なりそこない
その後、小梅に謝りたいというので、鈴蘭を抱えて居間へ移動した。龍胆は混ざりたくないというので留守番だ。
囲炉裏の近くで足を投げ出していた小梅は、俺たちの登場を不思議そうな顔で出迎えた。
「どうしたの、ふたりして」
「……」
鈴蘭が返事をしない以上、俺が勝手に答えるわけにもいかない。先に鈴蘭を壁際に座らせてやり、俺も近くに腰をおろした。
さて、ご説明願おうか。
鈴蘭は余裕ぶった微笑だ。内心どうであるかは不明だが。
「小梅、姉さまは、あなたに言わねばならないことがあります」
「はい、なんでしょうか」
やや警戒しつつも、まだ察していない顔。
鈴蘭は小さく咳払いをし、静かに続けた。
「私、玉田さんと結婚します」
「はっ?」
聞き流すつもりが、つい俺のほうが先に反応してしまった。
結婚?
まったくそんな話ではなかったように思うのだが。
目をパチクリさせる小梅をよそに、鈴蘭はとうとうと演説を始めた。
「協議の結果、互いに深く愛し合っているという結論へ至りました。これすなわち、夫婦の契りを交わしたも同然。よって姉さまは、いまこの瞬間をもって玉田家へ嫁ぎます。つまり玉田さんはあなたの義理の兄となるので、あなたは結婚できません。分かりましたね?」
「いえ、分かりません……」
小梅の反応ももっともだ。
なにせ俺にも分からんのだからな。
「すずさん、話が違うぞ」
「なにが違うのです? あなたは私と結婚し、愛憎入り乱れたズブズブの関係になったあと、私を殺して、その後を追うのです。まさに愛の極致。一緒のお墓に入る日も近いと言えるでしょう」
言えないでしょう。
リアルに頭がおかしい。
これには小梅も深い溜め息だ。
「姉さま、分かりました。さぞかしつらい思いをなさったのでしょう。けれども、もう大丈夫なのです。姉さまは助かったのですよ。ここは安全ですから。怖いことはなにもありません。だから正気に戻って? ねっ?」
「いったいなんのつもりですか? 姉さまをバカにするのは承知しませんよ!」
「だって、ホントにバカなんだもの……」
謝るって話はどうなったんだ。
なにがなんでも謝らずに済ませるつもりか。
「ぎゃああああああああああっ」
突如、小梅がネコのように飛び上がった。
鈴蘭が奇行に出たわけではない。小梅の視線はさらに奥。
廊下から、龍胆がずるずると這ってきたところだった。手足はほとんどないのだが、ごく短い四肢を使ってなんとか移動したのだろう。浴衣がはだけて大変なことになっていた。
まあいきなり出くわしたら驚くわな。
鈴蘭は不快そうな嘆息。
「龍胆さん、少々お行儀がよくないようですが」
「失礼。クソみたいな話になるのは目に見えていたのですが、念のため私も聞いておこうと思いまして」
「あなた、いまご自分がどんな姿なのか分かっているのですか? 私の妹がおしっこをちびったらどうするのです?」
「そのときは責任をもって掃除します」
「小梅のはかなり水っぽくて、まったくおいしくありませんよ?」
「味は問いません」
なにを言ってるんだこいつらは。
小梅も「いやあああっ」と悲鳴をあげながら、顔を真っ赤にして外に飛び出してしまった。
このふたり、本当に相性がよくない。
「ご覧なさい! あなたのせいで、妹に謝りそびれてしまったではありませんか!」
「いまのは私のせいでしょうか?」
「それに! そのいやらしい格好! 半裸ではありませんか! そうまでして私の夫を誘惑しようと……」
「妄想が過ぎますね」
俺は立ち上がり、いちおう「失礼」と断ってから龍胆の衣服を直した。といっても、襟元をかき合わせてやっただけだが。半裸といったって両肩がはだけているのみで、赤ん坊が吸い付く部分までは見えていない。セーフだ。
「ありがとうございます」
壁際に座らせると、龍胆はなんとか笑みを浮かべて礼を述べた。本人は愛想よく笑っているつもりかもしれないが、やはり半目だ。こういった振る舞いは苦手なのかもしれない。
が、ともあれ、だ。
用件を伝えるべき小梅がいなくなってしまった以上、このメンバーでは特に話すこともあるまい。口を開けばケンカしかしないのだから。
ふと、玄関から権兵衛が顔をのぞかせた。
「おい、さっき小梅が飛び出してったぞ」
「知りません!」
鈴蘭がムキになって即答すると、さすがの父も渋面を見せた。
「お前なぁ。姉なんだから、あんまりわがまま言うんじゃないぞ」
「はい? 姉だから? わがままを言うなと? 父さま、いつもそればっかり。では小梅のわがままはいいのですか? 私、いっつも我慢させられて、正直うんざりなのですが?」
「そんなこと言うなよ……」
ストレスがお義父さんの胃腸を責めている。
いや、それよりも気になることがある。彼は頭に笠などをかぶり、まるで旅にでも出るみたいな格好をしている。
鈴蘭も気になったらしい。
「ところで、そのお姿は?」
「ああ、うん、ちと故郷へな。お前らの羽衣も調達せにゃならんし。そっちの娘さんも、ずっとその格好ってわけにはいかんだろう」
浴衣も似合っているとは思うが。
きっと羽衣は、彼女たちにとっての正装なんだろう。
龍胆は小さく頭をさげた。
「ご挨拶が遅れました。龍胆と申します。命を助けていただいた上、身の回りのことまで……」
「いやいや、いいんだ。気にしねぇでくれ。娘が増えたみたいで嬉しいよ」
実際、彼はなかなかの人格者だ。普段から強烈な娘をふたりも相手にしてるんだから。俺にも肉を食わせてくれるし。
「てことで、俺ぁしばらく留守にするからな。かさねもいるし大丈夫だとは思うが、火の始末だけは気をつけてやってくれ。くれぐれも仲良くな」
「はぁい」
いつもは大人ぶっている鈴蘭も、親に対してはこの態度だ。もしかすると本当は、小梅のような性格の娘なのかもしれない。ただ、長姉として育てられたから、それらしく振る舞っているだけで。
権兵衛は苦笑いのまま戸を閉めた。
これからの数日は、小梅のメシを頂戴することになりそうか……。
それにしても「故郷」か。
仙境だとか隠世だとか言っていたな。
「その故郷ってのは、歩いていけるような場所なの?」
俺は火箸で囲炉裏の灰をいじりつつ、鈴蘭に尋ねた。
「いえ、山にある特別な祠を使います。天が許可をくださった場合のみ作動するもので、誰でも自由に出入りできるわけではありません」
となると、俺が乗り込んで責任者に苦情を言うのは不可能ということか。どう考えても人さらいなんだから、文句くらい言ってもいいはずだが。
すると龍胆が眉をひそめた。
「しかし珍しい話ですね。案内人だけでなく、その家族までこちらで一緒に暮らしているなんて」
「なにが言いたいのです?」
またケンカでも始めるつもりだろうか。鈴蘭もそっけない態度を見せた。
「いえ、なにも。ただちょっと不思議に思っただけです」
「家の事情を詮索しようなど、あまり品のいい行為とは思えませんが」
「……」
龍胆の沈黙をもって、この話題は終了となった。
彼女としても、特に詮索する気があったわけではなかったろう。単に疑問に思っただけ、といった様子だ。なのに、鈴蘭が予想外に反応した。
事情はよく分からないが、つまり家族一緒に住んでいるのは鈴蘭だけで、他の案内人はひとりでこちらの世界へ来たということか。
*
しばらくすると、カラカラと玄関の戸を開き、小梅がおそるおそるといった様子で覗き込んできた。
「あ、あの……」
怖がっているようにも見えるし、気まずそうにも見える。
ちゃんと挨拶もせずに飛び出してしまって、どう戻っていいか分からないのだろう。
龍胆が、また苦手な笑みを浮かべた。
「先程は失礼しました。龍胆と申します」
「あの、小梅は……小梅っていうの……」
「しばらくご厄介になります」
「うん、はい……」
仲良くなれそうだろうか。鈴蘭と龍胆がこんな状態なだけに、せめて小梅くらいはうまくやって欲しいものだが。
小梅が腰をおろすと、龍胆はさらに親しげに声をかけた。
「小梅さん、弱っている私に食事をくれましたね。あのときは礼を言えませんでしたが、とても力になりました。ありがとうございます」
「あ、うん。いいよ。小梅の、ちょっと水っぽかったと思うけど」
「いいえ。とても優しい味でしたよ」
本心から感謝しているのか、あるいはこうして仲間を増やして鈴蘭に対抗しようとしているのかは不明だが、まあ表向きの仲良しだとして、問題を起こさないのならそれでいい。
この話題に関しては、鈴蘭も皮肉を挟んでこない。さっき妹をいじめたのを気にしているのかもしれない。
*
結局、鈴蘭は小梅に謝りもせぬまま、話をうやむやにして終わらせてしまった。一方の小梅も、どうせそんなことだろうと諦めたらしい。
おかげで小梅は、鈴蘭よりも龍胆に信頼を寄せるようになっていった。龍胆も龍胆で狡猾だ。小梅のことを「かわいくて気が利く」だのと褒めて褒めて褒めまくった。
数日と経たず、勢力図は塗り替えられた。
だがそんなことはいい。
問題が起きたのは、数日後だった。
それは天気がいいのか悪いのか分からない、空が白いだけの昼間。
鈴蘭と龍胆の皮肉っぽい口論をBGMに、居間の木目で迷路をしていたときのことだ。
外から、小梅の悲鳴のあがるのを聞いた。
ちょっと転んだような声じゃない。なにかに出くわしたような、山々に響き渡るような金切り声だ。
「ちょっと見てくる」
冷静さを欠いていた俺は、なぜか火箸を手にとり、転がるように外へと飛び出した。
この周辺は安全なはずでは?
柵の向こうから、「誰か!」と小梅の呼んでいるのが聞こえる。俺は猛ダッシュで庭を抜け、現場へ急いだ。ひらけた場所に見えるのは、巨大な白蛇の姿。
すでに母親が到着している。
だったら、小梅はなぜ助けを呼ぶ?
走りながら、俺は目を細めた。
畑の近くに小梅が座り込んでおり、その対面にかさねがとぐろを巻いている。この構図からは、母が娘を襲っているようにしか見えない。
しかし近づくと、聞き慣れない声もする。
「ヤメロ! 食ウナ! 俺ハ人間ダ!」
わめく餓鬼を、白蛇が大きな口で飲み込まんとしているところだった。というより、すでに下半身が飲まれている。
こんなところまで単騎で入り込んで来るとは……。餓鬼の斥候ってところか。
「待ってろ小梅! いま行く!」
火箸しかないが、身動きのとれない餓鬼を殺害するのには使えるはず。いや、なにもせずとも母が食ってくれそうだが。
なのだが、近付こうと踏み出した瞬間、俺はよく分からない方向からぶん殴られて、思いっきり畑へ投げ出された。
いや、殴られたというよりは、横薙ぎに押し倒されたというか。
土まみれになりながら体勢を立て直すと、白蛇の尻尾が近寄るなとばかりに俺を威嚇していた。状況を考えれば、俺を攻撃したのはこのヘビということになる。なんなんだ? 乱心したのか? それとも獲物に手を出すなと?
小梅も混乱している。
「母さま! なんで! 人間は仲間だよ!」
「……」
だが母は無言。
というより、そもそも意思の疎通ができない。
「待テ! 話ヲ聞イテクレ! 俺ハ人間ナンダ!」
往生際の悪い餓鬼が、安っぽい命乞いをした。
しかし不思議なことに、ヘビはいつまで経っても餓鬼を殺そうとしない。のみならず、なにかを訴えるようにじっとしている。
餓鬼は上半身をばたつかせ、なんとかヘビの口から脱しようとしている。なのにヘビはされるがまま。
かさねは食いかけのメシを俺たちに見せつけて、いったいどういうつもりなのだろうか。
まさか、こいつの主張を真に受けてるのか?
ヘビみたいな知能しやがって……。
俺は思わず笑った。
「お義母さん、冗談はよしてくださいよ。こいつはどこからどう見ても餓鬼でしょう。人間じゃない」
「ウルサイ! 俺ハ人間ダ!」
ヘビではなく餓鬼から返事が来た。
よく喋る野郎だな。
するとヘビは、俺たちじゃ話にならんと思ったのか、ゆっくりと向きを変え、家のほうへ進み始めた。鈴蘭にも見せるつもりだろうか。きっと答えは同じだと思うが。
さすがに重たいらしく、のそのそ這って進むのを、俺と小梅は見守りながらついていった。
前回はその場で丸呑みしていたのに、こうしてわざわざ運んでいるところを見ると、やはりなにか理由があるのか。
*
俺たちが到着すると、居間で口論をしていた鈴蘭と龍胆が、ぱたりと会話を止めてこちらを見た。
「あのぅ……えっ? なんですか? 餓鬼? どこで拾ってきたのです? 要りませんけど……」
娘の鈴蘭でさえ、眉をひそめて心底から嫌悪したような表情。
当然そうなりますよ。
餓鬼も力なくうなだれている。
「信ジテクレ、俺ハ人間ナンダ……」
助かりたくて言ってるんじゃなく、もしかして自分を人間だと思い込んでいる哀れな餓鬼なのかもしれないな。まあそうだとして、飼うわけにもいかないんだが。
しかし龍胆だけが目を細め、じっくりと観察するふうであった。
「もしかして、餓鬼のなりそこないでは……」
なりそこない?
すると鈴蘭も神妙な表情を見せた。
「えっ、では彼は……」
「時間の問題かとは思われますが、まだ人の意識が残っているのではと」
いや、待てよ。
餓鬼ってのは生まれたときから餓鬼なんじゃないのか? それともまさか、「なる」のか、ほかのなにかから……。
じゃあ、いままで俺が殺してきた連中も?
(続く)




