとは言いがたい体をしている。槍にしたって、どちらかというと振り回されている感じだ。使いこなせるようにしなければ。


 意を決して外に出ると、冷気がひときわ身に染みた。本当にこれが核の冬なのだろうか。夏らしくない気温なのは事実だが。

 しかし、たしか二十一世紀の時点でさえ、すでに氷河期だと主張する学者はいた。これから地球はどんどん寒くなるのだと。そこへ来て人類が活動をやめたことで、気温の低下が加速したのではあるまいか。


 遠方はうっすらと白み始め、いままさに太陽が昇ろうというところであった。

 俺は体をこすって気合を入れ、立てかけてあった槍を手にとった。

 せめて体になじませる訓練くらいはしておいたほうがいい。いや、俺は努力家ってわけじゃない。ただ、ここではあまりにやることがなさすぎる。槍でも振り回していないと頭がどうにかなりそうだ。


 *


 しばらくすると、髪も作っていない浴衣の小梅が家から出てきた。眠たげに目をこすっている様子は、まだあどけない。

「もう起きてたんだ? おはよう」

「おはよう」

「なにやってんの?」

「ちょっと訓練をな」

「ふぅん……」

 不思議そうな態度のまま、彼女はトイレへ行った。

 古い家だから、トイレも風呂も外にある。


 工夫しながら槍をぶんぶんやっていると、やがて小梅が出てきた。のみならず、目がさめて頭がハッキリしたのか、物凄い勢いで近づいてきた。

「あ、あのっ! 昨日っ!」

「昨日?」

「姉さま、人間の部屋で寝てた……よね?」

「……」

 というかたぶん、いまもそこで寝てる。

 小梅は鼻をひくひくさせながら、興奮した様子で詰め寄ってきた。

「変なことしたの!?」

「な、なんだよ変なことって……」

「それは……その……だから……」

「いや、ちょっと話し込んでたら、そのまま寝ちまってな……」

 隠す必要はないのかもしれないが、とっさに誤魔化してしまった。鈴蘭とて、本人のいないところで勝手なことを言われたくはなかろうし。

 小梅は顔を近づけ、すんすんとにおいを嗅いできた。

「姉さまのにおいがする」

「ち、近くにいたからね……」

「そうなんだ……」

「あ、それよりお母上のことなんだけど」

「なによっ!」

「どうしても人間の姿で出てきたいみたいで……」

 すると小梅は、ひと目で分かるほどムスッとしてしまった。

「またその話? 母さまはヘビなのっ! 人間になんてならないからっ! あんまり言うと小梅怒るよっ!」

「ごめん」

 もう怒ってる。

 しかし小梅も聞いてくれない、鈴蘭も聞いてくれないとなると、この話を権兵衛に伝えるのは不可能なのではなかろうか。

 小梅はまだ不審そうにこちらを見ている。

「それと、その……。人間、なんで急に訓練なんて始めたの?」

「えっ?」

「もしかしてここ出るつもりなの? 小梅たちのこと捨てる気?」

 鋭いな。

 前に鈴蘭に置き去りにされたのがよほどショックで、敏感になっているのだろうか。

「いや、俺だけなんの役にも立ってないから、せめて槍の腕だけでも磨いておこうと思って」

「役に立ってるよ。お水汲んでくれるし、薪も割ってくれるし。小梅ひとりでやるより、ぜんぜん楽なんだから」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど」

 だましているようで心苦しい。

 もちろん小梅は納得していない。

「急にいなくなったら怒るからね」

「うん」

「……」

 まだなにか言いたげであったが、小梅は黙り込んで母屋へ戻っていった。


 そうだな。

 旅に出るときは、せめてきちんと説明してからにしよう。なにも二度と戻らぬ決意で出かけるわけじゃない。少し話を聞きたいだけなのだ。


 *


 日が昇ってから、俺は畑でキュウリをもらい、水で洗って齧った。味はない。が、とにかくみずみずしい。そしてかすかな苦味とコク。

 キュウリには栄養がないなどと言われるが、それでも、ときおりむしょうに食いたくなる。もっとも、カロリーが低いだけであって、それ以外の要素は皆無でないのだから、なにかしら体の欲するものが含まれているのだろう。味噌や塩があればなおいいのだが。


 だが、清々しい気持ちでいられたのも玄関の戸を開くまでだった。

 家に入った途端、また鈴蘭と龍胆の口論が聞こえてきたのだ。口論というか、くだらない皮肉の飛ばし合いなのだが。

「未婚の女のひがみは怖いわね。そんなに男が欲しいのでしたら、どこかで拾ってきたらどうなのです? そういえば、あなたにお似合いのが地下にいましたね」

「心底あきれますね。勝手に結婚したつもりになって、一方的に独占したつもりになって。玉田さんの意見は確認したのですか?」

「あら、知りたいの? 彼、私の言うことならなんでも聞くのよ? 昨日だってとっても欲しがっちゃって……」

 もうそのまま玄関の戸を閉めてUターンしたいくらいだった。

 が、龍胆が見咎めた。

「玉田さんも、この女にハッキリ言ってあげたほうがいいのでは? あまりにしつこいから、お情けで抱いてあげただけなのでしょう?」

 すると俺が返事をする前に、鈴蘭が身を乗り出した。

「お情け? あらあら、あなた、そんな……。ご自分がお情けで抱いて欲しいからって……。夫は、あなたのような貧相な女は相手にしませんので」

「貧相? 結構です。あなたのような下品な体でなくて、本望です」

「そんなに平坦では、どちらが前かも分かりませんね」

「そ、そこまで平坦じゃないですからっ! ちょっと玉田さんっ! あなたはどう思うのですかっ!? ハッキリおっしゃってくださいっ!」

 仲裁に入ってくれそうな小梅はいない。きっとうんざりして自分の部屋にこもってしまったのだろう。

 ともあれ、龍胆はそんなに平坦でもない。わりといい感じのサイズという感じだ。鈴蘭がちょっと大きめなだけで。しかも人を平坦と言えるほどデカくもない。じつに虚しい争いだ。

「私の夫を困らせないでくださいな。そんな貧相なものを見せつけて。ないものをあると言わせようだなんて、酷じゃありませんか?」

「異議ありっ! 人の身体的特徴をあげつらうのは最低の行為ですっ! あなた、やっぱり自己中ゴミカスクソ女じゃないですかっ!」

「自己中どころか、私が世界の中心ですので」

 勝ち誇った笑み。

 ただ、言ってる内容は最低だ。

 あまりのクソ発言に龍胆が黙り込んだことで、ようやく会話が途切れた。

「もうやめなよ。龍胆さんの言う通りだぜ。人の体のことをさ……」

「あなた、もう浮気を!?」

「そうじゃない。どう考えてもいまのは君が悪いだろう」

「悪い? なにがです? 胸が豊かで顔もよくて床あしらいが上手なことの、なにが悪いのです?」

 そこじゃない。

 俺は手にしていたキュウリを流し込み、居間に腰をおろした。

「内容がどうこうじゃない。互いを攻撃することが悪いんだ」

「攻撃? いわれのない讒訴ざんそを受けたのは私のほうなのですが」

 これには龍胆も反撃に出た。

「異議ありっ! そもそも彼女は朝から玉田さんとの肉体関係を吹聴し、風紀を乱すこと甚だしく、目に余る様子でした。事実、小梅さんは恥ずかしさに耐えきれず、どこかへ行ってしまいましたし。それでやむをえず私がいさめたに過ぎません」

「はぁ、嫉妬が心地いいわ」

 まるで反省していない……。

「これが争いの火種になるくらいなら、俺はもう君には近づかないようにする」

「えっ?」

「だいたい、これから旅に出るにしても、こんなに冷静さを欠くようじゃ連れていけないよ」

「いまなんと? 旅? どういうことです?」

「……」

 口が滑った。

 いや、いい。そんなに重大な秘密じゃない。二度と戻ってこないわけでもないし。

 鈴蘭だけでなく、龍胆まで絶句している。

「あ、いや、ちょっと出かけたらすぐ戻ってくるつもりで……。いますぐじゃないよ。そのうちね。そのうち……」

「いったいどちらへ?」

「都心へ……」

「なぜです? 以前行ったときには、なにもなかったではありませんか」

「いや、男の人がいたでしょ? またあの人に会って、話を聞いてこようと思って」

「……」

 ロクに話が通じそうなタイプでもなかったが、少なくとも俺よりはこの世界に詳しいはずだ。鈴蘭が教えてくれないようなことも、彼なら教えてくれそうだし。


 すると龍胆が、ニヤリと不敵な笑みを見せた。

「しかし回復の度合いから見て、彼女を連れて行くのは難しいようですね。ま、私ならお役に立てると思いますが」

 うん。

 鈴蘭はまだ肘や膝まで回復していないのに、龍胆はその先まで回復しつつあった。全快するのもそう遠い話ではあるまい。

 小梅からの食事をこまめにもらっていただけのことはある。あるいはこうなることを見越して、小梅の食事を独占する方向へ誘導したか。

 鈴蘭は食事のたびに「味が薄いわ」などと愚痴をこぼしたが、龍胆は「優しい味ですね」と褒めちぎっていた。供給される食事量に差が出るのも当然だろう。


 この事実に気づいた鈴蘭は、悔しそうにぷるぷる震え出した。

「この泥棒猫、どこまでこずるいの……」

「人を見下すようなことばかり言って、感謝の気持ちを示せないからこうなるのですよ。いい勉強になったのでは?」

「ぐぎぃ」

 口から泡でも吹きそうな顔をしている。

 しかしこれは龍胆の作戦勝ちだろう。言ってる内容も正しい。わがまま放題でふんぞり返っているからこういうことになる。

 とはいえ、実際に龍胆を連れて行くかどうかは別の話だ。守ることもできない仲間を、私的な用事に連れ回すことはできない。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ